Hi-Compression Column

motogpはいらんかね

西村 章
西村 章
スポーツ誌や一般誌、二輪誌はもちろん、マンガ誌や通信社、はては欧州のバイク誌等にも幅広くMotoGP関連記事を寄稿するジャーナリスト。訳書に『バレンティーノ・ロッシ自叙伝』『MotoGPパフォーマンスライディングテクニック』等。第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した最新著『最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡』は小学館から絶賛発売中(1680円)。
twitterアカウントは@akyranishimura

さようなら、スーパーシッチ

(2011.10.24更新)

昨年、富沢祥也選手がミザノで亡くなった際、当欄原稿の末尾をこんなふうに締めくくった。


「皆がそれぞれに重いものを背負いながら、それでもレースの現場から去らないのは、ここがそれだけ魅力的な世界だからだ。そして、その魅力を可能なかぎり多くの人々に伝えてゆくことが、この世界で命を落としていった仲間に対する、残された者たちの責任の取り方でもあるのだろう」

マルコ・シモンチェッリ

あれからわずか一年の間に、またもや同じことを自らに言い聞かせなければならないようなことになるとは思わなかった。もちろん、このような出来事が起こるのは、いつも突然だ。あまりに突然であまりにあっけないからこそ、喪失感も大きい。特にマルコ・シモンチェッリ選手の場合は、物怖じすることなく表裏もない素直な性格が、コース上ではアグレッシブな走りとなって現れ、コース外では屈託なく明るい発言で、いつも皆の注目を集めた。余人をもって代えがたい独特の存在感を発揮する人物だっただけに、彼を喪った今、MotoGPの広いパドックにはぽっかりと大きく空虚な穴が開いてしまったような感がある。

彼が亡くなった事実関係の詳細は、改めて繰り返さなくてもいいだろう。10月23日、第17戦マレーシアGP決勝レースの2周目11コーナーで転倒したシモンチェッリ選手は、マシンごと路面を滑走して他車に激しい勢いで衝突。メディカルセンターに搬送されたが、16時56分に死亡が確認された。

マルコ・シモンチェッリ

正直なことをいえば、個人的にシモンチェッリ選手と特に親しかったわけではない。125cc時代から現在に至るまで簡単な質疑応答をさせてもらったことこそあるものの、パドックで顔を合わせれば挨拶を交わす、そんな程度の間柄にすぎない。近い将来に機会があれば、一度ゆっくりと腰を据えて話を聴かせてもらいたいと思いながら、結局それが叶わぬまま終わってしまった(ちなみに、今回のマレーシアGPでは、日本人ジャーナリストの先輩、富樫ヨーコ氏が現場へ取材に訪れ、シモンチェッリ選手への単独インタビューを行っている。近日中にどこかのメディアで記事が発表されるだろう)。とはいえ、様々な話題を振りまく選手として彼はいつも皆の注目を集めていたし、他の選手との会話の中で彼の話題が登場することも珍しくない、そんな華のある選手だった。

たとえば、125ccクラスで小山知良たちと激しい戦いを繰り広げた2005年の18歳当時、すでにクラス内でずば抜けて大きな身長に成長していたが、「あれだけデカい体で(小排気量の)125ccのトップ争いをするんだから、あいつは人間としてかなりの速さを持っているんだと思いますよ」と小山がその能力を認めていたのは、印象的だった。250cc時代には青山博一やアルバロ・バウティスタたちと熾烈なチャンピオン争いを繰り広げた。当時から、アグレッシブなライディングには<定評>があった。

マルコ・シモンチェッリ
 あっけらかんとした性格で「レースなんだからバトルが激しくなるのは当たり前じゃないか」と発言するために物議も醸したものの、悪意がないことは明らかで、その態度は皆の苦笑を誘いながらも「この選手はやがて、抜群の速さを発揮するようになるのだろうなあ」と充分に思わせた。現在の「爆発」ヘアスタイルになったのも、そういえばこの当時だ。独特の愛嬌がある性格からか、「おまえ、いったいどうやってその髪をヘルメットの中に収めてるんだ?」とコーリン・エドワーズにからかわれるなど、先輩ライダーたちからも愛された。
 
マルコ・シモンチェッリ

今年のイタリアGPとサンマリノGPでは行く先々で多くのファンに囲まれ、確実にスーパースターへの階段を上っていることを窺わせた。メディア露出も多く、車を運転しているときにラジオのCMでいきなり彼の声が飛び出してきたこともある。ホンダの彼に寄せる期待も高く、来シーズンも現在のチームからホンダファクトリーマシンで参戦することが決定していた。転倒の多さは悩みの種だったようだが、転ぶたびに速さを身につけていくのも確かで、かつては荒っぽかったバトルも緩急を見極めた戦い方へと成長しつつあった。来シーズンは、ストーナー、ペドロサ、ロレンソ、ロッシ、の<四強>の一角を崩す勢いで彼らに迫っていくであろうことはおそらく間違いなさそうに思えた。

それほどの選手を、我々は一瞬のうちに喪った。

マルコ・シモンチェッリ

マルコ・シモンチェッリは、二輪ロードレース界の大きな期待をその大きな体格でがっしりと受け止め、特にイタリア人関係者とは濃密な関係を長年にわたって築き上げてきた。家族やチームスタッフ、そして仲間や友人たちの心痛はいかばかりかと考えると、それがなおさら外部からは辛く見える。

悲嘆にくれる感情は、関係者や家族、そしてイタリアの友人たちのためのものだろう。今は、彼らの哀しみを遠くから見守らせてもらいたいと思う。

そして、レースは続いてゆく。来週も、来年も。



■第17戦 マレーシアGP

10月23日決勝
セパン・サーキット 晴れ
●MotoGPクラス 中止


※小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した西村 章さんの「最後の王者 MotoGPライダー 青山博一の軌跡」(小学館 1680円)好評発売中。西村さんへの発刊記念インタビューも掲載中。

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