Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA」二輪編その2

CB750
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 大排気量スポーツモデル車を牛耳っていた老舗外国車メーカーに引導を渡し、バイクの価値感を一変させライジングサンの象徴となったCB750FOUR。レースではデビューイヤーの1969年の鈴鹿10時間耐久(8耐の前身)で、ホンダ社内チーム「ブルーヘルメット」が、ほとんど手を入れていない状態でワン・ツーを飾った。海外では1970年にアメリカ人のディック・マンが、RSCキットを装着したCB750でデイトナ200マイルを征している。
 ただ、ホンダは1968年にWGPの参戦を中断したため、二輪ロードレース活動にそれほど力が入っていなかった時期と重なっていた影響もあってか、CB750FOURとサーキットでを結びつける印象は強くないのかもしれない。
 そんな状況下ではあったが、レース活動を継続していたRSC(HRCの前身)は、1973年のデイトナ200マイルレースにCB750をベースとしたフォーミュラーF750レーサーを隅谷選手に託して送り込んだ。このCB750は、90ps/9000rpm以上のパワーを得て、最高速度は230km/hをオーバー。フロントブレーキはダブルディスクを装備している。車両重量は170kgだった。
 レースでは6位を獲得した。ちなみにホンダのワークスカラーとしておなじみのトリコロール(赤青白)を最初にまとった記念すべきレーサーでもある。


CB750

CB750

CB750

CB750

CB750

CB750

CB750
年式とエンジンに刻印されていた番号CB750E-22223698から察すれば、CB750FOURK2がベースだろうか。エンジンはボアを約0.5mm拡大し、排気量を748.6ccにアップしている。今回、テスト走行はカウルを取り外した状態で行なわれた。こんな姿での走行もめったには見られない。余談になるが、CB750レーサーと言えば、このトリコロールのマシンよりも、ディック・マンが1970年のデイトナを征し、タミヤから発売された1/6スケールのプラモのモデルとなったRSCキット装着車の方が有名かもしれない。このプラモデルは昨今、精巧な半完成品が豪華な化粧箱入り52,500円で発売された。

CB750

CB500R
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 WGP撤退後、ワークス体制でのレース活動を休止していたホンダで唯一レース活動を継続していた部門が、当時鈴鹿に本拠を置くRSC(RACING・SERVICE・CENTER)で、契約ライダーの隅谷守男が開発に携わったRSC製のレーサーがCB500R。
 1972年の全日本ロードレース選手権のフォーミュラー・リブレクラス(いわゆる工場レーサークラス)では、隅谷選手とのコンビで初戦から独走。第2戦は当時マイク・ヘイルウッドの持っていた鈴鹿のコースレコード(2.28.9)を破る2.28.7を記録。さらに第6戦日本GP(鈴鹿)では2.27.7と1秒縮めるスーパーラップを叩き出し、「ストップ、隅谷」「ストップ、CB500R」がレース界の合い言葉になったほどの怪物ぶりを見せつけた。
 この全日本仕様はボアを64mm弱(推測)に拡大し、排気量を648ccにアップ、90ps以上のパワーを発揮し、フレームはチタンなどが使用され重量は約130kgといわれるが、集合管ではなく4本出しの1960年代RCレーサー風であった。この当時からヘッドの3バルブ化(吸気2、排気1)やバルブ駆動ギアが採用されていたのか詳細は不明だが、1974年には3バルブなどの他、クランク系が一新されボア、ストロークとも大幅にアップし排気量は749.3ccまで引き上げられ、セニア750ccクラスに参戦。ヤマハTZ750やカワサキH1Rなど2スト勢を相手に奮闘を見せた。
 1975年には、ボルドール24時間耐久レースに出場する練習用マシンも製作されるなど、CB500Rと隅谷選手がホンダのレース空白時代を一手に支えていた感さえあった。ここで得たデータやノウハウがRCBへとフィードバックされ、伝説の無敵艦隊が誕生につながっていくのだが、隅谷選手は1975年、練習中に転倒し、残念ながら帰らぬ人となってしまった。


RCB

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今回走行したゼッケン3番の仕様は、隅谷選手が1975年全日本ロード選手権に参戦しセニア750クラスで総合3位を獲得した仕様。最終的な仕様では、ノーマルのCB500FOURはボア×ストロークが56×50.6mmの498ccからすると、ほんとうにそこまで広げられるのかという60×54.76mmの749.3ccまで排気量がアップされ、最高出力は86.7ps/11000rpm以上を発生したという。この他、ホンダコレクションホールはヘッドライトを装着した耐久仕様のCB500Rも所蔵。このトリコロールのこのマシンは、1975年のボルドール24時間レースに出場するための練習用として製作された。

CB500R

RCB
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 CB750FOURで新時代を構築したホンダだが、打倒CBを旗印に満を持して登場したDOHC4気筒900ccカワサキZの反撃は激しく、特に結果が販売台数に結びつくヨーロッパの耐久レースへのテコ入れが早急に求められていた。
 そこでホンダは1960年代後半WGPで指揮を執った秋鹿方彦氏を監督にH.E.R.ホンダ・エンデュランス・レーシング・チームを結成。ワークス体制でレースに復帰するため、世界耐久選手権マシンのRCBが製作された。エンジンは一応CB750FOURのOHC4気筒がベースだが、腰上はほぼ新設計でDOHC4バルブ951ccから110ps/9500rpmを発揮。車体回りはほぼ新設計となった。
 1976年4月、ホンダワークス復帰第一戦ともなった第1戦オランダ、ザンドヴォルト600kmを見事デビューウィン。第2戦ル・マン1000kmはマイナートラブルでリタイヤしたものの、以後は連戦連勝を重ね8戦7勝で1976年のタイトルを獲得。翌’77年は9戦全勝。1978年は日本デビューとなった鈴鹿8耐で無念のリタイヤを期した他は全勝という輝かしい記録を打ち立て、RCBの主戦であるレオン、シュラマンのコンビと共に、畏敬の念を持って無敵艦隊と呼ばれた。


RCB

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一口にRCBと言ってもデビュー戦からほぼレース毎に改良が加えられており、仕様はさまざま。大きく分類すると1976年が480Aと呼ばれる仕様で、最初期は915ccでスタート。改良が加えられ941cc、997.5ccと排気量はアップしていく。翌1977年型は車体に大きな改良が加えられた481Aとなり、RCBの最終年となる1978年型は基本的に481Aを踏襲しながらカウルなど熟成化がおこなわれた482Aとなる。今回走行した車両は1976年第7戦ボルドール24時間仕様で480A最終型に近い997.5ccモデル。

RCB

モトクロッサーから生まれた野心作 RS125RW-T 1981
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 モトクロッサーとしては前代未聞ともいえる2気筒エンジンを搭載し、1980年に登場した野心作の1981年モデルのRC125M。直線は速くパワフルであったが低速域がまったく使えず、乗りこなすにはかなりのテクニックが必要とされたという。レースは走る実験室を標榜するいかにもホンダ的レーサーであったが、FIMは「1982年から125クラスのエンジンは単気筒に限る」新レギュレーションを決定、開発は中止され、実戦投入はわずか1戦に留まった(結果は7位)。このエンジンを転用したロードレーサーが1981年春にRSC(HRCの前身)が発表したRS125RW-Tだ。これまた市販モトクロッサーCR125の水冷単気筒エンジンを採用し、前年登場した市販ロードレーサーRS125RWにこの水冷2気筒エンジンに搭載したモデルである。とはいえ流用されたのはクランクケースくらいで、他の部分はほとんど専用部品で一新されているようだ。ちなみに1980年のRS125R-Wは31ps/11300rpm、2.2kg-m/11000rpmに対し、RS125RW-Tは38ps/14000rpm、2.0kg-m/13000rpmとパワーアップしたものの、レーサーとして重要な重量が9kgもアップしていた。デビューは1981年の全日本選手権第4戦鈴鹿(日本GP)で、雨の悪コンディションの中、前年のチャンピオン一ノ瀬憲明選手が、逃げる同じツインエンジンを搭載したMBA(イタリアの小メーカー製で、モノコックフレームに水冷ツインエンジンを搭載)の榎本選手を最終周ゴール前直線でかわすという劇的な逆転で初勝利を飾った(全日本選手権の125クラスでは、ワークスレーサー扱いとなるRS125RW-Tはポイントのない賞典外であったが)。




RS128RW-T


RS128RW-T

RS128RW-T

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RS128RW-T

RS128RW-T

RS128RW-T

RS128RW-T

RS128RW-T
ゼッケン20番のこの車両は、一ノ瀬選手が1981年マレーシアの国内レースに参戦したマシン。RS125RW-Tはマレーシアで、BOON SIEW HONDA(マレーシアのホンダ販売会社)から出場し4戦4勝を挙げ大活躍するも、すでに安定した戦闘力で大好評であった単気筒エンジンのRS125RWに比べると、超ピーキーで、重量も重く、コストも嵩むなど、2気筒モトクロッサー同様のウイークポイントから、本格的な市販レーサーへと発展することはなかった。

[戦うDNA その1 二輪編-1|その2 二輪編-2|その3 二輪編-3]

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Hondaコレクションホール収蔵車両走行確認テスト「闘うDNA」

二輪編-1・ホンダミュージックが世界を征す]
●1959年 RC142(#8 125cc)
●1966年 RC116(#1 50cc)
●1965年 4RC146(#4 125cc)
●1966年 RC149(#117 125cc)
●1966年 RC164(#1 250cc)
●1966年 RC166(#7 250cc)
●1967年 RC174(#3 350cc)
●1968年 RC181(#2 500cc)

二輪編-2・トリコロールはここから始まった]
●1972年 CB750(#15)
●1975年 CB500R(#83)
●1976年 RCB(#5)
●1980年 RS125RW-T(#20)

二輪編-3・V4〜V2の黄金時代から、再び直4へ]
●1991年 RVF750(#11 OKI HONDA RT・8耐仕様)
●1995年 RVF750(#11 Team HRC・8耐仕様)
●1997年 RVF/RC45(#33 ホリプロホンダwith HART・8耐仕様)
●1999年 RVF/RC45 (#1 ラッキーストライクホンダ・全日本スーパーバイク仕様)
●2000年 VTR1000SPW(#11 チームキャビンホンダ・8耐仕様)
●2004年 CBR1000RRW(#7 セブンスターホンダ7・8耐仕様)

二輪編-4・7度の世界タイトルを獲得したワークスレーサー]
●1993年 NSR250(#18 岡田忠之仕様)
●1997年 NSR250(#1 マックス・ビアッジ仕様)
●1999年 NSR250(#4 宇川徹仕様)
●2001年 NSR250(#74 加藤大治郎仕様)
●2003年 RS125RW(#3 ダニ・ペドロサ仕様)

二輪編-5・無敵の6年連続チャンピオンなどWGP500クラスで他車を圧倒]
●1984年 NS500(#1 フレディー・スペンサー仕様)
●1984年 NSR500(#1 フレディー・スペンサー仕様)
●1985年 NSR500(#4 フレディー・スペンサー仕様)
●1988年 NSR500(#1 ワイン・ガードナー仕様)
●1997年 NSR500(#1 マイケル・ドゥーハン仕様)
●1999年 NSR500(#3 アレックス・クリビーレ仕様)
●2002年 NSR500(#74 加藤大治郎仕様)

二輪編-6・MotoGP元年をロッシとのコンビで圧勝した新世代の5気筒レーサー]
●2002年 RC211V(#46 バレンティーノ・ロッシ仕様)


四輪編-1・F1創生期 無謀とも思えた挑戦で2勝の快挙]
●1965年 RA272(#11)
●1967年 RA300(#14)
●1968年 RA301(#5)

四輪編-2・F1第二参戦期 エンジンサプライヤーとしての挑戦]
●1986年 ウィリアムズFW11(#5)
●1988年 ロータス100T(#2)
●1988年 マクラーレンMP4/4(#12)
●1989年 マクラーレンMP4/5(#2)
●1990年 マクラーレンMP4/6(#2)

四輪編-3・GTカー創成期 自動車メーカとしての名声を高めたマイクロ・スポーツの活躍]
●1966年 S800GT-1仕様(#25)
●1968年 S800マーシャル仕様

四輪編-4・ツーリング&GTカーの時代 市販車の高いポテンシャルをサーキットでも証明]
●1983年 ヤマトCIVIC(#1)
●1987年 モチュールCIVIC(#16)
●1993年 JACCS CIVIC(#14)
●1998年 ギャザズ CIVIC(#77)
●1995年 NSXルマン(#84)
●2000年 カストロール無限NSX(#16)

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