7月2日、今日も朝が早い。朝食をホテルの食堂で済まし、部屋でコーヒーを飲もうとポットでお湯を沸かした。200Vのせいか、それともティファールのポットのせいか異様に沸くのが早かった。感激。勿論コーヒーはインスタントですが。そういえばサハリンに来て何度かコーヒーを飲んだがすべてインスタントで、ドリップとかサイフォンは見ていない。

 本日もゼッケン順のスタート。俺が参加したクラスは、ガイドツーリング部門だが、申し込みは一名のみなので、ガイド(日本人の某二輪専門誌編集長の○上さん)とマンツーマンなのだ。
 ○上さんの後についてしばらく走って気づいた。ダート走行なので、リアタイヤの空気圧を落としたんだなーと。それにしては、スタート時よりもタイヤが潰れてる。そんな事を考えていると先導車が路肩に停車した。パンク? やっぱりなー。

 
 番線が刺さってました。スペアーチューブなし。俺のバックからタイヤレバーと修理パッチを出していると、後追いのピックアップが到着。工具も積んでいたので、リアタイヤを外し、チューブを交換(フロントチューブしか無かったので、これをリアに入れた)ハンドポンプで空気を入れて装着完了。だが、これが後々の最大のトラブルの元になった。



番線が刺さってました

 
 ヤルノモリスキーまではひたすらフラットダートを埃と格闘しながら走り、そこを過ぎると左方向(東に)向かう。この道路は、サハリン州知事が通った時にひどすぎるコンディションだったので、州知事の命令で改修中だった。
 前を走る6軸の重機運搬用トラックの後を埃で何も見えないままに付いてしばらく走行したが、速度が落ちてきたので、追い越しにかかった、しかも右側から(通常ではあり得ない反対側からの追い越し)。
 トラックが左によけてくれたので、ラッキーと思いアクセルを開けた。と、その瞬間目の前に鉄の固まりが現れた。トラックは道を譲ってくれたと思ったのだが大きな勘違い。前から迫ってくるブルトーザーをよけていたのだ。
 埃で先が見えない俺はすんでの所で左にかわしたがその後にはロードローラーが迫った。潰されるー。これも左にかわして事亡きを得たが、危なかった。

 
 この後舗装路に出ると、先導者が路肩で待っていてくれた。ちょっと休憩し出発。と、またもや先導車のリアタイヤが少し潰れている。交差点を右折した所でいきなりぺしゃんこになった。路肩に寄せて止まり、後追いのピックアップを待った。
 到着後にリアタイヤを外してチューブを取り出すと、穴が二カ所開いている。荒れた路面でリム打ちをしたかの様な状態だ。パッチを当てガムテープでぐるぐる巻きにして空気を入れると、ガムテープの横が破裂してしまった。あえなくBMWはピックアップの荷台の荷物になってしまった。

 
 二度のトラブルで大分遅れてしまったので、即出発。しかし、この焦りがトラブルに。一分程走った時に、妙に背中が軽い。左手で背中をまさぐると、ななんとバックを背負っていない。先ほど止まった場所に忘れたというか置いてきたというか、無いのだ。慌ててUターンして戻ったが、バックは消えていた。時間にして3分くらいで、おまけに、出発する時にはあたりに人の気配は無かったのに。

  
 おそロシヤ、サハリンというか、日本以外で路肩に荷持を忘れて、無くならない方がおかしいんだよなー。残念。でもパスポートとか通関書類や現金はウエストバックに入れてあったのが不幸中の幸いだったよ。警察に届けようにも言葉が判らないので場所すら聞けない。すぐに諦めがついた。中身はカメラ、ストレージ、釣り道具、パンク修理工具、カッパ、緊急時の食料だったので、走行や帰国に支障のあるものは入ってなかった。
 考え方を変えて、ラッキーとした。なんて楽天的なんだろうね。

 
 先導車のチューブはユジノ市内のお店で購入し装着。また走行を続ける。午後になると、霧が立ちこめ気温も下がり寒くなってきたが、ロシア人たちはビーチで遊んでいる。



ルビナス

 北海道内のいたる所で見られるルピナスの花はサハリンでも咲いていた。



日本人の上陸記念碑


ロシア人の上陸記念碑

 日本人の上陸記念碑は倒されていた。代わりにロシア人の方が早く上陸したと言いたげに、ホルクーツクに記念碑を作ったようだ。
 どっちが早く上陸したって、その前はアイヌ族が生活していたのだから、侵略した事は否定出来ないはずですよねー。

 一路今日の中間チェックである233kmを目指す。右手の砂浜には旧日本軍の国境警備のトーチカがあちこちに点在している。また、現在日本へのLNGの輸出基地もある。

 路肩には、ビールの空ケースが点々と置いてある。バイクを止めて見ると北海縞エビの大きいのを茹でた状態で売っていた。冷蔵庫もなく、ちょっと危険な感じ。

 チェックでUターンし、引き返し、6km程戻って右折し細めの林道に入った。ここは水たまりや倒木があり、日本チックな道だった。5km程進むと先行していたバイクが集団でとまっている。どうやら、この先の橋が大雨で流失してしまっているようだ。



233km

 何台かは、まだ橋から戻ってないらしい。途中の深い水たまりに入って、エンジンがストップしたらしい。
 しばらくすると、戻ってきたので、地元ライダーの案内で違う道を進むも、やはり先で同じ橋に出る事が判り、引き返す。
 ビッグオフが多いので、スピードは遅い。CRF250Lは、Ken’s Poworの前後サスペンションを組み込んであるので、ギャップだらけの細い林道でも一定のハイスピードをこなせる。   

 次々とパスしていくと、大きな溝の先でセローが倒れていた。どうやらノーブレーキで突っ込んだらしい。ライダーに怪我はなかったが、相当なダメージのようだ。なんとか走行出来る所まで修復した。

 ここでルートマップは使えなくなり、スタッフの先導で今来た道を戻った。途中の舗装の広い駐車場でミーティングを行い、途中からオンコースに戻る組と、直接ホテルに向かう組に分かれた。俺は勿論ホテル直行組だ。

 舗装路の国道を北上し、途中でガソリン補給を行い、変なおじさんのいる屋台に遭遇。



変なおじさんのいる屋台

 さらに走り、途中で面白いトラックを発見。札幌の渡辺さんの払い下げか?
 また、路肩に車を止めて、違反車両をチェック中の警察官も。



面白いトラック


違反車両をチェック中の警察官

 ユジノサハリンスクのホテル・ガガーリンに到着。今日はこれで終わりかと思いきや、現地スタッフの案内で、普段は自転車以外は入れないスキー場の頂上まで行って、ユジノ市内を一望させてくれるそうだ。
 現地スタッフの言葉通り、最高の眺めだった。少し霞がかかっていたが写真におさめた。



ユジノ市内を一望


ユジノ市内を一望

 ホテルの部屋は快適そのものでした。夕食はホテルでフェアウエルパーティーがあり、事務局スタッフや現地スタッフ(通訳)現地ライダーも一堂に会しての夕食となった。



フェアウエルパーティー
左から、稚内市サハリン課ユジノ駐在事務所渡辺氏。現地通訳さん、中西さん、中西さんの奥さん、西川さん(ロシア人で日本に住んでいるオフロードライダー)。春木さん。ノマド観光伊藤さん(通称ゴルゴ)。北海道元MXIAライダー源氏さん。

 一流ホテル? らしく、料理は美しくおいしいものだった。これ→が一番おいしかった。貝のムニエルみたい。


3日目のmap

 最後の夜となったので、ガイド付きでお土産の買い出しに外出。
 サハリンは観光客は殆ど来ないので、特別なお土産屋さんは無く、スーパーマーケットでチョコレートとかビスケットとかを購入。中には子供にとおもちゃを買う人もいたが、レジで店員の女性に怪訝な表情をされていました。
[本日の走行距離348km]



貝のムニエル


一流ホテル? らしく美しい料理


一流ホテル? らしく美しい料理

 7月3日。今日が最終日。
 朝食はホテルでブッフェスタイル。なぜかコーヒーは無い。部屋に戻りインスタントコーヒーを飲む。飲んだ後で気付いたのですが、250の張り紙が瓶の裏に貼ってあった。クッキー類は表に30とか50と貼ってあったので有料だなーとおもったが、まさかコーヒーも。しかたなく、チェックアウト時の清算で支払いました。
 ホテルを出発し、国道を南下して、コルサホフに向かったのですが、サハリンの道は二輪車は皆無に等しく、四輪は二輪を無視して走っている。一度はトラックがセローを追い越す時に車線変更無しで、すれすれを追い越していった。後ろから観ていてひやひやものでした。セローのライダーも路肩に一時停止し、何か戸惑っている様子でした。それと、登坂車線と左折レーンが複雑に入り交じっていて、追い越しをしていると、いきなり左折レーンに入ってしまう事もしばしばあり、相当気合いを入れて入らないと危険だ。

 小一時間程でコルサコフの港に到着。

 
 これでサハリンでの走行は終了。けが人も無くてよかったです。
 
 



4日目のmap


コルサコフの港

 ここからイミグレを通って(またもや例の女スパイがいた。前を通りすぎる時にバイバイと挨拶すると、ニコッと微笑んでくれた。見た目とは違って案外優しそう)またバイクに戻って(通常はイミグレを通過したら、元には戻してくれませんけどねー)今度はバイクの通関検査、あっさりした物でなんなく通過して、船上の人となった。
 行きにもあったが、帰りも国境を通過した証明書を発行して貰った。

 サハリンでは時間が取れずに洗車が出来なかった。日本での検疫時に土が着いた乗り物は通関出来ないので、船内で出港前に洗車を済ませた。ちょっと塩分を含んだ水のようで、案の定ドライブチェーンが錆びたが他の部分は大丈夫だった。



国境を通過した証明書

 午後2時定刻通りに稚内港に接岸。通関作業に1時間近くを費やしたが、無事入国。
 良かった、良かった。
 このあとは、途中で一泊し札幌に戻り、四輪にバイクを積み込み、東京靴流通センターで靴を買い(紛失したバックの中に運動靴も入っていた)小樽港より新潟に入り、往きのルートを逆行し自宅に戻りました。

 最後に。
 やはり言葉の壁は高かったです。次回行く事があるとしたら、挨拶と買い物くらいは不自由しない程度の言葉は覚えていきたいですねー。今回は飲み水を買うのも大変でした。というのも、サハリンでは、展示してある商品を直接手に取る事はスーパーマーケット以外はほとんど出来ません。この商品を何個下さいと言ってお金を渡さないと商品を渡してはくれません。一度日本人が勝手にケースから商品を取ってレジに持って行ったら売ってくれなかったと言ってましたよ。

(おわり)