Hi-Compression Column

あんときの真美

無断で写真撮ってゴメンナサイ!
たった一行で許されたあの時代
悪ノリはとどまることを知らないなのだ。

「RZ作っちゃった」

事件の真相。
その核心には当然まだとどかないのだ
第1回。


(2011.1.31更新)

コンニチハ。少しお待たせしてスミマセン。毎月更新、ってことだったのに1ヵ月間放置プレイでした。

あ、“真実”は“しんじつ”であって、けっして”まみ”ではありません。

ワタクシ“まゆみ”って女の子は知ってますが、“まみ”って娘とはお近づきになったことがないので、“あん時のまみ”では、ハナシが成り立たないのであしからず。


ミスター・バイクは、1976年の創刊以来、いろいろをお騒がせしてきた。

これまで書いてきた「モヒカン族」もそーだし「三ナイ音頭」も、ちっとばかし世間様をお騒がせした。スミマセン!

ここんとこ「スミマセン!」とか「ヨロシクお願いします」とか、頭を下げることが多いのだ。


実ほど 頭を垂れる 稲穂かな

 

って、意味がちっとばかし違うけれど、アタマ下げてます……。

で、お騒がせした、ってことで言えば今月の“あん時の真実”は、結構騒がせた企画の真実だ。


 “ヤマハRZ250”を作っちゃった事件だ。

それは、1980年8月号のトップ・グラビアを飾ったのだった。


『必殺望遠 瞬間グラビア アノRZみたいなのが1台できちゃった』

つーか、ミスター・バイク編集部が、デビュー直前の“ヤマハRZ250”を“こんな感じじゃねーの?”と作っちゃったのだ。

そいつを、都内のいろんな所に持って行って、隠し撮りしたのだ。

それにしても当時はすごいね、とゆーか時代そのものが大らかだったのかしらん。


『●ここに登場のみなさん、特にメーカーの方々、無断で写真撮ってゴメンナサイ!』

この一文で終わりだもの。

勝手に人の写真撮って、言いたい放題のキャプション付けてんだもの。

今こんなことやったら大変だよ。つーか、できません! やりません!


そー言えば、『街のミスター・バイク』ってゆー人気シリーズがあった。

いろんなテーマで街を走ってるバイク&ライダーの写真を撮って、それをネタに言いたい放題だった。

これも“勝手に写真撮ってゴメンナサイ!”のお詫びで終わりだもの。

で、こんなことがあった。

たしか、『俺たちゃ湘南のミスター・バイク』ってテーマだったと思う。

夏の湘南辺りのライダーを“勝手に”撮って、いつものよーにあーでもないこーでもない、とキャプション付けた。

発売になって少し経った頃だった。編集部に、中年とおぼしき女性から電話がかかってきた。

また怒られんのかなぁ……、と、当然思う自分が悲しい。

 

か細い声が、受話器の向こうで言うのだった。

「家出をした息子が写っています」

えっ? どの写真ですか?

「○ページの、女の子と二人乗りしている写真です」

これですね?

「あのぉ、この写真はどこで撮られたのでしょうか? 教えて頂くわけにはいきませんか?」

これは湘南を走っている国道134号線沿いの○○の近くだと思います。

「いつ頃でしょうか?」

たしか○月の第2週辺りだったと思います。

「ありがとうございます。探してみようと思いますので……、ほんの少しの手がかりでも助かります」

ワタクシは、母親の愛を感じた。

後日、そのお母さんから、再び電話があった。

「会うことが出来ました。ありがとうございました」


RZみたいなのができちゃった ※諸事情により写真をクリックすることはご遠慮ください。

その日ワタクシは、故郷の母に電話をした。

人助けをするミスター・バイクでもあったのだ。

えっとぉ……、そっかぁ、RZ250のハナシね。

1980年前後のミスター・バイクってゆーと、編集長はオサムであった。

いつものように「ちょっと集まってくれる?」と、白衣を着てゆーのだった。

理科の先生が着ている白衣で、オサムは編集部でも好んでこの白衣を着ていた。

本人は医者のつもりだったのかもしれない。聞いてないから、知らない。

で、なんとなく会議が始まる。

いつものよーに時間が経ち、いつものよーにお腹が減る。

「ブロンコでも行こうか」

当時編集部のあった大田区南雪谷界隈に、夜中までやっているレストランはなく


──ファミリーレストランなんてゆー言葉もなかった──

環状八号線沿いに、ステーキを食わせるそのブロンコがあったのだ。

今でも、ある、たしか。

ハンバーグステーキかなんか食べつつ、会議は踊っちゃうわけだ。

すると、誰かに何かが下りてくる。

 そん時誰に下りてきたのかは、忘れた。

「そーだ! RZを造っちゃおーーーっ!」

ヤマハからもうすぐRZ250が出る、ってことは分かっていた。

「そいつを造って街に持って行って、いろんな人の反応観る、ってのはどーっすか?」

オサム、いただいちゃいました。


時代は、現代。

2011年1月も終わり。

アノ人に電話をするワタクシ。


もしもしミスター・バイクの中尾です。

「おーっ、中尾さん、元気?」

電話の向こうで、元気ででっかい声が言った。

なんとか生きてます。

「またまた! なに言ってんのよっ!」

ところで、30年前のハナシなんですけどね、ちょっと思い出してください。

「30年前? ずいぶん昔のハナシだね。なに?」

RZ250を造ったハナシです。

「おーおーーっ! 造ったね、造った、造った! ミスター・バイクで写真撮ったんだね、街に持ってって」

アノ人の、とっておきの悪戯が成功したときの子供のような、嬉しそうな顔が目に浮かぶ。

「あん時の編集長のオサムがね、突然訪ねてきて言うワケさ、“RZ250を造ってください!”って」

それで?


とゆーわけで、以下は次号、ってわけだ。

アノ人の正体は?

クククッ! 気になるでしょ?

アノ名車をデザインした、アノ人なんです。

東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』
中尾祥司
ミスター・バイク誌の創刊からのメンバー(あん時ゃ下働きだったけど)。当初はフリーライターとしての契約だったが、「アイツの一ヶ月のギャラ、高いんじゃないか? 社員にしちまえ!」とゆー、今は亡きボス渡辺の天の声で目出度く正社員に。ちなみに給料は5万円弱だった(あん時ゃツラかった)。それ以前は、某政党の運動員(あん時ゃパクられそーになった)、シロアリ退治業者(あん時ゃ、「奥さん、ホラいましたよ」と用意してたシロアリを見せるよーな汚いマネはしなかった)、新宿ゴールデン街の某バーでバーテンダー(あん時ゃ呑めた、今は下戸……なんでやろ?)、そして「サイナラサイナラ」の淀川長治さんの映画の本を作る手伝いをして編集と関わる(あん時ゃ、「私は嫌いな人に会ったことがない」無垢な青年だった)。とゆーわけで、あん時ゃあーだった、こーだったとゆーハナシをしよう。あ、顔写真で、なんでマスクをかぶっているのかとゆー真相もおいおいに、ね。

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