2018年10月8日

チーム高武から、 夢を掴む。

■文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

 
九州・熊本を拠点とするチーム高武。これまで宇川徹、柳川明、加藤大治郎、玉田誠、中冨伸一、清成龍一などの錚々たるライダーを輩出してきた名門チームである。ここで修行し実力を付け、世界に羽ばたいた先輩ライダーと同じように、ふたりの若いライダーもまた夢を掴もうとしている。「1番になる」というシンプルな願いを胸に──。

 
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 全日本ロードレース選手権は今シーズン、最高峰クラスのJSB1000、そしてJ-GP2、J-GP3、ST600の4クラスが開催されている。この戦いも残り1戦となり4クラスのタイトル争いも佳境だ(第8戦岡山国際サーキットは中止となった)。
 J-GP2のランキングトップ岩戸亮介(21歳・ホンダ)はチーム高武所属、チームメイトは同クラス参戦でランキング3位の作本輝介(22歳・ホンダ)。今季、鈴鹿8時間耐久に揃って参加、トップ10トライアル進出、決勝でトップライダーに食らいつく走りで注目を集める期待の若手ライダーだ。全日本ロード第7戦オートポリスでは、福岡出身の岩戸が勝ち、2位に名越哲平(21歳・ホンダ)、3位に鹿児島出身の作本が入り、最終ラップの最終コーナーまで続く大バトルで観客を魅了した。
 

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チーム高武の#4岩戸亮介、#16作本輝介、そしてハルクプロの#634名越哲平のバトルは最終ラップの最終コーナーまで続いた。トップと3位のタイム差は0.232秒だった。


 
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優勝した岩戸と3位の作本に挟まれトロフィーを掲げる柳本真吾監督。


 
 チーム高武は、九州、熊本県菊池郡大津町にあるバイクショップRSC(レーシング・サービス・クラブ)を母体としたレーシングチームで、オーナーの高武富久美が設立した。高武は、1961年に福岡県でバイクショップをしていた吉村秀雄(ヨシムラ創業者)と出会い、ロードレースでデビュー、1964年ホンダ契約ライダーとなり、本田技研工業のレース部門RSCに所属、2輪、4輪レースで活躍した人物。現役を退き、チームを立ち上げ、これまでモトクロス、ロードレースで有力ライダーを輩出してきた。ロードでは宇川徹、柳川明、加藤大治郎、玉田誠、中冨伸一、清成龍一、徳留和樹、森脇尚護ら錚々たるライダーが名を連ねる。

 現在チームを率いるのは柳本真吾監督。柳本はライダーを志して、チーム高武で働きながらレース活動をしていたが、故加藤大治郎と出会い、メカニックに専念、玉田や清成らも支えた。全日本ロード、ロードレース世界選手権(WGP)で経験を積み、キッズバイクの74Daijiroも手掛け、現在は、古巣に戻り若手育成に乗り出している。
 

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現役として走り続ける柳川明(左)と、チームHRCの監督となった宇川徹。


 
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1990年の鈴鹿4時間耐久レースで、柳川・宇川組は優勝を飾った。


 
 チーム高武の名を最初に高めたのは宇川徹、柳川明だ。千葉県出身の宇川は、知人の紹介で高武入り、下宿しアルバイトをしながらレース参戦、高校は九州で卒業している。1989年ロードレースデビューシーズンに九州選手権SP250のチャンピオンに輝いた柳川は「宇川はとにかく速くて、追いつこう、並んでやろう、抜かそう」と目標にしていたと言う。その柳川と宇川が組んで1990年鈴鹿4時間耐久で優勝、宇川は翌年の鈴鹿6時間耐久でも勝利。1993年全日本昇格と同時にホンダワークスに迎えられ、MotoGPで初めて優勝した日本人となり、鈴鹿8時間耐久では5度の勝利で最多優勝者として知られ、現チームHRCの監督となっている。柳川もカワサキワークスで速さを誇り、スーパーバイク世界選手権(SBK)参戦、今も現役ライダーとして挑み続けている。
 
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1994年の加藤大治郎は全日本ロードレース選手権GP250にフル参戦。1勝し、ランキングは7位だった。また、辻本聡と組み鈴鹿8時間耐久に出場したがリタイアに終わった。


 
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加藤大治郎は埼玉の実家から熊本のチーム高武に通っていた。写真は1996年の全日本ロードレース選手権250ccクラス参戦時のもの。この年のランキングは2位だった。


 
 加藤大治郎は埼玉から飛行機で高武に通い、1993年九州選手権GP250、GP125、SP250の3クラスを完全制覇、関東や鈴鹿選手権でも勝利を重ねた。柳本は「こいつなら世界チャンピオンになれる」と才能を見抜き、メカニックへと専念するようになる。1994年スーパールーキーとして全日本昇格、柳本は加藤の相棒として全日本を転戦した。加藤は1997年にはホンダワークス入り、ワイルドカード参戦の日本GPで世界チャンピオンの原田哲也を最終コーナーで抜き去り勝利、全日本でもチャンピオンに輝く。そして2001年、WGP250チャンピオンに輝く。文部科学省から『スポーツ功労者顕彰』が送られている。バレンティーノ・ロッシが恐れた日本人として、最高峰チャンピオンを期待されるが、2003年に事故により早逝してしまった。
 
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一度断られながらチーム高武で働きながらチャンスを手にした玉田誠。2003年にはMotoGP参戦、そして勝利という“夢”を掴んだ。


 
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現在はHonda Asia-Dream Racingの監督として、アジアの若いライダーの育成に尽力している。


 
 大治郎の朋友、玉田誠は、愛媛県出身で、一度、高武入りを断られているが、再度懇願して高武で働き、店の2階で暮らしながら走り始める。同じような環境で、中富伸一、清成龍一も走り始めた。玉田のプライベート時代は辛酸を舐めたがワークスを食う走りで2001年ホンダワークスに迎えられ、SBK菅生大会でレース1、2完全制覇、2003年にはMotoGP参戦を開始、勝利を挙げファンを熱狂させた。現在は監督としてアジアのライダーを支えている。
 中冨はヤマハワークス入り、SBKで戦い、現在は全日本JSB1000に参戦している。清成は大治郎の代役として2003年MotoGP参戦、その後ブリティッシュスーパーバイクで3度も王者に輝き、欧州で絶大な人気を誇り、鈴鹿8耐では4度も勝利を飾っている。現在は、モリワキで全日本JSB1000参戦している。
 
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清成龍一は鈴鹿サーキットレーシングスクールジュニアの後、チーム高武の門を叩く。写真は2002年当時のものだが、この年のST600チャンピオンとなった。


 
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イギリスのスーパーバイクで3度のチャンピオンを獲得している。2017年からMORIWAKI MOTUL RACINGのライダーとして、JSB1000を戦っている。


 
 高武卒業生たちは、今でも、柳本への挨拶を欠かさない。挨拶といっても、そんな堅苦しいものではなく、サーキットに着いた時や、チームのピット設営が終わったタイミングなどさまざまだが、チーム高武のピットを訪れて、顔を見せる。苦楽を共にした仲間、先輩、後輩の関係が続いている。高武時代を「最悪」と言いながら、どこか楽しそうでもある。
「高武さんには、よく怒られた。最後は何で怒られているのかわからないこともあったけど、それでも、レースしかないと気持ちを鍛えてもらった」
 玉田はそう語る。そして、先輩ライダーたちは、岩戸や作本のこともさりげなく気にしている。
 
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今は亡き加藤大治郎と、盟友、玉田誠。1997年はGP250を共に戦った。ランキングは加藤が1位、玉田は6位だった。


 
 今季開幕戦で勝利した作本がご褒美としてホンダワークスマシンに跨る機会があった。その時も「清成さんがコースで引っ張ってくれた。ものすごくありがたいです。偉大な先輩たちに負けない活躍がしたい」と語っていた。岩戸も「高武の名前に恥ずかしくない走りがしたい」と語る。「大治郎さんが初めて1000に乗った時は」、「清成さんが初めて勝った時は」と、先輩たちの残したタイムを現代に置き換え指針としている。高武である誇りが現状維持を許さず、常に前を向く姿勢となっている。

 第7戦オートポリス予選、トップを奪われた岩戸は、「マシンは何も変えなくていい、ただ、最後、もう1ラップ走らせてほしい」とギリギリにコースに飛び出し、ラストラップに賭けて首位に返り咲いた。決勝では大バトルを制した。作本は予選12番手からファーステストラップを叩き出しながら怒涛の追い上げを見せてトップ争いを繰り広げて3位となった。
 ふたりからは、スマートと努力とは無縁で、生まれつき恵まれているセレブがもてはやされる現代とは正反対ながむしゃらさを感じる。
 高武の教えは「速いバイクで勝っても意味がない。遅いバイクで勝て」というもの。その教えを守る柳本監督は、それを貫き、全日本参戦を開始した2013年は完全なノーマルマシンでふたりをコースに送り出している。彼らが暮らす高武の2階は、諸先輩が暮らしていた時のままだ。鉄製の外階段を上った整備車が置かれた倉庫で、その端に小さなキッチンがあり、敷居の向こうが寝床で、ベッドがふたつおいてある。ここで、ふたりは寝起きして、高武で働き、レース参戦している。快適な住環境とはいいがたい。
「速くなって、一日でも早く高武を出て行けばいいのだ」
 柳本は言う。それをモチベーションとすればいいのだと……。
 ふたりにとってトレーニングの時間が息抜きかと思うような環境の中で、まっすぐにレースと向き合っている。
 

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オートポリスで行われた全日本ロード第7戦。地元とも言える福岡出身の岩戸亮介がスタート前に思うことは、「1番になる」ことだろう。


 
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同じく九州鹿児島出身の作本輝介。チーム高武の2階で、岩戸と寝食を共にし、同じ夢を見ている。


 
 作本、岩戸は、幼少期にポケットバイクに出会い、バイクと共に成長して来た。バイクに乗ることが楽しくて、勝つと嬉しくて、自分の得意なことで生きたいと願い、他は何もいらないと高武の門を叩いた。そのふたりからは「夢を掴もう」とする覚悟が伝わって来る。
「1番になる」というシンプルな願いを胸に、しかし先輩の背中は大きく、超えることは難しいが、それを目指し、才能豊かな先輩たちでも達成できなかった世界最高峰チャンピオンの夢を追いかけている。挑み続けることで希望を掴もうとしているチーム高武のふたりに注目せずにはいられないのである。
 
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