Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA その1」

RC142

 ホンダの海外レース初出場は、1954年2月にブラジルで開催されたサンパウロ国際オートレースであった。とはいえ、連絡の行き違いなどにより十分な準備期間もなく出場する形となってしまった。市販車ドリームE(150cc)をベースに、レギュレーションにあわせて125cc化したものでレーサーが製作されたが、ミッションは2速のまま、最高出力は6ps程度であった。
 それでも22台中13位で完走したのだが、世界とのあまりのレベル差に本田宗一郎氏は発憤、翌月、無謀な挑戦、社長の大風呂敷などと揶揄された有名な「マン島出場宣言」を発する遠因ともなった。

 もちろん有言実行の人、本田宗一郎氏の大風呂敷のはずもなく、翌年第一回浅間高原レースの4クラスに出場し、350、500クラスで優勝。1956年には本格的なレーサー開発部門が創設され、初代リーダーは2代目社長となる河島喜好氏が務めた。
 こうして1907年に始まった権威あるレース、マン島T.T.に向けての足固めを着実に行ない、開発されたのがホンダ初のWGPレーサーRC141、RC142であった。空冷4ストロークDOHC4バルブの2気筒124.6ccエンジンを(RC141は2バルブ)バックボーンフレームに搭載、フロントサスはリーディングリンク式だった。もちろん市販車がベースではない専用設計で、盆暮れ正月返上、あと3ps、あと1ps、あと0.5psと煮詰められていったが、伝説となっている「本田宗一郎氏からスパナが飛んでくる」という切迫した状況で開発されたという。

 1959年3月3日、WGP第2戦マン島T.T.レースの決勝には、3台のRC142が決勝のグリッドに並んだ。MVアグスタ、MZ、ドゥカティなど圧倒的な経験とパワーを持った強豪を向こうに回し、社員ライダーである谷口尚己選手、鈴木義一選手、鈴木淳三選手が、それぞれ6、7,11位と大健闘、また現地において急遽RC142のヘッドを装着し、4バルブ化されパワーアップしたRC141で田中楨助選手が8位と、全車が見事完走を果たし、初出場ながらメーカーチーム賞を受賞する快挙を成し遂げた。
 この貴重な経験を礎として、翌年の浅間火山レースにはRC142のエンジンを2つにしたような4気筒250ccのRC160を投入し圧勝、1960年シーズンからはRC143(125)、RC161(250)でWGPに本格参戦を開始。常勝ホンダの名を欲しいままにした第一期黄金時代へとひたすら驀進していく。

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RC142

RC142

RC142

RC142

RC142

RC142

RC142

RC142
カムシャフトの駆動は当時一般的だったバーチカルシャフトとベベルギアを使用。フロントブレーキはツーリーディング式のドラムブレーキ。レーサーだがメッキ処理の美しいメガホンタイプの2本出しマフラーは直管。テールカウル部には日の丸が。カウルに描かれた黄色いストライプは、東方よりの挑戦者を意味していたという。ゼッケン#8は谷口選手のマシンで、ホンダのWGP参戦50周年を記念して復元プロジェクトが発足し、2009年の日本GPで谷口選手のライディングで初披露された。
●エンジン:空冷4ストローク2気筒DOHC 4バルブ ●総排気量(内径×行程):124.6cc(44×41mm) ●最高出力:18PS/13000rpm ●変速機:常時噛合式6段 ●全長×全幅×全高:1874×650×930mm ●ホイールベース:1265mm ●乾燥重量:87kg ●タイヤ前・後:2.50-18・2.75-18

RC116

 1962年から始まったWGPの50ccクラス。ホンダはDOHC4バルブカムギアトレーン単気筒のRC110で参戦し、9速ミッションのRC111へと進化するが、このクラスでは圧倒的に2スト勢が有利で、ランキング3位に食い込むのがやっとという状況であった。そこでホンダが1962年に投入したのが世界初の50ccDOHC2気筒エンジンのRC112だった。

 RC112は翌‘63年4バルブのRC113へ進化、デビュー戦となる日本GPでルイジ・タベリがデビューウィンを飾った。’64年にRC114、’65年RC115と改良を続け、ラルフ・ブライアンズとタベリが7戦5勝を挙げ念願の50ccライダー、メーカーの両タイトルを獲得した。

 そして’66年、50クラスの最終型となるRC116はボア×ストロークの変更や車重の軽量化などが行なわれ、6戦3勝で2年連続メーカーチャンピオンを獲得し、ホンダはこの年、念願の全5クラス制覇の偉業を達成したのであった。

 究極まで進化した2気筒DOHC4バルブエンジンは、14ps/21000rpmという超高回転型へと進化し、電球のソケット並のシリンダー、マッチ棒のようなバルブなど「時計のような精密機械」と呼ばれた。

 9速ミッションと半クラッチを駆使し、狭すぎるパワーバンドに乗せて走らせるには、もてぎ南コースでは広さが足りず、あまたの二輪四輪レーサーを乗りこなす名手宮城さんでも難しかったようで、今回は全開の咆吼を残念ながら聞くことができなかった。

 ちなみに精巧な1/10スケールダイキャストモデルのRC116特製品(タミヤが製作)が、ホンダコレクションホール開館10周年記念としてシリアルナンバー付3000台限定が5万円という高価格で発売され大きな話題になった。

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RC116

RC116

RC116

RC116

RC116

RC116

RC116

RC116
こうして後ろからみると自転車ほどのスリムサイズなのがよくわかる。車両重量はわずか50kgで今回テストライドした宮城さんよりも軽い! 精密機械と呼ばれたDOHC4バルブの1気筒あたり24.8cc(ボア35.5mm、ストローク25.14㎜)エンジンは、2万回転オーバーで14psを発揮する高性能。そのパワーを受け止めるフロントブレーキは、リムを直接押すどう見ても非力そうな自転車タイプ。9速ミッションを駆使し、狭すぎるパワーバンドに乗せながら、こんなプアなブレーキでバトルを繰り広げていたのだから、当時のライダーの腕と度胸の凄さは、とても想像できない。

4RC146

 1959年、初代125GPマシンRC141で世界GPに初出場して以来、WGP125ccクラスでは、’60年にRC143が早くも初優勝をもたらし、’61年2RC143は初のライダー、メーカーのダブルチャンピオンを獲得するなど、’62年のRC145までDOHC4バルブの2気筒エンジンで善戦を続けていた。

 しかし’63年はタイトルをスズキに奪われてしまう。お家芸の高回転高出力化で奪還すべく’63年最終戦となった日本GPに4気筒エンジンのRC146を投入。翌シーズンは改良型の2RC146が参戦し、タベリが7勝を挙げ見事チャンピオンを奪回した。

 `65年には28ps/18000rpmへとパワーアップした4RC146へと進化したものの、2ストライバル勢の追い上げが激しく、このシーズンはついに一勝もできないという不本意な結果となってしまった。

 `66年からは50ccレーサーRC115の24.8ccシリンダを5個つなげたような、34ps/20500rpmという究極の高回転型5気筒エンジンRC149へとバトンタッチし、最後の4気筒125レーサーは静かに舞台を降りた。

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4RC146

4RC146

4RC146

4RC146

4RC146

4RC146
4RC146は2RC146の改良型で外観上の相違点はやや短いマフラーの長さくらい。スリムでコンパクトな車体幅に比べ、左右にせり出したエンジン幅が4気筒らしさを強調している。乾燥重量はツインエンジンのRC145よりも15.5kgも軽量化され、ギア駆動のDOHC4バルブ4気筒エンジンはボア35.26mm、ストローク32.0mmの124.98ccでパワーは28ps/18000rpmで、ベースとなった2RC143より4000rpm高回転となり、5psのパワーアップを果たした。

4RC146

RC149
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 ホンダのWGP125ccクラスへの本格的な挑戦は1960年2気筒のRC143から始まった。翌年はロングストローク化されたRC144が投入されたが、パワー不足と熱問題から、RC143の改良型エンジンに載せ替えた2RC143へと急遽スイッチされる。この作戦は功を奏し、トム・フィリスがホンダ125ccクラスに初のチャンピオンをもたらした。
 ’62年は改良型RC145で連覇したものの、’63年は急成長したスズキにタイトルを奪われてしまう。チャンピオン奪還のために製作された4気筒マシンがRC146で、’63年の最終戦日本GPでデビュー、’64年は2RC146へと進化しタイトル奪取したものの、’65年は開幕戦から再びスズキRT65が4連勝。第5戦は初登場したヤマハRA97がデビューウィンと4RC146はまったく歯が立たず、7戦以降はキャンセルしニューマシンの開発に総力が注がれた。
 ついに投入された切り札が、世界に類を見ない空冷5気筒のRC148であった。例によってデビューは1965年の最終戦日本GP。実績のあった50cc2気筒レーサーRC115のシリンダを5つ並べたような、超ショートストローク(35.5×25.14mm)で、34psを20500rpmで発揮する高回転高出力の権化のようなエンジンであった。レースでは2位と3位に入賞し来シーズンへの希望を繋いだ。
 ホンダのWGP第一期125ccクラス参戦最後の年となった1966年、RC148の点火系を改良し登場したRC149は、早くも第2戦ドイツGPでルイジ・タベリが初勝利を挙げる。ヤマハは安定的な速さのRA97に加え新開発水冷V4のRA31まで投入するも、最終的にはフィル・リードとの大接戦を征し、ルイジ・タベリが5勝を挙げタイトルを奪還。RC149はホンダの念願であった全クラス制覇の一翼を見事に担ったのである。


RC149

RC149

RC149

RC149

RC149

RC149

RC149
5本のマフラーは左右に2本づつ振り分け、真ん中はエンジン左側から回り込んでシート右下から出るというレイアウト。これはバンク角の確保と、重量配分バランスからといわれる。ちなみにRCレーサーシリーズでは初めてオイルクーラーを装着したのがこのRC149であった。今回のテストでは調子がイマイチ。エンジン始動のみで、残念ながら独特の超高回転の走行サウンドを聴くことはできなかた。

RC164

 ホンダの250cc4気筒レーサーの歴史は1959年のRC160に始まり、’60年西ドイツGPにおいてのRC161が田中健次郎選手によって3位入賞を果たし、日本人ライダーと日本製マシンのコンビを初の表彰台へと導いた。

 `61年のRC162では、デビュー戦となった西ドイツGPにおいて高橋国光選手が見事初優勝をもたらした。

 翌’62年はRC163を駆るエース、ジム・レッドマンらの活躍で9戦すべてを優勝する快挙も達成し、黄金時代を築く。そして‘63年、基本的には前年型RC163を踏襲していたRC164へと進化する。

 この年の250クラスは、急速に力を付けた伊藤史郎、フィル・リード両選手のヤマハRD56が猛追し、前年のような楽な闘いではなかったが、ジム・レッドマン選手は優勝4回、2位3回、3位2回と表彰台を外すことなく再びホンダをチャンピオンに導いた。最終戦は鈴鹿サーキットで開催された第1回日本GPで、RC164とジム・レッドマンのコンビが見事優勝している。

 2スト勢の脅威に対抗すべく、250マシンはさらに戦闘力を高めるため、翌年6気筒のRC165、そしてRC166へと大変身することになる。

 名レーサーの誉れ高いRC162、163とスーパー250のRC166に挟まれ、地味な印象のRC164ではあるが、4気筒時代に幕を下ろした。

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4RC146

4RC146

4RC146

4RC146

4RC146

4RC146
9戦全勝、ホンダに3年連続の栄冠をもたらす輝かしい戦績を飾った前年型のRC163とほぼ同スペックのRC164。ギア駆動の4気筒DOHC4バルブ、最高速度220km/h以上、46ps/14000rpm、6速ミッションなどスペック上の変更はないが、トランジスタ点火やカムプロフィールの変更などさらなる熟成化がおこなわれ、4気筒としてはほぼ完成型といえる仕上がりを見せた。

4RC146

RC166
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 1960年WGPに本格参戦を開始したホンダの250ccクラスマシンRC161は4気筒ギアトレインのDOHC4バルブ、ボア×ストロークは40×41mmというほぼスクエアの249.37cc。最高出力は38ps/14000rpm以上で第5戦西ドイツGPでは田中健二郎が日本人初の表彰台に登る活躍を見せた。その後RC162、RC163へと進化し、’62年はジム・レッドマンなど出走した9戦すべてを優勝するまでに至った。
 ’63年にはRC164へ進化し連覇を達成したが、続く’64年はライバル勢、特にヤマハのフィル・リード、伊藤史朗らがライディングしたRD56が猛追、シーズン途中でパワーアップ版2RC164を追加投入するも、シーズン後半には大勢が決しタイトルを逃してしまう。
 そこで翌シーズンに向けた反撃の第一歩として第11戦イタリアGPに開発が進められていた6気筒マシンが初投入された。6気筒であることをカムフラージュするため走行直前までマフラーは2本が外され、名称もあえて RC164改良型を示す3RC164が使われた。世界初の6気筒250ccレーサーは膨大な発熱による熱だれに悩まされながらもエース、ジム・レッドマンが3位完走の結果を出し、最終戦日本GPでは発熱対策を行なったRC165へと進化し早くも6気筒に初勝利をもたらした。
 チャンピオン奪回が期待された’65年だが、フィル・リードの7勝に対し、前年の負傷で前半を欠場したジム・レッドマンは3勝しか挙げられなかった。最終戦日本GPでは、翌シーズンにMVアグスタからホンダへカムバックするマイク・ヘイルウッドが、先乗りのような形でRC165に乗り優勝したものの、結局ヤマハの連覇を許してしまう。
 背水の陣で望んだ’66年、基本的なレイアウトはRC165と同等だが、54ps/16500rpmから60ps/18500rpmへと高回転高出力化を具現化しパワーアップされたエンジンと、マグネシウムやチタンなどの軽量素材を多用し112kgまで軽量化され、マイク・ヘイルウッドのオーダーによって各部の徹底的な改良が行なわれたニューマシンRC166が投入された。ヘイルウッドとRC166の相性は抜群で、第1戦から8連勝、終わってみればヘイルウッドが出場した10戦(第9戦北アイルランドGPは未出走、最終戦日本GPはコースの安全性を問題にホンダは全クラスの参戦をボイコット)すべて優勝という輝かしい結果を残した。
 ホンダのWGP参戦最後の年となった‘67年は、水冷V4エンジンのヤマハRD05と死闘を繰り広げながらもヘイルウッドが逃げ切り、ホンダWGP参戦第一期有終の美を飾った。



RC166

RC166

RC166

RC166

RC166

RC166

RC166
‘60年代4スト250cc RCレーサーの究極形と言っても過言ではないRC166。ボア39mm、ストローク34.9mmの6気筒で排気量は249.43cc。DOHC4バルブヘッドは当時のRCレーサーの定番のギア駆動。膨大な発熱に対応するため前部左右にオイルクーラーをが設置された。タミヤから発売されている1/12オートバイシリーズのRC166は、チェーン、スポークやリベットなど専用設計のオプションパーツも発売されている。その精巧さはバイクプラモの常識を越えたまさに現在のタミヤの総力を注ぎ込んだ入魂の一作(5460円)と言えよう。作るのが面倒な貴方には、完成品のマスターワークコレクション(26040円)も用意されているのでぜひどうぞ。

350クラス最後の最終兵器


RC174


RC174

 1962年から350クラスにも参戦を開始したホンダが最初に用意したのは、250クラスで9戦全勝という圧倒的な強さを見せた4気筒RC163をベースにしたボアを3mmアップし285ccとしたRC170であった。しかし開幕戦でエース、トム・フィリスが、第3戦以降4連勝と波に乗るMVアグスタの4気筒に太刀打ち出来ず、翌年350専用設計のRC171を第7戦から投入し、4連勝を挙げチャンピオンの奪回に成功した。

 125、250クラスで実績を上げたホンダは、1962年、この年から新設された50クラスととMVアグスタが連覇を続ける350クラスへの参戦を開始した。350クラスには、250で圧倒的な強さを誇った4気筒DOHC4バルブのRC163のボアを3mm拡大したRC170が用意され、350の開幕戦である第3戦から勝利を重ねた。、第7戦アルスターGPからは350専用設計エンジンのRC171にスイッチし、初年度からチャンピオンを獲得した。翌年は排気量アップのRC172へと進化し、2RC172、RC173と年々パワーアップを行ない1966年まで5連覇を果たした。

 しかし、1965年に登場した軽量コンパクトなMVアグスタの3気筒ニューマシンとアゴスチーニに苦戦を強いられ、また1966年にはヤマハの水冷V4マシンRD05が初勝利を挙げたた対策として、ホンダWGP参戦第一期最後の年となる1967年、ニューマシンのRC174が投入された。世界初の250cc6気筒エンジンを持ったRC166をベースとしたボアアップ版で、パワー的には70psのRC173より劣ったが、軽量な車体を活かし、350初戦となる第2戦西ドイツGPから第6戦チェコGPまでマイク・ヘイルウッドが5連勝(第4戦は350クラスの開催なし)により見事350クラスでは負け知らずの6連覇を達成すると同時に、250から生まれたRC170で始めた350クラスの幕引きを、これまた250から派生したRC174がきっちりとこなし、技術屋ホンダの底力を世界に示した。


RC174

RC174

RC174

RC174

RC174
撮影車は1967年第2戦マン島TTで優勝したマイク・ヘイルウッド仕様。350クラスのマシンは、RC170(284.53cc 49ps)、RC171(339.43cc 50ps)、RC172(349.5cc 53ps)、2RC172(349.5cc 60PS)、RC173(349.5cc 70PS)とパワーアップを行なったが、再び250ベースとなったRC174は297.06cc 65psとなった。6気筒化によりさらなる高回転型となったエンジンに対応すべくミッションは6速から7速となった。パワー面ではRC173を下回っていたが、重量は118kgと13kgも軽量であり、250クラスの小柄な車体と相まってヘイルウッドが6勝、ラルフ・ブライアンズが1勝を挙げた。
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有終の美を飾ったRCシリーズの集大成 RC181 1967
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 1959年WGPに参戦したホンダは徐々に力を付け、着実に各クラスを制覇した。1966年、ついに最後に残された最高峰クラス500ccへ挑戦する。そのために用意されたマシンがRC181であった。手慣れた手法になっていた空冷DOHC4バルブ4気筒エンジンは、ボア57.56mm、ストローク48mmの499.6ccとされ、これもお馴染みとなったダブルバックボーンフレームに搭載された。参戦開始以来積み上げてきたノウハウの集大成ともいうべきマシンで、最高出力は85ps/12000rpm、最高速度260km/h以上という、名実ともにRCシリーズの頂点に立つモデルとなった。ただ、当時の解析力ではこのハイパワーに対して十分とは言えないフレームや、車両重量も151kgとヘビーとなったこともあり、乗り手を選ぶクセのあるマシンとなり、数々の勝利を重ねた名手ジム・レッドマンでさえ第5戦のベルギーでは、雷雨という最悪のコンディションも重なり転倒し、左腕を骨折して引退に追い込まれたほどのじゃじゃ馬であったという。乗りこなせばそのポテンシャルは非常に高く、マイク・ヘイルウッドらの活躍により最高峰クラス参戦1年目にして、ホンダはメーカータイトルを獲得。ついに前人未踏の全クラス制覇を達成し、ホンダWGP参戦第一期を飾った。東洋の小さな敗戦国が再び世界へと挑戦し勝利を収める。ホンダミュージックと呼ばれた高回転サウンドを奏で疾走するRCシリーズの真っ赤なタンク、それは昇り行く真っ赤な太陽=ライジング・サンそのものであった。



RC181


RC181

RC181

RC181

RC181

RC181

RC181

RC181

RC181

RC181
撮影車は、1967年の第3戦ダッチTTでマイク・ヘイルウッドが、ラップレコードを更新し優勝した車両。最終年となるこのRC181は4RC181と呼ばれるもので、軽量化などの改良が加えられたモデルで、MVアグスタのアゴスチーニと熱戦を繰り広げ10戦5勝(第1戦西ドイツ・リタイア、第2戦マン島・優勝、第3戦ダッチTT・優勝、第4戦ベルギー・2位、第5戦東ドイツ・リタイア、第6戦チェコスロバキア・優勝、第7戦フィンランド・リタイア、第8戦アルスター・優勝、第9戦モンツア・2位、第9戦カナダ・優勝)を挙げ、終了時のポイント、優勝数共に同じであったが、2位の回数により惜しくもチャンピオンは逃した。

[戦うDNA その1 二輪編-1|その2 二輪編-2]

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Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA」

二輪編-1・ホンダミュージックが世界を征す]
●1966年 RC116(50cc)
●1965年 4RC146(125cc)
●1966年 RC149(125cc)
●1966年 RC164(250cc)
●1966年 RC166(250cc)
●1967年 RC174(350cc)
●1968年 RC181(500cc)

二輪編-2・トリコロールはここから始まった]
●1972年 CB750
●1975年 CB500R
●1976年 RCB
●1980年 RS125RW-T

二輪編-3・ホンダV4黄金時代]
●1991年 RVF750
●1997年 RVF/RC45ホリプロホンダwith HART(8耐仕様)
●1999年 RVF/RC45ラッキーストライクホンダ(全日本スーパーバイク仕様)

二輪編-4・7度の世界タイトルを獲得したワークスレーサー]
●1993年 NSR250(岡田忠之仕様)
●1997年 NSR250(マックス・ビアッジ仕様)
●2001年 NSR250(加藤大治郎仕様)
●2003年 RS125RW(ダニ・ペドロサ仕様)

二輪編-5・無敵の6年連続チャンピオンなどWGP500クラスで他車を圧倒]
●1984年 NS500(フレディー・スペンサー仕様)
●1984年 NSR500(フレディー・スペンサー仕様)
●1985年 NSR500(フレディー・スペンサー仕様)
●1988年 NSR500(ワイン・ガードナー仕様)
●1997年 NSR500(マイケル・ドゥーハン仕様)
●2002年 NSR500(加藤大治郎仕様)

二輪編-6・MotoGP元年をロッシとのコンビで圧勝した新世代の5気筒レーサー]
●2002年 RC211V(バレンティーノ・ロッシ仕様)


四輪編-1・F1創生期 無謀とも思えた挑戦で2勝の快挙]
●1965年 RA272
●1967年 RA300
●1968年 RA301

四輪編-2・F1第二参戦期 エンジンサプライヤーとしての挑戦]
●1988年 ロータス100T
●1987年 ウィリアムズFW11
●1988年 マクラーレンMP4/4
●1989年 マクラーレンMP4/5
●1990年 マクラーレンMP4/6

四輪編-3・GTカー創成期 自動車メーカとしての名声を高めたマイクロ・スポーツの活躍]
●1966年 S800GT-1仕様
●1968年 S800マーシャル仕様

四輪編-4・ツーリング&GTカーの時代 市販車の高いポテンシャルをサーキットでも証明]
●1983年 ヤマトCIVIC
●1987年 モチュールCIVIC
●1993年 JACCS CIVIC
●1998年 ギャザズ CIVIC
●1995年 NSXルマン

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