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コイツ、何て言ってるんだ? たかがビールを注文しただけなのに店のマスターはあれやこれやと英語でペラペラと言い返してくる。まぁしかたないか。というよりも当たり前か!? ここは日本におけるアメリカ領、岩国米軍基地内のバー。どうやら彼は瓶がいいのか缶にするのか生なのかをきいていたようだ。もう少しオレも英語力を身につけた方がいいかもしれない。テーブルの上には特大のピザが並べられそれを口に運びながらオレは仲間と酒を呑んでいた。相変わらず慣れないドル紙幣での支払いは扱いがアバウトになり過ぎて小銭ばかりが増えていく。だが久しぶりに味わうこの雰囲気はまさにアメリカという感じで実に楽しい。実際はこんなことをしている場合ではないというのに。岩国に来て2週間が過ぎていた。
もう少しここに滞在する予定でいたのだが急に長崎へ行かなければならない事になり本当ならこの日は自宅に戻り長崎行きの準備をしなければならないはずだった。だがオレはこの手の誘惑に弱い。ぎりぎりまでスケジュールを詰めるなら明日の早朝に戻って支度してもまぁ間に合うわと自分に甘々な解釈で仲間の誘いにホイホイついてきてしまったわけだ。ぎりぎりで組んだ予定など大抵、破たんして肝を冷やすのがオチなのだが例に漏れず今回もちょっとヤバイ事になりかけた。 翌早朝5時。眠い目をこすりながらなんとか起きる事はできた。まだ暗い中、ホテルをチェックアウトして自宅へ向かう。広島に入り大竹から高速に乗ろうとしたところで入り口の電光掲示板に雪、チェーン規制の表示が。マジか!? チェーンがない。仕方なく高速を断念し2号線を東へ向かう。するとすぐに雪がちらつき始め、ものの1キロも走らないうちに吹雪きだした。路面はうっすら雪が積もり視界はどんどん悪くなる。宮島を通過する頃にはかなりの雪が路面を覆いつくしていた。マジでヤバイ。 しかし、いつもオレは何とかなってしまう。西広島バイパスに入ったあたりまでは路面を覆いつくしていた雪も次第に姿を消し安心のアスファルトの路面に変わった。どうやら大竹から宮島あたりにピンポイントで大雪になったようだ。だからと言って油断ならん。慎重に広島市内を走り道路情報に目を光らせる。どうやらここから先は問題なさそうだ。志和ICから高速に乗り何とか昼には自宅に着くことができた。 だがこれで終わりではない。この後、長崎までの道のりを走らなければならないのだ。この日、西日本を襲った冬将軍は九州地方にも大雪を降らせていた。これにより中国道の一部と長崎方面へ向かう九州の高速は通行止め。しかもオレの軽トラは冬装備がなく我が家の車両の中で一番走り切れる確率が高いのがセローという有様である。だからってセローを引っ張り出して長崎まで走る気などあろうはずもない。事情が事情なだけに長崎行きは二日ほど延期する事ができたが今回の九州行きは幸先がよろしくない。まぁおかげでゆっくりと準備する事はできたんだがね。 二日後オレは九州へ向けて軽トラを走らせた。荷台には衣類を始めとする生活用品とエイプが乗っている。直前までエイプにするかセローにするか迷ったのだが他の荷物の量との折り合いからエイプを持っていく事にした。CB? 持っていくわけないでしょ。まぁ保管場所さえ確保できたなら選択肢に加えてもよかったのだがなんせ今回の九州行きは急に決まった事だったためそこまで根回しする事はできなかった。 さすがに二日も時間を置くと山陽道はまったく問題なく機能しており岩国あたりまでは雪の降った痕跡もほとんど残っていなかった。しかし、中国道に入るとさすがに山間部を通っているせいもあって除雪した雪が道の左右に見て取れる。そしていよいよ九州に入る。関門橋を超えると道路上の情報を伝える掲示板に長崎道、嬉野IC~長崎ICまで通行止めの表示がなされていた。予定では長崎道は走るが武雄ジャンクションから西九州道へ迂回する事になっている。嬉野? その手前だったかその先だったか? あいまいな記憶が不安を膨らませる。鳥栖ジャンクションで長崎方面に進路をとり10分ほど走った時、広がる景色に思わず息をのむ。雪景色である。ここは本当に九州なのか? 道路上は除雪されて走る事自体は問題ないが高速の上から見える街並みは真っ白だ。大丈夫か!? オレ。ふっ、毎度の事ながらこれが結構、大丈夫だったのだ。オレが見た雪国のような残雪は長崎方面に限定されていたようで武雄から西九州道を佐世保方面へかけてはまったく問題なし。最終的には何とかなってしまう己の強運に感謝だ。多少の不安を抱えた旅路だったが無事に目的地である長崎県松浦市に到着した。ここからちょっと長めの九州生活が始まる。
松浦市は長崎県の中でも北の海沿いに位置する漁港町でアジの漁獲量日本一を誇る。そして、実に生月島に近い。さっそくAki姉に挨拶の電話を入れ遊びに行っていいかと尋ねると……先の寒波で水道管が破裂してしばらくの間、湾岸ハウスが使えないとの事。どうやら長崎のダメージは大雪だけではなくその被害に関しては生月島も例外ではないようだ。ちょっと残念だが自然のタチの悪い悪戯では仕方あるまい。結局、湾岸ハウスが復活してオレが遊びに行けたのは九州入りしてから1ヶ月もしてからとなってしまった。 生月島は昨年(2015年)、9月のアイル・オブ・生月以来、半年ぶりとなる。宿のある松浦からは時間にして1時間弱。なんだか妙な気分だ。今まではかなりの気合を入れて目指した場所が今ではちょっと近所のコンビニでも行くような感覚でしかない。実際、その感覚で来てみるとこんなに気軽に来ていいものかと変に遠慮がちな気持ちになってしまう。 約束の時間にちょっと早く着いたせいもあって湾岸の大将である小倉さんはまだ帰ってきてなかった。Aki姉に電話するとこれから来てくれるというのでハウスで待つ事に。それから少しして車が一台やってきた。小倉さんが戻ってきたのかと思いきやその車からは懐かしい顔が現れた。4、5年前のアイル・オブ・生月以来、会っていなかった本郷君である。今回オレが来るというのを聞いてわざわざ来てくれたらしい。その直後くらいに小倉さんとAki姉もやってきた。あっ、いかんいかん。なんかワクワクしてきた。 全員がハウスに落ち着くと地味な絵面でありながら実に濃密でトークの切れ目がない宴会が始まった。それぞれが久しぶりの再会でしかもそのスパンの中、過ごしていた時間は皆、ちょっと普通ではない。本郷君は実に4年近くアメリカに出張していて帰国したばかり。小倉さんは2年ほど前に免許の取り消しを喰らって教習所通いの最中だし、オレはご存知の通りジプシー生活真っ只中である。お互いが興味深々なうえに話のネタは山ほどある。これは一晩では語り尽くす事は不可能だ。まぁそのあたりは問題ない。なんせこれからしばらくの間はお互いご近所なわけだし、無理やりこの日のうちに話を全部引っ張り出す必要もないだろう。 そして季節は冬が終わり桜の舞い散る季節へ。このあたりでオレは己の失策を悟る事になる。まぁ薄々は最初から気づいていたんだがね。