2019年4月18日

『相棒、再び』 井筒仁康と柳川 明の挑戦。

■取材・文:佐藤洋美 ■写真:赤松 孝

 
かつてカワサキに井筒仁康と柳川 明がいた。1990年代から2000年初頭にかけて全日本を戦い、世界へ挑んだふたりの男。鈴鹿8耐ではコンビを組み、熱い走りでファンを魅了した。
このふたりが、今シーズンのJSB1000に帰ってきた。監督・井筒仁康とライダー・柳川 明の挑戦が始まった。

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 2019年の全日本ロードレース選手権開幕戦が栃木県ツインリンクもてぎで開催された。
 最高峰JSB1000は、ヤマハファクトリーの中須賀克行が9度目のタイトルを目指し、ホンダファクトリーの高橋巧は、それを阻止しようと牙をむく。ふたりの速さが際立ち予選から激しいタイムアタックを見せ、レース1、レース2とも接近戦で中須賀が勝利、2位高橋となった。

 筆者が注目したのは、今シーズンからwill-raise racing RS-ITOHで2年ぶりのフル参戦を開始した柳川 明(47歳)と、チーム監督の井筒仁康(48歳)だ。
 柳川の予選順位は21位。レース1は、他車が出した水に乗り、早々に転倒リタイア。レース2は19位でチェッカーを受けた。メーカー直系チームとサテライトチームの明暗がくっきりと分かれた結果となった。

「柳川の力を引き出す準備が出来ていない。それは、自分の責任だ」
 ピットで見守る井筒仁康監督は厳しい表情を崩さなかった。
 
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開幕戦はほろ苦い結果となった。だが、キット車がすぐにファクトリーマシンに勝てるほど甘くはないことを、ふたりは良く知っている。


 
 今季、井筒が監督として、柳川を起用して走らせるというニュースは、大きな注目を集めた。1990年代後半から2000年代初頭のふたりの活躍を知る人なら、「何が始まるのか」とワクワクと胸が高鳴ったに違いない。

 柳川は’90年にレーシングライダーの登竜門と言われた鈴鹿4時間耐久レースで優勝(ペアは宇川 徹)すると特別昇格でスズキワークスに迎えられ、’95年からカワサキワークス入りする。’97年からスーパーバイク世界選手権(SBK)に参戦を開始、デビューシーズンに日本人として海外で初めてSBKで勝ったライダーとなる。カール・フォガティやトロイ・ベイリス、芳賀紀行といったトップライダーと互角の走りを見せ’01年まで戦い帰国、カワサキのMotoGPマシンの開発に関わる。全日本JSB1000に参戦したのは’04年からだった。常にトップグループを走り、タイトル争いを見せてきた柳川が’17年のスポット参戦を最後に若手育成へと活動へと移行した。

 井筒は、’90年にレースデビュー。全日本に参戦し始めたのは’93年からだった。プライベートチームで戦ったが、’98年にそのチームが消滅すると、井筒はテストライダーとしてカワサキ入りする。’98年スポット参戦した井筒が、レギュラーライダーを圧倒する走りを見せ、’99年はカワサキのエースライダーの座を勝ち取る。’00年には、宮城県スポーツランドSUGOで開催されたSBKで日本人として初のダブルウィンを飾り、その勢いのまま全日本スーパーバイクのタイトルを得て、日本の頂点に立った。その後、カワサキがMotoGP参戦を決め、そこに集中するために全日本参戦を中止、井筒はホンダへ移籍。’04年に2度目のタイトルを得て、念願の鈴鹿8耐優勝(ペアは宇川 徹)を達成する。その後、5年のブランクを経て全日本復帰、’18年から監督業に専念、新たな道を歩み始めた
 
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ふたりとも1971年生まれ。エリート街道を歩んで来た柳川 明(写真上)、プライベートから這い上がった井筒仁康(写真下)。共に戦ってきた男同士だから、また一緒に戦える。


 
 レース界のサラブレットとしてエリート街道を歩んで来た柳川、プライベートから這い上がった井筒、そのふたりが出会ったのはカワサキだ。
 1999年SBKで活躍する柳川と、全日本を戦う井筒が、鈴鹿8時間耐久でチームを組んだ。予選2番手を獲得、決勝でも3位表彰台に上がった。
 ’00年の鈴鹿8耐にはロードレース世界選手権(WGP)の最高峰500ccクラスに参戦を開始したバレンティーノ・ロッシが、この年にSBKチャンピオンを獲得するコーリン・エドワーズと組んで参戦(ホンダ)。また、WGP500の岡田忠之と全日本伊藤真一組、WGP250参戦中の宇川 徹/加藤大治郎組(ホンダ)、SBKの芳賀紀行と全日本の吉川和多留(ヤマハ)と豪華なラインナップだった。
 
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1999年の鈴鹿8時間耐久ではコンビを組み、3位になった。


 
 井筒は、ロッシ参戦に沸く中で「ここは日本の舞台だ。かかってこい」とロッシに宣戦布告。
 予選では、1000分の2秒差で芳賀にポールポジションを奪われるが、決勝では宇川/加藤と壮絶なトップ争いを演じる。他のライバルたちは、転倒やトラブルで姿を消した。優勝争いは、この2台に絞られていた。耐久レースとは思えないスリリングな接近戦で8万人の観客を魅了した。
 
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2000年の鈴鹿8耐でもコンビを組んだ。バレンティーノ・ロッシに「かかってこい」と挑戦状をたたきつけた。井筒はアグレッシブな走りで攻め続けた。


 
 最後の走行に飛び出した井筒は首位を走る加藤を追った。
 井筒は「できるだけプレッシャーをかけながら追いつこうとしていた。肩が路面を擦ったが、アクセルを開けていた。転ぶなんて考えてもいなかった」が、S字で転倒してしまう。
 柳川は「井筒は、2位はいらなかった。優勝以外は眼中になかったのだ」と振り返る。この年はリタイア。’01年鈴鹿8耐もふたりは勝利を目指すが4位に終わった。
 
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予選2番手からのスタートとなった2000年の鈴鹿8耐。#2ライムグリーンのマシンがトップ争いを演じた。「2位はいらなかった」ふたりは最後まで攻めたが、結果は転倒リタイアだった。


 
 頭脳派で、理論的にマシンセッティングを導き出す井筒がセットしたマシンを、運動能力が高く、どんなマシンでも乗りこなしてしまう柳川とのコンビネーションがあったからこそ生まれた激闘だった。
 井筒は柳川の才能を高く評価しており、柳川もまた、井筒の能力を理解していた。ふたりが鈴鹿8耐で組んだのは’99年から’01年までで、その後は、別々のライダー人生を歩む。
 柳川は、トップライダーとして走り続けた。井筒は一時、レース界を離れている。復帰は’09年の鈴鹿8耐で、プライベートチームから参戦だったが2位となり、関係者を驚かせた。2014年に「will-raise racing RS-ITOH」を結成、自らライダーとして走り続け、’18年から監督に専念する。ちなみに2016年世界耐久選手権ボルドール24時間耐久では3位表彰台を獲得している。
 
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井筒仁康が監督を務める「will-raise racing RS-ITOH」。昨年までJ-GP2クラスへ参戦してきたが、6年目となる2019年、念願のJSB1000クラスへ参戦することとなった。JSB1000クラスのライダーは柳川 明、そしてST600には和田留佳を起用。


 
 チーム結成から「いつかJSB1000で戦いたい」という野望があった。
 だが、最高峰クラスで戦うには、ライダー、資金、スタッフと高いハードルがある。井筒は、ライダーは「柳川しかいない」と考えた。だが、カワサキのテストライダー、若手育成を担う柳川を獲得することは難しいと思われていた。
 柳川も「許されないだろう」と言った。だが、井筒の熱情がカワサキを動かした。ふたりのコンビが監督とライダーとして復活、ドリームチームが始動することになった。

 柳川にとっては2年ぶりの全日本フル参戦となる。これまで駆っていたワークス系マシンではなく、2019年型ZX-10RRのキット車がベースだ。それでも「走れる環境を作ってくれたことに感謝」と語った。カワサキが引退式を用意しても、それを断り「俺にはバイクしかない、レースしかない、現役続行」を宣言している柳川にとって願ってもない再スタートだった。
 柳川は大きなケガを何度も経験している。生死をさまよったこともあるが、それでも、そのアグレッシブなライディングにかげりはない。
「頑張るのが商売でしょう」
 と、いたってシンプルに、レースと向き合い、全身全霊を賭けてアクセルを開ける。その心意気は、井筒も持ち続けていたもので、だからこそ、ふたりは分かり合えるのだ。井筒は、監督として柳川のコメントを聞きながら「その走りが想像できる。自分が走っているような感覚になる」と言う。
 
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井筒と柳川には、ふたりだけが分かる「阿吽の呼吸」がある。ライダーは「柳川しかいない」と考えた井筒。「俺にはバイクしかない、レースしかない、現役続行」を決意した柳川。ふたりの挑戦は、まだ始まったばかりだ。


 
 ふたりが願うのは勝利だが、それだけではない。
 井筒は「レース界に恩返しがしたい、自分たちに続くライダーを育てたい」という思いを抱いて、レース界に戻った。
「自分がパドックにいることで、後輩たちの相談に乗れる。チームを運営することでチャンスをあげることが出来るかも知れない。ここにいることが大事だ」
と語る。
 柳川も同じ思いがある。柳川にとって、その願いを叶えるのは「実戦で走り続けること」だ。コース上で、出会うライダーたちに、その走りを見せつけることが、後進へのメッセージだ。ふたりが、キット車を走らせることで、ユーザーへのフィードバックは計り知れない。

 トップライダーの実績のあるふたりが、キット車で勝利を求める難題に立ち向かい、そこで苦悩しながら、答えを探す姿は、それだけでドラマチックに胸に迫る。井筒は現役時代、予選リザルトを見ただけで、自分の順位を予測していた。その井筒が「最低2年、かかるとみている。そんなに簡単にいくほど、甘い世界ではない」と言う。
 この挑戦は、始まったばかりだ。

 モータースポーツは、若者のスポーツだと思われているが、機械を使うからこそ、年齢は、それほどの意味を持たない。
 挑戦するという強い意志が、何よりの武器なのだ。
 中須賀や高橋の背後に迫る柳川を見ることが出来るかも知れないという希望は、モータースポーツの奥深い魅力を伝えてくれるに違いない。勝利を追い求める道の中で、ふたりの葛藤や渇望が、全日本の戦いを面白くする。
 
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●2019 MFJ SUPERBIKE Race Calendar

第2戦 4/20(土)~4/21(日) 三重・鈴鹿
第3戦 5/25(土)~5/26(日) 宮城・SUGO
第4戦 6/22(土)~6/23(日) 茨城・筑波 ※JSB1000の開催はありません。
第5戦 8/17(土)~8/18(日) 栃木・もてぎ
第6戦 8/31(土)~9/1 (日) 岡山・岡山国際
第7戦 10/5(土)~10/6(日) 大分・オートポリス
第8戦 11/2(土)~11/3(日) 三重・鈴鹿