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初期の鈴鹿8耐は、2スト、4スト、市販車、レーサー、250からリッタークラスまで、今からは想像出来ないなんでもありのオールカマーレースで、ワークスレーサーから身近なバイクまで鈴鹿の夏を疾走していた。 |
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「HRCにケンカ売ろうぜ、って冗談みたいな話から始まったんだけどね。そりゃいくらなんでもタイムで勝てる訳がない。でも、志は勝ちたいなって。XXフォーミュラーディビジョン2(※XX‐Formula Division2)というクラスカテゴリーは、勝った負けただけではなく、8耐を見に来てくれるお客さんに夢を与えてくれるクラスでしょ。純粋なレース的視点で見れば、BIG‐1じゃデータやパーツもほとんど皆無だし、パフォーマンスやレベルは絶望的に違う。そんな状況なのに同じ土俵で闘いを挑むってことは無謀ではあるけれど、だからといってなにもしないで傍観しているだけじゃつまらないじゃない。愛して止まない大好きなBIG‐1で8耐を走れるチャンスがあるんだからね。 |
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2003年8月3日、鈴鹿8時間耐久レースに参戦した、チームPROJECT BIG‐1はホンダ朝霞研究所(現在の二輪R&Dセンター)有志が結成したBIG‐1好きのプライベーターチーム。監督はBIG‐1のプロジェクトリーダーを務めた原 国隆氏。どこまでが冗談で、どこからが本気なのかわからないような前記のコメントは、8耐本番前にピットを訪ね語ってもらった。ピリピリしているかと思えばいつものように飾らずニコニコしながら語ってくれた姿が印象的だった。
BIG-1ファンの大きな夢の塊を託されたのは、2007年惜しくもマン島で亡くなった故・前田 淳選手と、富田信道選手のペア。スタートは後ろから3台目の68番手と好位置ではなかったが、8時間の長丁場をノントラブル、無転倒で196周を走りきり、総合30位無事完走を果たした。
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2003年公式パンフには三輪成正、岡本勝美ペアと掲載されているが、開発メンバーの三輪選手は少しでもタイムを出そうとがんばりすぎてしまったのか予選で転倒負傷。本戦は前田 淳、岡本勝美ペアでの出走となった。 |
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翌2004年もXX‐Formula Division2クラスにエントリー。ライダーはCB使いとして知られる丸山 浩選手、前田 淳選手のペアで闘いを挑み、前年以上の成績が期待されたが、2度の転倒の末リタイアという不本意な結果となってしまった。 |
![]() ●2003年の鈴鹿8耐 スタート早々2周目の1コーナーで、エンジンブローを起こしたマシンのオイルに乗り、先頭集団の5台が転倒の大波乱。優勝候補の有力チームが早々に消えた。大本命のホンダワークスチーム、セブンスターホンダも序盤でリタイア、終盤トップを独走していたケンツJトラストは、最後のピットインでまさかのストップ。ペースカーが2度も入るという大波乱のレースを制したのは、桜井ホンダの鎌田、生見組だった。 |
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■(※)XX‐Formula Division2 |
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[VOL.0 ハタチのBIG-1にスペシャルエディション誕生]
[VOL.1 今、もういちどBIG-1を語ろうか 初代LPL原 国隆氏インタビュー]
[VOL.2 BIG-1大全 その1 CB1000SUPER FOUR(1992~1996)]
[VOL.3 BIG-1誕生20周年記念フォーラム(動画付)
[VOL.4 BIG-1大全その2 CB1300SUPER FOUR(1998~)]
[VOL.5 「HRCにケンカ売ろうぜ1」 2003年8耐参戦]
[VOL.6 CB1300STで「秋をおいかけて」(前編)]
[VOL.7 BIG-1大全その3 CB1300SUPER FOUR(1998~)]
[VOL.8 CB1300STで「秋をおいかけて」(後編)]
[VOL.9 BIG-1大全その4 CB1300SUPER FOUR(2005~)]
[VOL.10 BIG-1大全その5 CB1300SUPER FOUR(2008~)]
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