Hi-Compression Column

アッキーがキタ

■ミュージシャンになるべく
夢抱き上京したバカ編 その3

(2011.3.9更新)

え〜さてさて、前回はバンドマンになるべく無謀にも大学を勝手に中退して上京し、こともあろうか伝説の左翼系パンク思想バンド『頭脳警察』のローディー(とゆーか単なる付き人)となるきっかけを書いた。

ので、今回はとうとう頭脳警察編かと胸を高鳴らせていたファンの方々、スマン。今月は、まだオレが上京はおろか、まともにバンドすら始めてなかった頃のことを書く。

「え〜前後関係バラバラやん」とか言うなっ! 

他人から見れば、かなりいい加減で勢いだけの本コラムと思われるだろうが、実際の執筆には、そん時の思い入れが大切なのであるっ! 

だから今回は、締め切りギリギリになって(というか過ぎている…)、まだハナ垂れロック小僧だった頃のことが書きたくなったのであるっ!! 

どうもすみません。

で、時代は80年代、オレが高校に入ったばかりにさかのぼろう。

まあまたいずれ書くが、姉貴の影響でハードロック/ヘヴィメタル(以後HR/HM)の洗礼を受けていたオレは、今思い出してもクソむかつく、(当時)管理教育の厳しさで有名だった名古屋の天白高校(実名出しちゃった!)に入学した。

長髪なんぞもちろん御法度、頭髪は耳にかからず前髪も眉毛の上まで、などという、旧帝国陸軍中野学校かと思うような厳しい高校に入ってしまい、16歳にして自分の人生を間違ったと思ったのだが、後悔先に立たず。

とりあえず、クラスメートやら何やらと、いろいろ話をしているうちに、結構ロック好きなヤツらがいることが判明した。  

そんなガキ共が集まれば、言うことは一つ。

「バンドやろーぜ! 女にモテるし」

とゆーことで、早速誰がどのパートを担当するか決めることになる。

まあ、音楽好きの人なら昔を思い出してくれれば大体想像がつくだろうが、一番人気はヴォーカル。

とりあえずフロントマンだし、音感がある程度あれば練習も特にいらないからだ。


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そして2番人気は、なんといってもギター。

そりゃそーだよな。カッコいいし場合によってはヴォーカルより目立つし。しかし、である。

大体ヴォーカルかギターをやりたいなんて人間は、元から目立とう精神が強くてワガママなヤツが多い(個人的主観)ので、人に譲ろうなんて気はさらさら無い。

「お、オレもギターが……」と自己主張するも、すでに定員はオーバー。

結果として、場所も取るし機材どーやって買うんだ!? というドラムはパスし、オレはベースギターを担当することとなった。

まあ、ギターは弦6本、ベースは4本なので、簡単だと思ったし(これが後になって大きな間違いだったと気づく。が、まだハナ垂れ高校生なので分からない)。

そして次の週末、オレはなけなしの小遣いを片手に、自宅近くの楽器屋へ赴いた。

まだフェンダーとかギブソンとかストラトとかジャズベとか、そんな初期専門用語すら知らなかったオレは、ただ安いだけという理由で、今ではどこの何メーカーだったのかすら覚えていない、『ベースギターとミニアンプのセットで1万9800円』を速攻ゲット! 

もうそれだけで「おおお、オレもこれでバンドマン。憧れの阳様、ジューダス・プリーストに少しでも近づける!」と意気揚々として帰宅したが、さてどうやって弾けばいいのか分からない。

なにせ、楽器を買うだけで小遣いマックスを使ってしまったので、教則本を買うことができなかったのだorz。

仕方なく、テレビ録画したプロモーション・ビデオ(たしかアイアン・メイデン)を見て、「おお、ベースはピックを使わず、指で弾くのか!」と納得し(これも後になって大きな間違いとなる)、あとはお気に入りの曲をダビングしたテープを必死で繰り返し聞いて耳コピするのみ。

幸い、小学生の頃に無理矢理ピアノを習わされていたので、オレの音感はそれほど悪くはない。

「よし、いける! これでオレも花形ミュージシャンだ!!」

だが、これがその後、十数年にわたる長〜い苦しみの序章だったとは、まだ童貞だったオレには分かるすべもなかった…(童貞はどうでもいい)。

(まだまだつづく) 

アッキー加藤
アッキー加藤
アメリカン、チョッパーなどそっち方面が主戦場のフリーライター。見かけはご覧のようにとっつきにくそうが、礼節をわきまえつつ、締切も絶対に守り、かつ大胆に切り込んでいく真摯な取材姿勢で業界内外で信頼が篤い。ここまで書くとかなりウソくさいが、締切うんぬん以外はそれほどウソでもない。

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