追悼・田口顕二氏「プロカメラマン田口顕二が考えること」

 東京都港区南青山。原宿に隣接する一等地ながら、築ウン十年という風情の小さなビルやマンションが狭い路地に密集し、一種独特な空間を形成している。こんな雰囲気に惹かれてなのか、この界隈に事務所を構えるアーティストも多い。
 そんな町のとある小さなマンション、マンションというよりもアパート、それよりも一昔前の団地という風情の建物にエレベータはない。狭い階段を4階まで上がり、一世代前の公団アパート的な飾り気のない鉄製のドアを開けるとそこが田口写真事務所だ。
 ここに仕事場を構えすでに二十年以上、丁寧に手入れされた室内からは感じられないが、無造作に並べられた作品達が積み重ねてきた年月を物語る。
 プロカメラマン田口顕二。みなさんはこの名前を意識したことはないかも知れない。それどころか知らない人もいるだろう。写真専門誌ならともかく、バイク誌に掲載された写真を見て「カッコイイなあ」「きれいだなあ」と感じても、誰が撮ったのかまでは気に留めない。しかし本誌読者さんならば、写真を見れば「この写真を撮った人が田口さんか」とすぐに解ってもらえるだろう。




田口写真事務所の風景。










本誌の巻頭を飾った田口さんの作品達。強烈な個性で記憶に残る作品も多い。「光り物はディテールを出す。マテリアルを的確に表現する」のがコツだそうだが、素人にはちんぷんかんぷん。それでも何を表現しようとしているのかは見れば解る。それがプロのお仕事というやつだ。


※田口さんはゴーグル誌に数多くの名作を残してくれました。田口写真事務所の快諾を得て、近日より順次掲載の予定です。バイク愛が溢れる田口ワールドをどうぞお楽しみに。

 

「なにやってんだよ」そして「よく考えろ」。

 田口さんの撮影にはアシスタント(=弟子)が付く。そして撮影現場ではこのフレーズもセットで聞こえてくる。カメラを構えていないときの田口さんはつまらないオヤジギャグを連発する。聞き飽きた誰かが「オヤジ、うるさいよ!」と暴言を吐いても笑ってくれる温和なオヤジさんだ。

 しかし、仕事場で弟子に対する姿勢は、そんなに強く言わなくても……と助け船を出したくなるほど厳しい。教えるのではなく盗めとまでは言わないが「なにやってんだよ」の問に対し、何をどうすればいいのか答えは言わない。そのかわりの「よく考えろ」なのだ。

「写真を撮るための技術を教えるだけなら簡単かも知れない。俺のセッティングをそのままマネすればいいんだから。でもさ、それじゃしょうがないだろ。確かに俺は口うるさいけど、何がダメなのか、どうすればいいのか自分の頭で考えて答えを出して、そうやって自分で自分の写真が撮れなきゃ、とてもじゃないけどプロにはなれないだろ」



1990年代初頭のとある撮影現場にて。「しのぶ〜! なにやってんだよ!」そんな声が聞こえてきそうな一枚です。カメラの横にしゃがんでいるしのぶ君は田口さんの一番弟子。今では立派に一人立ちして活躍しています。

 現在事務所のスタッフは女性マネージャーの今野さんのみ。2人いた弟子は田口さんの期待に応えプロカメラマンとして一本立ちしている。弟子が空席の今、田口さんの撮影にかつての弟子がアシスタントとしてはせ参じる訳だが、さすがに昔のような怒鳴り声は聞かれない。そんなとき田口さんは怒鳴る理由をあら探して、ちょっと嬉しそうに怒鳴る。

「あれ、なにやってるの?」
 このマンションにはもう一人ゴーグルに縁の深い人が事務所を構えている。イラストレータの林まさのりさんだ。用事があってもなくても、一日一度はお互いに顔を見せる向こう三軒両隣の関係だ。いつものようにごく自然に同じテーブルにつくと田口さんが切り出した。
「なあリン(林さんの呼び名)、俺たちそろそろ自分達がしてきたことを示さなきゃいけない歳になったんじゃないかなあ」
 それから田口さんと林さんは、最近の若者のこと、仕事のこと、バイクのことなど延々と話続けた。熱く語り合うオヤジ二人。疲れ切った同世代のお父さんに見せてあげたい元気のみなぎる光景だった。



オヤジ二人熱く語る。話を聞きながら気がついたのが、けして愚痴を言わないこと。今時こんな前向きのオヤジも珍しい。奧の女性は田口写真事務所の紅一点にして右腕の今野マネージャー。

 本誌編集長と林さんはアマチュア野球の仲間で、林さんと田口さんは別の仕事で知り合った。
「バイク好きなカメラマンがいるよ」
 林さんが田口さんと編集長を繋いだ。もう二十年も前のことだ。
「バイク撮影は、ゴーグルが最初だった。それからだよ、この業界で撮影するようになったのは」
 以降本誌に掲載された写真を見て「ゴーグルみたいな感じで」と、バイクメーカーや広告関連などから撮影を依頼された。
「他でもバイクでもやり方はいっしょだよ。自分の写真は変えられない。結局自分の形でしか表現できないんだからさ。でもやっぱりさ、バイク撮るのは、いつまでたってもワクワクするよな」

「この子のいいところはどこなの?」
 バイクを撮影する前に田口さんは必ずこう聞く。撮影対象となったバイクの一番の主張、一番カッコイイところ、一番美しいところ、それらを強調してあげたいと思うからだ。だが、それは当たり前と言えば当たり前。気になるのは「このバイク」ではなく、なぜ「この子」なのか。
「そんなに気になるのか? 意識して言っているわけじゃないけど、バイクを単なる物として見るんじゃなくて、ひとつの個性、突き詰めると人間として撮りたいからかな」
 バイクを擬人化することは特に珍しくない。だが擬人化する理由をさらっと答えられるのは、常日頃変わらぬスタンスで被写体に接しているから。そうでなければ、浮ついた言葉に聞こえる。
 レースの撮影現場でもスタンスは変わらない。レース写真の華といえば望遠系レンズでビシっと止まった走りの写真を思い浮かべるが、田口さんはほとんど走りを撮らない。広角系レンズを構えピットに居座っているサーキットでは変なカメラマンだ。なのにレース関係の仕事も少なくない。

「俺もそんなに若くないし、コースに出るのはもうしんどい。それにピタっとした走りの写真は若い子のほうが上手いよ」とおっしゃるが、しんどいからピットに居座っているわけはない。レース=走りという真正面からではなく、田口流の切り口でレースを表現しようとするからだ。走りの写真は田口さんでなくとも撮れるが、田口さんの写真は田口さんしか撮れない。これも言ってしまえば当たり前だが、そこに気がつき、それが出来る人はそうそういない。仕事の依頼の多さが、なによりの証拠だ。
「人のことを知りたければその人をじっくりと観察するだろ。で、いいところ、悪いところを見極める。写真も同じことだよ」



現在の愛車はリード90。「都内の移動ならこの子だな。いい子なんだよ」とお気に入り。

「俺はサーキットの金網のこっち側(内側)にいるだろ。振り返ると向こう側(外側)にすごいカメラやレンズを構えている子がいるんだ。それも一人や二人じゃない。驚いたよ」
 若かりし頃、今はなき船橋サーキットの金網にへばりついてた田口さん。形は違ったが「いつかは内側を」との思いを果たした。高価な機材を揃えながら向こう側で満足している少年達に、不思議というか不可解な気持ちを抱いたという。
「今は買おうと思えば、ローンで何でも手に入る。経済的に豊かになったってことだよな。これはこれで幸せなことだけど、例えば昔のバイク屋のオヤジは、ナナハンが欲しくても『おまえがナナハン? まだ早い』って売ってくれなかった。売るのが商売なのに、売るだけが商売と考えていなかったんだよな。こんなこと言うと年寄りの説教になっちゃうけど」

「ところで最近のバイク業界にプラス要因はあるのか?」
 みなさんもご存知のことと思うが昨今のバイク業界は厳しさを増している。右肩上がりのバイクブームも今や昔。国内の二輪車販売台数は9ヶ月連続でマイナスという悪い記録を更新している。新車が売れず、新規の二輪免許取得人口も減少、当然パーツやウエア、そして我々バイク雑誌にも影響が出始めている。
「バイクの写真でご飯を食べさせてもらっている一人として、この状況はマズイと思う。ご飯が食べられなくなるという経済的な問題もあるけれど、そんなものはどうにでもなる。そうじゃなくて……」
 田口さんにバイクの楽しさを伝えたのは弟の信治さん。信治さんもプロカメラマンで戸井十月さんに同行し、自分のバイクでバハ1000を走るほどのバイクフリークだ。
「ホントなら兄貴から弟に伝染するもんだろうけど、俺は四輪のレースに夢中だったからバイクは全く頭になかった。でもさ、信治がすごく楽しそうに乗ってるんだよ。つられて乗り始めて、初めてのツーリングでさ、すれ違うライダーがみんな手を挙げてくれる。メーカーが違っても、男でも女でも、若くても年寄りでも、バイクに乗っていればみんな自然に挨拶している。四輪じゃこんなことはない。すごい世界だと驚いて、それからどんどんのめり込んじゃった。バイクに乗っているだけでどんどん仲間が増えたし、初心者の俺に先輩達は暗黙のルールとか、バイクとの付き合い方とか教えてくれたんだよ」

 
「こんなに素晴らしい乗り物を、次の世代にきちんと伝えられたのか。先輩達から教えてもらったバイクの楽しさを教えていないんじゃないかって思わないか。こんな時代にしてしまったのは、俺たちの世代がきちんとしていなかったからかと思うと、とんでもないことしちゃったって……」
 弟子を持ち弟子を育て一人前にした田口さんゆえの、考えすぎと笑い飛ばすのはたやすいが、果たして田口さん世代の後の我々はどうだろうか。こんなこと考えたこともなかった。

「最近のゴーグルには、ゆとりが少ないんじゃないか?」
 お世話になった方に毎月見本誌を発送するが、いいにしろ悪いにしろ感想を述べてくれる人は皆無に等しい。田口さんは「あれはいい切り口だ」「あの写真の使い方はもっと考えろ」「でもこっちはバッチリだな」「あのカットはこっちに持って来たほうが生きるんじゃないか」と毎月毎月ズバズバと伝えてくれる。耳の痛くなるような話もあるが、励みにも勉強にもなる。
「面倒なことは他誌に任せて、もっとバイクのファンタスティックな部分を伝えていけばいいんじゃない? バイクの楽しさを知っている人にも、まだ知らない人にも。それがゴーグルらしさだろ」

 帰り際、玄関先まで見送ってくれた田口さんは最後の最後でちょっと厳しい顔で言った。
「お前達が次を作っていくんだから。もっともっと自分自身で考えなきゃダメだぞ」
 田口さんから見れば、まだまだ半人前以下。次の世代に伝える前に教えられる事の方が多いようだ。


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