Hi-Compression Column

あんときの真美

(2011.9.16更新)

ハダカのハナシである。  

漢字で書くと、裸、である。

「ハダカの英語は?」  

って質問すると、「ネイキッド、です」と答える人が多いらしい。

  お勉強家なのね。  

ワタクシなんぞ、「ヌ、ヌード、でしょ?」と、必要以上に小声になってしまう。なんでやろ。

編集部のA君が、ワタクシに訊いたことがある。

「ナカオさん。頭を英語で言うと何でしたっけ?」

ワタクシは即座に答えるのだ。

「ヘッド、でしょ」

「鼻は?」

「ノーズ、でしょ」

「口は?」

「マウス」

「顎は?」

「チン」

「肘は?」

「エルボー」

…………賢明な読者の皆さんは、すでにお分かりだろうが、もうちっと付き合ってね。

「指は?」

「フィンガー」

…………ワタクシ、全部答えられるから、ちっと鼻高々なのだ……、つーかオメデタイ男なのだ。

「膝は?」

「ニー、でしょ」

「んじゃ、アソコは?」

「…………」

 困っちゃう、ワタクシ。

知っている、確かに知っている。

だが、はっきりと口に出していいのか、俺。

「ナカオさん、知らないんですか?」

くくくっ……。

ワタクシ、意を決しました。

そして──。

「プ、プ、プッ—…………プッ○—ちゃん??」

ちっちゃい声で、答えた。

A君、ニヤリと笑った。

「ナカオさん、何言ってんですか! アソコはゼアーでしょ!」

ワタクシの時代に、こんな引っかけ問題はなかった。ちなみに、ミスター・バイクBGのワタナベ編集長はワタクシより2歳下なのだが、彼にも同じ問題を出してみた。

ワタナベ君も、ボクと同様に真面目だ。

「ワタナベ君、んじゃ、アソコは?」

ワタナベ君、黙っちゃった。

そして、ワタナベ君、やっぱり意を決したように、言った。

「カ、カ、カ○ト……?」

声、ちっちゃいなぁ。

それにしても、"カ○ト"って、何?


ハナシを戻そう。

ミスター・バイクで、「ヌードをやろう!」ってことになった。

1982年の2月頃の編集会議だった。

突然、編集長のオサムが言い出したのだった。

「運転免許証付きだな」

たしか『宝石』だったと思うが、”学生証付き女子大生ヌード”なんかをやっていて、ミスター・バイクだったら「免許証付きだろ!」ってことになったのだ、と思う。

わ〜いわ〜い! ヌードだヌードだ!

「ショージよぉ、担当な」

…………。


ワタクシ、ウブ、なんす、こー見えても。

小学4年生の頃ね、お家にあった美術全集なんぞ見て、ボッチチェリの『ビーナスの誕生』でミョーなことになったのだった。

小学6年生の頃ね、お家にあった文学全集の中から三島由紀夫をどーゆーワケか手にとって、目次見てたら『美徳のよろめき』ってのを見つけて、ミョーに興奮したのだった。

だから、ワタクシ、すこぶるウブ、なんす。

だけど、オサムは有無を言わさぬぞ、の態度だった。

「分かった……。でも、みんなも探してね、脱いでもいい、って娘を」

撮影現場行くのは楽しみだよ。そりゃ、ヌード撮影だもん。

「4〜5人は必要だな」

簡単に言ってくれるよな。


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ミスター・バイク1982年4月号


「脱いでくれる女の娘、いない? もちろんバイクに乗ってる娘だよ!」

各方面に訊いてみる。

ギャラ、しこたま払えるんなら、いくらでもいる。当たり前だ。

だが、ギャラなんぞ、出ません。

ハダカです。顔出ます。免許証出します。

やっとこさ4人のバイク乗り娘が、「私、脱いでもいいです」と手を挙げてくれた。


撮影は、カメラマンの自宅マンションで行われた。

東京・世田谷にあったそのマンションは、30年前としてはかなりステキだった。

素人の娘ばっかりだから緊張するだろう、と編集部員のチエコも一緒に行った。

一番目、というのは特に緊張する。

「アタシからやりましょうか?」

以前から知っていたEちゃんが言ってくれた。

ハダカの上に革ツナギを着て、イメージとしちゃ映画『あの胸にもう一度』だな。

彼女の愛車スズキGS650Gをからめて撮った。

フロントのジッパーをグッと下げて……。


一人撮ったら、ほかの娘たちもリラックスしたみたい。

今みたいにデジタルじゃないから、撮った写真をすぐに「こんな感じだよ」と見せるワケにはいかない。

ポラロイドで、確認してもらう。

「可愛い、いい感じぃ!」

チエコが盛り上げる。


大きな窓にはブラインドがあって、陽の光がいい具合に差し込んでいた。

「窓際に立ってみて。後ろ向きになって、バスタオルをちょっと外してみようか」

ちょっと濡れた髪が肩にかかっている。

身体に巻いた真っ白なバスタオルから、少しだけヒップがみえる。

逆光の中で、あの娘は『ビーナスの誕生』だった。

20歳〜24歳のバイク乗り娘が、脱いでくれた。

1982年4月号の巻頭カラーを飾った。

ミスター・バイク1982年4月号

当時は星だの目線だのモザイクだの一切無し。そりゃ怒られるわな……。

『一足お先の春だから──東京ヘルメット美人──”私、脱いじゃったの”』

大反響でした。

でも、大目玉もくらいました。


ちなみに、この4月号では、あの『モヒカンズって何だ!?』もやっている。

ミスター・バイク1982年4月号

ワタクシ自身懐かしくってつらつら眺めてたら、”キング”ケニー・ロバーツの息子ケニー・ロバーツJr. のご幼少時の写真も掲載されていた(写真上)。

ヌードは、あれ一回こっきりだった。


東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』
中尾祥司
ミスター・バイク誌の創刊からのメンバー(あん時ゃ下働きだったけど)。当初はフリーライターとしての契約だったが、「アイツの一ヶ月のギャラ、高いんじゃないか? 社員にしちまえ!」とゆー、今は亡きボス渡辺の天の声で目出度く正社員に。ちなみに給料は5万円弱だった(あん時ゃツラかった)。それ以前は、某政党の運動員(あん時ゃパクられそーになった)、シロアリ退治業者(あん時ゃ、「奥さん、ホラいましたよ」と用意してたシロアリを見せるよーな汚いマネはしなかった)、新宿ゴールデン街の某バーでバーテンダー(あん時ゃ呑めた、今は下戸……なんでやろ?)、そして「サイナラサイナラ」の淀川長治さんの映画の本を作る手伝いをして編集と関わる(あん時ゃ、「私は嫌いな人に会ったことがない」無垢な青年だった)。とゆーわけで、あん時ゃあーだった、こーだったとゆーハナシをしよう。あ、顔写真で、なんでマスクをかぶっているのかとゆー真相もおいおいに、ね。

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