Hi-Compression Column

そば

「みずほ」の気持ち

(2011年11月30日更新)

未曾有の大災害、あの3.11の翌日、深い悲しみの中で静かに全線開業を果たした九州新幹線。九州男児&女子の熱い気持ちがびんびんと伝わって、なぜだか最後は目頭が熱くなってしまう幻の開業記念CMも話題となりました。開業後は順調に業績を伸ばし、開業から半年で輸送人員が目標の40%増を達成したそうで、なによりです。

その九州新幹線の最速列車、鹿児島中央-新大阪間810.5kmを3時間45分で走る「みずほ」。平均速度は約234km/h。一昔前は夜行列車でごとんごとんと揺られていく距離だったのにやっぱり新幹線は速いですね。この九州新幹線のフラッグシップの名称がちょっとした大問題(←へんな日本語)になったのです。

みずほ
「みずほ」に使われるのは東海道新幹線の顔になりつつあるN700系をベースにした7000番台(JR西日本所有)と8000番台(JR九州所有)。落ち着いた薄いブルーが特徴。とはいえ一日4往復しかない「みずほ」専用ではなく「さくら」や「つばめ」にも使われます。(2011年5月14日撮影 鹿児島中央駅)

2004年西鹿児島改め鹿児島中央と新八代の間で部分開業した九州新幹線の名称は「つばめ」でした。一応公募(「つばめ」は5位。ちなみに1位は「はやと」)で決められたのですが、博多-西鹿児島間の特急に使われていた馴染みある名称でもあり、すんなり受け入れられました。

800系つばめ
JR九州の素敵な特急をばんばん送り出す名デザイナー水戸岡先生の手によるほぼ九州でしか見られないJR九州オリジナル新幹線800系「つばめ」。どこか0系に通じるような愛嬌のある顔と、和テイストが盛り込まれた内装で、おじいちゃんもおばちゃんも落ち着けます。(2007年5月13日撮影 川内駅)

「つばめ」は歴史ある名称で、初代は1930年に登場した東海道線の最速特急でした。戦争を挟んで東海道新幹線開業までは東海道線に君臨しておりました。1964年東海道新幹線、1972年山陽新幹線岡山開業と共に西へと都落ち。最後は岡山-西鹿児島間の在来線を10時間もかけて走っていました。そして1975年、新幹線博多開業によって使命を終えたのです。その後は「新幹線のすごい特急が出来たときに使おう」みたいな雰囲気で温存されておりました。しかし国鉄は、大赤字+組合運動激化+事故連発+国鉄叩き=分割民営化と凋落の一途をたどり「つばめ」が復活するどころではありません。すっかり放置プレイになっておりました。

時は流れ1992年、JR九州は博多-西鹿児島の在来線に新型特急787系を投入します。従来の概念をぶち破るハードとソフトを兼ね備えたこの列車は「つばめ」と名付けられました。すでに国鉄は分割民営化されていましたが、この名称を使うにあたりJR各社(ハッキリ言ってJR北海道やJR四国、JR貨物には関係なさそうですが、たぶん旧国鉄一家の仁義でしょう)に「つばめ使ってよかと?」と打診したというくらいの名門なのです。バイクの世界で言えばCBやZ級です(CBさんの暴落が目につく……気のせいです)。

787系
水戸岡大先生の初期の大傑作が787系つばめ。「つばめ」の後は「リレーつばめ」として博多-新八代間で大活躍。小さなお友達から大きなお友達まで大人気。乗務していたつばめレディのおねーさんもとてもチャーミングでした。いっしょに記念写真撮りたかったんですが、恥ずかしがり屋なので果たせませんでした……無念。(2007年4月7日撮影 博多駅)

2011年の九州新幹線全線開業により山陽新幹線へ直通をする列車の名称が新たに公募されました。当然由緒ある「つばめ」が使われると信じていた大きなお友達はびっくりぎょうてんしましたが、「つばめ」に少々に飽き気味だった(たぶん)九州男児と女子は一生懸命考えました(間違いなく)。そして公募の結果、最多得票の「さくら」に決まったのです。

昭和40年代以前生まれのみなさんに解りやすく説明すると、九州新幹線の「さくら」は「ひかり」、「つばめ」が「こだま」という換算になります。平成生まれのヤングメンにしてみれば『「ひかり」は、そこそこ停まるけれど、たしかにこだまよりも速いけれど、1時間に1本しかない便利なんだか不便なんだかよくわからない新幹線』という認識ですね。でもねおじさんたちにとって0系「ひかり」は東京タワーや東京オリンピックと共に日本の誇りだったんですよ。「びゅわ〜ん、びゅわ〜ん走る♪」と歌いながら毎日学校まで走ったのです。それがねえ、JR東○の「リニア新幹線の為ならえんやこ〜ら主義」で料金の高い「のぞみ」ばっかりになってしまって……。

話が逸れました。平成ヤングメンは「さくら」が「のぞみ」ということにしてください(結果的には「のぞみ」じゃなくて、やっぱり「ひかり」ということになるのですが……)。東北方面のみなさんは「はやぶさ」か「はやて」に置き換えてください。「なに! 国内最速320km/h運転で、なおかつ国内最高級のグランクラスもある“はやぶさ”様とわずか8両の“さくら”が同じ扱いかっ!」と怒られそうですから、ここは「はやて」に統一しておきます。

どこまで話しましたっけ? えーっと、「さくら」ですね。「さくら」と言っても「おにいちゃん!」「止めるな、さくら」の方の「諏訪さくら(前田吟、じゃなくて諏訪 博と結婚したので、車さくらではありません)」ではありません。「つばめ」よりも速い「さくら」ですから、「止めるな」どころか「我が駅にも停めてくれっ!」の停車駅誘致合戦になりました。

その昔、熊谷が選挙区の某代議士が運輸大臣(現国交省大臣)に就任したとき「熊谷に急行を停めろ」と横車を押しまくって挙げ句は辞任に追い込まれたり、新幹線の某駅には駅を作らせた某代議士の銅像があったり(これは最近、横車ではなかったとの説が有力です)、最近では京急蒲田通過のエアポート特快が出来たことで石原都知事が憤慨するなど、この手の話はごろごろあります。我が町に速い列車を停めたいのは古今東西を問わず当然の摂理なのです。

最近は代議士うんぬんよりも、もっと切実なお金の問題があります。新幹線建設は地元の負担分も大きく、いわばスポンサー様の意向を無下にも出来ません。「さくら」は熊本-鹿児島中央間各駅停車という「つばめ」みたいな「さくら」がメインとなり、さらに全駅にいづれかの「さくら」が最低でも一日に1回は停車するという、一見さんにはややこやしい苦肉のダイヤが設定されました。

たくさん停まれば乗車率は上がるかもしれませんが、最大の武器であるスピードが生かせません。空港までのアクセスを考慮すると4時間以内が勝負の分かれ目。鹿児島-大阪間で4時間を切らなければ飛行機とは勝負は出来ません。地元も大切ですが、飛行機に勝たなければ作った意味がないJR九州は、当然最速列車も設定するのです。ですが事前に漏れれば「さくら」の二の舞の「うちにも停めろ!」になることは必至。作業は極秘に進められました。開業直前某新聞が『最速列車は「みずほ」に決定』とすっぱ抜きましたが、これは「そろそろ、なんか発表しとかないとどえらいことになる」と、打ち上げた観測気球(←死語……)でないかと思います。

山陽新幹線直通の最速列車は公募で決定した「さくら」になると思っていた地元は、このニュースを聞いて再びびっくりぎょうてん。

K県(熊本じゃない方)の知事は「ほかの列車で使われた名前なので、あまり好きじゃない」とか「熊本で止まっていたやつの名前が付いちゃったんですよ。事前に相談があったら反対していた」とぶんむくれ。でも「さくら」は、熊本どころか全く関係ない長崎、佐世保行だったのに……よほど「みずほ」がお嫌いなんでしょう。一部の大きなお友達もぶんむくれ。

「だったら、“満開さくら”とか“6分咲きさくら”にして、停車駅パターンを変えればよかったじゃん」と思うのはごもっとも。しかし「のぞみ」と「ひかり」の特急料金に差があるように『最速列車用の特別料金を徴収するなら「さくら」「つばめ」とは違う名前を付けなきゃ国交省は認めませんよ。お役所ですから』といういじわる、じゃなくて、大人の事情があったのです。

本来ならば東京-西鹿児島間を走っていたブルートレイン「はやぶさ」が最適でしょうがすでにJR東日本の最速新幹線に決まっていましたし……。



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バ☆ソ
ソ☆バ
日本全国の立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそばな人だからー。食べた店のデータはきちんと記録するが、味の表現が「うまいorまずい」の二進法でしかできないデジタル指向(通常は味音痴という)なので生業にはできない。名前に☆を入れるとアーティストっぽくなると本気で思っているので、ただの馬鹿に違いない。

かつて熊本経由で鹿児島へと走っていた「あかつき」「なは」「桜島」「さつま」「かいもん」なども候補に上がったのでしょうが、あまりにも地域色が強すぎたり、新幹線らしくなかったりで難航の末、響きもいいし、なんたって日本は瑞穂の国だし、最後は東京-熊本間を走っていたから縁がないわけじゃないし、ということで決定(たぶん)。

たしかに「みずほ」は陽の当たる名門ではなく、いわゆるブルートレインの「さくら」(東京-長崎・佐世保)や「はやぶさ」(東京-西鹿児島)の補完役に徹した寝台特急で、東京-九州間を結ぶ寝台特急では1994年、真っ先に名称が消えた地味な列車です。だから、大きなお友達はぶんむくれたのです。ちなみに旧帝国海軍の水上機母艦「瑞穂」は太平洋戦争が開戦して一番最初に撃沈された日本の“軍艦”として記憶よりも記録に残っています。ふうっ……。

昔のみずほ
ブルートレイン時代の「みずほ」。ブルトレブームの頃でも「あさかぜ」「はやぶさ」「富士」「さくら」の一軍に対し「出雲」「瀬戸」「紀伊」「いなば」と共に二軍扱い……ぼうや達も中休みという感じで気合いもいまひとつ。(1978年8月5日撮影 名古屋駅)

それはさておき、心ないK県(熊本じゃない方)知事の発言に「そんなにみずほが嫌いかっ!」と、全国の「みずほ」ちゃんは大いに悲しんだことでしょう。

全国の「みずほ」ちゃんへ、最後に含蓄のあるお言葉をお贈りします。と言ってもレールマガジン誌2011年4月号“「さくら」「みずほ」「はやぶさ」が帰ってくる!二姫一太郎ものがたり”に書いてあったお言葉ですが。

“新幹線の愛称の歴史は、実は下克上である”

実は「ひかり」(九州内の気動車準急)にしろ「のぞみ」(日本統治時代朝鮮半島の急行)にしろ「あさひ」(東北地方のローカル急行)にしろ元は名門という訳ではなかったのです。それが今や世界に名を轟かせているのです。「みずほ」も先達に負けないような大いなる飛翔を見せてくれることでしょう。見返すんだ「みずほ」!

  *   *   *   *

と、締めくくると、相変わらずの鉄話のみで、幻立喰・ソの存在自体が幻・幻立喰・ソになってしまいます。はい、鉄でないみなさま、いつもにも増してながーい前振りおつかれさまでした。やっとこ本題です。本題は前振りの1/3以下のお得なコンパクト設計となっておりますので、もう少しおつきあいください。

山手線の駒込駅。数ある山手線の駅(とは言ってもわずか29駅。だから鉄同士の山手線ゲームはあっという間に終わります)の中でも乗降客数は下から数えた方が早い特徴のない、どこそれ? 級の地味な駅です。その地味な駅の北口を出て本郷通りを渡ると「みずほ」があります。「みずほ」BKといってもシステムトラブルで有名なあの「みずほ」でも「賛成の反対もはんたーい! 他の党の提案は全部はんたーい! でも政党助成金は大賛成!!」の「みずほ」さんでもありません。立喰・ソの「みずほ」です。 

駒込のみずほ
駒込の「みずほ」は、大きな問題にも話題にもなることなく「みずほ」らしくしっとりと地味に根付いておりました。(2007年2月3日撮影)

私が尋ねたのは今から4年ほど前のまだ寒い2月。午後3時すぎという中途半端な時間だったこともあり、立喰・ソというには広く椅子とテーブルがある店内は、がらーんとしていまた。おやじさんもイマイチ元気がなかったように思います。直感的に「あっ、こりゃハズしたかな。いつものことだけど」と全く期待していませんでしたが、ちょっと待たされてから出されたかき揚げそばは、それはそれはかなりの高レベルなそばでした。

改めて立喰・ソ帖を見直せば、「隠れた名店発見」の文字と共に評価点には滅多に出ない4が輝いております(5段階。5はまだ出ておりません)。

みずほのかき揚げそば
そばは生を注文してから茹でて、その後ちゃんと水洗いしてシメた本格派。シュッとコシのあるそばに合わせたおつゆは、ダシのかおり(たぶんカツオ)が漂うお上品なタイプ。それでいて自己主張の激しいそばに一歩も譲らないが互いにハーモニーを奏でている。そう、それはかつての級友がライバル会社の社長になりお互いが切磋琢磨するかのごとく(←ワインの表現みたいな事を言ってみたかっただけです)。天ぷらは自家製で小さいながらも高密度で具だくさん。(2007年2月3日撮影)

その後は駒込に行くことはめったになく、たまにあっても東口の方面で、北口に行く事はなく時が流れていきました。先日、新宿で所用を済ませ、いつもなら内回りで家路に着くのですが、ふと思い立って外回りの人となり夜の帳が降りた駒込駅に一人降り立ち(←ちんけ表現に文学の風味を乗せて)、実際には何人か降りましたが(←使い古されたノリツッコミ)東口へと向かいました。

新宿とは違い、夜の8時でも人も車もまばら。どこか地方都市にいるような錯覚と共に静かな本郷通りを渡ると…明るく照らされた立喰・ソがありました。そこにあったのは「みずほ」ではなく、最近増加中のセブンイレブン系のチェーン店でした。まだ一度しか食べていなかったのに……あの絶品そばも幻立喰・ソ入りしてしまったようです。

どういう経過でこうなってしまったのか、そこにはいくつものドラマと物語(←「重複した表現です」と、最近の文字ソフトはおせっか……いたれりつくせり)があったことでしょうが、そろそろ誌面も尽きて参りましたので、このへんで(←もちろん事情を知らないだけ)。

みずほの跡
「みずほ」は、最近このコラムでのなにかと縁のある弁天庵に変身しておりました。他の業種になるよりはいいか。(2011年10月29日撮影)

駒込の「みずほ」の分も、ぜひ九州の「みずほ」にはがんばってもらいたいもんです。

「駒込の立喰・ソの分もがんばれ? なにを? 車内に立喰・ソカウンターでも作れと? せからしかぁ!」とJR九州さんに怒られそうな、とってつけたような、ではなく……ホントに取って撮って録って獲って捕って取手(←「とりで」ではなく「とって」と読んでください)つけた締め。こんなことを続けていると……「いつまでもあると思うな、このコラムと立喰・ソ、かな」。


■立喰・ソNEWS

●その1 駒込崩壊!?

後日、気を取り直して駒込駅東口にある24時間営業のディープな迷店「そば駒」に向かいましたが、あれれ、こちらは見事更地に……駒込の2大立喰・ソはいつのまにやら全滅。「駒そば」については溝の口の名店「七ふく」、両国の「しなの屋」の昭和テイスト満開の幻立喰・ソとともに改めて語らせていただければと思っております。


駒そばの跡
しばらくすると「あれ、ここに何があったっけ?」に。またひとつ立喰・ソが幻立喰・ソに。合掌。(2011年11月05日撮影)

●その2 世界の歌暇レディー・ガガが品川で号泣!?

親日家でもあり、東日本大震災では手厚い支援をしていただいた世界の歌暇、あのレディー・ガガさん。実は立喰・ソの大ファンだそうです。あら、びっくりぎょうてん。しかもイチバンのお気に入りは品川駅にあった「しながわそば」のかき揚げそばだとか。第4回でお伝えしたように「しながわそば」はすでに幻立喰・ソ入り。それを知り今回の来日で大いに嘆き悲しんだそうです。ガガさんもこのコラムを読んでいれば「しながわそば」が幻立喰・ソになったことも、NRE系なので他でも食べられることも解ってもっと日本が好きになってくれたのではないかと思うと断腸の思いです。ガガさん、今すぐお気に入りに登録してくださいませ。それはさておき、ますますガガさんが好きになった立喰・ソ野郎多数輩出な出来事でした。


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