ライムグリーン伝説・第二章

KR350(1982)

KR350


↑チャンピオンナンバー、ゼッケン1は1982年のアントン・マンク仕様。350クラス最後のチャンピオンマシンは、川崎重工業が保管し、神戸のカワサキワールドで展示されている(展示車の入れ替えもあるため展示されていない時期もある)。


 この写真のKR350は、アントン・マンク(ドイツ出身。愛称のトニー・マイクと呼ばれることも)が1982年にシリーズチャンピオンを獲得したマシン。

 マンクは1981年にもKR250とKR350を駆り両クラスを制覇しており、KRとの相性は抜群であった。

 基本的にKR250のタンデムツインエンジンをベースに、ボアのみ64mmに拡大した兄弟モデルで、車体も基本的には同一構造。

 WGPには1978年から参戦し、デビューイヤーはコーク・バリントンが6勝、グレッグ・ハンスフォードが3勝を挙げ、コーク・バリントンが250と共にダブルタイトルを獲得し、好スタートをきめた。

 翌1979年はコーク・バリントンが5勝、グレッグ・ハンスフォードが3勝を挙げ、コーク・バリントンが2年連続のチャンピオン(前年に続き250と350のダブルタイトル)となった。

  以後も安定した速さで、1981年、1982年はアントン・マンクが2年連続でチャンピオンを獲得という絶対的圧倒的な強さを見せつけた。

 ちなみにアントン・マンクは、1982年にカワサキがWGPから撤退した後はホンダに移籍し、1987年には37歳で再びチャンピオンを獲得している。

 KR250、350は、本格的にWGに参戦を開始した1977年からカワサキがWGPから撤退することになる1982年までの間、コーク・バリントンとアントン・マンクらの手によりでWGPで挙げた勝利は、実に73勝に及んでいる。

  WGPの350クラスは、1982年を最後に廃止となり、KR350が最後の350チャンピオンマシンとして有終の美を飾ったのである。

←アントン・マンク仕様は、スクリーンを囲むようにカウルが付いているのが外観の大きな特徴。どういう効果を狙ったのものかは解らないが、チャンピオンを獲得しているのだがら、何らかの効果はあったのだろう。ちょっとAR50を連想させる細長いタンクはFRP製。

前後ホイールはPVM製の18インチ。タイヤはフロントは3.25/4.50、リアに3.75/5.00という表記がされたダンロップ製を装着。ブレーキはシングルピストンで、ディスクもフローティングでも多孔でもないので、現代の目で見てしまうとなんとも心許ない。


←タンク前方部分の後ろ(写真ではイグニッションコイルの後ろ)のフレームに溶接してあるパイプはフロントジャッキを通すための穴。短時間でセッティングをだすための創意工夫は随所に見られ、ドリブンスプロケットはボルト止めではなく、大きなサークリップで固定されている。フレームはコンベンショナルな鉄パイプ製ダブルクレードル。

キックスターターのシャフトに見えるのは、なんとシフトシャフト。貫通していて左も右も対応出来る構造。これは右チェンジを好んだ当時のヨーロッパライダーに合わせての装備。クラッチは乾式。エンジンは車体左側にマグネシウムボディのキャブレターが前後に2個並んで付き、チャンバーは前シリンダーが通常の前方排気、後方シリンダーは後方排気。

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