ライムグリーン伝説・序章

カワサキが海外のレースに初めて登場したのは、1966年のマン島TTから。

翌1967年、空冷2ストローク2気筒125ccのKA-1で世界グランプリにも初参戦を果たし、イギリス人ライダー、デイブ・シモンズが年間ランキング7位という結果を残した。

 1950年代後半から60年代初頭、ホンダの後を追うように、ヤマハ、スズキが世界にアピールできる国際レースへと飛び出して行く中で、カワサキの参戦は一番遅かった。

 どちらかといえば、レースに対する距離感があり、他メーカーに比べれば、それほど積極的とは言えなかった。


B8モトクロッサー

B8M

1963年、カワサキが初めて独自で開発した実用車(少なくとも現代の目で見ればそう見えてしまうが、当時は実用車=バイクという側面もあった)B8をベースに創られたファクトリレーサーがMFJ兵庫支部主催のモトクロスに初出場し1〜6位を独占した。白くカタカナでカワサキと書かれが赤く塗られたタンクは目立たせることを目的で、この勝利から「赤タンクのカワサキ」の名前で呼ばれることにんる。後に市販モトクロッサーM8Bとして市販された。
現在、神戸のカワサキワールドに展示されており実物を見ることが可能。
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KR-2

KR-2

1965年に誕生したカワサキ初の本格的ロードレーサーであるKACスペシャル(空冷2気筒ロータリーディスクバルブ124cc)は、1966年に水冷化されKR-1に進化した。KR-1はトラブルも少なく、優勝こそできなかったものの安定した成績を残した。1969年のレギュレーション変更に対応し8速から6速へと変更されたモデルがKR-2。水冷2気筒ロータリーディスク123.72ccエンジンは最高出力34ps/15000rpmを発揮した。同年D.SimmondsがWGP125クラスのタイトルを獲得する。このときのカラーリングはライムグリーンではなく、赤白の旧カラーであった。
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KR-3

KR-3

1967年の日本GPでデビューした水冷のV型4気筒ロータリーディスクバルブエンジンを搭載した125レーサー。ボア34×ストローク34.3mmの V4エンジンの排気はすべて後方排気。10段変速でフレームはクロモリパイプ。最高出力40ps/16500rpm、最高速度200km/h以上と期待されたが、1969年にFIMはWGP125ccクラスを2気筒6速以下、車重75kg以上と多気筒車締め出すレギュレーションの変更をおこなったため、活躍の場に恵まれなかった。現在は神戸のカワサキワールドにて展示中。展示車は入れ替わりがあるので、、めったに見られない珍しいカワサキV4レーサーの実物を見たい方は、お早めに。
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 それでも、ひとたびカワサキが送り出したファクトリーマシンは、個性が際だっており、強く惹かれる熱狂的なファンが多い。

 さらに見るものに強くカワサキを印象づけたのは、チームカラーのライムグリーンだった。

 カワサキがチームカラーとしてグリーンを採用した理由は、諸説語られているのだが「サーキットで目立つ色」ということで選ばれたことは、間違いない。

 当時、目にすることの少なかったライムグリーンのレーサーは、止まっているだけでも、十二分に目立った。



A1R

A1Rカワサキの販売会社がカワサキ自販からカワサキオートバイ販売に社名を変更した1966年、6月のニューヨークショーで発表されたモデルがA1。
カワサキ最初のファクトリーレーサーKACスペシャルで得たノウハウをダイレクトに注入したレーサー直系空冷2ストローク2気筒ロータリーディスクバルブ247ccのスポーツモデルで、最高出力は30ps/8000rpm。最高速度160km/h、ゼロヨン15.1秒という当時としては俊足を誇った。
そのA1をベースにして1967年に作られた輸出用の市販レーサーがA1R。φ26mmミクニレーシングキャブ、ハイコンプ化等のチューンされ最高出力は40ps/9500rpm。クロスミッションやGPレーサーと同様のブレーキを装備し内外のレースで活躍した。しかしフレームはノーマルで、剛性不足が指摘された。フレームを改良したファクトリーレーサーA1RSも製作された。
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A7RS

A7R

A7Rは1968年11月に誕生した輸出向けの市販レーサー。A1RS同様にフレームを改良した、A7RのファクトリーマシンがA-7RS。
写真は1969年のデイトナ200マイルに参戦したファクトリーマシンのA7RS仕様。最高出力は60ps/9700rpmをマーク。
元々のベースとなったA7は1967年2月にデューしたA1の兄弟モデルで、ボアを9mm拡大し排気量を338ccにアップ、最高出力は40.5ps/7500rpmと高性能を誇り、「AVENGER」(復讐者)という過激なペットネーミングも人気になった。
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 では、一番最初にライムグリーンをまとったカワサキのマシンは?

二輪史の第一人者である小関和夫氏の『カワサキモーターサイクルズストーリー』(1995年三樹書房刊)によれば、1969年のデイトナからカワサキワークスマシンA1RAS(A1Rの発展型ファクトリーレーサー) がライムグリーンとホワイトのツートーンカラーとなり、ライダーのツナギも同じ色で揃えられ「最も美しいチーム」と評価されたのが最初とのことだ。

 そもそもカワサキワークスカラーは、1963年B8をベースにしたカワサキ初のファクトリーモトクロッサーのタンクを赤塗りにしたのが始まり。

 その目的はただひとつ。「目立つこと」であったと言われている。

 このイメージを継承してKR-1やKR-2など初期のロードレーサーに塗られたワークスカラーは、キャンディ系のレッドとホワイトのツートーンだった。

 A1Rも登場時はこのカラーであった。それが、前記のように1969年にライムグリーンとホワイトのツートーンに一新され、勝利を重ねるごとにライムグリーンは定着していく。

 

  一般的に、広く「カワサキ=ライムグリーン」と知られるようになったのは、1970年代750SSのレーサー版H2RがアメリカのAMA やヨーロッパのF750クラスで善戦し「グリーンモンスター」の称号を授けられたころからである。

 ただしこの「グリーンモンスター」という愛称には、強さだけではなく強さと同じくらいトラブルを抱えている、というような意味でも、モンスターと呼ばれた。

 トラブルによるリタイヤも珍しいことではなく、大排気量2サイクル空冷3気筒のH1Rは、爆発的なパワーと同等の発熱問題に苦しめられた。進化型のH2Rも最大の敵は熱で、これはKR750で水冷化されるまで続いたもうひとつの闘いでもあった。

 勝つか壊れるか、強いのに弱い、

“all-or-nothing”のモンスター怪物ぶりが、この時期のカワサキイメージを強烈にアピールし、ライムグリーンのイメージは確固たる地位を確立していく。(続く)

H1R

H1R

空冷2ストロークピストンバルブ3気筒498ccの500SS マッハⅢ(H1)ベースで、1968年12月に限定発売された市販レーサー。1970年からWGPに参戦し、G.Molloyがランキング2位を獲得。翌1971年メーカーズタイトル3位、1972年メーカータイトル3位と安定した成績を飾った。水冷化されたH1RAWは、70年代中盤まで走り続けている。クリックすると出現する写真は、1970年7月のベルギーGPで2位に入賞したマシン。

H2R

H2R
1973年3月に発売された750SS(H2)をベースにモーリスの7本スポークマグキャストホイール、アルミ製ディスクブレーキなど装備した限定生産の市販レーサー。スペシャルヘッド、シリンダーなどでチューンされたエンジンは100ps/9000rpmを誇った。デビューイヤーのAMAスーパーバイクで4勝し、シリーズチャンピオンマシンに輝く。



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