11月15日──残念ながらプレランもレースへの参加も見合わせることに決めた戸井さん。ならばこの日はプレランをキャンセルし、きちんと大きな病院で診てもらった方が良いというのがチームの判断だった。
だが、氷嚢で肩、腕をアイシングしながら戸井さんは言った。
「今の段階で大きな町の大きな病院に行っても包帯を巻き直すぐらいしかできないよ。それだったらプレラン続けようよ。エンセナダに戻って病院を探せばいいし。オレは 出られないけど、3人でレースを走ってくれ!」
戸井さんの癌復帰のチャレンジとして選んだバハ1000。2台のKTM 350 XCF-Wでエントリーし、戸井さんをサポートしながらゴールを目指す、という作戦だった。走る道具をすかっり仕舞い込んだ僕達はもう一度ヘルメットを出し、ウエアに着替えた。
正直に告白すればこの瞬間、「走るぞ、レース出るぞ、サポートするぞ」という自分の中の空気はしぼんでいた、と言った方が正しい。どことなくつかみ所のない感覚だった。
2台を3人に回すのは難しい。ならば1台3名で参加する、という方向に作戦を切り替え、改めて自分達の中でバハ1000を再構築することにした。
誰がスタート、誰がゴール、という細かいことは置いておいたとしても、僕は今日のプレランを走るんだ、ということに集中した。
先日切り上げたトレス・ポソスから先、バジェ・デ・トリニダットという村までの81マイルほどをプレラン。相変わらずウォッシュボードの連続だ。スタンディングしてタイミングよくフロントを浮かし、次のギャップをきっかけにもう一度浮かせる。
4速、5速でガンガン走るのが一番効率いい。でも、走っていると太腿の筋肉が疲労してくる。少しでも速度を落とすと、タイミングが外れて波に揺られる小舟状態だ。変にジャンプしてしまっても着地すると速度が落ちるから同じようになる。ホント疲れる。距離にすれば東京から小田原ぐらいまで、それが延々と続く。
時々停まって背中に背負ったキャメルバッグから水を飲む。ヘルメットの中でドドドドドドドッ、という早撃ちする心臓音が聞こえてくる。
後半のコースは、ウォッシュボードから切り立った渓谷を縫うルートに入った。2本の狭い轍が続くルートだ。岩に砂をまぶしたようなワインディングで、快調なのに時々大きな岩が顔を出し、バイクを空中に飛ばそうとする。
その後、3号線を短い距離走ったかと思うと、今度は黄色い硬い砂の道に入り込んだ。なんて快適なんだ。6速全開。20マイルはそんな道だった。時折ブラインドの先に現れる急カーブや、岩盤そのものが剥き出しになった路面があって、ドキっとするほどフロントが流れたりもしたが、バジェ・デ・トリニダットに無事到着。村外れの丘をなめるようにして越えていくルートの手前でサポートと合流する。
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