2018年5月8日

復活のHRC

■レポート:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

今シーズンの国内レース界で最大の話題は、ホンダワークスが10年振りに復帰したことだろう。
『TeamHRC』として戦いの場に臨んだJSB1000の第1戦もてぎ(4月7日~8日)、そして第2戦鈴鹿(4月21日~22日)が終わった。
この時点で、『TeamHRC』の勝利は、まだない。ライダーである高橋 巧、そして監督である宇川徹の戦いを振り返ってみよう。

 全日本ロードレース選手権の開幕戦が栃木県ツインリンクもてぎで、そして第2戦は三重県鈴鹿サーキットで2&4として開催されました。
 なんと言っても最大のトピックは、ホンダワークスが10年振りに復帰し、『TeamHRC』として最高峰JSB1000クラスに参戦したことです。
 開幕戦は2レース開催ということもあり、木曜日から特別スポーツ走行が行われ、その日の走行終了後のコース上で『TeamHRC』の撮影が行われました。真新しいウェアに身を包み、エースライダー・高橋 巧を囲み、精鋭スタッフ17名が勢ぞろい。いよいよ、ホンダワークスの戦いが始まるのだと武者震いの時でもありました。
 

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27名のライダーで争われるJSB1000の熱い戦いが始まった。


 
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10年振りワークスチームの復活。HRCの威信をかける17名のチームスタッフと、ライダー・高橋 巧。


 
 世界中にファンを持つ、技術者であり実業家でもある故・本田宗一郎氏(1906~1991)が創業したホンダは、イギリスのマン島TTレースや四輪のF1への挑戦でも知られ、今も世界のモータースポーツを牽引しています。
 二輪ではレースを主体とする株式会社ホンダレーシング(HRC)が1982年9月に設立され、1983年から本格的にロードレース世界選手権(WGP)、全日本ロードレース選手権へとワークスチームの参戦が開始されました。その後、WGP参戦は続いていましたが、全日本ロードレースは、1993年のワークス撤退を受けチームが消滅。1997年~1998年と2007年~2008年に復帰しますが再び休止、そして今季10年振りの復活となったのです。
 3年前に「ヤマハファクトリーチーム」が復活して、全日本タイトル獲得、鈴鹿8時間耐久3連覇を成し遂げました。こういったヤマハの好調もあり、いつホンダは重い腰を上げるのだろうと、ホンダファンはヤキモキしており、やっとの想いが強く、ワークス復活は熱烈歓迎といったムードで迎えられました。
 
 監督に就任した宇川徹氏は、「憎らしいくらいに強いホンダの復活」をミッションとして全日本の戦いに挑みます。
 宇川監督は、1992年の全日本昇格と同時にホンダワークスに迎えられた逸材で、93年94年と全日本GP250でチャンピオンに輝き、96年からWGP参戦を開始。故・加藤大治郎や中野真矢らと戦い一時代を築きました。02年には世界最高峰MotoGPで戦い、日本人初となる優勝を飾っています。それも、あのバレンティーノ・ロッシを抑えての勝利でした。鈴鹿8時間耐久では最多となる5勝を挙げ、その記録は、未だ破られていません。06年にトップライダーからホンダ社員に転身、2年前からHRC勤務となり、マシン開発や若手育成に関わり、今回の就任となりました。
 ホンダが育てた伊藤真一、岡田忠之らの流れを汲む生粋のホンダライダーであり、ホンダで育ち、ホンダで夢を叶えたライダーでもあります。
 
「自分はホンダワークスに入ることが目標で、そこを目指して走っていた。ワークスチームが復活し、若いライダーたちが、目標を持つことが出来るようになれたら、大きな意味がある」
 宇川監督は、こう語りました。

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 昨年から、自身が現役時代にホンダ主催で行っていたトレーニングを復活させ、ホンダの若手ライダーを召集。プロのトレーナーの元で、筋力や持久力などを数値化して、ライダーとして必要な力を鍛えるプロジェクトを始めました。
 年に2~3回くらい、2~3日の合宿で若手ライダーたちは切磋琢磨しながら、自らの身体と向き合いアスリートとしての自分を鍛えるのです。その合宿に高橋も3月に初参加、そこで、左手を痛めてしまいました。なので、開幕戦の事前テストには参加することが出来ませんでした。それでも、オフに2度行ったマレーシア、セパンでのテストの結果が上々だったこともあり、チームの雰囲気は、意外と明るいものでした。
 
 高橋は、バイク好きの父親の影響で3歳からポケバイに乗り始め、ダートレーストレーニングにアメリカに出かけるなど、レース一筋に歩んできたライダーです。全日本に昇格して08年GP250クラスで18歳の若さでチャンピオンに輝きました。ワークス全盛の時なら、間違いなくワークスライダーの引き合いがあったと思われる才能の輝きでした。ワイルドカード参戦したWGPでもポイントを獲得する走りから、海外チームからの誘いもあり、関係者は、これからのレース界を担う若手と注目していました。09年にJSB1000に昇格し、10年には名門ハルクプロのエースライダーとしてトップライダーへと駆け上がります。
 
 また、08年に初参戦となる鈴鹿8耐で3位表彰台に登り、09年も3位、10年には優勝と、表彰台率100%の強運でも知られ、これまで3度の勝利を数えています。しかし、全日本のタイトルには届かず無冠。
 そして昨年、ホンダが9年振りにマシンをリニューアル、戦闘力がアップしたことでタイトル獲得。今季はゼッケン1を付けて走り出しました。

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 宇川監督は「高橋の才能は、まだまだ未知数」と大きな期待を寄せています。高橋も「プライベートチームでは、なかなか叶わなかったが、ワークスチームでは、マシンへの要望への対処も早く、対策が出来ることが強み。多くのスタッフが自分のために動いてくれていることは嬉しいことで、その反面、責任も感じている」と身を引き締めての開幕戦でした。
 
 自分の中に未だ眠る才能が、宇川監督やチームスタッフのサポートで引き出せるのなら、ライダーとしてこんなに嬉しい環境はないでしょう。ずっと、胸の奥にしまってきた世界への想いが大きく膨らんでいます。
 高橋は無口で実直なライダーですが「皆が自分を世界へと思って貰えるような結果を残せたら、その願いを伝えるのだ」と決めています。
 昨年は2連勝を飾り、ランキングトップだったご褒美にワールドスーパーバイクにスポット参戦し、大きな刺激を受けて帰国しています。ライダーは、目標が出来ると速さが増すのです。高橋も、プレイベートチームにいたこれまでとは違い、夢が近くなったことで、新たな自分と向き合っているような気がします。
 
 開幕戦は『TeamHRC』にとって、スタッフが勢ぞろいしての初陣。存在感はどのチームにも負けていないもので、多くのファンが、一挙一動に注目していました。
 土曜日のレース1、まだ左手のケガが癒えていない高橋は確実な走りで「最低限の仕事が出来た」と2位に入ります。日曜日のレース2でも好スタートを切るのですが、後続車に激しくぶつけられたことでサイレンサーが落ちてしまうという珍事で、急遽ピットイン。高橋のツナギにはタイヤ痕がくっきりとついており、その衝撃の大きさを物語っていました。マシンを修復してコース復帰しますが、周回遅れとなり完走がやっとでした。
 最高の船出とはなりませんでしたが『TeamHRC』は確かに動き出しました。スタッフの誰もが「戦いはこれから」だと胸に刻んだのです。

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 このクラスで7度もタイトルを獲得し、開幕戦でダブルウィンを飾った『ヤマハファクトリーチーム』の王者中須賀克行との対決となる、第2戦鈴鹿が行われました。
 レース1は混戦の戦いとなり高橋は2位、レース2は「混戦ではなく、中須賀さんと一騎打ちに持ち込みたい」と、高橋は好スタートでホールショットを奪うと独走、それを中須賀が追い、高橋の願い通りの展開となりました。高橋は首位を守り周回を重ねますが、中須賀が2コーナーのインを突いて前へ。しかし、3コーナーでは高橋が抜き返し、ヘアピンで中須賀が仕掛け、バックストレートで高橋が前に出るとデットヒートが続きました。そして、スプーンカーブで前に出た中須賀がスパートして優勝。高橋は無念の2位となりました。
 中須賀は「苦しい戦いだった」と振り返りました。これまで、こんなふうに中須賀が追い詰められるシーンは、あまり見ることはありませんでした。負けてしまったけど高橋の「悔しい」という言葉は、どこか清々しいものでした。
 宇川監督は「中須賀も速くなっている。でも、その伸びで言ったら高橋の方が上だ」と語りました。王者中須賀を倒さなければ「強いホンダ復活」とはなりません。高橋の進化と『TeamHRC』の戦いは、これからも続きます。

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ヤマハの中須賀克之もまた、昨年の雪辱を果たすべく戦う。加えてスズキ、カワサキのトップライダーも虎視眈々とチャンピオンを狙っている。HRCと高橋の、本当の復活は、その先にある。