原宿ホコテンに突如現れた
思想なき前衛ライダー
「ザ・モヒカンズ」って何だ?
あれは1982年2月のたしか第二日曜日だった、と思う。あん時ゃ、雨だった!(キッパリ! それだけはハッキリ覚えてる)
ワタクシたちミスター・バイク編集部員5名プラス3名(この3名の若者の正体はあとで、ね)は、原宿にいた。
当時、日曜日の原宿は歩行者天国だった。
「ザ・モヒカンズ」であるワタクシたちの折れそうになる弱っちぃ心は、そぼ降る雨でこれでもか! とバキバキコテンパンに折られちゃってた。
そぼ降る雨で、押っ立てた髪も萎え気味だった。そぼ降る雨ん中、トボトボ歩きの「ザ・モヒカンズ」構成員8名だったのだ。
遡ること一週間ほど前……。編集会議とは名ばかりの、「次、何やるぅ?」みたいな寄り合いがあった。
「最近よぉ、若いモンの新しいムーブメントがないよなぁ……」と、当時の編集長・大竹 修がゆーのだった。
“ムーブメント”っつー言葉もあん時くらいから使われ出したんじゃなかったかしらん。
「ローラー族も竹の子族も、もう古いだろ」と……。
「世間を驚かすよーな集団、いねーかよ。ガキじゃなく、大人でよ?」と……。
そん時、オサムに何かが舞い降りたんだろうな、きっと。
「モヒカン族ってのはいいんじゃねーの?」って、なんでモヒカン刈り? なんでモヒカン族?
でも、「それがいい、そーする! 全員でモヒカンだっ!」で、決まった。マジ、即決でした。
オサム以外のワタクシたち編集部員は、まるっきり盛り上がってなかった。
そらそーでしょ。なんで「オレたちがモヒカンにならにゃあいかんの?」とゆー想い……。
モヒカンにするほどワルじゃない、とゆー想い。
モヒカン刈りなんて恥ずかしい、とゆー想い。
交錯しまくる、想い。
そん頃のワタクシは、ロングヘアでした、はい。パーマも、かけてました。自慢のロン毛だったのだった。
“ナベリン”渡辺クン(現・ミスター・バイクBG編集長)も、石井クンも“ポチ”落合クンもそれなりに毛はあったワケで、「ヤだなぁ……。
でも、オサムさんには逆らえないしなぁ……」。
そんな中、“すぎリン”杉浦クンだけだった。「ボク、イヤだからね!」柔らかな物言いの中に、断固とした態度があった。エライぞ、すぎリン。
それと、“ミラーマン”小宮山さんも免除だった。小宮山さんの無言の圧力の前に、流石のオサムも無言だったのだった……エーーーーッ?
[第1回|第2回]
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『750で乗りつけたライダーがヘルメットをとる。突然、周囲の人並がサッと左右に割れる。モヒカン刈りに化粧、異様なライダーが、原宿に集まり出したのだ。今までの原宿族とはまったく違う集団。知的エリートを自称する彼等を、人々はこう呼ぶ。「原宿モヒカンズ」と』。
1982年4月号の11ページから始まるグラビア特集のトップに書かれたリード文だ。
が、しかし、恥ずかしいのね。“人並”って?
“人波”だろ? って今更文字校正してどーする?
電子書籍で出版する場合は、こーゆーのはどーするんだろ? 校正するんだろな、やっぱし。予定は、まだないけど……。
『雨の原宿に彼らが立つと、原色の街は一転して無彩色の世界に沈んでしまう。ひと群れの髪の毛だけを残した後ろ姿は、不気味だ。』
写真キャプションには、そう書かれている。たしかに、こんな二人がヌーッと現れたら、不気味だ。
ちなみにこの後ろ姿は、右がオサムで、左が石井クンだ。ちなみに石井クンは、米軍払い下げのコートを着ていたのだが、半ズボンにエンジニアブーツとゆー、何を考えとんじゃのファッションは、ちょっと間違えると“なぁオジサン”なのだった。
『髪だけにあきたらず、ヘルメットまでモヒカン刈りにしてしまう』──と写真キャプションにあるが……。
今だったら、笑っちゃうけど……。あん時ゃ、マジでした。中指押っ立てがミョーに中途半端なのは、2月の寒さのせい、だったのか。
かくしてワタクシたちは、雨のそぼ降る2月中旬の日曜日原宿ホコテンを歩き出したのだった。
とゆーわけで、現場での真相は次回だっ!
(続く。7月27日には更新する予定です)
- 東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』