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伯方島の看板が見えてきた。ひとまず到着だ。ゲートをくぐり、軽トラを道の駅に乗り入れた。
ここからがエイプの出番となる。3回ほどに分けて見近島に荷物を運び入れる。時刻は4時少し前。
今回は前日の島入りで本祭は翌日ということになる。この日は独りのんびりと本でも読みながら秋の夜長を楽しむつもりだった。しかし・・・・オレの予定が予定通りいった事などありゃしない。
橋から島に下りていくと管理棟横の東屋にちらっとテントが見えた。今年も先客か。まぁまた巻き込んでしまうことになっちゃうのかね。そんなことが頭を過ぎったが直後、その必要はないという事がわかる。
島のキャンプサイトに乗り入れると停まっているカブの横にたたずんでる人物が一人。福山のタオ君だ。昨年、このショットガンで集会デビューし今年は色んなところで何度か顔を合わせた。そして今年もちょっとフライング気味ではあるが来てくれたようだ。独りキャンプの目論みは潰えたが誰かとサシで語るのもよかろう。だが、それもまた違った形に変化していくこととなる。
軽く呑みながら食事を終えた頃、名古屋のシンちゃんから電話が来た。
「明日行くつもりだったんですけど用事ができて行けなくなりました。すいません」と。さらに彼はこう続けた。
「で、さっき見たら家のスクーターがなくなってたんで、たぶん自分の親父がそっちに向かってると思われます。もし行ったら相手してやってください」と。
どんなゲストでも歓迎するが訊くとシンパパは65歳なのだという。名古屋からここまで距離にして500キロ超。65歳のオヤジがスクーターで走ると考えるとちょっと無理があるような気がするがおそらくどこかで宿でもとってのんびり走ってくるのだろう。もし来たならその年齢に似合わぬ行動力を称えてみんなで手厚くもてなそう。
その後、オレはタオ君とどっぷり話し込んでいた。気がつくと時刻は深夜の3時を回ろうとしていた。明日の事もあるんでそろそろ寝るかと思っていた時、一台のスクーターが入ってきた。最初、地元の釣り客だろうと思っていたのだがそのスクーターはオレ達の前までやってきて「主催の方は?」と。まさか・・・
数時間前のシンちゃんからの電話が記憶に蘇る。そう、そのまさかである。名古屋のシンパパ、名古屋~しまなみ間、一気走りでの来島。
いやいや、それにしても・・・なにゆえそんなオレ達みたいなバカな真似をしなさる。
訊くと道中、テントを張れそうな場所を見つけることができなくてそのまま来てしまったんだとか。同類だ。どうやらシンパパにはビジホや民宿などの宿をとるという選択肢はないらしい。
なるほど、シンちゃんのあのバカっぷりはこの親父からの遺伝というわけか。これにより終りを迎えたと思われた前夜祭は一時間ほどの延長を余儀なくされた。
本祭当日の朝、4時間ほどしか寝れていないにもかかわらず割合に気分良く目覚めた。普段の生活に必要な睡眠時間とその日常から離れた場所での必要睡眠時間はイコールではない。オレはタオ君に協力してもらい焚き火用の薪を用意したりと準備を始めた。
しばらくして起きてきたシンパパはしまなみをツーリングしてくると言って出て行った。まったく元気な65歳だ。
さて、毎年、何かしら予想外な出来事に驚かされているこのショットガンだが今年も何か意外な展開があるんだろうか。まぁこの時点ですでにタオ君とシンパパの存在は予想外ではあるんだがね。
昼を過ぎたあたりから続々と参加者が来島してきた。いつもはビッグバイクでの過激な走りを身上としているやつ等が遊び心満載なミニバイクを走らせてやってくる姿はまったくもって愉快で退屈しない。ミニバイクはビッグバイクではあり得ないほど乗り手の存在感を引き出してくれる。
始めたばかりの頃は中四国の近場なやつ等ばかりでジミにやっていたのだが近年では九州、大阪、名古屋あたりのバイク乗りが当たり前のようにやってくる。主催者がこんな事を言ってはいけないのだろうが・・・・まったく、バカじゃねぇのか!?
誤解しないでもらいたい。これは自分自身がその距離を走る事の大変さを知るがゆえの最大の敬意を込めての感想だ。
日が落ち、あたりが暗くなる頃、島のキャンプサイトはカラフルなテントで埋め尽くされバイク乗り一色に染まった。
宴のスタートなんてものは曖昧だ。気がつきゃみんな酒を片手に盛り上がっている。
それでも一応、区切りをつけるため全員で乾杯。酒の差し入れ多数、そして地元の矢野氏から恒例の鯛めしと大量のサザエの差し入れ。本当にありがたい。シンパパも瀬戸内の海の幸に舌鼓を打ち、この輪の中でご満悦だ。
そして宴がピークを迎えた8時、ショットガンのスタート。このテキーラベースの爆弾カクテルをそれぞれが飲み干し自己紹介していく。
ショットガンが一段落した頃、一台のバイクが入ってきた。昨年、日本一周中にたまたまこの島に居合わせてこの宴に巻き込まれたユウスケ君だ。一年前のこの宴に半ば強引に引き込んだ彼が今年も来てくれたというのはオレにとってとてつもなく嬉しいサプライズだった。しかも彼は神奈川県川崎市在住。今回、最遠方からの参加者となった。
そこからは何の制限もない。それぞれが酒を片手に色んな相手と色んな言葉を交わす。ここはオレ達以外誰も邪魔する者のいない無人島。参加者達は深夜遅く眠気、体力の限界までハシャギまくった。
翌日、昨夜から降り始めた雨は降り続いている、そんな中、参加者達はそれぞれの場所へ帰っていく。
そのほとんどが島をあとにした頃、雨はどしゃ降りの様相を呈してきた。まだ残っているシンパパはここにもう一泊して天気の回復を待ち、明日ゆっくり帰るつもりだと言う。そして最後まで片づけを手伝ってくれた地元の矢野氏。毎年、本当に世話になりっぱなしで感謝しきれない。
その二人を残し、オレは島をあとにした。今年もオレの祭りは終わった。そして、それは来年へと続く・・・たぶん。
PS・・・この3日後、相当にへたれていたエイプの前後の足回りをオーバーホール。ハッキリ言って走りは激変します。一年に一度くらいは手入れしてやらんとね、ちなみにわたくし、4年間やってませんでした。
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