Hi-Compression Column



2011 “俺節” オレ達の夏!!
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恒例の流しそうめん。呑み過ぎた翌朝にこれほど気の利いた朝食はないだろう。いくらでも喉を通っていきます。
恒例の流しそうめん。呑み過ぎた翌朝にこれほど気の利いた朝食はないだろう。いくらでも喉を通っていきます。
恒例の流しそうめん。呑み過ぎた翌朝にこれほど気の利いた朝食はないだろう。いくらでも喉を通っていきます。
恒例の流しそうめん。呑み過ぎた翌朝にこれほど気の利いた朝食はないだろう。いくらでも喉を通っていきます。

翌朝(と言っても眠りについて2時間後なのだが)、真夏の強烈な日差しに叩き起こされた。

早朝にもかかわらず日が照り付けるとテント内は蒸し風呂状態に陥った。最悪だ。寝不足、二日酔い、脱水症状寸前の三重苦である。

日陰に避難してその辺にあった水をがぶ飲みすると少しだけ気分が落ち着いた。昨年から恒例化しつつある朝駆け組はもう出発したようだ。

しばらくするとこれまた恒例の流しそうめんが始まった。麺つゆをもらい流れてくるそうめんをいただく。この時のオレの状態にあっては最高のご馳走となった。

朝駆け組も全員無事に戻ってきて参加者が次々に帰路につく中、オレは体力の回復を待ちつつ会場をあとにするバイク乗り達を見送った。そしてほとんどの参加者が立ち去った頃、オレもわずかに熱気の残る会場をあとにした。


さて、問題の帰り道、素直に来た道をそのまま戻ればいいものを帰りに同じ道を折り返すのは面白くないとばかりに長野の山を抜けての帰り道を選択したのが間違いの元だった。日本海側はこの日、天気の大きな崩れはなかったらしい。

セルは回らない、押し掛けもダメ。打つ手無しかと思われたその時、一台のバイクがこっちに向かって走ってきてオレに気づいて停まってくれた。俺節に来ていた姫路のマルちゃんだ。

今までに何度も独りで同じ目には遭ってきたが知っている誰かがいてくれる事がこんなにも心強いとは思ってもみなかった。

少し話し込み、一息ついてから再度押し掛けチャレンジするとエンジンが吼えた。しかし、しばらくアイドリングしたのちに再びストップ。またしても沈黙状態に。

だがエンジンそのものには問題がない事がわかっただけでも一安心だ。バッテリーさえなんとかなればいけるだろう。マルちゃんのバイクを借りて松本市内へ出てホームセンターへ。合うサイズのやつはなかったがとりあえず保険的に一つバッテリーを購入しておいた。

バス停に戻ってもう一回押しがけしてみると一発でエンジン始動。そして今度は止まらない。ほどいた荷物を括りつけやっとの事で再スタート。辺りはもうすっかり闇につつまれていた。

マルちゃんは日本海側から山陰の方を抜けて帰ると言って走り去って行った。彼女自身もまだまだ距離を残しているにもかかわらず長々と付き合ってくれた事には感謝しきれない。あとは彼女が呼び込んでくれたツキが最後までもつことを祈るばかりだ。

そして・・・結果だけ言えばオレは木曾での途中泊を挟んで翌日の夕暮れ時、無事家に帰りついた。

購入したバッテリーは最後まで使うことはなかった。じゃぁ、走ってるうちにバッテリーが復活したのかと訊かれればそれもなかった。何時間連続で走ろうとセルを回すだけの力は戻ってこなかった。つまり給油、休憩で停まるたびに押しがけである。GSでは店員が何やってんだ!? って目でオレを見ていたさ。

それはまるでシェルパが「走ってるうちにチャージするだろうなんて甘ぇ事、考えるんじゃねぇぞ。帰ったらちゃんとメンテしやがれ!!」と言ってるようにも思えた。

バイクを擬人化するつもりはない。所詮マシンはマシンでありそれ以上でもそれ以下でもない。それでも長くバイクに乗っていると何かしら意思のようなものを感じ取る瞬間がある。ただの思い込みであるという事も分かっている。

だが不平等に酷使し過ぎるとバイクは・・・・拗ねます。



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