Hi-Compression Column

順逆無一文

いきなりですが…、法律って
何のために存在するなのでしょうか?

「そんなの決まってるだろ! 民主主義国なんだから市民を守るためのもの!」という声が聞こえてきそう。まあ、そんなに純真じゃない私のようなひねくれた人間なら「国の存続を危うくしないため、社会のシステムを守るための道具」って答える方も実は多いのでは。そう考えれば法の名の下での不公平も理解できるだろう。社会のためなら個人の尊厳や自由など、いとも簡単に吹き飛んでしまう。

それもまあ、法律の一面なのだから仕方ないとしても、これほど司法というものの不出来さを感じさせられたハナシはあまり聞いたことがないという話題を。いや法律を便じる人間たちの不出来さ、でしょうか。

報道ニュースでしか知らないので伝聞の域を出ないことを予めお断りさせていただくが、2008年11月に2人乗りのバイクが酒気帯び運転のクルマにはねられて、17歳の後席ライダーが死亡するという痛ましい事故が沖縄で起きた。事故原因は「またか」の飲酒運転事故なのだが、問題はそんなことじゃない。

8月17日にそのドライバーに対する控訴審の判決が出た。

一審の那覇地裁では運転していたと“みられる”43歳の女性の責任を認め、自動車運転過失致死罪を認めて懲役3年を言い渡したのだが、女性側が控訴。「運転していたのは私じゃない。娘が…」というもの。なぜか真偽の判断材料が、本人達の自供しかないという。犯罪を犯すような人間じゃなくても自分の利益のためなら何でも言う可能性はある。もちろん真実であることの方が圧倒的に多いのだろうが。

嘘をつこうが正直に話そうがそれは被告の勝手だ。そんな不確かな人間の発言などに頼らずに、様々な物証、証拠などから犯罪の事実があったものと判断し起訴するのが検察であり、起訴を受けて被告人の最大限の利益をはかるのが弁護士だ。たとえそこに嘘があろうと真実であろうと、だ。

そしてその打々発止を見抜き最終的な判断を下すのが裁判官、という役回りだろう。

一審の裁判官は逮捕後に弁護士から提出された、娘が運転していたという“自白書”や他の同乗者(なんと他に4人もいたらしい…!?)のあやふやな発言などがあっても迷うことなく懲役3年を言い渡した。被害者や残された家族にしてみれば、「たった3年」ではあろうが、有罪の判決に少しは気が晴れたはずだ。

だが、それでは終わらなかった。それは今回の判決へと繋がる控訴審へのスタートだったのだ。


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そして今回の判決。判決理由を勝手に要約させてもらえば、一審判決は誤りで、女性たちの証言を「推認」したり「合理的か」、「動機は」などといった裁判官個人の判断の積み重ねの結果、無罪判決に至ったという。別に新たな証拠が出たわけじゃない。

事実は当事者しか分からない。いや、結果的に当事者しか分からなくしてしまった警察、検察の責任は大きい。事故後に娘が運転していたと言い出したのなら、何故、そちらの証拠固めを行わなかったのか。一度獲物と決めたら猪突猛進。たびたび起こる冤罪への構図がそこに垣間見える。

しかしそれよりも、何よりも問題はこのように法律に基づいて出されるはずの判決というものが、担当する裁判官の判断によって180度変わってしまうということだろう。

“たかが人間”が裁判官をやっている以上、裁判というのはまさに運不運の世界といえないこともない。最高裁ですらわずか14名の裁判官という名のそれぞれ考え方の違う人間の集まりだ。被害者側としては今後は最高裁の判断を仰ぐのか、それとも娘の方を裁判にかけて責任を追求するのか。それにしてもまたとめどない「誰が運転していたか…」のなすりつけあい合戦に終始してしまわないだろうか。事故が起きている以上誰かは運転をしていたのだ。しかもそのクルマには6名が乗っていたという!

これが裁判というものの現実です。法律なんてただの道具。結果はまさにその道具を便ずる人間しだい。

           ※

法と言えば、落選した某居座り法務大臣が突如死刑執行したり刑場を公開しよう、などという話題があったが、死刑執行を行うか行わないか、そしていつ行うか、といったこれほど重大な人間の生死与奪の選択を、これまたたったひとりの人間に任せている制度もおかしくないだろうか。

法運営の頂点立つとはいえ、たかだか人間。死刑制度の是非そのもの以上に、たったひとりの人間に執行の判断をゆだねてしまうなど、それこそ人間の尊厳を軽んずる最たる行為ではないのだろうか。死刑制度への私見を持ち出しては執行を先延ばしにしたり、政治的判断で執行時期を決めたり。

死刑制度を残している以上は、判決が出たらきっちり何日、何時間後に執行します、とそこまで具体的にシステムとしてきちんと決めておくのが法の運用というものだろう。たまたまその時期に責にあったひとりの人間が、勝手に生の時間をもてあそぶ権利などないはず。死刑囚といえども人間だ。それとも、いつ執行されるか不安に苛まれる時間も死刑判決の懲罰の一部として機能させているとでも言うのだろうか。

           ※

無念な事故に遭われ亡くなられた方のご冥福を。

小宮山幸雄
komiyama
Mr.BIKE創刊時は、飛行機雑誌の編集にかかわっていたためアウトサイダーで参加。1年遅れで雪が谷の住人に。以来34年間、近藤編集長を裏で支えたり、自ら編集の指揮を執ったりと「だらだらと今日まできてしまった」という“団塊ライダー”。「日本の埋蔵金」サイトを主宰する同姓同名人物とは赤の本人。
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