順逆無一文


「得手勝手」

 またまたローカルな話題で申し訳ないが、ここ一週間くらい首都高速の三ツ沢入口の情報表示板が「調整中」のままになっている。

 最近は、事故渋滞が日常化している首都高速のこと、入口の情報表示板の役目は大きい。ほとんどの方は、その情報次第でルートを考えたり(助かることに横浜から都内に出る時は横羽線か湾岸線かを選べる)、おおよその到着時間を読んでいたりしているはず。

 酷い事故渋滞なら“利用しない”という選択肢も当然あるというもの。

 そんな重要な役割を果たしている“情報表示板”がずっと「調整中」なのは異常だ。1日、2日なら「機械だから故障するのも仕方なし、早く直してもらいたい」で我慢するしかないが。1週間近くもそのままというのはちょっと考えられない。うがった見方をすると、距離別料金制の導入で利用者数の落ち込んでいる首都高速のこと、是が非でも入れるだけ入れて500円だけでも徴収しようとたくらんでいるのか、と。

 入ってしまってから「渋滞で余計に時間がかかった!」では“詐欺”と言われてもしかたないだろう。明朗会計をうたっておきながら、料金を表示しないぼったくり○○と一緒。「入ってしまえば500円」まさかそんなつもりはないのだろうが、情報表示板の役割を甘く見過ぎている。

首都高速入口

 
 さて、本題に。こちらもローカルな話題。それも新聞で読んだだけの情報で申し訳ないが、なんでも栃木県警が事故抑止を口実に、法定速度を守る“ペースカー”を幹線道路に走らせるという。

「11年に県内で発生した交通事故死者数は111人。前年に比べ35人減と大幅に減ったが、スピードが出やすい国道での事故による死者は、37人に上った。特に国道4号、123号、293号の三路線は、それぞれ前年比4人増と目立った」(東京新聞WEBより)

 そこで例によって“スピード=危険”の図式からスピードさえ出させなければ安全、の発想で、また行き当たりばったりの規制を行おうとしているという。地元ではないので栃木県の交通状況は正確には分からないが、こと首都圏に関しては、事故の根本の原因はスピードじゃない、それ以前の“イライラ”だ。

「前のクルマがトロい」「自分勝手な運転してる」「時間に遅れそう」等々、運転しているだけで、さまざまな理由でイライラしてくることが多い。

 その一つ。センターライン寄りの車線に、周りのスピードの流れに合わせず“自分勝手な安全速度”で悠然と走るクルマが多くなった。左側が空いているのに、だ。ちょっと道を譲ってあげるだけで、周りのドライバー、ライダーの心の平安は確実に保てるはず。

 こういうドライバーに限って「自分は安全運転している」「模範ドライバー」などと思い込んでいるから始末におえない。無意味にスピード出すような“暴走”とはまったく別次元のスピードのハナシで、交通全体の流れを無視していることに気がつかない。

 そんな“自分勝手なドライバー”にお墨付きを与えることになるような施策を始めようというのだ。

 具体的には、新年度から県や市町の公用車をはじめ宅配業者など、クルマを業務で使い、安全運転管理者を置く県内の約7千の民間企業にも協力を呼びかけ、法定速度を守る“ペースカー”の役割を担ってもらい、クルマの流れ全体を減速させる計画だとか。

 法定速度を守るのは当然のこと。そんなことは当たり前だ。だがしかし、実際に法定速度がどれほど守られているのだろうか。どれほど危険を冒してまで守れるのだろうかと言い変えてもいい。

 パトカーの隊員ですらかなりの専門教育を受けてから交通の流れをコントロールしている(それも交通取り締まりは交通専門の交機隊員があたっている)のに、ただ免許を持っているというだけの一般の市民に、まったく法的な裏付けのない“曖昧な役割”を与えるのは危険ではないのだろうか。

 それでなくとも“自分勝手な運転”でイライラさせられることが増えているというのに。パトカーならいざ知らず、ステッカー1枚貼ったぐらいでは“自分勝手なクルマ”との区別は付きにくい。当然、イライラが募って無理矢理でも抜いていこうとするドライバーも出てくるはず。より危険な状況が発生する可能性もある。

 それに、最近はプロとはいえ運転技量が(交通マナーや遵法精神も)大幅に落ち込んできている。一定速度を保って走れるドライバーも少なくなった。トンネルや上り坂というだけで簡単に渋滞が発生してしまうことでも分かるとおり。法定速度は60km/hとしても、そういった道路状況では知らず知らずに速度が落ち、50km/h、40km/hで交通の流れをブロックしながら走ることにもなる。一定速度、運転リズムを作ることで安全を保ってきたプロドライバーたちに否応なしにイライラを募らさせることになる。

 それで、先頭に立ってブロックしているのが「自分が交通事故を防止しているんだ」などという思い違いの自己陶酔に陥っている人間だとしたら、現状よりもさらに周りのイライラを加速させる。

 また、イライラと同じくらいに、いやそれ以上に事故の遠因となっている“自分勝手な運転”をしているドライバーとどうやって見分けるのだろうか。金儲け第一で“自分勝手な人間”にも免許を与えてしまっている現在の教習システム。技量を教えるだけで、遵法精神を教えないのだから“自己中”ドライバー、ライダーが量産されて来る。実際に事故を起こしたり免停になって、初めて“自分勝手な運転”の結果による恐ろしさ、悲惨さを教えたのでは遅い。

 免許を受けること、そして交通社会の一員となることの重い責任や義務に対する教育の機会が欠落している。

 それはともかく、一部のライダーが起こした事故で「二輪車は危険」と、二輪車全体を通行規制するのとまったく同じ図式の安易な発想はそろそろやめていただけないものか。

 同じスピードでも運転者の技量や経験によって安全性は大きな違いがある。それを十把一絡げで「頭を抑えてしまえ」では、物事は解決しない。いや、よりイライラを募らせることになって、施策外の道路や裏道での交通事故を増加させる可能性すらある。

 コントロールもできないような速度違反をするドライバーやライダーがいるなら、それらを個々に厳しく取り締まるべきであって、それが交通社会全体の利益にもかなうというもの。“自分勝手なドライバーやライダー”は、運転に限らず人間性そのものがそうなのだから、日本人の精神性を見直さない限りこの状況は変わらない。正しい躾けや教育を施さなければ人間も動物の一員、ってこと。

(小宮山幸雄)

小宮山幸雄小宮山幸雄

“雪ヶ谷時代”からMr.BIKEにかかわってきた団塊ライダー。本人いわく「ただただ、だらだらとやって来ただけ…」。エンジンが付く乗り物なら、クルマ、バイクから軽飛行機、モーターボートとなんでも、の乗り物好き。「霞ヶ関」じゃない本物!?の「日本の埋蔵金」サイトを主宰する同姓同名人物は“閼伽の本人”。 


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