PROJECT BIG-1二十周年記念特別企画Vol.5
HRCにケンカ売ろうぜ

 初期の鈴鹿8耐は、2スト、4スト、市販車、レーサー、250からリッタークラスまで、今からは想像出来ないなんでもありのオールカマーレースで、ワークスレーサーから身近なバイクまで鈴鹿の夏を疾走していた。
 回を重ねる事にレベルは上昇し、勝てる車両に集約されていくのは当然の摂理だが、そんな状況でもあえてこだわりの一台で参戦する「ドン・キホーテ」達が、8耐の楽しさの幅を広げていたことも間違いない。

「HRCにケンカ売ろうぜ、って冗談みたいな話から始まったんだけどね。そりゃいくらなんでもタイムで勝てる訳がない。でも、志は勝ちたいなって。XXフォーミュラーディビジョン2(※XX‐Formula Division2)というクラスカテゴリーは、勝った負けただけではなく、8耐を見に来てくれるお客さんに夢を与えてくれるクラスでしょ。純粋なレース的視点で見れば、BIG‐1じゃデータやパーツもほとんど皆無だし、パフォーマンスやレベルは絶望的に違う。そんな状況なのに同じ土俵で闘いを挑むってことは無謀ではあるけれど、だからといってなにもしないで傍観しているだけじゃつまらないじゃない。愛して止まない大好きなBIG‐1で8耐を走れるチャンスがあるんだからね。
 自分たちの身近にあるこういうバイクが8耐を走るってことは夢っていうのかな、見ている人だって楽しみを共有できる部分もあると思うんだ。その気になればもっともっと軽量化もできたんだけれど、そういう部分も大切にしたかったからBIG‐1のシルエットだけは絶対に崩したくなかった。まあ、ライダーにしてみれば大変だろうけど(笑)。
 ま、結局はHRCに勝つぞ! って大見得きって、玉砕するんだろうけど。それでも、いいじゃない。はははっ」

2003年鈴鹿8耐

2003年鈴鹿8耐

 2003年8月3日、鈴鹿8時間耐久レースに参戦した、チームPROJECT BIG‐1はホンダ朝霞研究所(現在の二輪R&Dセンター)有志が結成したBIG‐1好きのプライベーターチーム。監督はBIG‐1のプロジェクトリーダーを務めた原 国隆氏。どこまでが冗談で、どこからが本気なのかわからないような前記のコメントは、8耐本番前にピットを訪ね語ってもらった。ピリピリしているかと思えばいつものように飾らずニコニコしながら語ってくれた姿が印象的だった。

 BIG-1ファンの大きな夢の塊を託されたのは、2007年惜しくもマン島で亡くなった故・前田 淳選手と、富田信道選手のペア。スタートは後ろから3台目の68番手と好位置ではなかったが、8時間の長丁場をノントラブル、無転倒で196周を走りきり、総合30位無事完走を果たした。
 8耐を楽しみ、BIG‐1オーナーに夢を与え、結果的には早々にリタイアしたHRCワークスにも勝ってしまった。しかも7台が参戦したXX‐Formula Division2のクラス優勝という勲章まで付けて。

2003年鈴鹿8耐 2003年鈴鹿8耐
2003年公式パンフには三輪成正、岡本勝美ペアと掲載されているが、開発メンバーの三輪選手は少しでもタイムを出そうとがんばりすぎてしまったのか予選で転倒負傷。本戦は前田 淳、岡本勝美ペアでの出走となった。 翌2004年もXX‐Formula Division2クラスにエントリー。ライダーはCB使いとして知られる丸山 浩選手、前田 淳選手のペアで闘いを挑み、前年以上の成績が期待されたが、2度の転倒の末リタイアという不本意な結果となってしまった。

●2003年の鈴鹿8耐

スタート早々2周目の1コーナーで、エンジンブローを起こしたマシンのオイルに乗り、先頭集団の5台が転倒の大波乱。優勝候補の有力チームが早々に消えた。大本命のホンダワークスチーム、セブンスターホンダも序盤でリタイア、終盤トップを独走していたケンツJトラストは、最後のピットインでまさかのストップ。ペースカーが2度も入るという大波乱のレースを制したのは、桜井ホンダの鎌田、生見組だった。

2003年鈴鹿8耐 2003年鈴鹿8耐

■(※)XX‐Formula Division2

従来のX-Formulaの進化版で2003年から設定された鈴鹿8耐独自のカテゴリーで、JSBやSKBに比べ改造範囲が広い。戦闘力向上がメインの本気クラスDivision1に対し、Division2は、一風変わったおもしろいマシンが多いクラスともいえた。本気クラスのDivision1は、上位3位の入賞車両には希望者がいた場合500万円で売らなければならないというユニークな買取規定もあった。2007年からはクラスがJSBとSKBの2つに統一され残念ながら消滅してしまい、おもしろ車両での参加は事実上不可能に。

●濱矢文夫のBIG-1レーサーインプレッションは次のページ
インプレッション

 2003年の鈴鹿8耐に挑戦したビッグワンのレーサーに試乗するチャンスをいただいた。
 いくら話題性重視的なカテゴリーのXXフォーミュラ・ディビジョン2といえども、やはりレーサー、しかも逆シフト。乗る前はかなり緊張したが、走り出してしまえば普通に乗れる。ツーリングだって行けそうに走る。特筆すべきは全ての動作が軽いということだ。1300のネイキッドを感じさせない身のこなしをする。コーナーの進入など、市販ロードスポーツよりもあきらかに鋭い。バンク角のため上げられた車体は倒れ込むような恐怖心を感じさせずにペタ~っと寝ていく。

 エンジンは驚くほどハイパワーではないがレスポンスは流石レーサーだ。タコメーターの針がスロットル操作に合わせ小躍りする。7000回転からがパワーの美味しいところ。高められた車体剛性やサスペンションの動きは市販CB1300SFとはレベルが違うけれど、乗っている感じはまったく別物ではない。ビッグワンはビッグワンだ。これは市販の延長線上にあると感じた。
 試乗日の朝方、もてぎでは雨が降っていたので試乗車はレインを履いていた。ところがボクが試乗したとき路面はほぼドライ。ブレーキングなどでタイヤがグニュグニュっと手応えが無い&逆シフトチェンジを頭の中で『え~と…』と考えながらするボクレベルのライダーにはこれ以上のスピード域では乗れなかったが、快く試乗させてくれたホンダさんに感謝。

鈴鹿8耐仕様

 試乗後、このビッグワンレーサーの仕掛け人でもある原さんにお話をうかがった。原さんはビッグワンレーサーの誕生を「ネイキッドなのにカウルを付けるんじゃない、という声もありますが、買っていただいた方に挑戦してるという姿を見せたいんですよ。何かやるぞってワクワクさせたい」と語る。
「ホンダのロードバイクの中でCBというのは特別だと思うんですよ。核となるもの。基本はCB。それにRやXが付いているだけだと思ってます。CBRはホンダロードバイクの結晶で、ビッグワンは素直に私が楽しみたいんですね」
 これからもCBと名が付くみんなが『エッ』と度肝を抜かれるような面白いバイクをつくっていくと力強く話してくれた。それではもっと突っ込んで“具体的には?”と聞いたら、ニコニコしながら話をはぐらされたが「もっと排気量やカテゴリーのヒエラルキーを壊すようなオートバイを出したいですね。老いも若いもみんなが宇多田ヒカルを聞いてCDが何百万枚も売れたでしょう。そんな宇多田ヒカルみたいに多くに受け容れられるバイクがあってもいいと思うんですね。音楽CDとは単価が違うから何百万枚とはいかないでしょうが、百万台くらい狙えるモノ。夢は大きくですよ」と。
 なんだかワクワクしてきた。

インプレッション
2003年型のCB1300SUPER FOURをベースに、0.5mmオーバーサイズピストンの組み込みやミッションの6速化等が行われた。パワー的にはJSB仕様のCBR954RRとほぼ同等の160馬力くらいという。足周りは主にVTR1000SP-2から移植された。スラントノーズの特徴的なフロントカウルはオリジナルでヘッドライトはスクリーン内に設置。このカウルは市販化の要望が高く、2004年に100台の限定で発売された。ちなみに8耐での予選通過タイムはわずかにおよばない2分17秒55で、主催者推薦枠で決勝に進出した。2004年は軽量化とサスセッティングを煮つめた同じ車両で参戦したが惜しくもリタイア。


■PROJECT BIG-1二十周年記念特別企画
[VOL.0 ハタチのBIG-1にスペシャルエディション誕生]
[VOL.1 今、もういちどBIG-1を語ろうか 初代LPL原 国隆氏インタビュー]
[VOL.2 BIG-1大全 その1 CB1000SUPER FOUR(1992~1996)]
[VOL.3 BIG-1誕生20周年記念フォーラム(動画付)
[VOL.4 BIG-1大全その2 CB1300SUPER FOUR(1998~)]
[VOL.5 「HRCにケンカ売ろうぜ1」 2003年8耐参戦]
[VOL.6 CB1300STで「秋をおいかけて」(前編)]
[VOL.7 BIG-1大全その3 CB1300SUPER FOUR(1998~)]
[VOL.8 CB1300STで「秋をおいかけて」(後編)]
[VOL.9 BIG-1大全その4 CB1300SUPER FOUR(2005~)]
[VOL.10 BIG-1大全その5 CB1300SUPER FOUR(2008~)]


●[CB400SUPER FOUR(1992〜2010)大全はWEBWEB Mr.bikeの旧サイトでご覧になれます。]

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