誕生して33年、初期型最新型でそっくりエンジン載せ換えができるという驚愕の事実!!

スーパーカブ開発ヒストリー

●撮影─富樫秀明


誕生時、世界を驚かせたスーパーカブは、33年経た今も世界中から愛され、走り続けている。しかもその基本設計は何も変わらず、それでいて新技術が投入されている。その陰には本田宗一郎の理念とそれを支え続ける技術者がいる。

※この記事はミスター・バイクBG1991年10月号の特集記事を再構成したものです。文中の肩書き等は掲載当時のものです。


72時間の飛行の末、確固たる理念発生。

入社したての恩田隆雅はスーパーカブ試作車を見て驚いた。当時('57年)は自転車バイク、そして2サイクルが主流で、このC100のように50ccで3段ギア付き、しかも一体化されたスタイルを持つ車種は類を見なかった。入社前から独自で50ccのシャフトドライブを作っていた彼だが、この高性能で全く異質なバイクには驚きを隠せなかった。

「カブ自体も驚きですが、当時、その馬力(4.5馬力、他の2サイクルの平均出力は3馬力以下)を量産で流すことに感動しましたね」  

恩田隆雅(本田技術研究所・朝霞研究所 主任研究員)
恩田隆雅(本田技術研究所・朝霞研究所 主任研究員)。“バイクのエンジンをやるために”ホンダに入社。●撮影─富樫秀明

その頃、他の二輪メーカーは約60社ほどあったが、一様にコスト面から2サイクルが主流。しかし、燃費が悪く、匂いが出て、音もうるさい。それらを嫌って、本田宗一郎は4サイクルに挑んだ。当然、構造、工程は複雑になり部品点数も増える。しかし、発売4年も前に4億5千万円もする工作機械を購入。そのため高精度エンジンが低いコストで生産できたのだ。

また当初から“TV1台分、自転車2台分の価格で作れ”という本田の指令があり、恩田は無論、会社全員で生産面を見直し、改善した。そして、発売、爆発的売れ行き……。

「'56年暮れに顧問(本田宗一郎)と藤澤氏がヨーロッパへ行く飛行機の中で考えたってのは有名な話ですが、とにかく最初の思想がしっかりしてました。実用的で安い。運転が楽。小型で強力なエンジン。具体的に言うと、エンジンは4サイクル。クッションは道路事情に合わせて両方。チェーンはフルカバー等です。それは、排ガス騒音規制、Easy Driveにも通じる。現在にだってその理念は通じるんです」

カブは周知の通り、発売されて33年、基本設計は全くと言っていいほど変わっていない。しかし、エンジン面では、OHV → OHC('66年)、省エネ型エンジン('81年)、また騒音規制&DX化('70年)といった大きな変更があり、その転換期すべてに恩田はかかわってきた。

さて、出力、耐久性、整備性からいってもOHC化は時代の要求だった。しかし、ただ単にOHC化するだけでは本田宗一郎は許さない。次々と提出される設計図を彼はすべて却下した。そして、最後に恩田の案が採用された。

その設計は、OHCのメカニズムを持ちながらもOHVエンジンと全く同じマウント位置を持ち、ユーザーが望むならばそっくりエンジンが載せ替えられるようになっていた。「変えるな」──それが本田の意志だった.

上がOHC、下がOHVの設計図
上がOHC、下がOHVの設計図。コピーの狂いのため多少ズレているが、ピッタリと各シャフト位置が合う。

飛んでくる部品をかわして説得。

また、本田はチェーンを一種のダンパーとしても考えていて、ギアだと発生する音やショックも抑えられると思い、クランクシャフトからの出力の取り出しにチェーンを使おうとした。しかし、当時の技術ではチェーンが耐えられない。そこで恩田は一計を案じ、表向きは本田の意向通りチェーンで開発を進め、本命のギアでの開発はこっそり行った。

「昔から顧問は、朝来るとすぐに現場を見て歩くんです。で、完成部品を見て『これは何だ、お前はウソをついたな』って怒りましてね。その上、有名ですが、物を投げる名人です。これはうまくかわさないと怪我しますからね(笑)」

飛んで来る部品をよけつつ、恩田はこれこれこうでと説明した。するとさすがは本田宗一郎。理論が正しければ納得する。結局恩田の案が通り、そのメカニズムは現代のカブと全く変わらない。

「最初のC100の時も上司がよく怒られていましたね。遠くで見ていると大きな声が聞こえてくる。『あちゃ、またやられてるな』ってね。でも技術屋ですから、気に入るととっても喜ぶんです。また怒っても次の日には『よう、どうだ』って気軽に挨拶してくれる。それも嬉しくて、会社が一丸となっている気がしましたよ」

余談だが、恩田はベンリィ(CS90)の開発にも携わり、カブのOHC化の際には「ベンリィの半分」と考えて設計したという。


出来る出来ないの議論の前にやってみる。

'81年に85km/Lから105km/Lと大幅な燃費向上を遂げたカブだが、さらに150km/L → 180km/Lと1年毎に飛躍的進歩を遂げた。しかも'83年には最高速度60km/h規制に適合させるために出力を下げながらも燃費はそのままという偉業も成し遂げている。そして、カブの理念である「変えない」=互換性も持たせてある(クランクASSYだけでなく、形が変わりながらもピストンも交換可能)。これは凄い!

「効果的な燃費効率、フリクションの軽減、各部の軽量コンパクト化、色々やりました。時代時代の新技術を投入すれば出来るんです。全くの新車を作るのと違って制約はあるし、派手さはない。が、逆に制約があるから、アレコレ考える、ベストを尽くす。煮詰めて煮詰めきった物だから『これが最高(ベスト)』と言える商品が出来上がるんです。まあ、たまには“制約無し(フリー)”でやってみたいですけどね(笑)」

若い技術者は「変えない」という壁を越えられず、「できないから変えます」と言ってすぐに新設計を提出するそう。そこで恩田は「こうしろ」とアドバイスする。するとハタと気づき「あ、出来ますね」と。

「『どうやって考えるんですか?』ってよく聞かれます。そんな時『絶対に出来ると思うしかない』と言う。どんなに押さえつけられても絶対に何かあるはず。新しい生産技術、素材がどんどん出て来ているのだから」

変わらないカブ、変えないための技術者の努力。誕生33年経ても世界中で愛され続けている一因がここにある。そして、現在のカブも恩田にとっては発展途上でしかない。

「未来のカブは、アクセルとブレーキしかない物にしたいですね。スクーターじゃない。クラッチと同感覚の、アクセルに忠実なAT車。ほぼメドはついているんですよ。勿論、互換性ありますよ!」

  将来は車輪のないバイクを作りたいと言う。

「夢を大切にしたい。それを実現するのが技術者じゃないかって」

(文中、敬称略)

昔は自分の作ったカブを買い込んでいた

ブレーキがついていない試作車に乗って守衛所に飛び込んだこともあるそう。昔は自分の作ったカブを買い込んでいた。
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