日本GPが開催されたツインリンクもてぎにて、ヤマハの世界GP参戦50周年を記念し、往年のヤマハWGPレーサーのメモリアルランが行なわれた。
その概要はMBニュースでもすでにお伝えしたので、今回はレースカメラマン・クスドーの写真と、現場からのレポートでご紹介。
往年の名レーサーがもてぎに
本サイトでも即報済みのヤマハの世界GP参戦50周年を記念して行われた大好評のメモリアルラン。
まずはGPウィークの金曜日に練習走行が行われました。
なかなかまとまらないオヤジ(笑・真矢さんは、まだ早いね)たちを集めて、綿密な打ち合わせと本コースでのマシンチェックが行なわれました。
ツナギに着替え、わらわらと集まってきた往年の名ライダーのみなさんは、危なげなくそれぞれコースインしてマシンをチェック。
ただし、老眼にはちょっときつい薄暗い中での走行だったようです。
こうして肩慣らしとマシンフィーリングをチェックして、日曜日の晴れ舞台に備えたのです。
シャケさん(河崎裕之さん)、あのころはライダーが一番もてはやされた時代です。
歩き方が昔のままのガニマタで、本人コスプレでツナギは当時のもの。新品に見えるブーツは、現役当時のデザイン。わざわざ新調したのでしょうか!?
マシンのタンクをスリスリして「どう? いいだろ? このカーブが」と自慢げでした。
まだまだ現役といわんばかりに走行を楽しんでいました。
シャケさんがライドしたマシンは1985年YZR500。
レース黎明期、レーサーが一番凶暴? だったころ走っていた本橋明泰さん。
1974年のアゴスチーニのマシンを走らせてくれました。
当時と体形が全く変わらずに素敵なオジサマになられて、他のライダーのみなさんからもカッコいい! の声が。
本橋さんがライドしたマシンは1974年YZR500。
ノリック(故・阿部典史さん)のパパ、通称ノリパパ(阿部光雄さん)は、ノリックの500ccのマシン。なんとここに来るちょっと前にヤマハのテストコースで練習をしたばかり。
メカの吉村さんから「GPレーサーのサスペンションは固いからやわらかくしよう」と提案されたのですが「いや、このままで」と。ノリパパはほぼノリックが乗ったままの仕様で走行しました。
よく考えたら現役オートレーサーのノリパパは普段使っているオートレーサーもリジッドサスだからでしょうか?
しかも一万回転は軽く回してたようです、さすが現役、いや、さすがノリックのパパです。
そんなノリパパ、マシンのフロントカウルにノリックの写真を貼り付けて、一緒にサーキットラン。
なんとなく似ているライディングフォーム、ホントにノリックが一緒に走っているようでした。
ちなみにツナギもノリックの本物で走ったんですよ。
ノリパパはノリックと共にノリックの1995年YZR500で。
本誌編集王こと中野真矢さんは、当時のツナギが入らず? 新たに仕立てなおした250 cc時代のチェスターフィールド。
このマシンをみると思い出すのが、オリビエ・ジャックと最後までシリーズチャンピオンを争って負けたこと。
本人複雑~な心境だったでしょうけど、国内でチャンピオンを獲って世界に羽ばたいていく輝かしい時でした。
ん? というか、ついこないだのことなのに、もうメモリアルランの仲間入り(オジサン化!?)してしまうというのが軽いショック……
編集王と2000年YZR250。まだ記憶に新しいと思っても、もう10年前。
というように、それぞれマシンに強い思い入れのあるみなさまなのですが、さすが現役のころみたいには飛ばせないので「もうちょっといい音させたいなぁ」「薄くして!」 と、当時のマシンの魅力を観客に伝えるため、いろいろ注文をつけたようです。古きよきおじさん達は、つかのま少年にもどったようにキラキラ輝いていました。
また、この走行のためにマシンをメンテナンスしたメカニックさんも、当時開発やレースに関わっていた方も。
アゴスチーニ号を担当した千明さんは、現在レーシングマシンのレストア作業に携わっており、本橋さんが走行するたびにマシンのチェックに余念がありませんでした。
往年のビッグ2ストロークマシンが一斉にエンジンをかけると、サウンドと独特のにおいが立ちこめて、たった4台(5台)でも、ちょっと昔のレースにもどったようでした。
実は、決勝日のメモリアルランでは、平忠彦さんも走る予定だったのですが金曜日の練習でクラッシュ。ヘリで病院に運ばれるというアクシデントがありました。
幸い事なきを得たようで、ほっと一安心。
チャンピオンマシンの平さん、見たかったですね。ちょっと残念でした。