“世界で最も過酷なモータースポーツ”──ダカールラリー。40年目を迎える2018年に向け、始動を宣言!

■取材・文:松井 勉
■取材協力:ダカール・ラリー日本事務局 http://www.paridaka-info.com/w/

 世界選手権も、国内選手権も、多くのモータースポーツがオフシーズンを迎える年末、年始。スポーツ紙に話題が減るその時期、そこに目をつけ、壮大なイベントを仕掛けた男がいた。ティエリー・サビーヌ。自らの名を冠したティエリー・サビーヌ・オーガニゼーション(略してTSO)を率い、計画されたのがパリ・ダカールラリーだ。
 ルートも壮大。真冬のパリをスタートし、フランス国内を南下。地中海をフェリーで越境し、アフリカ大陸へ。その後も数カ国の国境をまたぎ、大陸西岸、セネガルの首都ダカールへ。3週間という期間と1万km以上の行程、そればかりか時差、文化、宗教の違いを越えて進むラリーは、サハラ砂漠の砂丘が彩る実写版の劇画のような冒険だった。

 1978年12月26日。エッフェル塔を望むトロカデロ広場というパリを象徴する場所から堂々たるスタートを切り、バイク、車、トラックの一団は、褐色に輝くサハラを越え大西洋の波打ち際、ダカールへ。XT500を駆るシリル・ヌブーが最初のラリーウイナーとなるのだ。

 あれから間もなく40年。ダカールラリーは連綿と続き、2009年からはその舞台を南米大陸へ。サハラからアタカマ砂漠やアンデス山脈を取り囲む高地へと入り込み、今年もその冒険を紡いでいる。

 その記念すべき40周年となる2018年へと向け、4月22日、東京品川のモンベル高輪ビルにおいて、“Dakar Rally World Tour in Tokyo”と銘打ったイベントが開催された。ラリーの常連はもちろん、過去のエントラント、いつかはダカールラリー、と夢見る人、プレス関係者など多くが参加した。
 このイベントは、ダカールラリーの参加者が多い国、関心の高い国を主催者自らが巡り開催される次回ラリーへのプレゼンテーションであり、日本でも過去何度も開催されてきた。
  このためにダカールラリーを主催するASO(アモリー・スポーツ・オーガニゼーション)で、競技者向けサービスのディレクターを務めるグザビエ・ガボリー氏が来日。2時間以上にわたるプレゼンテーションを行った。その冒頭ガボリー氏は「ホンダ、ヤマハ、スズキ、そしてトヨタ、三菱、日野というダカールラリーの常連、縁の深いメーカーの母国、日本。ダカールと縁が深い国で40周年ダカールラリーのプレゼンテーションを出来ることを嬉しく思う」と述べた。

出発する者にとって挑戦、
残る者にとっては夢……。

By ティエリー・サビーヌ(ダカールラリー創始者)

 さっそく40周年を迎えるダカールラリーの概要をお伝えしたい。マップにあるように、次回のラリーはペルーのリマをスタートし、ボリビアの首都ラパスでラリー中日を迎えレストデイを過ごす。そしてアルゼンチンのコルドバでゴールを迎えるルートが取られている。1月6日にスタートし、20日ゴールする、15日間、14ステージで行われる。

 2017年のダカールラリーと比較すると、開催日程が13日から15日へ。競技区間となるステージ数は12から14へと二つ増えている。また、ルートにはペルー国内で2つ、フィニッシュとなるコルドバで1つの計3つのループコースが設定されている。ルート詳細は今年の11月の発表を待つことになるが、南米にその舞台を移してからの主戦場となる、アンデス山脈と太平洋側に続く砂丘地帯をふんだんに取り入れたものになるという。

 また、全行程の距離に占める割合として、競技区間のスペシャルステージを長くとり、移動区間となるリエゾンを少なくするという。また、砂丘を含む砂漠のステージがラリー開始早々、リマから始まるとも。ラリーの常連達も、ペルーの砂漠には畏怖の念を持っているようで、手強さが際立つようだ。

 ガボリー氏は「ペルー国内は、気温がアルゼンチンや2017年にスタートをしたパラグアイと比較して、暑すぎることも寒すぎることもない。雨も少ないはずだ。2017年は雨の影響が大きく、ボリビアではキャンセルが出た。そうした影響も前半戦は避けられるだろう」と述べる。

 ペルー国内で設定した二つのループは、おそらくアンデス山脈での高地を通過した後、少しでも標高の低い場所にラリーのビバークを取るためのものだと思われる。また、12ステージから複数のキャンセルや競技区間の短縮化が多くでた2017年のラリー。ステージ数を増やすことで補正しているともとれる。これは歓迎だ。

 つまり、競技日程が増え、競技区間が長くなり、しかも前半から砂丘ステージが存在する。中間地点となるボリビアのラパスは、標高3800mの高地。参加者達はラリー中唯一の安息日を富士山山頂よりも高く、フィジカルケアが必要な場所で過ごす。実質休みない。3500m以上の高地滞在期間が6日に及んだ2017年のラリーと比較して、ビバークがどうなるのか、それは11月のルート詳細発表を待つ必要があるが、いずれにしろ、楽なダカールラリーはないので、覚悟は必要なのだろう。

 後半パートは南米ダカールラリーでもお馴染みの地名が続くが、トリッキーなルート設定でゲーム性を高める術を駆使するASOのルートディレクター、マルク・コマが造るコースだけに、その競技性は高まるものと考えるのが順当だろう。

 エントリー開始は5月15日。例年、締め切りの7月15日前に定員を超え、参加者のセレクションを行うという。ダカールラリーへの参加希望者は緻密な時間割を造り、参加への道を切り開いてほしい。


MAP
前半、砂丘、砂漠の連続のルートを走ることになる。2018年のルートは前半からハイライトとなりそうだ。すでにこの3月にはASOのスポーティングディレクターを務めるマルク・コマがルート製作を行っている。その模様を収めた映像が流されたが、見応えのある砂丘の広がりは見る者にロマンを感じさせ、競技者には悪夢を見せるのかもしれない。

ダカールラリー、でもその前に……。

 ガボリー氏は「ラリーを志す人にとってダカールラリーは夢であり目標。ただし、初めてのラリーに選ぶにはハードルが高いのも事実。そこで、北アフリカの国、モロッコで2010年から行われているメルズーガラリー(http://www.merzougarally.com/en/)など、短くも経験値を積めるラリーに参加してからでも遅くないのでは。」と言う。
 このメルズーガ、5月に行われているラリーで、抜群に美しい砂丘群があるモロッコで開催されている2輪、ATV、UTV(サイド×サイド)に向けたラリーだ。2017年は5月7日〜12日の日程で行われ、総走行距離は2000〜3000km程度、そのうち2017年に予定されている競技区間は800km。ライダーのエントリー区分はプロ、チャレンジ・エキスパートの2種類で、ワークスチームもエントリーする。エントラントの多くはアマチュア選手だという。

 2016年には、バイク83 台、ATV(クワッド)22台、UTV(サイド×サイド)16台の計121台が参加している。2017年のダカールラリーに初参加・完走を果たした風間晋之介さんも、このラリーで腕を磨いた一人だ。
 メディカルサポートやGPS、イリトラック(追跡システム)によりダカールラリーのような安全性も主催者により提供されるほか、ラリーの中の暮らしがダカールラリー同様で、コマ図で走ること、ペース配分、砂丘を走ること、ビバークでの暮らしなどもしっかりと体験できる。また、期間中、ラリーのスポーティングディレクターであり、ダカールラリーを5度制した経験を持つマルク・コマ(ダカールラリーのコースも彼が造っている)がワークショップを開き、ライディング、ナビゲーションを実地学習することも出来るのだ。

 実質的なダカールラリー登竜門としても機能しているのがこのイベントだ。2017年の場合で、エントリーフィーは2輪で2900ユーロ〜3300ユーロ(早期エントリー割引きがある)、宿泊費が485ユーロ、アシスタンスクルーは700ユーロ+宿泊費485ユーロとなっている。

 情報収集や申し込みなどの相談は、ダカール・ラリー日本事務局 代表志賀あけ実氏 a.shiga@dream.com 電話:03-6764-0781まで。

ダカール夢、ダカール狂気、ダカール論争……。

 YouTubeで見る『Best of Dakar 2017』(https://www.youtube.com/watch?v=s2HDAYNCJ4Q)というビデオはダカールラリーのダイジェストだ。美しく描かれた埃、闘う参加者。強く、逞しく、しかし戸惑い、疲れ、そして夢破れる。大自然のスケールとちっぽけな人間を描くことで、見る人の脳内で一つの短編映画と見立て、感動を組み立てる筋書きになっている。
 世界で最も過酷な、というフレーズですら一つの装飾に過ぎない。南米の現場は恐ろしく暑く、5000m近い高地は凍えるほど寒い。しかも、意識して深呼吸を続けないと、フッと意識が遠のくような世界だ。その中で走り、闘うことと、様々な刹那、参加者はこのラリーの主役であり脇役となる。つらくてつらくてぽろりと涙でも流せば最高の演出となり、トラブルの映像はダカールラリーを更なる高みへと押し上げるのだ。
 そう、ダカールラリーは全てを飲み込む包容力を持ち、風で動く砂丘のような存在。

 かつてティエリー・サビーヌは言った。
「冒険のトビラを示すことはできる。開けるのはキミだ。望むなら連れて行こう」
 人を焚きつける。それはまるで、10万人以上をライブに動員するスーパーバンドのフロントマンのごときカリスマ性だ。世界一過酷だが、アマチュアも参加が出来る数少ない頂点レース、それがダカールラリー。勇気、覚悟、財力、知力、技術、人間性。問われるのは全てだ。そんな世界に興味がある方は是非、南米の地へ……!



決風間深志さん
1982年、賀曽利隆さんとともに二輪部門で日本人としては初めてダカールラリーに挑戦した風間深志さん。2016年、息子晋之介さんとともにダカールラリーへのチャレンジを開始した。2017年1月のダカールラリーでは、晋之介さんのサポートのため、ラリーに同道した。「やっぱり自分で走りたいよ。UTVクラスでの参加も模索しているんだけど、最終的にはやっぱりバイクだね。バイクが好きだから。」と風間さん。2004年のダカールラリー参戦中、事故により受傷した足の怪我のため、苦しいライディングを強いられているが、その改善策まで模索しているとのことで、具現化される日も近いかもしれない。「だって、フランコ・ピコがまだやっているんだよ。オレだってさ、頑張らないと。」とのこと。
※フランコ・ピコ 80年代、イタリアヤマハからダカールラリーに参戦していたライダー。哲学的な風貌で、ファンは多い。60歳を越えた今もダカールラリーに挑戦し続けている。


トークショー


第一回オアシスラリー
この日、ダカールラリーレジェンドのトークショーも行われた。日野チームスガワラで長年参加をしている菅原義正さん、照仁さん親子とともに晋之介さんもオンラインで参加。本業でもある俳優業の撮影で当日は会場に参加ができなかった。ダカールラリーへは5カ年計画で参加を続けたい、とのこと。 40年前、トロカデロ広場に集まった第一回オアシスラリー(パリ〜ダカールラリーの1回目の呼称は、飲料水のスポンサー名、オアシスがそのまま使われたという)。セーヌ川を挟み、エッフェル塔が見える絶好の場所。都内に置き換えたら、絵画館前広場から外苑の銀杏並木と周回路を封鎖し、国立競技場の中からスタートするようなスケール感だ。


グザビエ・ガボリーさん


会の〆
ASOのグザビエ・ガボリーさん。自身、親日家で日本国内も旅行して回った経験があるという。酷い雨を経験した風間さんから雨期の季節から天候が安定する2月、3月に会期を移すことはないのか、との質問には「伝統的に1月にしています。それは40年変わらない歴史です。アフリカ時代も思い出してみて下さい。砂嵐でステージがキャンセルされる事もありましたから。ね、スガワラさん!」とウイットに富んだ受け答えをする人。 会の〆はダカールラリーに過去参加したことがある人、参加を夢見る人とともに記念撮影。世界を目指す人が一枚に収まった。
写真は両サイドに次回ダカールラリーへのスポンサー契約を交わしたオイルメーカー、MOTULからプロモーションのために会場にやって来たお二人、エントラントは、左から、チーム・トヨタ・オートボデー・ランドクルーザーの監督、角谷さん、ドライバー、三浦さん、日野チームスガワラ、2号車ナビゲーターの高橋さん、ドライバー、菅原照仁さん、40周年のプレートを持つ風間さん、グザビエさん、オート部門で優勝経験も持つ篠塚建次郎さん。