バイクの英語

第33回「A heavy right foot
(ア ヘヴィ ライト フット)」

 飛ばし屋ってなんでしょうねぇ。僕自身はどちらかといえば飛ばし屋だと思っています。道が開けていればビャーッと行きたいし、ワインディングもエキサイティングなペースで走るのが好き。高速道路も一番左側の車線をのんびり走るタイプではないですね。だって「高速」道路なのだもの、高速で移動しなければ意味がないでしょうよ。
 法定速度を超過した時点で犯罪者扱いされがちですが、まーそれはただ叩きたいだけの人達の意見でして、そもそも140キロの制限速度を想定して建設が始まった新東名高速なんて100キロで走ってる人は本当に少ない。排気量のある車では、流してるつもりでも120キロは当たり前。気づけば130キロ出てる道です。なるほどこれなら140キロ制限でも良かったのではないかと思います。
 一般道も同じで、意味もなく制限速度が低いところがありますね。うちの近所で面白いのが、最近まで歩道がなかった田んぼの中の一本道で40キロ制限の所。これが最近整備されて、車道が広くなり立派な歩道がついただけでなく、歩道と車道の間に幅1.5メートルはありそうな花壇までできて、完全に歩車分離がなされました。ところが制限速度は相変わらず40キロ。ご丁寧に改めて40キロの標識まで立ちました。そして、それまでは取締りなんてやったことなかったのに今では完全に取り締まりスポットとなっていて、地元民もがっぽがっぽ捕まってます。
 こんな風に、道路の実情と実際に流れている速度が大きくかけ離れている道も多々あり、だからこそ「制限速度を越えた時点で犯罪者」といった画一的な視点で速度の問題を語るのは無意味と思うのです。

 でもね、その中でも良心という物がありまして。例えばガラガラの新東名の3車線ゾーンで140キロで走るのは、大きく違法ながら「悪質」ではないでしょう。うちの近所の整備された例の道を60キロで走るのも、法定速度を20キロもオーバーしてるものの、やっぱり「悪質」だとは思えません。先日走った中国自動車道なんて、交通量も少なくて見通しも良いのにずーっと80キロ制限。わけわからん。ここを110キロで走っても、やっぱり「悪質」ではないでしょう。
 一方で悪質だと思うのは、例えば気持ちよく走れる郊外の国道を80キロぐらいで流したあとに、町や村に入っても速度を落とさない人。地方の小さな村なんて、国道も私道も同じぐらいの意識でいるご老人が軽トラや、草刈カマを荷台にくくりつけたカブでフラフラ走ってるのに、ここを70キロないしで駆け抜ける人達がけっこういる。これは20~30キロしか速度超過していないけれど「悪質」だなぁ。

 大型バイクが一般化して、高速道路をメチャクチャに飛ばす人も出てきました。3車線を縫うようにスリヌケして、しかも4輪車を威嚇するような行為もチラホラ。これも悪質だと思いますがいかがでしょう。東名高速には最近「二輪車の無理なスリヌケ危険」といった表示が電光掲示板に現れるようになりました。事故が増えたのか、クレームが増えたのか定かじゃありませんが、何か嫌なバイブレーションが起きているのでしょう。
「悪質」「悪質というほどじゃない」、どちらも法を破っているという意味では同じだけれど、じゃあどこまでが悪質ではなく、どこからが悪質なのか。これはもう、個人の判断だと思います。
 僕のルールは、自分以外の全ての運転者が自分の母か妻だと思って飛ばすこと。母はもう歳で、もともと運転は苦手なのに最近は目も判断力も弱り、運転も危なっかしくなってきました。そんな危なっかしそうな車を見たら母さんだと思い、十分な車間距離をとるなり、追い抜く場合もしっかり相手にこちらを認識してもらい、余裕をもって抜くようにしています。
 若いドライバーでも、みんな自分の妻だと思って接します。ひどい運転でも、自分の妻だと思えば許せちゃうし、無理せずによきタイミングで抜くようにするようになる。歩行者は皆、最近かわいくてしょうがない姪っ子だと思っていつも譲る。というルールだけを守っていれば、あとは好きに飛ばしていいと思っています。他の運転者が皆親戚だと思えば危険な目には合わせたくないし、そのため例え制限を越えるスピードが出ていても、やっぱり運転は丁寧になりますもの。
 これが「飛ばし屋」だと思っています。十分な安全マージン及び他の交通への配慮は欠かさない。だけれど大丈夫そうな所では常識の範囲(これが難しいのだけれど)内でアクセルを開ける。
 周りの人の安全や恐怖感を考慮せずにメチャクチャに飛ばす人は「飛ばし屋」なんていう、どこか愛着や尊敬も含まれる表現ではなく、ただの無謀なドライバー/ライダーですね。
 さて、「彼は飛ばし屋」を英語で言うと「He has a heavy right foot」となります。直訳すれば「彼は右足が重い」という意味ですね。ではなぜ右足が重いことと飛ばし屋が結びついたのでしょう。諸説ありますが、有力なものを一つ。

 

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 そもそもはカウボーイたちの間で使われた言葉だという。カウボーイとは、西部劇のガンマンのような印象があるかもしれないが、実は牛を管理する牧畜従事者である。広大なアメリカの土地で多くの牛を管理しなければいけなかったカウボーイたちは、馬を操る高い能力が問われる仕事だったのだ。牛の数が多ければ多いほど、より正確な馬さばきでその群れの周り、時には中をも自在に駆けめぐる必要があり、優秀なカウボーイほど人馬一体となって牧畜業をこなしたのである。
 馬の操作もバイクと同様、加減速のメリハリが非常に重要な所。コーナリングも重要ではあるが、特にカウボーイたちは牛の群れの動きに合わせ、馬を減速、停止、そして再加速させる能力が求められた。それに必要なのは上手な手綱さばきはもちろんだが、それに加えてカカトで馬の腹を叩き、加速を指示する動作だ。馬により機敏な加速を要求するためにはカカトによる鋭い蹴りが必要であり、そのためカウボーイたちは重量があり、カカトに金具のついた特別なブーツを履いていたのだ。
 その中でも突出して馬を操る(加速させる)ことが上手なカウボーイに対して、仲間たちは「あいつは足が重い」という褒め言葉を用いていたとされる。足の重さそのものを指しているのではなく、カカトの鋭い動きで馬を正確に操ることができる、というわけだ。
 この時点では、この言い回しは特別右足だけに限ったものではなかったが、モータリゼーションと共に、アクセルを踏む右足だけを指して使われるようになっていったとされる。アクセルを積極的に踏み込む人→右足が重い人、というわけであり、現在では「飛ばし屋」を意味する言葉となった。ここで興味深いのは、右足はアクセルだけでなくブレーキも扱うということ。アクセルもブレーキも、自信を持って踏み込めるような、メリハリをもった運転ができる人に向けた言葉なのだ。

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 いかがですか? アナタの右足は重いでしょうか。バイクの場合は右手が重いということになるのかもしれません。あらゆる状況を想定し、あらゆる他のドライバーの存在を認識し、そして自分とバイクの能力の範囲内でスピードを出す責任ある飛ばし屋は、むしろ円熟した交通社会を生むのではないかとさえ思っている筆者です。もちろん、自分の行為からどんな迷惑や危険がおきるかのインスピレーションを持つことができずに、ただただ飛ばす傍若無人な運転はダメですよ! 来るシーズン、楽しく、安全に、そしてまた楽しく。責任ある「飛ばし屋」でありたいものです。


筆者 
バージニオ・ペラーリ

1981年、カジバでWGPに参戦したイタリア人ライダー。TZ500のクランクケースに、カジバのオリジナルシリンダーを装着したロータリーバルブ仕様でチャレンジするも、結果はいまいち。小柄で細身体型の本人は「足の重さに問題があったんじゃないか…」と振り返るが、セリアーニ製のサスの事を言っているのか、冗談なのかがわからない。現在の愛車はスズキのグース250。「新東名、140キロ制限にならなくて良かったよ。ニーゴーグースじゃ140巡航できないもん」
※例によって写真はイメージです。


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