Hi-Compression Column

真美

1980年に突然燃え上がった
「三ナイ運動」に立ちはだかった、
「バイク規制音頭」事件の真相。
書き出したら、書ききれないから
第2回。


(2010.12.10更新)

ちゅうわけぜよ……。

こんだけじゃあ、なんちゃあ分らんちゅうみんなのために、ちくと説明しとくぜよ。

って、「○○○の中には“みんな”が入るんじゃ!」って、龍馬伝を観とらんじゃったみんなには、なんちゃあ分らんじゃろうが、ま、龍馬伝も終わってしもうた。

ちなみに、岩崎弥太郎さんも亡くなっちゃった……、って思ったら、正岡子規で復活して、でも翌週には亡くなった。

香川照之さん、お疲れさまでした。関係ないけど。

そうじゃった。

昭和55年9月の、あの事件のことじゃったぁ……、ってもう土佐弁は疲れたからやめるぜよ。

ちなみにワタクシは讃岐の生まれやけん、離乳食はうどんやったんや。それがどしたん?

コホン……。


というわけで、昭和55年11月号7ページのモノクログラビアの『グラフ・ドキュメント』だ。

『いま、神奈川県じゃ、バイク規制と学生服──こいつが流行ってる!』と題されている。

前回のこのコラムを見ていただきたい(とはいえ通常バックナンバーは見られないので、12月27日〜1月11日の間、MBHCCバックナンバー祭を開催しますのでその期間にお見逃しなく)。

ちっちゃい写真で申し訳ないけれど、上の写真では機動隊員と、ワタクシたちミスター・バイク編集部員(セーラー服&詰め襟軍団)が押し問答している。下の右写真じゃ、本誌元編集長の小宮山が、ケリ入れてます。

きっぱり言うけど、あれは昭和55年9月の、よく晴れた日だった。

何故なら……、写真のキャプションに“この日、晴れていたのはオサムの心と神奈川の空。ドピィ〜カン!”と書かれてあるから、間違いない。

ワタクシたちは、バイク規制、すなわち三ナイ運動の元凶とも言われた神奈川県庁と神奈川県警察本部へと向かったのだった。

目的はただ一つ、“バイク規制音頭”を踊るためだった。

????バイク音頭???

何のために?

みんな、のためじゃがあ。

「バイク乗りみんなが、楽しゅう暮らせる世の中を作るためぜよ!」

 

原付に乗ったワタクシたち9人は、横浜市中区にある県庁を目指した。

オマワリさんとも遭遇したけれど、“高校生の集団か”くらいにしか思われていなかったのか、それとも“近づきたくない軍団か”と解釈されたのか分らないけれど……無視された。

県庁に、着いた。

1928年に出来た神奈川県庁舎は、帝冠様式が取り入れられた建物で、それはそれは格式威厳とも申し分ない。

ここで、バイク規制音頭かよ、という気もしないわけではなかった。

それに、アポ取ったのはワタクシだし、なんかの時は呼び出し受けるのはワタクシだし、大問題になった時に責任取るのはワタクシとワタクシの身元保証人である県庁関係者だし……ことの重大さにそん時気付いたワタクシだし……。

三ない音頭 ※諸事情により写真をクリックするとちょっとだけ大きくなるやもしれません。

門を入った。

お咎め、ナシ。

守衛さんは、ちょっと怪訝な顔をしていたけれど、声をかけられることもなかった。

事前アポが効いているのか?

『神奈川県』『神奈川県警察本部』と左右に木製の立派な表札のある荘厳な入口到着。

「さっさとやっつけちゃお!」

ワタクシ、こん時気がついたけれど……気がちっちゃいかも。

県庁舎の入口の前にバイクを9台並べーの、カメラマンが「入口近くに寄せて」だの「もうちょいくっつけて」だの指示出しーの。

「早く! 早く!」

 気が急くワタクシ。

 オサムが言った。

「ほんじゃ、踊ろうか」

って、音頭? どんな振り付け?

って、振り付けまであんのかよ!

手ぇ繋いで、手と片足あげてぇ、ホレホレホレホ〜レ」

そんだけかよ!

「撮った? 撮った? ねぇ、もういいだろ?」

撤収————っ!

一目散、とはこのことだろう。

クモの子、散りました。

近くにある公園で一服しようぜ。

当時ほぼ全員が喫煙者でしたから、公園のベンチに座ってプカ〜。

いやいやいや、面白かったね、とプカ〜。

オマワリたち、あっけにとられてたね、とプカ〜。

セーラー服&お下げのチエコ&ヤスコが、プカ〜。

詰め襟&ヒゲの山﨑憲司がプカ〜。

♪オレのあん娘はタバコが好きで、いつもプカプカプカ〜。

オマワリさんが近寄ってきた。

元全学連闘士のザキヤマが、闘志むき出しで近寄って行く。

チエコ&ヤスコがシナつくってる、なんで?

オマワリさん、何事もなかったように、去って行った。

歳だ、ってことがバレたのかもしれない。

昭和55年9月の、よく晴れた日だった。

あの日以来、ミスター・バイク誌面で、詰め襟姿がよく登場するようになった。

そこに喰いついたのかよっ!

東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』
中尾祥司
ミスター・バイク誌の創刊からのメンバー(あん時ゃ下働きだったけど)。当初はフリーライターとしての契約だったが、「アイツの一ヶ月のギャラ、高いんじゃないか? 社員にしちまえ!」とゆー、今は亡きボス渡辺の天の声で目出度く正社員に。ちなみに給料は5万円弱だった(あん時ゃツラかった)。それ以前は、某政党の運動員(あん時ゃパクられそーになった)、シロアリ退治業者(あん時ゃ、「奥さん、ホラいましたよ」と用意してたシロアリを見せるよーな汚いマネはしなかった)、新宿ゴールデン街の某バーでバーテンダー(あん時ゃ呑めた、今は下戸……なんでやろ?)、そして「サイナラサイナラ」の淀川長治さんの映画の本を作る手伝いをして編集と関わる(あん時ゃ、「私は嫌いな人に会ったことがない」無垢な青年だった)。とゆーわけで、あん時ゃあーだった、こーだったとゆーハナシをしよう。あ、顔写真で、なんでマスクをかぶっているのかとゆー真相もおいおいに、ね。

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