ちゅうわけぜよ……。
こんだけじゃあ、なんちゃあ分らんちゅうみんなのために、ちくと説明しとくぜよ。
って、「○○○の中には“みんな”が入るんじゃ!」って、龍馬伝を観とらんじゃったみんなには、なんちゃあ分らんじゃろうが、ま、龍馬伝も終わってしもうた。
ちなみに、岩崎弥太郎さんも亡くなっちゃった……、って思ったら、正岡子規で復活して、でも翌週には亡くなった。
香川照之さん、お疲れさまでした。関係ないけど。
そうじゃった。
昭和55年9月の、あの事件のことじゃったぁ……、ってもう土佐弁は疲れたからやめるぜよ。
ちなみにワタクシは讃岐の生まれやけん、離乳食はうどんやったんや。それがどしたん?
コホン……。
というわけで、昭和55年11月号7ページのモノクログラビアの『グラフ・ドキュメント』だ。
『いま、神奈川県じゃ、バイク規制と学生服──こいつが流行ってる!』と題されている。
前回のこのコラムを見ていただきたい(とはいえ通常バックナンバーは見られないので、12月27日〜1月11日の間、MBHCCバックナンバー祭を開催しますのでその期間にお見逃しなく)。
ちっちゃい写真で申し訳ないけれど、上の写真では機動隊員と、ワタクシたちミスター・バイク編集部員(セーラー服&詰め襟軍団)が押し問答している。下の右写真じゃ、本誌元編集長の小宮山が、ケリ入れてます。
きっぱり言うけど、あれは昭和55年9月の、よく晴れた日だった。
何故なら……、写真のキャプションに“この日、晴れていたのはオサムの心と神奈川の空。ドピィ〜カン!”と書かれてあるから、間違いない。
ワタクシたちは、バイク規制、すなわち三ナイ運動の元凶とも言われた神奈川県庁と神奈川県警察本部へと向かったのだった。
目的はただ一つ、“バイク規制音頭”を踊るためだった。
????バイク音頭???
何のために?
みんな、のためじゃがあ。
「バイク乗りみんなが、楽しゅう暮らせる世の中を作るためぜよ!」
原付に乗ったワタクシたち9人は、横浜市中区にある県庁を目指した。
オマワリさんとも遭遇したけれど、“高校生の集団か”くらいにしか思われていなかったのか、それとも“近づきたくない軍団か”と解釈されたのか分らないけれど……無視された。
県庁に、着いた。
1928年に出来た神奈川県庁舎は、帝冠様式が取り入れられた建物で、それはそれは格式威厳とも申し分ない。
ここで、バイク規制音頭かよ、という気もしないわけではなかった。
それに、アポ取ったのはワタクシだし、なんかの時は呼び出し受けるのはワタクシだし、大問題になった時に責任取るのはワタクシとワタクシの身元保証人である県庁関係者だし……ことの重大さにそん時気付いたワタクシだし……。