THE BIG-BIKE COLLECTION 創意と技術で新時代を拓いた大排気量モデル 第二集 個性派モデル

 前回お伝えした第一集に引き続き、2015年2月5日~2015年4月17日に開催の「THE BIG-BIKE COLLECTION 創意と技術で新時代を拓いた大排気量モデル」第二集では、ヤマハオリジナルデザインの礎となったYD-1から、人気急騰の最新モデルMT-09まで、オリジナリティが溢れる個性派モデル7台を展示。
 企画展は引き続き第三集として4月〜6月にクルーザー&ツアラーの展示が予定されている。ヤマハファンならずとも一見の価値あり。この機会にぜひ足を運んでみてはいかが。

●撮影─依田 麗 ●取材協力─ヤマハ http://www.yamaha-motor.co.jp
ヤマハコミュニケーションプラザhttp://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/

YD-1

 太平洋戦争敗戦の1945年、日本の二輪車生産数は初めて0台を記録した。しかし復興が進むにつれて二輪車生産も増加の一途をたどったが、ほとんどが実用車で、用途はまさに二輪トラックであった。
 しかも欧米の水準には遠く、1950年代は未だ暗中模索、手探りの当時であり、ヤマハの第一作であるYA-1(125)も欧州車の模倣から出発した。しかし第二作となるYC-1(175)では早くもデザインにオリジナリティが発揮され、デザインのヤマハイメージが芽吹く。
 そして第三作となるヤマハ初のビッグバイク(当時は250クラスでも国内では十分ハイパフォーマンスバイク)となるYD-1では、西ドイツ製アドラーMB250をお手本にしたものの、パイプとプレスをあわせたバックボーンフレーム、スポーティなシングルシート、後に「分福茶釜」と呼ばれたタンクなど、YA-1以来デザインを手がけたGK(グループコイケ。1957年にGKインダストリアルデザイン研究所に発展)のフルオリジナルであり、設計はデザイン先行で進められた。
 その結果、当時クラス最軽量で加速が鋭く、最高速度115km/hの性能と、他のどこにもないヤマハオリジナルデザインのYD-1は、二輪トラックからスポーツバイクへの脱皮でもあった。また川上社長自らYD-1で浜松から東京までデモランを行い、新聞に大きく取り上げられ話題となったことなどもあって、発売と同時にヒット作となり、以降のヤマハ車に大きな影響を与える一台となった。
 初期生産車ではクランク軸にトラブルが発生したが、対応が徹底して行われたため、ヤマハブランドの品質と信頼性の向上にも大きく貢献したことも忘れてはならない。
 1957年の軽二輪生産数は、ホンダの28442台がダントツで、昌和製作所8429台、目黒製作所7653台、東京発動機(トーハツ)6791台、に続き、ヤマハは初の250クラス挑戦で6698台を記録し、ほとんどのメーカーが100〜3000台という群雄割拠の時代に、YD-1の成功によって一歩先に出ることができた。


YD-1
※以下、写真をクリックすると違う画像が見られるものもあります。

YD-1

YD-1

YD-1

YD-1
●エンジン︰空冷2ストローク2気筒ピストンリードバルブ ●総排気量(内径×行程)︰247cc(54×54mm) ●最高出力︰14.5ps/6000rpm ●最大トルク︰-kg-m/-rpm ●圧縮比︰6.6︰1 ●変速機:4速リターン ●全長×全幅×全高︰1935×705×935mm ●軸距離︰1270mm ●車両重量︰140kg ●燃料タンク容量︰15ℓ ●タイヤ前・後︰3.25-16・3.25-16  ●発売当時価格:185,000円

YD1

YE-1
YD-1の初期モデルはキャリアもない大胆なシングルシートで登場。後にリアキャリア付きやダブルシートモデルも追加された。 1958年のYE-1は、YD-1をベースにボアを1mm拡大して256cc化したヤマハ初のオーバー250ccの小型二輪車となった。

YD-2

YDS-1
1959年、フラッグシップを250S(すぐにYDS-1に改名)に譲り、耐久を重視した実用的なイメージを強くしたYD-2にモデルチェンジ。 1959年に登場したYDS-1は、浅間火山レースなどで活躍したYD-1ベースレーサーの公道バージョン。軽量コンパクトな2ストメーカーの地位を確固たるものとした。

YD-3

YDT-1
1961年にはセルスターターやホワイトリボンタイヤを装着したYD-3にモデルチェンジ。17馬力で最高時速は125km/h。 1963年に誕生したYDT-1は、YDS-1の後継機YDS-2のエンジンをディチューンし、YD-3の車体に搭載したツーリングモデル
XS-1

 軽量コンパクトな車体に、ハイパワーな2ストロークエンジンを搭載するスタイルで、ブランドイメージを着実に積み上げてきたヤマハであったが、1960年代後半から主に当時のメインターゲットであった北米で環境問題、燃費に注目が集まり始めた。また中東戦争による石油価格の高騰(オイルショック)もあり、時代の趨勢は徐々に4ストローク主流へと動いていった。
 ヤマハも4ストロークエンジンを開発する(実はヤマハの第一号モデルは4ストローク90ccでの計画もあったが、より確実な2ストロークが選ばれた)。1960年代末すでにCB750FOURが登場して4気筒時代の幕開けであったが、ヤマハはあえて4気筒を選ばず、当時圧倒的な人気を誇ったトライアンフをターゲットにした。そしてあらゆる面で凌駕しようと研究開発した結果、1970年2月、ヤマハ初となる4ストロークエンジンの650XS-1を送り出した。
 スリムなバーチカルツインモデルは、日本車っぽくない欧州車を思わせる優雅で美しいモデルであったが、CB750FOURを筆頭にスズキGT750、カワサキ750SSとイケイケの大きいことはいいことだのハイパワー幕開けの時代、多気筒大排気量車を相手に、インパクトに欠けたことは否めなかった。
 しかしこの優雅なバーチカルツインエンジンは、ヤマハといえばアメリカンモデルという評判を作り、第一次アメリカンブームの牽引役となったXS650スペシャルに引き継がれて、末長く愛され続けた。


XS1

XS1

XS1

XS1

XS1
●エンジン︰空冷4ストローク2気筒SOHC2バルブ ●総排気量(内径×行程)︰654cc(75×74mm) ●最高出力︰53ps/7000rpm ●最大トルク︰5.5kg-m/6000rpm ●圧縮比︰8.7︰1 ●変速機:5速リターン ●全長×全幅×全高︰2175×905×1135mm ●軸距離︰1410mm ●車両重量︰200kg ●燃料タンク容量︰12.5ℓ ●タイヤ前・後︰3.50-19・4.00-18 ●発売当時価格:338,000円

XS650E

TX650
1971年8月にディスクブレーキ、セルスターター、キルスイッチなどを装着し、扱いやすさを増したXS650Eへモデルチェンジ。 1973年12月、アルミリムなどでモデルチェンジし名称もTX650へと変更。小改良を続けて1980年初頭まで販売された。

XS650Special

XS650
1978年に登場したXS650Specialはヤマハ初のクルーザー。第一次アメリカンブームを巻き起こしSpecialはアメリカンの代名詞的存在に。 XS650の1981年最終型。国内では1980年のTX650が最終型となったが、海外ではXS650の名称のまま1981年まで販売された。
XJ680T

 1980年代に入るとバイクブームはさらに加速、さらなる高機能高性能化時代へと疾走を続けた。その象徴の一つが一般的に実用化され始めたターボチャージャーであった。四輪車では燃費向上をお題目に1979年日産のセドリック、グロリアに搭載されてから一大ブームとなっていた。
 ターボチャージャーがバイクにも波及するのは当然の出来事で、ホンダが1981年CX500ターボを投入、翌年にはスズキXN85が登場し、ヤマハも4気筒のミドルスポーツXJ650をベースにしたXJ650turboを投入した。
 ここでもヤマハは独自のこだわりを見せる。他メーカーがIHI製のタービンを採用したのに対し、三菱重工と共同開発したタービン径40mmという世界最小のタービンを採用し、燃料供給も電子制御のフューエルインジェクションではなく、機構が単純で価格も抑えられる負圧式キャブレターを採用した。
 最後発となったカワサキも1983年750TURBOを発売し、ターボバイクの新時代が花開くかと思われたが、大排気量車と同等のパワーを小排気量でという思想では、大排気量のほうがコストが安く信頼性も高いというジレンマに陥ってしまい、さらに過激なハイパワーなイメージからかバイクブームの国内では認可されず発売できなかったため、時代の仇花となってしまった。


XJ650Turbo

XJ650Turbo

XJ650Turbo

XJ650Turbo

XJ650Turbo
●エンジン︰空冷4ストローク4気筒DOHC2バルブ ●総排気量(内径×行程)︰653cc(63×52.4mm) ●最高出力︰85ps/8500rpm ●最大トルク︰7.5kg-m/5000〜8000rpm ●圧縮比︰8.5︰1●変速機:5速リターン ●全長×全幅×全高︰2170×730×1305mm ●軸距離︰1435mm ●乾燥重量︰229kg ●燃料タンク容量︰18ℓ ●タイヤ前・後︰3.25V-19・120/90V-18 ●発売当時価格:輸出車

XJ650

XJ1100Turbo
XJ650turboのベースが1980年に登場したXJ650。400並みのコンパクトな車体に新開発4気筒エンジンを搭載した輸出モデル。国内では750版が発売された。 1981年の東京モーターショーに参考出品されたXJ1100Turbo。大排気量+フューエルインジェクション付ターボは新時代を予感させたが、市販には至らず。

XJ750D

XJ650Turbo
国内ではターボバイクが認可されず、姿形がそっくりなXJ750Dを1982年に発売。ノンターボだが最先端のマイコン制御モニターを搭載。 1982年のヨーロッパ向けモデル。アメリカ向けにはSECA turboの愛称が付けられたが、欧州仕様はXJ650Tでカラーもシック。
XJ680T

 現在は南米大陸をを走る過酷なダカールラリー。当初はパリをスタートし、地中海を渡って灼熱のアフリカ大陸の砂漠を走り、ダカールを目指すパリ・ダカール間のラリーで、通称パリダカは1979年に始まった。
 ヤマハは、フランスのヤマハ代理店であるソノート社を通じて第一回から参戦し、第一回、第二回はXT500ベースのマシンが連覇し、幸先のよいスタートを切った。しかしその後優勝から遠のき、バイクブームを背景に我が国でも関心の高かった1980年代後半は、ホンダNXR750の独壇場であった。もちろんヤマハもXT500からさらに進化したXT600テネレ系のマシンで参戦を続け、1986年にはFZ750の4気筒エンジンを搭載したモンスターマシンFZ750テネレ(OU62)、翌年には排気量を920にアップしたYZE920テネレ、そして1988年にはヤマハのモータースポーツ開発部が手がけた、純ワークスマシンである5バルブ単気筒のYZE750(OW39)などを次々と投入し試行錯誤の挑戦を続けていたが、優勝はできなかった。
 そんな中、1988年のパリショーでXTZ750スーパーテネレが発表された。新たに開発された水冷2気筒エンジンは、ジェネシス思想を受け継いだDOHC5バルブ。ダウンドラフトキャブ付きの前傾したコンパクトで低重心なエンジンを、ダウンチューブ着脱式の高張力鋼管製ダブルクレードルフレームに搭載し、ショートホイールベースの車体は運動性に優れるなど、パリ・ダカで培ったノウハウを惜しみなく投入して制作された、まさしくスーパーなテネレであった。
 このマシンをベースにしたYZE750Tスーパーテネレ(OWBC5)は1990年、1、2、3フィニッシュで10年ぶりにヤマハにタイトルをもたらし、1990年代はパリ・ダカ=スーパーテネレの時代を見事に演出した。


XTZ750

XTZ750

XTZ750

XTZ750

XTZ750
●エンジン︰水冷4ストローク2気筒DOHC5バルブ ●総排気量(内径×行程)︰749cc(87×63mm) ●最高出力︰70ps/7500rpm ●最大トルク︰6.8kg-m/6750rpm ●圧縮比︰9.5︰1 ●変速機:5速リターン ●全長×全幅×全高︰2285×815×1355mm ●軸距離︰1505mm ●乾燥重量︰195kg ●燃料タンク容量︰26ℓ ●タイヤ前・後︰90/90-21・140/80-17 ●発売当時価格:輸出車

YZE920

YZE750T
1987年のパリ・ダカに投入された水冷4気筒DOHC5バルブ912ccエンジンを搭載したモンスターマシンYZE920テネレ。車重がネックとなり7位止まり。■撮影─楠堂亜希 XTZ750スーパーテネレをベースにして1990年に製作された、パリダカワークスマシンYZE750Tスーパーテネレ(OWB8)。高い信頼性と操縦安定性で2位入賞。

XTZ750

XTZ750
ヨーロッパでは大排気量のエンデューロマシンが流行し、スーパーテネレはあっという間に人気モデルに。写真は1991年欧州仕様。 1995年の欧州向け。レース直結のスーパーテネレだが市販車としての評価も高く、レーサーイメージではないシックなカラーも人気に。
GTS1000

 国内では上限ナナハン自主規制によって750時代が長く続いたが、海外では1970年代後半からリッタークラスの大排気量モデルがフラッグシップとして君臨し、1990年代初頭には欧州でのリッタークラス年間需要は11万台を突破する大市場となっていた。各メーカーは持てる技術の粋を競って投入した文字通りのリッタークラスのフラッグシップモデルを生産し、市場はさらに活性化していった。
 当時国内市場ではすでにバイクブームに陰りが見え始めていたが、ネイキッドブームなど新たなブームも芽生えていたし、バブル景気が続いており、新ジャンルを開拓する挑戦的なニューモデル開発にも投資ができたぎりぎりの時期でもあったともいえよう。
 1992年のケルンで開催されたIFMAで発表され、全世界をあっと言わせた、ヤマハのバイク史、いや日本のバイク史においてエポックメイキングな近未来スポーツツアラーGTS1000/1000Aは、そんなタイミングで開発された。エンジンは「ザ・ベスト・100馬力」をキーワードにFZR1000の水冷4気筒DOHC5バルブをベースに、最高出力を抑え最大トルク重視のセッティングとされ、常用回転域での扱いやすさや、追い越し加速性能を高めた。さらにフューエルインジェクションと三元触媒を装着し、良好なスロットルレスポンスと共に好燃費と高い環境性能をも実現した。そのエンジンを包み込むのは高剛性、低重心、マスの集中を達成したオメガシェープアルミダイキャストフレームで、足周りはフロントがオメガシェープフレームと同時に新開発された片持ち式サスペンションに、ABS(GTS1000Aのみ)、プロテクション効果の高いフェアリング、ビルトインされたバックミラー、タンク部とシート後部に設置された収納スペース、オプション設定のクラウザーサイドケースなど、ヤマハの持てる技術を注ぎ込んだ夢のスポーツツアラーであった。


GTS1000

GTS1000

GTS1000

GTS1000

GTS1000
●エンジン︰水冷4ストローク4気筒DOHC5バルブ ●総排気量(内径×行程)︰1002cc(75.5×56mm) ●最高出力︰100.6ps/9000rpm ●最大トルク︰10.8kg-m/6500rpm ●圧縮比︰10.8︰1 ●変速機:5速リターン ●全長×全幅×全高︰2170×700×1320mm ●軸距離︰1495mm ●乾燥重量︰251kg ●燃料タンク容量︰20ℓ ●タイヤ前・後︰130/60ZR17・170/60ZR17 ●発売当時価格:輸出車

MORPHO

GTS1000
1989年の東京モーターショーに参考出品された未来のスポーツモデル、モルフォ。直接関連はないがイメージの原点はここにあるといえよう。 1993年の欧州仕様は、赤いディープレッドカクテル2と、この写真のブラッシュブラックカクテル1の2色をラインナップ。

GTS1000

GTS1000
1994年モデルはカラーを変更。写真は欧州向けのABSを装着したGTS1000A。 欧州では1998年まで販売された。モデルチェンジが一度もなかったのは完成度の高さからか。写真は最終カラーのGTS1000A。
MT-09

 展示のしんがりを飾るのは、大好評を博している3気筒スポーツモデルのMT-09。かつてGX750が思い描いた、4気筒よりもスリムで2気筒よりもパワフルかつ振動が少ないという3気筒のメリットを生かし、ヤマハスポーツモデルの思想であるスリムで軽量コンパクトな車体に搭載した。そう、この展示を見ればMT-09は、貫かれたヤマハ思想への原点回帰がヒットを生んだ要因のひとつであることがよくわかる。

■MT-09の詳細はこちらで。試乗インプレッションはこちら


MT-09

MT-09

ヤマハコミュニケーションプラザ

CP

CP

 ヤマハ本社の横に位置するヤマハコミュニケーションプラザ。元々は社員同士のコミュニケーションを図る場として設立されたが現在は常時一般開放されており、ヤマハ新旧製品やレーサー、貴重な書籍や映像などを無料で閲覧できる素晴らしい企業ミュージアムとなっている。スーベニアショップ「プラザショップ」や喫茶スペース「カフェプラザ」もあり、今回ご紹介させていただいたような趣向を凝らした企画展も随時開催されている。基本的に平日と第二第四土曜日が開館日だが、変更になる場合もあるので公式サイトで御確認を。

靜岡県磐田市新開2500 http://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/

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