鈴鹿8耐ファンの前で拓磨が走った 「タクマ〜」「タクマ〜!」観客席にいる誰もが涙した

延べ10万9000人が来場した2019年の第42回鈴鹿8時間耐久ロードレース大会。波乱の展開となったこの鈴鹿8耐に、22年ぶりに青木三兄弟が帰ってきた。そのオープニングイベントで、車いす生活を余儀なくされている青木兄弟の次男、青木拓磨がその走行を披露したのだ。

●取材・文・撮影:青山義明

「夢と希望を持ち続けること。チャレンジをする勇気を持ってほしい!」というメッセージ

 テスト中の事故で半身不随となった元GPレーサー青木拓磨選手が、22年振りにバイクで走行する“Takuma Rides Again”プロジェクトと題したイベントが、鈴鹿8時間ロードレース大会第42回大会(鈴鹿8耐)が開催された鈴鹿サーキットで行われた。

 青木拓磨といえば、1995~96年に全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスを2連覇し、1997年にはホンダNSR500Vを駆りロードレース世界選手権(WGP)に挑戦。デビューイヤーでランキング5位を獲得し、翌年もWGPを戦う予定だったが、そのシーズン前のテスト中にクラッシュ。脊髄を損傷して下半身不随となってしまう。

 しかし、その後は車いすレーサーとして四輪レースに転向し、様々なカテゴリーのレースに参戦。2020年にはル・マン24時間レースへ参戦するべく、現在も積極的に活動を展開している。また、レースには出場しないものの、二輪の耐久レースである「レン耐」(レンタルバイクで気軽に参戦できるレース)を主催するなど二輪の活動も展開している。



トークショー


トークショー
終日天候が回復せず、鈴鹿4時間耐久は赤旗中断。そのほかの走行もすべてキャンセルとなった7月27日(土)、拓磨の前夜祭のCBRでの走行もキャンセルとなったが、青木三兄弟のトークショーは場内各所で開催された。午後5時30分からグランドスタンド裏に設けられたブリヂストン・ステージで行われたトークショーでは宮城光さんが司会を務め、ブリヂストンの山田宏さんも登場した。雨を避け、傘をささなくてもトークショーが楽しめるよう、トークショーを開催するのは本来のステージからテント下に急きょ移動。満員のお客さんでにぎわった。
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青木三兄弟のトークショー


青木三兄弟のトークショー
グランドスタンド裏のメインステージとなるコカ・コーラ・ステージでも午後6時から、青木三兄弟のトークショーを開催。今回の顛末を三人で披露した。このトークショーが始まるころには雨も上がり、さらに翌日の8耐決勝の好天が予感できる夕焼けが広がった。


前夜祭のグランドスタンド前ステージでのトークショー


前夜祭のグランドスタンド前ステージでのトークショー

前夜祭のグランドスタンド前ステージでのトークショー

前夜祭のグランドスタンド前ステージでのトークショー

前夜祭のグランドスタンド前ステージでのトークショー
前夜祭のグランドスタンド前ステージでのトークショーには、仲の良い藤原克昭、武田雄一らも駆けつけた。藤原選手は、ツナギをきた拓磨選手を見た時点で涙が止まらなかった、とも。青木兄弟ももちろん涙、涙の一日だった。

 青木拓磨が鈴鹿8耐に参戦したのは、事故の前年の1997年のこと。ウルトラマンレーシングから兄・宣篤とペアを組んで参戦した。そこから22年、再びこの鈴鹿8耐に戻ってきた。 今回の“Takuma Rides Again”プロジェクトは、弟・治親が発案し、宣篤とともに「もう一度 拓磨をレーシングバイクに乗せたい」という想いからスタートしたもの。8耐に出場するマシンのベースモデルとなるホンダCBR1000RR SP2を拓磨が駆り、鈴鹿サーキットの本コースを走るのだ。

 その走行を前に開催されたトークショーでは、プロジェクトの経緯を説明。事の発端は、弟の治親選手が、障がい者であってもバイクに乗りレースをしているという人たちがいることを知り、企画書を作ったこと。そのよう治親選手の行動に兄の宣篤選手が驚いた話などが語られた。

 拓磨は「障がいを負った人はもちろん、そして障がいのない人でも、あきらめなければ必ず夢は叶うし、支えてくれる人がいれば何でも実現が可能だって改めて思うんです。このプロジェクトは、バイクに乗ることが最終目標じゃなくて、チャレンジをするってことを改めて皆さんに認識してもらいたいというところを目標でやっています。青木拓磨がバイクに乗れるなら、俺だって何かできるじゃんって思いを持ってくれたら、このプロジェクトは成功だって思っています」と今回のプロジェクトの趣旨を説明。今回の拓磨の走行によってより多くの人を勇気づけられたらという思いも語られた。



ペガサス入りのオリジナルTシャツ


CBR1000RR SP2
三兄弟が着ていたのは、今回のサイドスタンドプロジェクトのためにデザインされたペガサス入りのオリジナルTシャツ。モートピア内ショッピングストリートにあるレーシング・ゾーンで販売され、ネットでも販売された。
このプロジェクトに賛同したホンダ、ブリヂストン、合志技研工業(GOSHI)、昭和電機グループ(SDG)、ピーアップ(テルル)といった企業のステッカーが貼られたCBR1000RR SP2。そのゼッケンはもちろん「24」!


CBR1000RR SP2


CBR1000RR SP2
ステップのビンディングに足を固定。ボディ左側のシフトレバー近くにはフランス製のハンドチェンジユニットを装着し、ハンドルの左側にはシフトアップ&ダウンのスイッチを装着してある。

 当初は決勝前日となる7月27日(土)の前夜祭での走行も予定されていたが、東海地方を襲った台風6号の影響で鈴鹿周辺の雨はいつまでも降り続いたためキャンセルとなってしまった。

 しかし鈴鹿8耐の決勝日となる7月28日(日)、ウォームアップ・セッション後のオープニングセレモニーは快晴の真夏の日差しの下で行われた。ホームストレートに登場した青木三兄弟、「(拓磨が)鈴鹿に帰ってきたよ~」というMCの言葉に、グランドスタンドはもちろん、ピットウォーク中のピットロード側からも盛大な拍手が沸き起こる。

 そしてこの多くのファンが三兄弟の様子を見守った。兄弟に抱えられてバイクにまたがった拓磨の姿に場内からは多くの拍手が沸き起こり、拓磨はタンクに顔を伏せて涙を流す。もちろん、その様子はファンの涙も誘い、場内全体が非常に暖かな雰囲気に包まれた。

 エンジンに火が入り、ゼッケン24をつけたCBR1000RR SP2が走り出すと、場内全体が拍手でこれを送り出し、それに応えるように拓磨はスタンドに手を振りながら走り始める。すべての観客スタンドはもちろん、フラッグポストからも拍手を受けながら、鈴鹿のフルコースを2周半走行した。ピットロードに戻ってきた拓磨は多くのファンに取り囲まれ、身動きが取れないほどだった。



拓磨


拓磨


拓磨のヘルメット


2020年のル・マン24時間レース(フランス)だ
ペガサスを描いた拓磨のヘルメットは、この週に出来上がったばかり。現在使用できるヘルメットは四輪用のものしか持っておらす、この企画のために急遽仕立てた二輪用のヘルメットだ。アルパインスターの革つなぎ、そしてその首元には、二輪現役時代に拓磨が常に付けていた赤いバンダナ。 夢と希望を持ち続けること。チャレンジをする勇気を持ってほしい! というメッセージを込めた今回のチャレンジ。拓磨選手の次のチャレンジは、2020年のル・マン24時間レース(フランス)だ。

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