「放狼記 2012年、走る夏!!本州オーバル・サマー・ツアー」

 4日目。日程として考えるならここまで約半分を費やした事になる。もう少し北の方まで歩を進めようかとも思ったが無難にものを考えたならここらを折り返し地点として帰りのルートを考えた方がいいだろう。とりあえずは東京には一度立ち寄る予定でいたので東京方面に向けて南下することにした。
 みんなそれぞれに旅のプランをもっておりばらばらに走るわけだがその中で星野氏が群馬のマルちゃんちに行くというのでオレはそれに便乗させてもらう事にした。方向的にも距離的にもオレにはちょうどよかったからだ。とはいってもオレのエイプと星野氏のニンジャではその距離を一緒につるんで走るには無理がありすぎるため(と言うより無理)行動は別々だ。
 オレは最短であるが混雑が予想される4号線を避け遠藤君に教えてもらった山側の日光を抜けるルートを選択し群馬のマルちゃん宅を目指した。郡山まで4号を使い118号、121号と繋ぎ関東へ向けて南下する。予想通り山側はぶ厚い雲に覆われていつ雨が降り出してもおかしくない状態だったがそのぶん涼しく走りやすかった。心配された雨の方も日光を過ぎた辺りで小雨を喰らった程度である。
 日が暮れた頃、群馬入りし最寄の駅でマルちゃんと待ち合わせ案内してもらい目的地に到着。家の中に案内してもらうとすでに到着していた星野氏が遠藤邸の時と同様に我者顔のパンイチ姿でふんぞり返っていた。おまけにオレに向かって「遅い!」と。軽くイラッときたが彼が心底無礼な人間ではない事は重々承知しているので気にしない事にした。
 この日も嗜む程度の酒の量で軽く酔いがまわる中、色んな話をした。大勢ではなかなか口に出来ない事もあるものだ。仲間意識が強く、好きであるからゆえの厄介さを抱える人間関係というものを考えさせられたよ。オレも含めてだがバイク乗りとは見た目とは裏腹に結構、面倒くさい生き物だなと改めて実感したさ。まぁそれゆえに面白く、退屈しないんだがね。

 旅も5日目に入り後半戦である。隣町の仲間の所へ寄るという星野、マルちゃん両氏と17号線のところで別れオレは東京を目指し走った。17号をそのまま南下すれば東京だ。距離は100キロもない。いつも東京に来る時は太平洋側を走って来る事が多く、北からのアプローチは東京に住んでいた時以来だ。思わず懐かしさがこみ上げてきてオレは埼玉に入った辺りで17号線を逸れ、かつて仕事で走り回っていた川越方面に走った。
 県道を繋いで川越街道へ。川越市内に入った辺りから道は混んでいた。そのへんは昔と変わらない。昔の記憶を手繰り寄せながら所沢方面への裏道を走ってみる。しかし10数年のブランクはいかんともしがたく曲がるポイントを何度か間違えながら走る羽目に。それでもなんとか所沢IC付近に出て、さらに裏道を使い練馬の大泉学園へ。この日、オレは練馬の花輪邸に泊めてもらいその翌日、この続きとばかりにかつて暮らした都内の場所を散策して走った。以前は何もなかった場所に新しい建物が建ち、街はどんどんその姿を変えていく。それが10数年という時の流れなのだなとしみじみと思う。そして当時の自分を思い返してみるとオレ自身もずいぶんと変わっちまったなと改めて思い知らされた。
 旅に出て7日目。いよいよ西へ向けての帰り道だ。帰り道といってもまだまだ寄る所はある。ここまでの一週間でテントを広げたのは最初の2泊のみ。そう思い至ると後ろの荷物が邪魔に思えてきた。そしてこの日も名古屋のシンちゃんの所に泊めてもらう予定だ。途中、何度か荷物を送り返そうかなんて考えたが万が一の備えと考えるとそうもできない。まだまだ距離にして700キロ以上を走らなければならないのだ。
 八王子あたりでどの道を走るか考えた結果、神奈川県内の1号線を走る気が起きず山中湖へ抜ける413号を行く事にした。しかしこれは完全な選択ミスでとにかく交通量が多い。流れは悪く渋滞状態が頻繁に訪れる。道は狭くスリ抜けて前に出ようと思うとかなり無理な走りを要求される。よくよく考えてみればまだ盆休みも明けきっていない時期に観光のメッカである富士五湖へ直接向かう道を選ぶ事自体が愚の骨頂である。
 それでもなんとか山中湖を抜け246号を経由して昼を過ぎた頃になんとか沼津まで辿り着いた。この時点で極度の緊張とストレス、そして相変わらずの猛暑にやられてオレはもうボロボロである。そんなオレとは対照的にエイプは相変わらず絶好調だ。走るほどに調子を上げていってる感さえある。
 ここからの静岡ルートは途中、通れないところもあるがバイパスが整備されている快走ルートだ。特に渋滞らしい渋滞にはまる事もなく3時間ほどで浜名湖まで抜ける事ができた。
 だが体の疲れ以上にケツの痛みがここへきてピークに達していた。しかも悪い事にこの先はまたしても厄介な愛知エリアである。岡崎、豊田と抜け、名古屋市内に入った所でとんでもない渋滞に出くわした。信号が何回変わっても前に進まない。シンちゃんと待ち合わせたコンビニまでもう1キロもないというのに。かなり際どいスリ抜けを敢行し約束の場所に着いた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。
 合流したシンちゃんは仕事帰りで車だ。そのあとをついてシンちゃん宅へ向かう。しかし・・・シンちゃんは「君が引っぱってるのはエイプだぞぉ」とツッコミたくなるような走りで混雑した街中を走っていく。これはおそらくオレを案内する時はこうしろと兄貴分である星野氏に仕込まれてるに違いない。だがそう簡単に街中で抜群の機動力を誇るエイプを振り切る事はできない。
 なんとか逸れないように喰らいつき無事、シンちゃん宅に到着。ひとまずシャワーを借りて身体を流しているとケツに沁みるような痛みが走り、この時初めてオレはケツの皮が剥けている事を自覚し、この日の道中の過酷さを認識した。この夜はシンちゃん行きつけの鳥料理の店で名古屋名物の手羽先を始めとする鳥料理をつつきながら呑み、差しで本当に色んな話をした。彼は仕事柄、ミーティングなどでもなかなかゆっくり時間を過ごす事が出来ない事が多く、こうしてじっくり話すのは初めてかもしれない。今回の旅は今までになく新鮮な感じだ。バイク乗りとしてではなく一人の人間同士として接した時、今まで見えなかったものが見えてくる事もある。ただ一緒に集まって騒ぐだけのバイクに乗った顔見知りではなく本当の仲間、友人としてこの先付き合っていくならこういう時間がもっと必要なんじゃないかと思えてくる。
 翌日、オレは市内の病院に入院しているもう一人の彼の兄貴分であるマコちゃんの見舞いに訪れた。マコちゃんは昨年の秋に心筋梗塞で倒れて寝たきりのままだ。オレは昨夜の話の中でシンちゃんからもういつ何があっても不思議ではない状態だというのを知らされていた。もしかしたら会えるのはこれが最後になるのかもしれない。そんな考えが頭を過ぎる。病室のベッドには呼吸器などの延命装置をつけられ横たわるマコちゃんの姿があった。声をかけてみるが反応はない。机の上に置かれた寄せ書きノートには多くの仲間のメッセージが書かれていた。この盆休みにも何人もの仲間が見舞いに来たようだ。オレもそのノートに最後のメッセージを書いた。だがおそらく彼がこれを目にする事はないだろう。オレはマコちゃんにお別れを言い病院を後にした。
 大混雑の名古屋を出て鈴鹿の峠を越えたところで京都の川越さんからのメールに気づいた。メールには予定が合えば京都に寄ってくれと。その中には隠岐帰りの吉岡氏もこの日、川越さんの所に泊まるとも書かれていた。距離的にも今日一日走るには京都辺りまでなら丁度いい。ぜひそうさせてもらうと返事を返し、オレは京都を目指して走った。
 京都市内に入った所でとてつもない雷の音と共にそれこそバケツをひっくり返したような雨が降り始めた。高架の下に入りカッパを着ようとした時、携帯に入った何件かの着信に気づいた。そしてそれは数時間前に見舞ったマコちゃんが先ほど亡くなったという事を知らせるものだった。やはり、という気持ちのあと説明し難い感情がオレの中に湧き上がる。悔しさ、寂しさ、怒り、そして諦め。こんな事があるたびに思う。仕方のない事なのだと。誰もが人間という生き物である以上、遅かれ早かれ避けることのできない現実。それでも最後に会うことが出来てよかったと思う。今さらこんな事を言っても仕方ないが、それでもできるなら今回の旅でそれぞれの仲間とそうしたようにゆっくりと腰を据え一人の人間として彼と語り合いたかった。そんな変に膨れ上がったオレの感情を鎮めてくれるにはこの雨はちょうどいい。雨が小降りになったところでオレは気を取り直し再び走り始めた。
 夕方に近くのコンビニで川越さんと合流し、自宅まで行き、シャワーを借りてくつろいでいるとオレの携帯が鳴った。着信通知は公衆電話になっている。出てみると吉岡氏でなんでも携帯が壊れてしまったらしい。なんとか待ち合わせを取り付け川越さんと車で京都南ICまで。するとドンピシャリのタイミングで高速から降りてくる吉岡氏が見えた。そのまま後ろをついて来てもらい川越邸へ。吉岡氏が身軽になり落ち着いたところでオレ達は川越さん御用達の店へ。居酒屋でありながら上品な風情の漂う店で京都ならではのお酒や料理を口にしながらオレ達は色んな話をした。俺節以降のオレの道中の話、吉岡氏の初めて行った隠岐での話、そしてマコちゃんの事も。この旅最後の夜の反省会だ。
 まったく人間とは不思議な生き物だ。やたらとエネルギッシュでおっちょこちょいで、それでいてなぜか切ない。バイク乗りなどそれに輪をかけたような存在といえる。そんなやつらと走って呑んで語って、そして別れてまた会ってと。楽しい事ばかりではなかった9日間。だがこれまでに味わった事のないほどの満足感を引っさげてこの夏のオレの旅は完結した。


大雨の中、携帯が壊れるという事態に見舞われながら無事に川越邸着の吉岡氏。隠岐はずいぶんと楽しかったようで。道中、お疲れ様でした

京都からの最後の帰り道途中で買ったガリガリ君でこの旅の結論がそうであるかのように当たりが出た
イベント後の懇親会にて。このあとも何人かで二次会へ。そりゃもう色々あって面白かったですよ。オレにとってこの2日間はまったく予想し得なかった形で幕を閉じた。 京都からの最後の帰り道途中で買ったガリガリ君でこの旅の結論がそうであるかのように当たりが出た。

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