武さん「Baja 1000 からBaja500へ」を走る 前編 

武さん「Baja 1000 からBaja500へ」を走る 前編

●文-武さん ●写真-koji kawanami・Take San

●Special Thanks
野口装美アライヘルメットD.I.D・RIDE RUN MOTO VARESE・永安工業・SUSIE DIGITS

「レースマイル502の舗装路でマシントラブルでストップ。寒いです」

2014年の俺たちの夢はここで途切れた。と同時に2011年のレースを思い出した。
あの時は衛星電話もなく、SPOTの緯度経度の情報をたよりに行方不明となった我チームのバイクを一晩中探しまわって、やっとの事で出会えた。

WEB Mr.Bikeオフロードチームワークスライダー? ごぞんじ武さんの“Baja 1000”参戦記。その前編。

 
 事の始まりは2014年6月23日、facebookに一通のメッセージが届いた。内容は「今年のBaja1000を一緒に走って貰えないか」だった。とっさに、11月の海外レースに今から準備なの? と思ったが、先方も初めての参戦ではないので、断る理由も見つからず、即「いいよー」と返事をした。それから四ヶ月半、11月7日午前0時10分羽田発のANAで、マシンの整備基地となるロサンゼルスへと向かった。

 Baja1000。こんなローカルなレースを読者の方はご存知だろうか。またの名を世界最大の草レースとも言われている。

 1962年、アメリカンホンダが発売したCL72スクランブラー250でメキシコ、バハカルフォルニア半島のティファナ市でスタートの電報をアメリカホンダに打ち、ゴールとなる1000マイル(1600km)先のラパス市で到着の電報をまた発信した。その所用時間39時間56分が記録となった。当時は舗装路などなく、砂漠と山道を走破する冒険だった。

 その5年後、正式にBaja1000がレース形式で始まり、今年で47回目を迎えた。
 筆者が最初のバハカルフォルニアに足を踏み入れたのは、今から5年前の事で、それからツーリングとレース参戦で6回目を迎えた。レースはおろか、ツーリングでさえも日本では考えられないアクシデント等もあり、まさに現代のアドベンチャーを満喫できる。

 11月6日夕方、ロスのホテルにチェックイン。夕飯はデルタコで早速のタコス。本場の味には及ばないが雰囲気を味わう。


※以下写真をクリックすると違うカットが見られたり大きくなったりします。

タコス
1964年創業。TACO BELLと並ぶメキシコ料理の老舗。今や全米に店舗を展開している。

 11月7日、モトフープスにうかがう。多くの日本人Bajaライダーがお世話になっているお店で、今回はここをベースにマシンメンテから事前走行確認やBaja1000に参戦する準備を行った。店主の木村さんは、マシンメンテや参戦の為の車両仕立ては勿論、自らもレースへの参戦も行い、常に最新の情報を提供出来る体制を構築している。

 早速挨拶を済ませ、マシンのメンテナンスに取り掛かる。ベース車両は何年か前に中古で購入した2008年式CRF450Xで、購入後にBaja1000を2回とH&H等のレースを走り、さらにツーリングにも使用してきた物だ。今回は、今年のH&Hで破損した部品の交換と、腰上の部品の交換がメインとなる。日頃さわっている450Rとはさほど構造も変わらないので、順調に組み替えは進み、エンジン始動。

 タペットクリアランスが大き過ぎるのかタペット音が大き過ぎる。再度ヘッドカバーを外し、タペットクリアランスを測定してみたが問題はない。しかし手の感触では、クリアランスが大きい。悩んでいると木村さんが手をかしてくれた。やっぱりクリアランスが大幅に大きいという。さすが木村さん。そこで気がついた。大きいはずだよ。シックネスゲージの厚さ表記がインチ表示だった。ミリ表記は小さな文字で刻印されているので、老眼の俺には見えなかった。早速ミリで調整し直し組み込む。エンジン始動、OK。他にブレーキペダル、クラッチとブレーキのレバー、タイヤを交換し。整備は完了。

 11月8日、本日は事前確認走行と初めて海外を走る加藤選手の完熟走行を兼ねて、ロスのオープンエリア スタッダード・ウェルズでの走行だ。木村さんのトレーラーに4台、当チームのレンタカーに1台のマシンを積み込み移動開始。 約2時間ほどで現地に到着した。
 木村さんから走行上の注意やエリアの説明を受けて走行の準備を進める。今回、野口装美様から提供していただいた工具巻きも拡げて使い勝手を味わう。この工具巻きは、ダカールラリーでチームHRCも使用しているほどの品で、拡げると工具が全て見えて作業が順調に進む。チームのシニアエンジニアミスターハナワさんお勧めの逸品だ。



4台積み


野口シート
バンの後部に1台、トレーラーに2台。日本ではあまり見かけないが、アメリカでは当たり前の光景。 野口装美の工具巻き。この様にテーブルに拡げると、全ての工具が一目瞭然。市販しているので、是非お勧めだ。

 真新しいアライヘルメットのV-cross4にスージーデザインのデカールを貼ったヘルメットとFRYウエアーを身にまとい走行を開始する。
 ヘルメットのフィット感は、帽体全体でのホールド感があり、特別にどこかが強く当たるような事がないので、ヘルメットにソフトに包まれるという感じ。また、走行中の路面からの反発によるズレもなく、従ってゴーグルの揺れも発生しない。これは長い時間の走行にも最適だ。
 モトパンは、ファスナー上部にベルトがあり、またサイドには調整用もベルトがあるので、サイズの調整が可能で使いやすい。もう一着のメッシュタイプのジャージは、Baja半島を南下し、外気温が上がってくる場所の走行にはもってこいだ。



おそろいのユニフォーム


CRF
今回はMOTO VARESE様のご協力によりチームユニホームも出来た。 #275X以外は最高の状態のバイクを、モトフープス木村さんに準備して戴いた。

 広い。以前に(というか昔に)ゴーマンというオープンエリアを走行した事はあるが、それに匹敵する。というか、どこまでが走行可能エリアなのか両方ともに判らないほどの広さだ。

 日本のコースのように一方通行とかもないし、4輪も2輪もクワッドも混走だ。5人で走り出してすぐに気が付いた事は、対向して来る2輪が手をあげること。こちらのメンバーも挨拶代わりに手を上げるが、これが問題だった。挨拶ではなく、相手は自分の後に走行してくる車両の台数を指で示しているのだった。こちらはピースサインで返す。だから2人を意味している。ストップした時に早速指導して、とりあえす一安心。



スタッダード・ウェルズ


四輪バギー
見える限りの場所は走行可能。奥に見える山の向こうも大丈夫。いったいどこまで? しかも無料。 こんなトロフィートラックもセッティングを行っている。

 30分ほど走ると、参戦車両のエンジン始動性が悪くなってきた。スターターモーターの回り方もおかしい。途中で走行を中止しベースに戻り、バッテリーをチェックしたが問題なし。原因不明の不調だ。モトフープスに戻って原因を探した所、スターターワンウエイのインナーの表面が荒れすぎている。この抵抗でスターターモーターに負荷がかかり、ブラシの異常摩耗が発生し樹脂のステーも破損した。という結論に達したが、はたして本当の原因はなんだったのかな? 
 木村さんにお願いして、店の商品から部品を貸して戴き復旧し、事なきを得た。木村さんには、本当に感謝です。



原因の調査


原因の調査
トラブルシューティング中。根本原因は解らなかったが、修復は出来た。

 11月9日、朝からスタート地であるメキシコのエンセナダへの移動だ。その前にチャパラルに寄り、必要なものを購入。円安のせいか、価格が全体的に高く感じた。ドラゴンのゴーグルを購入。サングラスもと思ったが、クレジットカードを車の中に忘れてきたので、今回は見送った。
 フリーウエイをひた走り、無事国境も越えてメキシコに入国。途中、土砂崩れでハイウエイが通行止めとなって、山越えのワインディングを通過し、エンセナダに到着。受付車検やスタートからちょっと離れたホテルにチェックイン。静かだ。



ホテル


食事
ロスデュナスホテルの中庭。プールもあったが、泳ぐ暇がなかったのが残念。 チップスとサルサ。これは前菜で、お腹がすいていると食べ過ぎて、この後のタコスが食べられなくなる。気をつけようと思う61歳。

 11月10日、プレラン一日目。
 今日は、国道1号線のサンタマルタからサンキンティンのKM147までの60マイルだ。
 予定通りの走行をこなし、早めにホテルに戻り、レース中に必要となる食料と飲料をウオールマートで購入。夕飯はまたもやタコス。本場のタコスは安くて旨い。一昨年よりも円安が進行し、一個100円位だったのが120円位になってしまった。それにしても一人3個も食べれば満腹になるので、絶対的にはやはり安い。

 11月11日もプレラン。
 スタート地点からオホスネグロスからKM78を経由し、トリニダットまでの130マイルを予定。4輪組は途中で朝タコスを済ませ、国道3号線をオホスに向かう。スタートは勝野選手と加藤選手、オホスから加藤選手と後藤選手が交代しKM78から勝野選手とサポートの河波さん、予定通りトリニダットのタコス屋で合流。タコスアサダを食べる。



加藤選手


後藤選手
加藤選手の走り。小さな体だが、ダイナミックな走り。 後藤選手の走り。きわめて慎重だ。


食事


子供
蛸料理。BAJA半島は太平洋とコルテス湾に挟まれた細長い半島なので、海産物も豊富に穫れる。 地元の少年達。国道を走る4輪チームのサポートカーがばらまいたBajaのポスターを拾って得意そう。それにしてもステッカーちょうだい攻撃にはまいった。

 11月12日、本日は受付と車検だ。昨年より主催者が変わり、受付の場所もシビックセンターへと変更になった。表通りはお祭り騒ぎなので、車両を押しての移動は大変。受付でしばらく並んでいると、受付を担当している女性が我々を呼びにきた。まだ前には数十チームが並んでいるのに。
 理由はすぐに判った、女性の手元には、日本語対応のマニュアルがあるではないか。毎年日本人チームが英語もスペイン語も判らずに参戦するので(俺だけ?)準備したに違いない。

 マニュアルのおかげで割と早く受け付けは終了し、建物の前で記念撮影。 が、この会場から車検会場までの移動が大変だ。お祭り騒ぎの人ごみと4輪の競技車両をかき分けて進む以外に方法は無い。俺を先頭に人ごみをかき分けて2輪を押しての移動となる。

 やっとの事で会場に到着したが、まだ1台も車検が済んでいない。どうやらGPSのチェックが順調ではないらしい。オフィスフォレストの元林さんの情報では、もうすぐなんとかなるとのことだったが、それから延々1時間は待たされる事になった。2個のGPSとSPOTで合計3個のチェックなら当然だ。



受付
主催者が変わった事により、受付方法にも多少の変更があった。が、なんの問題もなく無事終了。

 無事車検も終了し、記念撮影も終わり、ホテルに戻った。最後の作業となる、明日からの走行順番の確認を開始した。これで、明日の朝6時30分頃にスタートは大丈夫のはずだ。夕飯は、しばらくは粗食に耐えなければならないので、ステーキハウスに向かう。
 店の前には、初めて来た時にも迎えてくれた人形が今でも元気にしていた。エンセナダでは超有名なお姉さんだ。 本日は早めの就寝。



記念撮影


ステーキ
受付を終えて、チーム全員で記念撮影。後ろに見える白い建物が、エンセナダのシビックセンター。ここで受付やミーティングが行われた。 走る前には炭水化物が基本なのだが、気持ち的には肉を食べたい。クリックするとエンセナダの超有名お姉さんが。

 
 11月13日、いよいよ本番の日となった。
 全員でスタート地点に移動し、参加車両を見て回る。昨年より、ゼッケン順のスタートではなく、申し込み順のようだ。ゼッケンは希望により好きなナンバーが貰えるようだ。最初のスタートは#4Xのカワサキチームで、それを皮切りに1分間隔で次々とスタートして行く。 ゼッケン#275Xの我々のチームは勝野選手が6時33分にスタートした。



スタート


スタート
約1時間ほど待機して、やっと前に進み出した。でも、この緊張感のなさが、なんとも草レース的で好き。

 
 スタートを見送り、4輪でライダー交代地点となるサンキンティンの先のRM270エヒドヌエバオデセアに向かう。途中に#1Xコルトンチームのサポートに寄り状況を確認。

 その後、小さなレストランの駐車場にトランポを止めて(通常は駐車料金を請求されるが、ここは無料の看板まで設置してあった)交代地点で準備を進めていると、コルトン#1Xがもの凄い勢いで通過、その5分後に#4Xも通過、すでにコルトン#1Xが先にスタートした#4Xを抜きさってきた。帰国後ユーチューブの画像で追い越す瞬間の映像を観たが、圧倒的なスピード差で追い越していた。その後1時間位で勝野選手が到着した。

 
 いよいよ俺の出番だ。夜間走行用のヘッドライトを装着し、シートをノーマルシートに交換し、ヘルメットにもヘルメットライトを装着で準備完了。
 スタートして5分位でBaja Pitに到着し給油。ここから次の舗装路に出るRM290地点まではツーリングで3回ほど走った事があるコースだ。ある程度は路面状況も判っているので、安心して走る事が出来た。45mphから60mph位のスピードでのクルーズだ。路面状況はほとんどが小石まじりのダートで、最後の5マイル位は砂地の走りやすい路面だ。 途中で#28Xが追い越して行く。

 1人で走っていると、自分がどんなペースで走っているのかがよく判らない。追い越されて初めてスロットルが開いていない事に気がついた。#28Xの後ろに付いてみると、意外と遅い事に気づく。追い越し先行するが、なかなか離れない。更にスロットルを開けて離しにかかると、目の前に舗装路が現れた。事後に聞いた話では、ここで次の交替ポイントに間違いがあり、連絡のためにチームメンバーが待ち受けていて、俺が来るとコースに出て静止したらしいが、こっちは#28Xと競っていたので「メキシカンが声援を送っているなー」くらいで気にも留めないで通り過ぎた。



レストラン
駐車場は広いが、建物はこじんまりとしたレストラン。食事はしなかったが、トイレは使用させて戴きました(勿論無料)。


武さん
私です。ライダー交替後。これから思いもよらぬ事が。

 ここからはスピード規制区間なので60mphでの走行となる。スピードメーターでスピードを確認し、慎重にアクセルのオンオフを行いながらの走行だ。1mphオーバーすると1分のペナルティーとなる。慎重なあまりGPS(地図)の確認が疎かになる。
 途中でメーターを地図に切り替えるが、コースの表示は無くなり、自分の位置の点だけが画面の真ん中にある。「あれっ、メーターがこわれたのかな?」なんて思ってしまい、まったくミスコースに気づかない。本来は左に曲がり、ダートに入る地点を大幅に過ぎて15分ほど走ってしまった。
 チームのチェィスカーがそれに気づいて、追いかけてきて俺を制止し「戻れー、ミスコースだぞー」と助手席から怒鳴っている。マシンを路肩に止めると、河波君がiPad片手に走って近寄ってきて、地図で説明してくれた。

 慌ててUターンしてコースに向かう。あっ、緑の看板がある。やっぱりミスコースだ。しかし、その裏にあるはずのオレンジの看板は無くなっている。それにオンコースを誘導する誘導員もいない。通常ならば、舗装路への侵入や舗装路からダートへの侵入地点にはオレンジベストの誘導員がいるはずなのに(レギュレーションには一切書いてないので、俺の勝手な思い込み?)いないし。
 とにかく、ここで30分のロスタイムが発生した。次のライダー交替地点であるRM470まではまだ170マイルもあるので、ここでロスした30分を取り戻す事にし、気を取り直して走り出す。



マーシャル
判りにくい場所や舗装路には、ほとんどどこのような誘導員が立つ。レース車両が来ると、一般車両を停止させる。


オンコース


ミスコース
オレンジがオンコース。緑はミスコースを示すコースマーカー。

 
 ここからのコースは変化に富んでいてタフなものだった。深い川砂の轍だらけの河川を延々と進み、その後には4輪がプリランで作り出した広大なシルト(深い粉状の路面で、止まると沈んでしまいそうになる。)を3速全開で進まないと沈んでしまいそうになりながら走ったり、頭くらいの大きさの石が一面の河原があったりと、ステアリングダンパーを締めたり緩めたりしながらの走行が続いた。

 
 やがて山越えのコースになる頃にはあたりが暗くなり出して外気温が急激に下がり始めた。寒い、ウインドブレーカーを羽織ろうかとも思ったが時間が惜しい。寒さに耐えながら走っていると体がかじかんでコースアウト。幸いにも辺りはフラットな場所で、サボテンが生えている場所だったので崖落ち等はなかった。サボテンのトゲが少し刺さったので、丁寧に引き抜き走行を続ける。

 
 ココスコーナーを過ぎた頃には標高が下がり、気温も上がり走りやすくなってきた。ここから交替地点のRM470までは一昨年のレースで走った場所なので、心配はない。一昨年は4輪のトップグループにここで追いつかれて怖い思いをしたが、今年はまだ来る気配すらない。しばらくは奇麗な水が流れている砂地の川底の川をあっちにいったり、こっちに行ったりと川を横断しながら遡上し、その後は砂地の深い轍の曲りくねったコースを進む、コーナーのイン側を攻めると灌木の枝が体にあたるので、アウト側を走る。轍があるので、ラインの変更には気をつかう。

 最後のBaja Pitが見えてきた。ここで燃料を補給すれば。次のライダーである後藤君に交替だ。Pitへゆっくりと滑り込むと小さな提灯が見える、我チームの提灯だ。給油を済ませ、チーム員の誘導で交代地点に向かう。無事、予定時間通りに交替。30分のロスは取り返した。ヘルメットライトを外し、後藤君に引き継いだ。準備万端のライダーは直にスタートして行った。

 
 汚れた顔をウエットティッシュで拭い、着替えを始めた。走行中は感じなかったが左手の親指の付け根が異様に膨らんでいる。関節もおかしい。きっと河川を遡上する時に石で振られ押さえつけようとした時にしたたかにハンドルで打ったみたいだ。一応湿布をする。
 その後は、車の後部シートで爆睡し、気が付くとサンイグナシオの交替地点に到着していた。ここで前後共にタイヤ交換も行うので、作業スペースが取れる路肩を選び駐車し、準備を進める。Baja Pitの位置も確認し、あとは後藤君が到着するのを待っていると、衛星電話から連絡は入った。

「後藤です。レースマイル502の舗装路でマシントラブルで右側で停止。寒いです」

 これまで衛星電話はどこでも発信できるが、肝心の受け手側はスマホなので、電波が届かない場所では受信出来ない。辛うじて勝野君のスマホには留守電の伝言を残す事が可能だったが、これも閲覧するには電波が届く必要があった。取り敢えず、荷物をトランポに積み込み、RM502地点に引き返す。

 街灯など勿論ありはしない。道幅も片側1車線ですれ違いも相手がトラックだと大変。こんな真っ暗で細い道をひたすら戻る。途中で対向車のミラーとこちらのミラーがこすれてすごい音がした。この時は、ガラス部分が外れて飛んで行った事は判らなかったが。明るくなるにつれてリアビュー確認が出来ない事に気づいた。



サボテン
サボテンのトゲは先端に小さなかえしがあるようで、刺さるとなかなか抜けない。無闇に引き抜くと折れてしまい、トゲが体の中に残ってしまうので、要注意。


Baja 1000
走り易い砂地の路面。全開でアタック。


Baja 1000
トロフィートラックが来ると、道幅一杯なので、避ける場所を探すのが大変。

 国道1号線から右折し、バヒアデロサンゼルスに向かう道を30kmほど走った所にマグ7Pitがあり、その横に#275Xの赤い点滅のライトが光り停まっていた。その横には毛布にくるまった後藤君が。ストップしていると思われる地点から数マイルほどをアメリカ人のトラックの荷物の上にバイクを縛り付けて運んでもらったらしい。この車が来るまでに何台かの車が止まってくれたが、怪しそうな人達だったので断ったようだ。サポート隊の到着まで、なんと9時間も待っていたらしい。行方不明にならなくてよかったね。コンロでお湯を湧かしアルファー米で朝食をとって一安心。

 止まったままのマシンは、ギアを入れた状態で押しても引いても動かない。クラッチを切れば動く。原因はクランクからカムシャフトの間だという事は判るが、部品の特定にはエンジンをバラバラにするしかない。手持ちの部品は、組み替える前の古い部品ピストン、シリンダーヘッド、シリンダーしかない。もし、クランクシャフトなら修復は不可能だし、パッキン類の手持ちもないので修復は諦める。

 コース距離の半分弱の場所でのリタイヤとなってしまったが、この先ゴール地点であるラパスまで4輪で移動するか、それともエンセナダに戻るかの判断が分かれる所。時間内での完走は出来なくても、ゴール地点まで行きたいチームもあるだろうが、これは考え方の違いでなんともしがたい。我々の判断は、戻る事で一致した。ここで今年のBaja1000は終了した。

 自慢じゃないが俺は海外で4輪を運転した事がない。数えきれないほど行ってはいるが、いつもVIP待遇で助手席にすら乗っていない。が、今回はプリランの時にちょっとだけ運転させてもらった。日本ではほとんど見かけないフォード社のE-350という大型サイズの車だ。運転してみて、日本の200系ハイエースワイドとあまり変わりがなかったので安心して運転できた。当然、左バックミラーの無くなった車を俺も交替要員として運転した。センターラインとの間隔の取り方に戸惑ったが慣れだね。

 まさにBaja1000からBaja500になってしまったのだ。チーム員の4人はまだ30代の若い方達なので、この先まだまだチャレンジするチャンスはあるだろうが、齢61歳11ヶ月の俺には次のチャンスが訪れる事はもうないだろうなーなんて考えながらのリタイヤだった。
 改めてBaja半島の地図を眺めると、まだ半分も進んでいない。やっと40%といったところだ。今来た道を北に向かえば夕方にはエンセナダの到着する。一路北に向かう。勿論運転手も皆で交替だ。



フォード社のE-350
FORD E350。日本ではあまりお目にかかる事はないが、アメリカでは、極めてポピュラーな車両。