2018年11月7日

岡崎静夏の 悔しさと決意。

■文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

 
2016年、もてぎで行われたMoto3に岡崎静夏がワイルドカードで参戦した。
ロードレース世界選手権に女性ライダーがエントリーするのは実に21年振りということもあり、大きな注目を集めた。しかし結果は最下位だった。
「戦えなかった」──悔しさだけが残った。
そして、今年のもてぎ。第16戦のスターティンググリッドに、岡崎静夏はいた。

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 ロードレース世界最高峰(MotoGP)の戦いは、世界中を巡り、全19戦のシリーズ戦を戦い抜く。その第16戦が、今年も栃木県ツインリンクもてぎで開催された。今3戦を残しMotoGPクラスでは、マルク・マルケスが3年連続5回目のチャンピオンに輝いた。26歳のスペインの天才ライダーの世界タイトルは125cc(現在のMoto3)、Moto2を入れると7回目となった。コース上にはテレビゲームが出現、レベル7をクリアするという演出で、マルケスカラーの赤い花吹雪が舞い熱狂に包まれていた。
 
 マルケスと同い年の岡崎静夏は、Moto3に2度目のワイルドカード(推薦枠)参戦を終えて、同会場でやるせない気持ちを持て余していた。
「もっと、できたはずなのに」と……。
 
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今シーズン3戦を残して、MotoGPクラスでは、マルク・マルケスのチャンピオンが決まった。これでMotoGPでは5回目、125cc、Moto2を入れると7回目の世界チャンピオンとなった。


 
 2年前の2016年、岡崎は21年ぶりの女性ライダー参戦を果たし、大きな注目を集めた。多くのスポーツは、男性、女性と別れて戦われるが、モータースポーツは男女の差がなく、同じ土俵で戦う希有なスポーツでもある。ロードレース世界選手権(Moto3)に挑む、勇敢な女性の登場は、ニュースとなった。
 結果は、最下位だった。
「今度挑戦する時は、私が変わった時、そうじゃなければ、何度挑戦しても同じだ」
 岡崎は自戒をこめるように語っていた。打ちのめされたが、世界の厳しさを体験したことで、彼女の中で、明確な目標が見え、目指すものがクリアになった。
 
 2016年、全日本ロードレース選手権では2015年のランキング13位から6位へと浮上する。
 トップライダーとしての階段を確実に上った。そして、更なる飛躍が期待された2017年は「世界に挑戦したことで、見える世界が変わった。景色が変わった」と岡崎は、自分の中の理想を追い求めて走りだしたが、その気持ちが空回りするように結果が残らなかった。
「雨での転倒が多くて、ちょっと、自信をなくしていた」と言う。だから、ワイルドカードへの申請もしなかった。ラインキングも15位とダウンしてしまう。
 
 だからと言って、岡崎が努力していなかったわけではない。努力していたからこその低迷でもあった。理想に向かって、自分の走りを見直し、試行錯誤を繰り返していたのだ。夜中に、思いつくと、バイクを駆り、走り回った。空き地を見つけてはウィリーの練習に取り組んだ。ミニバイクレースに参戦して、スタンダードなバイクの動きを観察した。Moto3を経験してからは、よりバイク一色の生活へと傾いて行く。馴染んだライディングスタイルを変えることは、そう簡単なことではないのだ。そのトライが、2018年には実を結び出す。第5戦筑波大会の1レース目には4位争いを展開し自己最高位の5位を獲得する。
 
「2017年は、何をやっても納得できませんでした。今年は、変われた実感があったんです。以前は、誰かの後ろについてタイムを出していたのが、ひとりでもタイムアップできるようになりました。(Moto3に)去年は挑戦したいとは思えなかったけど、今年は挑戦したいと思えたんです」
 
 点と点が結ばれ、一本につながり、岡崎の理想の走りが形になりかけていた。だから、それを、世界で試してみたくなったのだ。そして、Moto3参戦には年齢制限があり、岡崎にとってはラストチャンスでもあった。
「2年前は憧れで夢のロードレース世界選手権に参戦できるだけで嬉しかった。わくわくしたし、ドキドキしていた。でも、今回は、その怖さを知っているから、嬉しいと、はしゃぐ気持ちになれなくて、複雑な気持ち」
 岡崎はそう語っていた。
 
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サポートするのはコハラレーシングの小原斉監督だ。世界を知る監督が的確なアドバイスをする。


 
 それでも、「きっと、厳しさは変わらない。でも、ビリにはならない。1周でもいいからバトルがしたい」と期待もあった。だが、その思いが打ち砕かれる。
 ワイルドカードライダーたちには、レースウィークの木曜日にエンジンが届く、それを組み込んでマシンを仕上げなければならない。15戦を消化している百戦錬磨のMoto3ライダーたちを相手に戦うには、ハンデが大きすぎる。日本人ライダーがワイルドカードでも活躍していた時代は、全日本を走るマシンとMoto3のマシンは同じだった。メーカーのお膝元の日本では、ワイルドカード参戦のライダーたちの方が、コースを知っているし、マシンのセットアップのノウハウもあり、優位に戦えたが、近年は、まったく別物のマシンで戦うのだ。
 
 岡崎は、そのハンデを承知で挑んでいた。だが、全日本でのタイムよりも1秒も遅いタイムしか出ない現実を突きつけられる。2年前のイメージが強過ぎたことも災いとなった。
「エンジンもフレームも変わって別物のマシンなのに、あの時のイメージのまま走り出した。まったく、コーナーでインにつけていない。ちゃんと止まれていない」
 岡崎は迷いの中にはまってしまう。走り出しの金曜日は雨が降り、路面コンデションが難しかった。予選が行われた土曜日は、秋晴れの一日となった。夢中で走り、予選のチェッカーが振られると、我に返った。観客の声援が聞こえた。スタンドを埋める人の波が見えた。Moto3に挑んでいることを、やっと、感じた。
 
 ツインリンクもてぎは、3日間で8万5000人のファンが詰めかけ、過去最高の観客動員数となった。岡崎は、その熱狂の中で、決勝に懸命に挑んだ。
 結果は30台中の23位。転倒してリタイアしたライダーが多く出た波乱の決勝を走り切った。チェッカー後には、声援を送ってくれたファンに手を振って感謝を伝えた。ピットに戻ると、「周回遅れにならずにチェッカーを受けられて良かった」と力なく笑顔を見せた。
 
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 それでも岡崎は言う。
「もっと、メリハリのある走りをしなければと思いました。アクセルを開け始めから全開にしてギューッと止めて、ガツンとリアサスを使って、ちゃんと機能させる走り、だらぁ~て、走ったら、サスは動かない」
 Moto3ライダーたちの走りから刺激を受けて、新しい目標を見つけていたのだ。
 成長した自分を、見つけたかったのに、それが出来なかった。そのやるせない気持ちが、痛いほど、伝わって来る。もう一度、金曜日からやり直したいだろうと思った。でも、成長した自分を見せるチャンスは、挑戦する限り、必ずやって来る。
 
 岡崎を支えているのは、世界的にも有名なメカニックとして、ロードレース世界選手権を戦い、数々の世界チャンピオンを生み、帰国してからは鈴鹿8時間耐久で伊藤真一の優勝をサポート、全日本チャンピオン獲得にも貢献している小原斉監督だ。
「結果は予想通り、そんなに甘い世界ではないのは分かり切ったこと。それでも、体験することが大事、実感することが大事だ。確実に成長につなげていけばいい」
 小原はそう言った。
 
 岡崎の人気は高く、全日本のピットウォークで、サインを求める人並みは、人数制限しなければならないほどだ。イベントやTV出演、警視庁の交通安全のポスターに起用されるなど、その知名度は高い。岡崎の活躍が、ロードレース人気を押し上げる力を秘めている。
「静夏ちゃんみたいになりたい」と11歳の少女が応援に来ていた。彼女にとって、結果は、どうでもいいのだろうと思う。岡崎の存在、そのものが憧れだ。
 
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サーキットでの岡崎の人気は高い。少女の憧れは岡崎静夏なのだ。警視庁の交通安全ポスターにも起用された。


 
 岡崎は「そんなふうに言ってもらって、すごく嬉しい。でも、私を越えて行ってほしい。ワイルドカード参戦だけじゃなくて、世界に出て活躍してほしい。でも、まずは私が全日本で簡単には越えられない結果を残さないと」と自分に言い聞かせるように語った。後に続く女性ライダーのためにも、岡崎は、自分のレベルアップを課しているようだった。女になんて負けないと牙をむく男性ライダーをなぎ倒して、岡崎が戦う姿は爽快だ。
 
 マルケスの父親は言っている。
「みんながマルケスにならなくていい。マルケスがひとりしかいないように、それぞれが、自分らしくいればいい。楽しく走ることだ」
 そう岡崎は岡崎らしく、思いのままに走り続ければいい。
 最後のMoto3挑戦は、甘く苦い思いを残し、岡崎静夏の背中を、また押した。
 



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