東北六県ROLLER

『東日本大震災』おれは4年前の3月11日は港湾内にある造船所で作業していました。
津波が来るかも! って、どんどん沖に引いていく潮を見て持ち物をいっさい何も持たずに体一つで高台に逃げましたが、これ程までの津波が襲うとは予想出来ませんでした。
東日本大震災から4年。
実際に自分が走り感じた『震災時のバイクの機動力』を書かせて下さい。
本当に大活躍したんですよバイクは!
第27話「4年目の3.11に改めて思う、
小さな鉄馬の大きな力」

 東日本大震災のあった3月11日、今から4年前の東日本大震災にて亡くなられた方々が安らかなる地にて永眠なされることを願っています。
 生き残りのおれらは、東日本大震災という歴史的な震災・津波にて体験して感じた事を後世に語り継ぎ、またいつか襲うかも知れない災害等での助力になるようにしないとって常々思いますね。

 おいらは震災にて自分の鉄馬が『移動手段』として本当に大活躍した事をバイク乗りの視点から書かせて頂きます。

 震災の翌朝、おれと、次男は『おれらの町どうなってんの?』と、『携帯もつながらない、メールも返事がない、仲間は大丈夫か?』この2つの疑問を持って、夜の開けた確か朝7時頃におれはYAMAHAのGT80ミニトレで、次男はスーパーカブにそれぞれ跨がり家を出ました。家を出て坂道を2分下ればもう海岸線なんですが、いつもの風景じゃないんです。
『おい! これどうすんのよ?』ってぐらいの瓦礫が散乱していました。アスファルトの道路が瓦礫と砂だらけ。例えばトヨタのランドクルーザーやSUZUKIのジムニー等、素晴らし走破性能がある四駆でも確実に『無理っ!』な路面状況でした。

東日本大震災 東日本大震災 東日本大震災
東日本大震災 東日本大震災 東日本大震災
 

 それではなんでミニトレ・スーパーカブなんて非力で、チビっこバイクが前に進めたのか? 答えは『走れない場所は押して歩いて乗り越えた』からです。
 おれも次男もバイク大好きで、オンオフ問わずに色々なバイクを所有し乗り継いできました。岩手県という土地柄、オフロード天国だし、家の周りは林道だらけ、仲間はエンデューロで遊んでいる奴ら。おれらも自然にオフロードを走ってきました。林道も何本も走り抜けました。冬はスキー場・オフシーズンはエンデューロコースも練習走行で走って遊びました。
 しかし津波がひいた後の道路は今まで走ったどの道よりも『ぐちゃぐちゃ』でした。スタンディングで乗り越えて走り、バタバタ足こぎしながら走り、最終手段はバイクを降りて押して歩いて乗り越えて。瓦礫の溜まった場所はこうして走り抜けました。

 これが同じバイクでも、自分のメイン鉄馬・シンディー号ゼファー1100ならマフラーをぶつけまくり、しまいにはオイルパンを破損してすぐリタイヤだろうと思いました。それならアフリカツインなどのラリーで活躍する鉄馬では? って考えても走破性能的にはミニトレなんて鼻くそレベルに思える走破を見せるでしょう。しかし、一番のネックは『重さ』かと思います。降りて押して歩いて乗り越える。ここには無論『半クラッチ』で押して歩いて進む場合もあります。しかし、自分の体力のみで鉄馬を押して乗り越える場合が多々ありました。瓦礫を避けながら道を見極めながら進むからです。こんな体力にての押し歩きに重量鉄馬ではアウトだべなって思います。

 それでは一般的な250ccクラスのオフロード鉄馬では? って考察してみます。おいらはDT125から始まりミニトレ・YZ・XR・RMX・KX・セロー・KDX・TTーR、変わり種でTDRなどを所有し乗り継いできました。三男は今でもカワサキのシェルパ250ccに乗っています。このおいらが実際に自分で乗り継いだ鉄馬にて震災直後のあの酷な道を走るのに一番『無難』な鉄馬はどれか? 混合のレーサーは除外してパワー的にはRMX250が、トルク的にはXR250かな? それでもやはりまたおれが過酷な瓦礫道を走るならミニトレを選びます。そこには『軽さ』にプラスして『足つき性能』があります。バタバタ足こぎ前進も何度もしました。バランスを崩して片足でこらえた場面も多くありました。そんな場合に片足しかべったり着地しない250ccクラスのオフロード鉄馬では、両膝が曲がり踏ん張りが効く足つき性があるミニトレには勝てません! またいつでも足を出してこらえる! って安心感が前に進む安心感へとなりました。馬力ではない、車格ではない実用性がミニトレには充分ありました。

 また停電に伴いガソリンスタンドが使えない、挙げ句に手動ポンプで営業してるガソリンスタンドがあるかと思えば、ガソリンの需要と供給の問題・緊急車両優先販売等にて販売制限があり長蛇の列が出来ていました。ここでもまたチビっこバイクは大活躍でした。スーパーカブは燃費が抜群なのは皆さん承知かと思いますが、ミニトレも満タンなら100キロは走れました。この燃費の良さはチビっこバイクならではかと思います。またおいらはガソリン携行缶を持っていました。自宅で混合ガソリンを作るためや、夜間早朝にガソリンスタンドが営業してなく、補給したい時のために持っていた携行缶が大活躍しました。ガソリンスタンドではガソリンを補給出来ない、ならば乗らない所有しているバイクから抜こうってミニトレとスーパーカブを走らせるために小屋に所有していた鉄馬の燃料タンクから抜き取り使用していました。ガソリンスタンドが通常営業に戻るまでは33週間近くかかりましたね。みんなガソリンを求める長蛇の列でした。おいらはミニトレとスーパーカブに関しては給油に困りませんでした。


ミニトレ
スーパーカブ

 以上、災害時のバイクの機動力を自分流に考察してみると、やっぱり小さめのソコソコ走破性があるバイクがお勧めですね。ちなみにスーパーカブはミニトレと同じ道を走り抜けましたがマフラーは何回もぶつかりへこみました。でも今思うとスーパーカブも良くあんなに乗り越えたなーって思いますよ。さすが世界のスーパーカブ、実用的な鉄馬ですね。燃費はミニトレの倍も良いですね。

 最後に走ってもう1つ体験して覚えたことは『パンクする』です! ミニトレ、スーパーカブともにパンクさせてしまいました。何が落ちているかわからない状態だから仕方ないけど、パンクしても押して歩いて軽トラックに楽々積載出来るのもチビっこバイクの特徴ですね! 
 通勤に使ったり、ちょい乗りに使っていたチビっこバイクがこんなに大活躍するなんて予想してなかったけど、おれは実際に体得しました。災害時の移動手段にこれからもバイクが活躍するかもしれないし、バイクが活躍して人命救助の一助になる事を願いますね。おれ的には趣味であり道楽であるバイクが震災の時に威力を大発揮したのは嬉しかったなー! ミニトレ・スーパーカブはおいらの一生モンです。勿論今でも現役だぜ!

 物質的な復興なら進捗しています。しかし震災で受けた心の復興が時と共に和らぎますように。また震災前の『日常』が毎日当たり前のように訪れますように。まだ復興半ば、海洋土木作業員デブ輪この人生を地元の復興に捧げ稼ぐぜ!おれはネーバーギブアップ!!!


海洋土木作業

デブ輪

福島県いわき市生まれ。
1975年式。岩手県久慈市在住。好きな食べ物『豚バラ肉』体重110キロ。
座右の銘『礼に始まり、礼に終わる』皆さん宜しくメカドックですっ!
デブ輪

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