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HERO‘S 大神 龍 年齢不詳 職業フリーライター 見た目と異なり性格は温厚で性質はその名の通りオオカミ気質。群れるのは嫌いだが集うのが大好きなバイク乗り。 時折、かかってこい!と人を挑発するも本当にかかってこられたら非常に困るといった矛盾した一面を持つ。おまけに自分の評価は自分がするものではないなどとえらそうな事を言いながら他人からの評価にまったく興味を示さないひねくれ者。 愛車はエイプ100、エイプ250、エイプ900。
今年の6月の中盤から7月の終わりにかけてオレはほとんどと言っていいほどバイクに乗っていなかった。これはオレの人生の中でも異例とも言える事態である。 その間、何をしていたかというとバイクの修理、整備、調整などなど。シェルパはドレンボルト付近にクラックが入りオイル漏れを起こし、エイプはGW以降、その調子を崩したままだった。 じゃぁ、それをやるのにひと月半もかかるのかといわれればそんな事はない。集中してやれば一週間、バイク屋ならば3日もかからないだろう。だが・・・この夏の酷暑は皆さんもご存知のとおり。しかも我が家のガレージはほとんどビニールハウス状態で汗だくになりながら30分作業しては1時間以上エアコンを効かせた自室で休憩といった有様でまったくはかどらない。そんな調子でダラダラやってるうちに7月が終わってしまったというわけだ。まったく情けない。 シェルパは特殊な設備と溶接技術を必要とするので香川の知り合いの鉄工所社長にお願いした。クラックはふさがったがドレンボルトのおさまる所の面が取れていないのでまだ若干のオイル漏れはある。だがこれは後回しだ。 問題はエイプである。この夏の長期休暇にオレはエイプで走り回ることを決めていた。やるべき事は山ほどある。ジェネレーターコイルの劣化により灯火類は点かないしタイヤはボロボロ。ブレーキシューは完全に磨耗して効きが悪く、キャブなど要オーバーホールな状態である。大まかな消耗品をすべて交換し、ワイヤー類はすべてグリスアップ。キャブはバラして組んで走らせて調子をみてまたバラしてを3度ほど繰り返し予定していたすべてのメニューを終えたのが出発を予定していた8月11日のちょうど一週間前だった。
エイプの状態はかなり良いところまで回復はしたがやはりトップスピード付近でいくらかのバラつきがある。しかしまぁ別に誰かと競争するわけでもないのでそれほど気にする事のないレベルである。 ガソリンを満タンにして、効果抜群と定評のある添加剤を投入しオレは旅をスタートさせた。早朝に家を出て姫路市内を過ぎた150キロ地点で一回目の給油。これは東へ向かう際、毎度恒例の燃費チェックだ。給油量2.4ℓ。計算するとリッターあたり62.5キロ走った事になる。添加剤の効果もあるのだろうがいまだかつてない好燃費である。まったくスバラシイ。
まだまだ先の長い旅だがオレはここで一回、これからの走るルートについて考えてみた。最初の目的地は新潟。これまで新潟へ行く際は毎回、日本海側のルートを選択していたので今回は趣向を変えて岐阜、長野を抜けるつもりでいた。しかしクソ暑いながらも安定した晴天が続いていたこの夏の空もここへきて不安定なものにかわっており、山の方にはぶ厚い雲がかかっている。予報をチェックした結果、今回も青空の広がっている日本海側に進路をとることにした。まったくオレも細かい事を気にしながら走るようになったものだ。強風? それがどうした。雨? かかってきなさい。そんな事を宣っていた自分が懐かしい。だが勘違いしないでもらいたい。決して弱腰になったと言うわけではないのだよ。衰えゆく体力に合わせて合理的になったというか無駄な事をしなくなったというか・・・まぁそんなところだ。
選んだ日本海側は選択肢としては正解で晴天の中を特に目立った渋滞もなく快調にオレは進んでいった。辺りが薄暗くなり始めた夕刻、富山まで来た。8号線沿いのPAに停まり地図を確認する。このまま順調に走っていけば日付が変わる前には新潟に辿り着く事が出来そうだ。この日、新潟の魚沼市では毎年恒例の名物集会“俺節”が開催されていてとりあえずこの旅の初っ端、オレはこれを目指して走っていたというわけだ。
今年は8月11、12日の2デイズの開催でこの日がメインで翌日は後夜祭的なジミ宴を予定しているという話だった。今回は最初から2日目狙いでいたのだが辿り着けるならこのまま行ってしまうかなんて考えが頭を過ぎる。だがこの3年、毎年参加した経験をもとに冷静に考えるとちょうど酔死体が転がり始める時間帯にボロボロに走り疲れた身体でその真っ只中に飛び込んでいく気にはとてもなれない。そんな事を考えていたとき「やめときな」と説得するように夕立ぽい雨が降り始め、オレはこのPAで一泊する事に決めた。
一夜明けて翌早朝、魚沼に向かう道筋でオレとは逆方向へ走る姫路の眞砂谷氏と出くわした。昨日の俺節に参加してきたらしい。訊くと案の定、会場となる橋の下は収まりきらないほどのバイク乗りで収拾がつかない有様だったようだ。眞砂谷氏はこのあと長崎まで走るのだと言う。ちなみに彼のマシンはカブ90である。人のことは言えないがなんとも無謀でタフな旅の計画を立てたものだ。 買出しのため会場近くのショッピングモールに入ったところで目の前の道を見覚えのあるバイクが数台通り過ぎるのが見えた。四国、九州のバイク乗りたちだ。やはり俺節からの帰りなのだろう。今回は入れ違いのニアミスになるが彼らとはこの先西の方で嫌と言うほど顔を合わすことになる。それに今回はこの俺節がメインというわけではない。まずは旅ありきでその道中、俺節に立ち寄るといった感じだ。夏と言えばここ数年は日本海に浮かぶ島で一週間近くダラダラと呑んだくれて過ごしていたオレだが今年の夏はとことん走る事を決めていたのだよ。 昼近くに会場に着いた。参加者の多くはすでに帰路についたみたいで人数的に残っているのは20数名といったところだ。その中でも帰り支度をしてる者も多く、この2日目の俺節は本当にジミ宴になりそうだった。そしてそれは今回の旅でオレが目論んだ通りの展開といえる。 別に大勢で呑んで騒ぐのが嫌いになったと言うわけではない。そりゃ人数が多い方が宴会は盛り上がるし楽しいのは間違いのない事実だ。だが、この手の集会をきっかけに知り合った者同士がちゃんとその理解、親交を深めるためにゆっくりと腰を据えて話をするにはその人数も盛り上がりも逆に邪魔になってしまう。バカ呑みして騒ぐのではなくゆっくりとお酒を嗜みながら大人のトークを所望していたオレには好都合な状況ができつつあった。オレと同様に他にもこの2日目を狙ってきた者が数名いたが結果、10数名というまさしく希望通りの人数でオレ達は泥酔することもなく(何人かは泥酔してたが・・・)深夜遅くまでアツく語り明かした。
明けて翌日、ここから先のオレの予定はほぼノープランである。漠然とどうしようこうしようというのはあったが具体的な事は考えていなかった。とりあえずは以前から遊びにおいでよと誘われていた仲間内ではライダーハウス化している福島の遠藤家へ行く事に。ちょうど昨夜一緒にすごした荒走り君もこの日、遠藤家へ遊びに行くということで現地で会う約束を交わしオレ達はばらばらに走り始めた。 17号線を上っていき252号線へ迂回し、まずは会津を目指す。新潟の仲間が言うにはこれが福島へ抜ける最短のルートだそうだ。さらに訊いたところによるとこのルート、昨年の大雨や雪の被害でずっと通行止めだったのが8月に入ったばかりのつい先日にやっと通れるようになったとの事。なんともラッキーな話である。 民家の立ち並ぶエリアを抜けると完全な山道となった。凄まじくタイトなワインディングが延々と続く。この道を教えてくれたやつは面白い道ですよと言っていたが・・・・確かに途中からは前後に走る車もなく、すれ違う対向車もないような状態で気持ちの良い快走が続き連続するコーナーは退屈する事もなく楽しい。だがさすがにこんな道が何十キロも続くと相当に体力を使わされてしまう。只見を越えたところで一回休憩で停まった時にはかなり膝にきてたさ。 その後、会津に入り49号を経由してしばらく走ると猪苗代湖が見えてきた。猪苗代湖を間近で眺めるのは10数年ぶりとなる。そこから115号を福島市内へ向けてあとはほぼ一本道である。この日、遠藤君一家は前日からすでに到着している星野氏、スイセイと山形までそばを食いに行ってるという事だったのでその帰りに遠藤邸近くのスーパーで待ち合わせることにした。市内に入り約束の場所で彼らと合流し遠藤邸へ。荒走り君もすでに到着しており夜は近所の中村氏を始めとする地元福島のバイク乗り数名を交えてのちょっとしたホームパーティー的な飲み会となった。この時点で出発してから3泊目。そしてこの遠藤家での3泊目を皮きりになぜかオレはエイプのリアに括りつけたテントを始めとするフル装備のほとんどを使うことなく旅を進めていく事になる。