読者登録 | 個人情報について | 免責事項 | 著作権に関して
レーサーレプリカブームの頂点は「ハチハチ」モデルが登場した1988年頃だろうか。50から750まで、フルカウルのレーサーレプリカが当たり前のようにフルラインアップされていた。中でもWGP、全日本選手権に直結した2スト250はメーカーの威信をかけた最前線であった。ホンダは大当たりしたNSR250Rをさらに過激に進化させ、ヤマハもTZR250を2型に、スズキはV型のRGV250Γへフルモデルチェンジ、カワサキもレプリカイメージの薄かったKR250から完全新設計のKR-1へとスイッチした1988年、さらにブームは加速すると誰もが思った。事実、1988年以降も毎年のようにモデルチェンジが繰り返されていくのだが、右肩上がりの成長を見せていたブーム自体は、レーサーレプリカの進化に反比例するように静かに確実に冷えていった。
レプリカブーム衰退の大きな契機となった一台のバイクが登場したのは1989年4月だった。まだまだバイクブームは続いておりバイクの需要は高かったのだが、あまりに先鋭化するレーサーレプリカについて行けない、ごくごく普通に肩の力を抜いてバイクに乗りたいユーザーの受け皿がなかった。そこに登場した最新テクノロジーもデバイスもカウルもない空冷2バルブ4気筒、鉄フレーム、2本サスの、ごくごく普通のごくごくありふれたバイクであるゼファーは、新鮮であり、またニーズにぴったりと合致した。 ノンカウルのスポーツバイクというカテゴリーでいえば、ゼファーが最初というわけではないのだが、やり過ぎず、足りなくない絶妙のデザインには、後に絶版車ブームの中核をなす大排気量空冷ZのDNAが根底に流れており、カワサキ空冷Z信仰者予備軍の琴線を十分に刺激した一台であり、大きく花開くカスタムブームの発端でもあった。ゼファーは普通のバイクながら、普通よりカッコよかったのである。
翌年、ゼファーの登録台数はレプリカのご本尊様NSR250R(11,199台)を早くも抜いて見事トップ(13,466台)を獲得し、ネイキッドブームという新現象を巻き起こした。以後ゼファー(ゼファーχも含む)は、1990年代一度もトップテンから脱落することなく高い人気を保ち続けた。 1990年にはイメージを一新し、丸Zをオマージュしたようなニューデザインのゼファー750が、国内のオーバーナナハン解禁により、新たなビッグバイクブームを背景に1992年にはフラッグシップモデルのゼファー1100も相次いで登場。750と1100には、よりレトロイメージを強調したスポークホイールのRSもラインアップされ、さらに人気を高めた。
根強い人気に支えられたゼファーシリーズだったが、強化された排出ガス規制や騒音規制に対応することは難しく、2007年のファイナルエディションをもって惜しまれつつ姿を消した。
ポストレーサーレプリカとしてゼファーに刺激を受け、ライバルメーカーから本格的なネイキッドスポーツを続々誕生させ、さらに相乗効果としてアメリカン、オフ、ビッグスクーター、カスタムなど多種多様な新たなブームを生み出すきっかけとなったゼファーは、直接的間接的にバイク全体の需要拡大に大きく貢献したことは間違いない。「西からの風」はネイキッドブームを巻き起こしただけではなく、バイクの歴史に大きな足跡を刻んだのである。
[名車図鑑目次へ]