Hi-Compression Column

あんときの真美

(2011.11.17更新)

関心を寒心に替えてしまった業界感震の
「ニコバッカ騒動」の真実・その1

“きたなトラン”をご存じだろうか? とんねるずの『みなさんのおかげでした!』(毎週木曜日21:00〜21:54 フジテレビ系列放映)の中のコーナーで、“きたないけど美味しい”店を紹介する、ってものだ。“きたなトラン”は、始まった当初“きたなシュラン”と言っていたのだが、いつの間にかネーミングが変わった。某社からクレームがついたんだろか?  

で、我が社のある東京・勝島の近くに、このコーナーで取り上げられたレストランがある。

品川区大井町には、きたなシュラン時代に“☆3ツ”を獲得した洋食屋“ブルドッグ”と、中国人が「日本人好みに研究に研究を重ねた」というカレーの“スタミナカレー・牛八”──残念ながら☆1ツ──がある。  

そして最近、つまりきたなトランで見事☆3ツを獲得した店がある、と編集部のA君が教えてくれた。

品川区立会川の商店街の中に、その店はあるという。  

「細いちっちゃいアーケード商店街なんす」

ホントだった。

小さな商店街に小さな商店が並んでいる。

その中に、“味利”はあった。

星3つ

 最近ではあまり出ない“星3つ”です。

「イラッシャイマセェ〜」

若干イントネーションの違ういらっしゃいませが聞こえた。

店内は、想像していたほど汚くはない。

たしかに手書きのお品書きが所狭しと貼られている。

見ると、洋食、中華、和食と何でもある。

ワタクシは、豚肉のショウガ焼きを頼んだ。

A君は、メンチカツ定食を頼んだ。

ちなみに、メンチカツの単品は525円である。ライスが210円で、汁物は105円と壁に貼ってある。普通に計算すると、840円である。

なのに、「定食は680円ですぅ」って、どーして?

Tさんは、ハンバーグ定食だ。

オーナーシェフらしい人が一人で作っている。

なのに、3人分3種類の定食が、いっぺんに出てきた。

ヤルな。

本題まで行き着かないから、先を急ぐ。

お味は──美味しい。

☆ 3ツは伊達じゃない。

ちなみに、壁にはノリタケの“Pele”サインもちゃんと残っていた。意外に大きなサインだったよ。

ペレ

 「ペレ」もちゃんと入っています。

で、食べてる最中、ウエイトレスの二人の女子の話し声が聞こえた。

一人は日本人女性だ。もう一人は、件の中国系と思しき女性だ。

日本人女性が、言う。

「キノコ、分かる?」

中国人と思しき女性が、答える。 

「キノコ、あるか?」

「そう、キノコ」

「キノコ、キノコ、キノ……」

「ほら、しいたけとか、しめじとかの、キノコ」

「シタケ??? キノコ……」

「ほら、こーゆーの」

と、日本人女性は手でキノコを作ってる。

「キノコ……」

と、中国人と思しき女性は、チンプンカンプンなのだ、たぶん……。

ワタクシの席からそのやりとりが見える。

なかなかに面白い。


右上へ


日本人女性の、キノコの身振り手振りは理解されない。

「う〜ん、困ったなぁ」

「キノコ……」

「そうなのよ、キノコ!」

「アッ!」

と、中国人と思しき女性は、嬉しそうに言った。

「ノコ?」

「ハァ?」

と、日本人女性は、なんじゃろ? って顔をした。

「ノコじゃなくて、キノコよ」

「ノコ、ノコ」

と、中国人と思しき女性は、もっともっと嬉しそうだ。

そして、「ノコ、ノコ」と言いながら、身振り手振りを始めた。

まな板を置いて、その上で“手刀”で切るマネをしている。

「ノコね、ノコね、キノコね?」

日本人女性は、やっと理解した。

「それは、ノコぎり!」

だけど、中国人と思しき女性は、まだまだキノコを理解していないのだった。

ノコぎりねぇ……、ワタクシはなんだか懐かしく思った。


アノ記事は、いつだったろう。

ワタクシは、ミスター・バイク誌のバックナンバーを探した。たしかあれは、ワタクシがラジオマガジン編集部にいた頃だったな。

だから1983年か1984年の始め頃だな。

編集部のA君は、当時まだアルバイトで、ワタクシの書いた“アノ記事”を読んで、「あんなもんが雑誌に載っていいんだ!」と憤慨したらしい。後年、A君から聞いた。

当時の小宮山編集長にも「この手は一度きりですね」と言われたことを思い出した。

ワタクシにしても、そりゃ恥ずかしいですよ。でもね、切羽詰まってたし、何書いていいんだか分からないし、第一“そのモノ”を良く知らなかったのだった。


探していたミスター・バイクはすぐに見つかった。

1984年3月号だった。

ミスター・バイク1984年3月号

巻頭カラー特集わずか5ページ。そのかわりモノクロ記事ネタ満載の週刊誌スタイルが小宮山編集長時代の特徴でアール(松下奈緒ちゃん調で)。

モノクロページで“Bike Scramble”というレギュラーページがあった。1ページか見開き2ページで、ひとつの題材を紹介する、というページだ。  

題材は、人だったりモノだったり、現象だったりいろいろだ。

ワタクシに渡されたのは2枚の写真だった。

1枚は、いかにも隠し撮り風の走行写真で、その割にはピントぴったりだったりして。どこかのサーキットでRZ250を、浅見貞男さんがライディングしている。だけど、そのRZ250のフレームは、ちょっと違っていた。

もう一枚は、RZ250のフレーム辺りのアップ写真だった。

記憶に間違いがなければ、資料は何もなかった。

分かっていたのは、これが“ニコバッカー”のフレームだ、ということだけだった。

やっぱり本題まで行き着かなかった。

はたしてその記事の内容とは?

そして、何故“ノコぎり”で思い出したのか?


 お馴染み、“次号に続く”のだ!


東京エディターズ代表取締役社長兼
WEB Mr. Bike代表
『中尾祥司拝。』
中尾祥司
ミスター・バイク誌の創刊からのメンバー(あん時ゃ下働きだったけど)。当初はフリーライターとしての契約だったが、「アイツの一ヶ月のギャラ、高いんじゃないか? 社員にしちまえ!」とゆー、今は亡きボス渡辺の天の声で目出度く正社員に。ちなみに給料は5万円弱だった(あん時ゃツラかった)。それ以前は、某政党の運動員(あん時ゃパクられそーになった)、シロアリ退治業者(あん時ゃ、「奥さん、ホラいましたよ」と用意してたシロアリを見せるよーな汚いマネはしなかった)、新宿ゴールデン街の某バーでバーテンダー(あん時ゃ呑めた、今は下戸……なんでやろ?)、そして「サイナラサイナラ」の淀川長治さんの映画の本を作る手伝いをして編集と関わる(あん時ゃ、「私は嫌いな人に会ったことがない」無垢な青年だった)。とゆーわけで、あん時ゃあーだった、こーだったとゆーハナシをしよう。あ、顔写真で、なんでマスクをかぶっているのかとゆー真相もおいおいに、ね。

topへ

[第12回|第13回|第14回]
[バックナンバー目次へ]

目次
↑クリックするとMBHCC目次に戻ります
バックナンバー目次
↑クリックするとバックナンバー目次に戻ります