最近は、なかなかまとまった時間を作ってツーリングに行くことはできなくなったのですが(漫画の依頼ならむりやりでも仕事休みます!!)、昔はよくあっちゃこっちゃに行ったものなのであります。
年に1〜2回は九州、福岡の実家に帰っていました(大阪〜北九州間はフェリー)し、その帰りも、大分から四国へ渡って、金比羅さんに参拝したりして戻ってきたりしていたんですよ。
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「自殺のマンガ」結局描けなかったけど、いつかは小説にしたいと考えています | 藤子F不二雄先生の出身地。高岡の大仏さま |
「自殺の漫画」描いてみたくって、福井県の東尋坊に取材ツーリングに行ったこともあるし、大好きな藤子不二雄先生の地元、富山県の氷見や高岡にも行ったことあります。
そんなとき、人からやさしくしていただくとやっぱりうれしいんですよねぇ。
茨城県の鵜の岬(津波、大丈夫だったのかなぁ?)というとこに行ったときも、帰りに大洗港でお寿司をたらふく食べ、夜は地元のキャンプ場に泊まったことがあるんです。
まだ3月だったし、夜はそうとう冷え込みました。しかもここでも客はワタシ一人。やっぱり心細かったんですよね。
そしたら管理人のおじさんがワタシのテントまでやってきて、「そこのバンガロー開けといたから、そっちで寝なさい」と言ってくれたのです。
しかも、「あっちに焚き火しておいたから、暖まりなさい。私はこれで帰るけど、用心してね。なんかあったら携帯に電話して」と番号まで教えてくれたのでした。 |
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大洗キャンプ場の管理人さん。焚き火、暖かかったよ |
北海道行ったときも……その日は山奥の旅館に泊まったのですが、なんと次の日出発しようとバイクのとこまで来たらパンクしてたんですよ。
パンク修理剤なんて持ってないし、それ以前にやり方わかんないし、どうしようかと泣いていたら、旅館の板前さんが(広島出身だと言ってました)軽トラックに積んでくれて、近くの町の自転車屋さんまで運んでくれたのでした。
しかもその自転車屋さんは、板さんとは顔なじみだったらしく、「いいよ、いいよ」と、パンク修理代も受け取ってくれないんですよ。うれしいやら、申し分けないやらで、恐縮してしまいました。
ワタシもバカなもんで、お名前も連絡先も聞くのを忘れてしまってて、今もって御礼もできずじまいなんで、心残りなのであります。
このほかにもいろいろと食べ物をいただいたり、料金を安くしてもらったり、立ちゴケしたとき、起こすの助けてもらったり、やさしいい言葉かけてもらったり……ホントうれしいことがたくさんたくさんあるんですよね。
みなさま方、その節は本当にありがとうございました。なんのお返しもできずじまいなんですが、そのご好意を忘れることはありません。
3月11日……もうあの日から一年が経とうとしています。本当に、文字通り、あっという間の1年でありました。
あの東日本大震災は、日本の歴史に残るような恐ろしい大災害でありますし、どうしようもない現政府や、役人の利権争いや企業の事なかれ主義のため、まだまだ復興への道はいっこうに進んでおりません。
でも、現地ではボランティアの方たちがたくさん活躍していますし、被災者の方同士でも手に手を取って助け合っていらっしゃる光景を目にするたび、少しではあるけれど前進しているのもまた事実なのであります。
ワタシたちは世界中から賞賛された、統制の取れた、民度の高いすばらしい国民だと思うのです。
困っている人を見ると、すぐに助けてくれる、やさしくしてくれる。こういう人がまだまだたくさんいるワタシたちの国、日本……。こういうところであるかぎり、いつの日か完全復旧できるものと信じているし、絶対にそうであってもらいたい。いや……絶対そうしなければなりません!
お休みの日、コーヒー飲みながら、昔のツーリング写真を引っ張り出してながめていたら、いつの間にか国や国民、政治のことまでを熱く語っている、一人興奮したワタシがいました。
実は人間嫌いのワタシではありますが、できる範囲で人にやさしくしていきたいな……と思わされた、ある春の1日なのでありました。
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