通勤途中にあったあの瓦礫の山が全てなくなり作業人員の苦労に感謝感謝です。
瓦礫分別は、おおまかにはバックホウ重機で分けて、あとは手作業ですよ! 可燃物だけでも3種類にも分別していました。震災瓦礫は何でもかんでもゴチャゴチャに混ざりあいとても酷い状態でした。
いち地域の瓦礫が無くなっただけなんだけど、おれにはまた一歩震災前の『日常』に近くなった気持ちになります。
被災地は進捗率こそ遅いけど、おれには確実に前進してると断言出来ます! 作業人員の皆様御苦労様でした! 同じ作業員として皆さんの苦労に感謝感謝ですから!!!
こちら岩手県久慈市にも春が来てます来てます! まだストーブは必要だけど、昼間は仕事の作業では汗をぶっ垂らして稼ぐ日が多くなりました。
もう少し温かくなったらおいらは大阪のブラザー馬賊だいすけサンから頂いたヒマワリの種をまこうと決めています。
少しヒマワリの種の説明をさせて下さい。
『はるかのヒマワリ絆プロジェクト』
兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと、4歳年下の妹はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。はるかちゃんは笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。
平成7年1月17日の明け方5時46分、神戸市を大きな地震が襲いました。
はるかちゃん一家も被災して2階部分が崩れ落ち、一階は完全に押し潰れてしまいました。
はるかちゃんが瓦礫の下から発見されたのは地震発生から7時間後でした。
震災から半年後、はるかちゃんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。そこには無数のヒマワリの花が力強い太陽に向かって咲いていました。
はるかちゃんのお母さん満子さんはヒマワリを見て『はるかがヒマワリとなって帰ってきた』と涙しました。
近所の人たちはこの花をこう呼びました。
『はるかのヒマワリ』