2017年12月27日

世界耐久選手権「81回ボルドール24時間耐久」レポート 『鈴鹿に向かって──。』

■取材・文:佐藤洋美
■写真:David Reygondeau、佐藤洋美

 
世界耐久選手権(EWC)の2017?2018年シーズンが始まった。緒戦はフランス・ポールリカール・サーキットで行われた『81回ボルドール24時間耐久』。野左根航汰(YART:ヤマハ・オーストリア・レーシング・チーム)がEWCフル参戦するのも注目される。2018年真夏のスズカの最終戦まで、長く熱い戦いが続く。

 多くのモータースポーツはオフシーズンに入っていますが、世界耐久選手権(EWC)は、2017~2018年シーズンが開幕しました。9月には『81回ボルドール24時間耐久』が開催されました。昨年のボルドール24時間耐久は、鈴鹿8時間耐久がEWCの最終戦となり生まれ変わった記念すべきレースとなりました。そして「世界耐久チャンピオン」を目指して、日本からは鶴田竜二率いるトリックスター・カワサキが井筒仁康/出口修/エルワン・ニゴンで挑み、見事3位表彰台を獲得。藤井正和監督率いるTSRホンダは、伊藤真一/渡辺一馬/ダミアン・カドリンで挑み5位と、日本のチームが、南仏のミストラル(季節風)に負けない強風を送り込みました。24時間を戦い終えた彼らの晴れ晴れとした笑顔が青空にキラキラと輝いていたのです。
 
 ですが、今季はトリックスターが参戦を断念、そしてTSRホンダはジョシュ・フック/アラン・テシェ/フレディ・フォレイと海外ライダーで揃え、メカニックも海外勢の構成で挑みました。
 注目は、今季からフル参戦でEWCに挑むYARTヤマハの野左根航汰でした。全日本選手権でも初優勝を飾り、レース界の救世主になってほしいと誰もが熱望するまでに成長しています。ヤマハは武者修行として野左根をEWCに連れて来ましたが、初参戦となったル・マン24時間耐久で2位表彰台に上がり、その後もEWCトップライダーと遜色のない走りを見せ、すっかりチームの戦力となりました。今季はフル参戦で、本気で世界チャンピオンを狙っているのです。

野左根航汰(YARTヤマハ)が転倒! ピットに戻り、マシンを渡すと崩れ落ちるように倒れてしまった。

 野左根は予選からクラストップタイムを叩きだし、その存在感を見せつけました。
総合予選は、ライダー3人のトータルタイムの平均で決まり、鈴鹿8耐ではTSRで走ったランディー・ディプニエ(SRCカワサキ)が速さを示してポールポジションを獲得。YARTヤマハ(ブロック・パークス、マービン・フリッツ、野左根航汰)は2番手を獲得、3番手はTSRが獲得。4番手にはスズキ・エンデュランス・レーシングチーム(SERT)で、ヴァンサン・フィリップ/エティエンヌ・マッソン/グレッグ・ブラックで挑み、新型のGSX-R1000を投入し注目を集めました。5番手のホンダ・エンデュランス・レーシングは、セバスティアン・ジンバート/グレゴリー・ルブラン/ヨニー・ヘルナンデスがCBR1000RR Fireblade SP2を駆ります。6番手に2016~2017 FIM世界耐久選手権のチャンピオンGMT94ヤマハ(デビッド・チェカ/ニッコロ・カネパ/マイク・ディ・メグリオ)。
 

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ポールポジションは、抜群の速さを見せたSRCカワサキのランディー・ディプニエ。

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YARTヤマハが2番手スタートを獲得した。

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3番手はTSR(正式名称はF.C.CTSRホンダ・フランス)。

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新型のGSX-R1000を投入したSERT(スズキ・エンデュランス・レーシングチーム)が4番手に続いた。


 
 決勝は晴天となり、眩しい太陽が顔を出していました。ポールポジションのディプニエは、スタートのタイミングをミスして、ちょっと出遅れてのスタートでしたが、すぐに首位を奪う俊足を披露します。ファーステストラップを叩き出す速さを見せたのですが、17ラップ目にトラブルで早々にリタイアしてしまうのです。
 トップ争いを繰り広げるYARTは、3番目に野左根がライダー交代でコースイン、そして次の瞬間には激しく転倒し、マシンから放り出された野左根がモニターに大映しになります。動かない野左根に、凍りつくような緊張感がピットに走ります。救急隊が野左根に近寄り、声を掛けると野左根は起き上がり、マシンへと走り出します。コース復帰してピットに戻り、マシンを渡すと、崩れ落ちるように倒れてしまいます。すぐに担架で医務室へと運ばれます。野左根は大きな外傷はありませんが、脳震盪でドクターストップが掛かり、意識はあるものの検査の為に飛行機で病院へと運ばれてしまいます。
 パークスとフリッツは、ふたりで残り時間を走り切ろうとしていましたが、マシン修復に時間が掛かり、大きく順位を落としてしまいます。直してはピットアウトを繰り返しますが、電気系のトラブルが解消せずに20:40にピットインした後は、レースに戻ることはありませんでした。
 5時間半、152周を回ったところでリタイアしました。
 
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YARTヤマハのライダーとして世界耐久に参戦する野佐根航汰(写真中央)とチームメイトのブロック・パークス(左)、マービン・フリッツ(右)。

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3番手のライダーとしてコースインした野佐根だったが……。激しく転倒する姿がモニターに映し出された。


 

トップ争いをしていたTSRだったが……。

 EWCの顔とも言えるSERTのドミニク・メリアン監督は、今回も姿を見せませんでしたが、チームはトップ争いを見せ底力を示しました。しかし電子制御等の不具合で何度かピットインし、再び追い上げたのですが、最終的に7位でチェッカーを受けました。
 そして、TSRはトップ争いを繰り広げました。相手はチャンピオンのGMT94です。TSRのテシェは今年の3月に鈴鹿サーキットでのテスト中に転倒、ヘルメットが割れるほどの衝撃を受け、頭部の精密検査を受けるほどで心配されましたが、検査結果は問題なく、ケガは右前腕を骨折と診断されました。エースライダーとしてEWCで活躍するはずだったシーズンがリハビリの時間となったのです。
 テシェは復帰のために「ハードなリハビリと、トレーニングを重ねて来たんだ」と語っていました。そして、復帰がホームコースであるポールリカールサーキットで行われる『ボルドール24時間耐久』だったのです。
「ここは、数えきれないくらい走っている」とテシェは言うのですが、事前テストは特別な走行になりました。好タイムを記録した時には、見守るスタッフも感涙。この復帰レースに強い思いを抱いて挑むテシェは、カメラを向けるといつも笑顔、それは疲労困憊しているはずの夜中でも変わらずで、疲れた表情を見せることはなく、ライディングからは走れる喜びが伝わります。自然に応援に力が入ってしまいます。
 フックは、全日本を戦っていた経験もあり、テシェのいない穴を埋める大活躍で、その速さを披露して来ました。フォレイには兄弟がいて、彼の名前はフレディ・スペンサーからとってフレディ、もう一人はケニー・ロバーツからとってケニーと筋金入りのレース一家で育ち、2人ともEWCレース参戦しています。経験豊富な兄貴分といった感じで、若い2人を支える走りを見せていました。
 

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チャンピオンのGMTを相手にトップ争いを繰り広げたTSR。


 
 ライバルたちが新型マシンを投入する中で、TSRは従来のマシンをきっちりと仕上げて挑み、確実な走行を見せました。バックヤードは日本人の熟練スタッフで固め、前戦のメカニックは海外スタッフが動き、それが見事に機能している印象でした。SERT、GMT94と世界タイトルを持つチームと互角の戦いを見せトップ争いを展開、そして首位に立ち、レースをリードしていたのです。大きなミスもトラブルもなく、順調に勝利に向けて突き進んでいたのです。
 しかし残り3時間半、22回目のピットイン。迅速なピットワークで、フックからテシェにライダー交代し、ピットから送りだした周に、ボルドールの名物ミストラルストレートを立ち上がったコーナーでテシェは、スリップダウン。
「どうして転倒したのか、自分でも分からない」と……。マシンがピットに戻ると懸命の修復作業で10分後にはフォレイがピットアウトし、8番手でレースに復帰し、6位まで挽回してチェッカーを受けました。優勝を逃し落胆しているのかと思いましたが、思いのほかチームスタッフの顔は明るいものでした。

 EWCのポイントは、最終リザルトの6位のポイント19に加え、8時間、16時間時の順位に与えられるボーナスポイントがあり、TSRは18点を加えて、37点を獲得したのです。世界チャンピオンを目指す戦いは始まったばかりで、開幕戦での大量ポイント、そして、勝てる力があることを確認出来たことは、大きな収穫のようでした。
 

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ホンダ・エンデュランス・チームは、トラブルがありながら確実なライディングを発揮し3位に入った。

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応援合戦もオモシロイ。あっちがカワサキで、こっちはホンダ……、立ちあがれ“D”の女子!


 
 ホンダ・エンデュランス・チームは電子制御の問題によってスローダウンする場面もありましたが、それをリカバーして、ラスト間際に表彰台を争うバトルで観客を沸かし3位に入りました。そして途中給油のタイミングで大きく落とした順位を挽回してWepol BMW Motorrad Team by Penz13マーカス・ライトバーガー/アレッサンドロ・ポリータ/ダニー・ウエブ/ペトル・ビチシテが2位を獲得しました。
 勝ったのはGMT94でした。セーフティ・カーのタイミングに恵まれず、ディメリオにピット内でのスピード超過によるストップ&ゴーのペナルティが与えられ、途中ガス欠でマシンを押しながらピットに戻る場面もありましたが、その強さは圧巻でした。2位に9ラップもの差をつけ683周を走り切って堂々の優勝を飾るのです。
 
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ポールリカールに日が沈んでゆく。長い夜が始まる。


 
 鈴鹿8時間耐久で世界タイトルを決めたGMT94のライダーは「耐久を戦う者にとって鈴鹿は特別の大会で、あの素晴らしい観客、華やかな表彰台に登れた感動を忘れることは出来ない。また、今年もそれを目指している」と語っていました。
「タイトルを決めた鈴鹿8耐は、どうしてもチャンピオンになりたかったから、24時間の仕様のままで走り、ライダーたちには我慢の走りをしてもらった。でも、小さなミスがたくさんあった。だから、フランスに戻って来てから、すぐに反省会を開いた。気を引き締めて、今季に挑むためには必要なことだった。だから、開幕戦で勝つことが出来て、とても嬉しい。昨年は9位だったからね」
 クリストフ・グィオ監督は連覇に向けて最高のスタートを切りました。
 GMT94は、地元の応援を受けて戦っていることで、その地域ナンバーである94を変えるつもりはなく、チャンピオンなのに1は付けず、ちょっと角度を変えると94の4が1に見えるように工夫してありました。
 
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鈴鹿で惜しくもチャンピオンを逃したSERTが積極的に攻める。

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観客達の耐久も夜に突入する。


 
 そして、最も印象に残る頑張りを見せたチームに送られる「アンソニー・デラール賞」を獲得したのは、ル・マン24時間耐久で大久保光が参戦したフランスのチーム、ナショナルモトスでした。3人のライダーで走る予定が2人になり、2人で24時間を走り切ったのです。10番手前後を走っていたのですが、終盤のトラブルで27位のチェッカーとなりましたが、そのガッツが認められての受賞でした。今年のボルドール24時間耐久は59台のうち完走したのが僅か29台の厳しさでした。その中で我慢強く走り切ったことが高く評価されたのです。
 
 レース後に会ったテシェは、転倒し、ケガをしていた右手を打撲して腕を吊っていましたが、それでも笑顔で「復帰出来て良かった」と語っていました。優勝をフイにした悔しさも、チームメイトやスタッフへの申し訳ない気持ちも抱えていても、それでも、またサーキットに戻ってこられた喜びを伝えてくれました。
 
 その後の状況が心配されていた野左根は、翌日には元気な姿を見せてくれました。
 
「今回の転倒を、チームメイトのふたりはものすごく心配してくれました。すごくいいチームで走れていると思っています。勝てる力が絶対にあると思うから、このチームで絶対に勝ちたい」とリベンジを誓っていました。
 
 優勝したGMT94のカネパは、フランスで人気の美人モデルと結婚したばかりで幸せ絶頂の中で
「今後は、ワールドスーパーバイクにも出る予定だよ。そこでもいいパフォーマンスがしたい」と言っていました。EWCには、若き才能があふれています。勝つためのレベルはグングン上がり、チームメイトの3人がハイスピードで駆け抜けなければならない「24時間のスプリントレース」へと変貌しています。そこで鍛えられ、磨かれる才能は、他のカテゴラリーでも、確実に発揮されるはずです。
 
 そして、ただひたすらチェッカーを目指すチームは、タイヤ交換が上手くいくとハイタッチして喜びを分かち合います。ピットアウト後には拍手が沸き起こり、お互いの頑張りを讃えます。
 消防士のチームがあったり、女性4人のライダーで構成されたレディースチームや、行場を失った人を救う施設が「やり遂げることの大切さを伝えたいのだ」と施設にいる人とチームを結成していたり、様々な人がEWCに集ります。年齢を重ねたボランティアのオフィシャルたちが、交代しながら、24時間レースを支えています。
 
「誰が、こんな過酷なレースを考えたのだろう」
「まったくバカバカしい」
 と言いながら、サーキットに集まった人々が夢中で24時間耐久に挑む姿は、なんだか切ない感動に満ちているのです。その戦いを昨年より5%増の68,000人が見つめました。
 この戦いは、来年の4月ル・マン24時間耐久、そして、スロバキア8時間耐久、ドイツ8時間耐久、最終戦は日本の鈴鹿8時間耐久へと続きます。
 
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●「F.C.C. TSR Honda France」について。

 フランスの現地販売法人であるホンダモーターヨーロッパ・リミテッド フランス支店(支店長:笠原 琢)、TSRの藤井正和監督が揃い「F.C.C. TSR Honda France」の会見が行われました。
 笠原氏は「1948年の創業以降、HondaのDNAにはレース活動、特に耐久ロードレースが強く根付いています。フランスにあるHondaの現地法人は、世界耐久選手権(EWC)に30年以上にわたり支援を続けてきており、世界中のサーキットで数々の勝利や表彰台入賞を果たしてきました。豊かな歴史を持つHonda Franceは今回、日本における耐久ロードレースの名門中の名門チーム「F.C.C. TSR」とタッグを組むことで「F.C.C. TSR Honda France」として復活。この新たなパートナーシップにより、チャンピオンシップにおけるHondaの存在を最高レベルに高めるとともに、タイトル獲得を狙います」と語りました。
 F.C.C. TSR Honda Franceは、2017~2018年EWC世界選手権にフル参戦します。ライダーは、フレディ・フォレイ(フランス)、ジョシュ・フック(オーストラリア)、アラン・テシェ(フランス)とアルトゥーロ・ティゾン(スペイン)の4人で、鈴鹿にあるTSRのワークショップで準備されたCBR1000RR Firebladeで参戦。藤井正和が総監督を務め、スタッフはTSRチームスタッフとBruno Performance(ブルーノ・パフォーマンス:スペイン)のエンジニア、Honda Franceのスタッフで構成されます。藤井監督は「ふたつのチームのマリアージュだ」と語りました。