(2011.9.7更新)
前戦から2週連続開催の第13戦サンマリノGPは、なんだかいろんなことがあったりなかったりしたレースウィークだった。
なかった、のは、日本GPに関する選手たちの態度表明。バレンティーノ・ロッシ(Ducati Team)は、今大会が文字通りホームグランプリ(自宅とは目と鼻の先の距離)だが、その前に日本へ行くかどうかを発表したい、としていた。が、結局日曜日のレースを終えても意思表示はなく、結果は判然としないままだった。また、7月末のドイツGPで「(DORNAとFIMが安全調査を依頼した機関ARPAの)結果如何にかかわらず日本には行かない」と言明して物議を醸したホルヘ・ロレンソ(Yamaha Factory Racing)も、その後に「周囲の意見も聞いた上で最終判断をしたい。9月には決めたいと思う」と言っていたが、第13戦終了段階ではまだ決断表示に至っていない。日本GPは次々戦の第15戦なので、次回の第14戦アラゴンGPには彼らの結論は判明すると思うので、この件に関してはそこで改めて報告をしたいと思う。
で、いろんなことがあった、のひとつめ。コーリン・エドワーズ(Monster Yamaha Tech3)が、2012年はForward RacingからCRT(Claiming Rule Team)としてMotoGPクラスに参戦することを発表した。来シーズンからはMotoGPのレギュレーションが変更になり、ワークスマシンの排気量は現行の800ccから上限1000ccまでが許可されることになる。また、従来のワークスマシンだけではなく、量産車エンジンを改造し、オリジナルフレームに搭載したマシンで参戦することも許可される。この新しいカテゴリーは<Moto1>とも呼ばれるが、改造を施した量産エンジンには買い取り規定などが設けられており、その規則に準じたチーム、という意味の略称としてCRTという用語が用いられる。この規則の詳細は多岐にわたるので、具体的な内容を知りたい方は随時このあたりを参照してほしい。
いろんなこと、のふたつめ。現役最年長の38歳で選手生活22年目を迎えるロリス・カピロッシが、今季限りでの引退を発表した。初レースは'90年の鈴鹿。Team Sun Carlo Honda Gresini監督のファウスト・グレシーニや、Mapfre Aspar Team監督のホルヘ・マルチネスたちがまだ現役だった時代、といえば、どれほど昔の話かよくわかるだろう。引退を発表した会見では、スタンディングオベーションでその功績を讃えられた。1998年のアルゼンチングランプリ逆転チャンピオンの一件では、いい印象を持たない古いファンもいるかもしれない。そのレースを僕は現場で取材していなかったので、あのアクシデントを論評する立場にはないが、これまで彼に取材をさせてもらった中では非常に紳士的で気さくな人物だという印象がある。ドゥカティワークスチーム発足時から今年に至るまで(開幕戦のカタールGPで日本の被災者にメッセージをくれたときでも)、頼めばいつでも快く取材に応じてくれる人物だった。現役選手として残された5戦のレースを、悔いなく戦いきってほしいと思う。
いろんなこと、のみっつめ。ウェイン・レイニー氏がミザノへ戻ってきた。ヤマハワークスチームに在籍し、1990年から1992年まで最高峰500ccクラス(当時)を3連覇したレイニー氏は、93年もライバルのケヴィン・シュワンツ氏らと熾烈なチャンピオン争いを繰り広げていた。だが、第9戦サンマリノGPの決勝レース中に転倒し脊髄を損傷。この負傷が原因で現役を引退、車椅子生活を送るようになった。以後のレイニー氏は監督としてチームを運営するなどしてレース活動を継続してきたが、辛い思い出の残るミザノにだけは訪れることがなかった。レース界の第一線を退いた後も、各地のサーキットを訪問することがあっても「あそこだけはまだ、訪れる気になれない」とミザノを避けてきた。そのレイニー氏が、18年の月日を経て気持ちの整理をつけ、ようやくこのサーキットへやってきた。当時の彼をよく知る関係者から年若い選手たちに至るまで、パドックじゅうがレイニー氏のミザノ再訪を温かく迎えた。日曜日の決勝レースで、ホルヘ・ロレンソがレイニー氏に見守られながら圧倒的な強さを発揮して優勝を飾ったのは、素晴らしい出来事だったと思う。
いろんなことのよっつめ。昨年のサンマリノGPで富沢祥也が亡くなってから、ちょうど一年を迎える。Technomag-CIPのケナン・ソフォグルが前戦で足を負傷したために、アラン・ブロネック監督は同チームでスペイン選手権のMoto2クラスを戦う小山知良を急遽代役に起用。昨年の日本人フル参戦選手が全員ミザノに揃った偶然は、まさに数奇というほかない。土曜には故富沢選手のご両親も現場へ到着。決勝レースの最終ラップで小山は、事故の発生した11コーナーにさしかかった際に「祥也、一緒にゴールするぞ」と呼びかけてチェッカーを受けた。会場を訪れるファンやパドック関係者は、人種や国籍を問わず、一様に富沢への愛情と哀悼の意をあらわしていた。このサーキットがある限り、人々はきっと富沢のことを忘れないだろう。
さて、次の第14戦はシーズン3度目のスペイン、アラゴンGP。日本GPに対する参戦意思表示もさることながら、今回の第13戦でロレンソが優勝してランキング首位のケーシー・ストーナー(Repsol Honda Team)が3位に終わったことにより、両名のポイント差は35に縮まった。残りは5戦。まだまだ緊迫する展開が続きますです。