MBHCC E-1
西村 章

第94回 第17戦 マレーシアGP BringsNothingHome

 今回の話題は、やはり決勝レース7周目14コーナーの出来事に尽きるだろう。
 3位争いの激しいバトルを続けていたバレンティーノ・ロッシ(モビスター・ヤマハ MotoGP)とマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)がバックストレート手前の立ち上がりで接触し、マルケスが転倒する結果になった。この接触と転倒がおおいに物議を醸すことになったのは、そこに至るまでのプロセス、つまりロッシとマルケスの関係性の変化とチャンピオン争いへの影響が、今回のレースウィークで最も話題になり、皆の関心を集める事項だったからだ。
 それだけに、マルケスの転倒というこの「決着」は、ある見方をすればもっとも最悪の展開ともいえるだろうし、別の見方をすれば起こるべくして起こった結果ともいえるだろう。さらにあるいは、この出来事は今までくすぶり続けてきたものを最も明快に顕在化させたという意味で、それぞれが旗幟を鮮明にする絶好の機会になった、ともいえるのかもしれない。
 ともあれ、まずはここに至るまでの流れをひととおり整理しておこう。
 ことは、マレーシアGPに先立つ第16戦オーストラリアGPの決勝レースに端を発する。
 このレースでは、マルケス、ロッシ、ホルヘ・ロレンソ(モビスター・ヤマハ MotoGP)、アンドレア・イアンノーネ(ドゥカティ・チーム)の4台がめまぐるしく順位を入れ替え、激しいトップ争いを繰り広げた。最終ラップの最終セクションまで彼らの攻防は続き、最終コーナー手前のダウンヒルから右へ小さく旋回するMGコーナーのブレーキングでマルケスがロレンソの前に出た。そして、最後の高速コーナー区間でもロレンソを抑えきって優勝。ロレンソが2位で、ロッシとのバトルを制したイアンノーネが3位に入った。
 日本GP終了後に18ポイントあったロッシとロレンソの点差は、この結果によりロレンソが20ポイント加算、ロッシが13ポイントを加算し、ふたりのチャンピオンシップポイントは7点縮まって11ポイント差になった。
 しかし、この四つ巴の激戦が、ロードレースの醍醐味を凝縮した名勝負として語られたのはわずか四日間にすぎなかった。
 マレーシアGPのレースウィーク開始に先立ち、セパンサーキットで木曜夕刻に行われたプレスカンファレンスで、ロッシは「あのレースでは、自分をレースに勝たせたくないマルケスがロレンソをアシストした」と発言したのだ。
 この言葉を受けてロレンソは「最終ラップなんてとくに、すごくよくアシストしてくれたよね」と即座に混ぜっ返して笑いを取ったのだが、ロッシとしてはこの発言は真剣極まりないもので、やや唖然とした表情でその話を聞いていたマルケスは「レース中に途中でペースを落としたのはフロントタイヤの過熱を抑えて、最後に勝負するための温存策。誰を助けようとかいう意図など一切無く、最終セクションのオーバーテイクはギリギリのリスクを取って自分が勝つために全力でレースをした」と説明した。
 余談になるが、ロッシは2004年のマレーシアGPでも、この事前記者会見でセテ・ジベルナウに対して完全に袂を分かつ挑発的な発言を行っている。このときも、その前週に行われたカタールGPでのグリッド降格という伏線があったのだが、会見の席上でジベルナウは見るからに狼狽しながら「バレンティーノは本当はいいヤツだとわかっているから云々」と懸命に取り繕うのに対し、ロッシは終始冷ややかな態度を崩さなかった。そして、この出来事以降、ジベルナウはレースで一切勝てなくなってしまう。
 そのときのジベルナウと比較すれば、いきなり絶縁状にも似た言葉を突きつけられた経緯と本人が受けた驚きは似ていたとしても、その対処はマルケスのほうが、「あの発言にはとても驚いた」と言いながらも、自分の走りについてひとつひとつ丁寧に説明する態度は、むしろ一切動ずることなく淡々としていた印象がある。


#93

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#99

#29

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 今年の発言に話を戻そう。ロッシが糾弾したこの「ロレンソアシスト疑惑」は、その真意がいったいどこにあるのか、即座にパドックの中で様々な憶測を呼んだ。
 ロッシは過去にも、ライバルに対して巧妙な心理戦を仕掛け、コース外でも彼らを追い詰める策を弄してきた。古くは1990年代後半のマックス・ビアッジや、上記でも紹介したセテ・ジベルナウ、あるいは2000年代後半には、ドゥカティ時代のケーシー・ストーナーに対しても、イタリアの新聞雑誌を中心にメディアを巻き込んで様々な揺さぶりを弄してきた。ロッシの狡智な老獪さを知る者ほど、またもや新たな心理戦を仕掛けてきたか、と推測した。今回のマルケスに対する彼の指弾の論旨は、「第3戦アルゼンチンGPと第8戦オランダGPでマルケスとの間に発生した接触が、故意によるものだと彼がずっと根に持ち続けてきたから、僕にチャンピオンを獲らせないようにロレンソをアシストしていた」というもので、この主張はあまりに牽強付会で稚拙な陰謀論のようにも見える。だがそれだけに、ロッシを良く知る者ほど、かえって深読みしたくなるのも当然ではあっただろう。
 そして、その主張が強引であるからこそ、シーズンも終盤を迎えてチャンピオン争いのプレッシャーが強くなってきたことで疑心暗鬼が強くなり、堪えきれずに本心を吐露したのだろう、と推測する向きもあった。
 さて、では、なぜロッシはそんな思い込みを抱くに至ったのか。
 ロッシと非常に親しいある関係者の話では、「バレンティーノは自分と同じモノ(狡賢く、表裏を巧妙に使い分ける姿勢)をマルケスの中に見ているから」なのだという。つまり、<自分ならこういう場合にはまちがいなくそうする(考える)であろうから、ヤツもまたそうであるに違いない>というわけだ。「皆がバレンティーノのことを、ものすごく頭が良くて才能に溢れた『神』だと思ってきたけれども、今回の出来事は、彼もまた自分たちと同じ人間であることを露呈した例」なのだとその関係者は説明をする。
 攻撃対象がチャンピオン争いの直接の相手であるロレンソではなく、なぜかマルケスに向かっている理由も「彼が自分と同類」であるという見立てによるもの、という説明ならば、納得はしやすい。
 そして、ロッシがこれだけ過敏に反応するのは、「今回がチャンピオンの最後のチャンスであることを自分でもよく理解しており、なんとしても王座を獲得したいと切望している」からだともいう。なるほど、この素直な欲望の表出もまた、彼が神ではなく等身大の人間であることのあらわれ、といえるだろう。


#46

*   *   *   *   *

 ロッシの上記の発言は、金曜日にもパドック内で通奏低音のように滞留していた。
 この日に行われた2回のフリープラクティスでは、ロレンソが最速タイムを記録し、ダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ・チーム)が0.047秒差の二番手。
 木曜のロッシ発言でいきなり渦中に巻き込まれた格好のロレンソは
「あのレースでは、全周回の80パーセントほどは自分が前を走っていたから後ろの展開がどうなってるかなんてわからなかったし、本当に僕を助ける気だったのなら、(優勝を譲って)さらに5ポイントくれていただろうけど、実際はそうじゃなかったよね」
 とやや呆れ気味に語った。そして、
「バレは二戦とも優勝してチャンピオンを獲得する可能性がある。こうやって状況をさらにややこしくして、マルクや僕やダニとの混戦にしたい戦略なのかもね。でも、そもそも自分が充分に速ければ、ああいうことを言う必要はないでしょうよ。だから、今回についてはあまりいい戦略だとは思わないねえ」
 とも話した。
 この日、マルケスは総合三番手タイムだった。
 彼に対する質問は、前日のロッシ発言に関する内容に終始した。マルケス自身の発言は、順を追って紹介すれば、以下のとおりの内容だった。
−一日経って、バレのコメントをあらためてどう思う?
「あれから時間が少し経っても、やっぱりビックリだよ、皆もそうだと思うけど。今までと同じように僕はバレンティーノを尊敬しているけど、彼の状況も理解はしている。10回目の世界チャンピオンが目前な訳だからね。ホルヘがとても強いことを、バレはわかってるんだよ。
 だから、僕は彼らのバトルからは一歩引きたいと思う。昨日、彼は僕に向かってきたけど、最終的にはコース上でホルヘに勝たなきゃならないんだ。僕はその中にいたくないけど、でも僕は自分のレースをする。フィリップアイランドで勝ったときのようにね。チームやスポンサーのためにも25ポイントを獲得したいし、バレンシアでも勝ちを狙う。勝てないときは、2位や3位を狙う。フィリップアイランドのレース前にも言ったように、僕は100パーセントでレースに臨むよ」
−バレンティーノが自分に攻撃をしてきたことで、彼に対する尊敬がなくなったのでは?
「そんなことはないよ。今も言ったとおり、彼の状況は理解している。残り2戦で11ポイント差なら、誰だってプレッシャーを感じるからね。だから僕は戦いに巻き込まれたくないし、コース上で素晴らしいバトルをしてほしい。僕やダニやイアンノーネが間に挟まることがあるかもしれないけど、それはバレンティーノに利する場合もあるかもしれないし、ホルヘに利するのかもしれない。タイトル争いをしているのは自分のチームメイトではないのだから、僕は全力で自分のレースをして優勝を狙うし、それが無理なら2位や3位を目指す」
−バレンティーノの状況を理解しているというけれども、じゃあどうして自分が巻き込まれたのだと思う?
「わからないよ。新しい戦略なんじゃないの? 何回も話しているとおり、僕は最大限のリスクを取って、最終ラップに全力で勝ちに行っただけなんだ。あの発言の真意はバレンティーノにしかわからないけど、最後はコース上で勝負を決めてほしい。だって、彼はホルヘに勝てるくらい充分に強いんだから。チャンピオンシップを11ポイントリードしていて、2戦ともホルヘの直後で終えてもチャンピオンになれるんだから、心配する必要はないよね」
−フィリップアイランドでも、決勝後にバレンティーノからレースについてに訊ねられたそうだけど?
「うん、話したよ。レースについて、ただ質問してきただけ。昨日みたいな雰囲気じゃなかった。『中盤にレースをリードしていたのに、どうしてペースを落としてホルヘが抜いていったんだ』とか訊いてきたので、僕は『レースをコントロールして、フロントタイヤを温存しようとしたんだ』と説明した。僕の目標は、あくまでレースに勝つことだったからね」
−昨日のプレスカンファレンスのあと、時間が経ってじわじわ腹が立ってきたりしなかった?
「いや、全然。怒ってなんていないよ。だって、前も言ったとおり、僕はこのバトルに巻き込まれたくないし、どこでチャンピオンが決まるのかわからないけど、ふたりのあいだに僕やイアンノーネやダニが挟まったとしても、それはバレに利するかもしれないしホルヘに利するかもしれない。皆、自分が最高の結果を得るために、チームとスポンサーのためにレースをしているんだよ」
−今回のレースで、バレンティーノが皆に10秒くらいの大差をつけて圧勝するのが、いちばん手っ取り早い問題解決かもしれないね。
「そりゃそうさ。ホルヘの前でも後ろでもチャンピオンを確定できるのに、なんでああいうことを言ったのか僕にはわからないよ。バレンティーノはプレスカンファレンスやコース外でもうまくやる人だけど、最後は僕じゃなくてコース上でホルヘを倒さなきゃならないんだよね」
 一方、騒動の火種を巻いたロッシはこの日、八番手。ロレンソのタイムからは1秒の差だった。一発タイムこそ出せなかったものの、レースを想定したアベレージは悪くない、と話し、昨日の発言にマルケスがいまでも驚いている、と話したことを伝えられると、
「何もびっくりすることじゃないと思うけどね。昨日言うべきことはすべて言ったし、今日付け加えることはなにもないよ」
 と受け流した。そして、二戦ともロレンソのひとつうしろで終われば充分にチャンピオンになれるのに、というマルケスの発言に対しては
「そんなことわかってるよ。わざわざマルケスに言われなくてもね」
 と、敵愾心むき出しの素っ気なさで一笑に付した。
 この質疑応答を終えたときに、ふと思ったことがある。もしもロッシの年齢が若く、今のマルケスと同じ立場であったなら、「どうしてそういうことを言うのかさっぱり理解できないけど、ボクは今でも彼のことを尊敬してるよ」くらいはさらりと言ってのけ、メディアを自分の味方に引き込むような言動でうまく立ち回るに違いない。


#93

*   *   *   *   *

 土曜日の予選はダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ・チーム)が、サーキットレコードを塗り替えるタイムでポールポジションを獲得。2番グリッドにマルケス、3番グリッドがロッシ、という順になった。どちらかといえば、セパンサーキットはホンダ優勢という傾向が強く、決勝はずば抜けたスピードのペドロサにマルケスが食い下がるような展開も予測させた。そして、フロントローにロレンソを押しのけてロッシが滑り込んだことは、彼のこのレースに賭ける強い意志と集中力も感じさせた。
 フロントローを獲得した上記三名のプレスカンファレンスの席上で、ロッシとマルケスは視線を交わさなかった。この日の午前のフリープラクティス3回目や午後のFP4で、ふたりはコース上で互いに牽制し合うような動きも見せており、両者の間の緊張感が高まっていることはもはや明らかだった。
 そういえば昨年、マルケスがMotoGPクラス二連覇を達成した直後でも、ロッシはマルケスのずば抜けた才能を絶賛していたが、その際に、ロッシと近しいある人物に「彼がここまで自分のライバルの才能を認めるのは、今までになかったのではないか」と訊ねたことがある。ロッシと親しいその人物は「今はそう見えるかもしれないけれども、チャンピオンシップの直接のライバルになったとき、この蜜月は必ず終わる」と話していた。
 今年のマルケスは、ロッシに対してチャンピオンシップの直接のライバルではないけれども、仲の良い師弟のような関係は意外に早く終焉を迎えたな、と彼らの会見を見ながらそんなことを考えていた。そして、マルケスと目を合わせようとしないロッシのやや硬い表情に、この人の業のようなものが垣間見えるようにも思った。


#46

*   *   *   *   *

 日曜の決勝日までには、以上のような経緯と事情がそれぞれのライダーにあった。

 セパンサーキット周辺は、インドネシアの煙害の影響で金曜と土曜はやや視界も霞みがちだったが、日曜はウィーク中でもっとも煙の影響が少なく、いつものセパンとほぼ変わらないコンディションになった。 
 午後3時に始まった20周の決勝レースは、ポールポジションスタートのペドロサが、ホールショットを奪うと以後は一度も前を譲らず、後方を引き離し続ける完璧な展開で独走優勝。今季二回目の勝利を達成した。


セパン

 その後方ではロレンソが2位チェッカー。ロレンソは、スタートでやや出遅れてドゥカティ2台の後塵を拝する格好になったが、一周目4コーナーで彼らをパスし、ロッシとマルケスも次々とオーバーテイクしてペドロサに迫ろうとした。だが、ペドロサの圧倒的なペースに追いすがることはできず、以後は単独走行でのゴールになった。
 そして彼らのはるか後方では、ロッシとマルケスが熾烈なバトルを続けていた。
 ふたりの戦いが最も激しさを極めたのは5周目。1コーナーから12コーナーまで、都合9回のオーバーテイクが繰り広げられた。木曜や金曜にマルケスが「自分のレースをする」と言っていたのは、こういうことだったのかもしれない。ただし、ロッシにしてみればロレンソを一刻も早く追い上げたいのにこれほど執拗にまとわりつかれて、焦燥感もピークに達していたことだろう。6周目の8コーナー立ちあがりでは、斜め後方のマルケスに中指を突き立てていることからも、彼の苛立ちがはっきりと見て取れる。
 そして、7周目の14コーナーで接触が発生した。
 13コーナーからすでにイン側にいたロッシは、14コーナー立ち上がりで意図的にスロットルを緩めながらアウト側にいるマルケスのラインをふさぎに行っている。幅を寄せられた格好のマルケスが左後方、ロッシがその右斜め前、という位置取りで2台が接触し、マルケスが転倒した。
 この瞬間、横側からの映像では、ロッシの左脚が動いていることも視認できるため、マルケスを蹴ったようにも見える。ロッシとマルケスのそれぞれの言い分は後述するが、ふたりの戦いがヒートアップに達した真っ最中で、さらに一瞬の出来事でもあったため、多くの人がそう考えたとしても仕方ないだろう。その直後に映し出されたヤマハのピットボックスにも「やってしまった……」感が漂っていたため、その印象はさらに強くなったのかもしれない。
 ただ、この映像はその後に何度もリプレイされており、さらにヘリコプターによる上空からの映像も残っている。ロッシのこの挙動のどこまでが意図的なのか、不可抗力なのか、あるいはつい、体が反応してしまったのか。それとも、偶発的な出来事が最悪の結果になってしまっただけなのか。ロッシとマルケスの主張は当然違っているし、意見の歩み寄りが何らかの一致を見ることはおそらく今後もないだろう。
 レース終了後に当事者両名から直接の主張も聞き、映像でも何度も確認してみて、今の段階で自分に推測できるこの出来事の顛末は、おそらく次のようなことなのではないか、と思われる。

・13コーナーでイン側にいたロッシは、14コーナー立ち上がりでマルケスのラインをふさごうとすでに画策していた。
・後方のマルケスは、14コーナー立ち上がりでロッシが予想外に幅を寄せてきたので戸惑う。が、相手も自分と同様に旋回していくことに賭けて動作を継続する。
・マルケスの右肩もしくは肘あたりがロッシの左ニースライダー付近に接触。
・舌打ちしたい気持ちでロッシが左脚を振り払う。
・結果的に、マルケスのハンドルバーに接触し、転倒。
・ロッシの左足がステップを離れてマルケスのマシンもしくは体を蹴っているかどうかについては、空撮からも横側の映像も、決定的部分が見えないために判然としない。

 ロッシやマルケスがそれぞれ、どこまで相手にかぶせてやろうという意図があったのか、については推測するしかないのだが、上記のような経緯であれば、ロッシの立場からは「転倒させるつもりではなかった」というロジックが成立するし、マルケスの側からは「意図的にハンドルバーを引っかけられて転倒させられた」という見方が成立する。いずれにせよ、どちらの言い分を受け入れるにしても、ロッシが「つい、やってしまった」という事実は揺るがないだろう。そして、この「つい、やってしまった」行為は、充分にレースディレクションによる譴責の対象になり得るし、なって当然のものだ。
 この「つい、やってしまった」動きが結果的に蹴りであるのか、単に左膝を動かして振り払っただけなのかは、さらに細密に映像を解析すれば判明するのかもしれないが、今、自分が目にできる映像資料から判断できるのは以上のとおりだ。
 性善説過ぎると言われるかもしれないが、できればロッシにあらかじめ転倒させようという意思と目的があって自覚的に行為に及んだ、とは思いたくない。ロッシもマルケスも、世界の頂点に君臨する選手である以上、けっしてきれい事では片付かない鬼のようなものを心の中に飼っていることは、長年の取材で多少は心得ているつもりだ。ふだんの彼らはそれを表に出すことはないが、限界の戦いをよくよく観察していれば、彼らの中に住まう鬼は、ときおりちらりと姿を現すことを確認できる。どちらかといえば、マルケスよりもロッシのほうが、意図的に鬼を出すことが多いかもしれない。
 ただし、この心の中に住まう鬼と、相手に意図的な転倒を仕掛けることは、まったく別の次元のものだ。MotoGPの速度で相手に意図的な転倒を仕掛ける行為は、負傷や命に関わる事態をあえて狙う行為でもある。彼らの中に住まう鬼は、そこまで非人間的なものであってほしくはない。とくに、このセパンサーキットは、かつてマルコ・シモンチェッリがレース中のアクシデントで死亡している場所でもあるだけに、ロッシが意図的に相手ライダーの生命の危険に関わる行為に及ぶとはあまり考えたくない。甘い、と言われるかもしれないけれども。
 転倒意図の有無は最終的にはおそらく水掛け論になってしまうので、実りの多い議論にはならないだろうが、いずれにせよ、ロッシの行ったことは、意思の程度にかかわらずあまりに軽率であり、その行為に多くの人々が失望し、彼への敬意を喪ってしまうのもやむをえないだろう(その一方で、そんな彼を「かえって人間らしい」と擁護する意見もまた、あっていいとは思う)。


#93

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 ロッシに対するレースディレクションの処分とその事由は、MotoGP公式サイトでも公表されているので、そちらで適宜確認をしていただきたい。
 また、彼に対する処分が軽すぎるのではないか、と表彰台記者会見の場でロレンソたちが指摘していることも付け加えておきたい。特に、ペドロサの、MotoGPのルールブックが持つ曖昧さとその恣意的な運用の問題に関する指摘は、傾聴に値する。


#04

 レース終了後に、イタリア人選手のアンドレア・ドヴィツィオーゾにこの件に対する意見を訊ねたので、彼の回答を簡単に紹介しておこう。
「彼はどんな状況でもどんな感情でもうまくコントロールするベストの人物なのに、今日に限ってはそうじゃなかった。大事なモノを賭けて戦っていたからだろうね。10回目のタイトルがかかっていて、ロレンソがとても速いこともわかっていた。ロレンソがチャンピオンを取る可能性もあるから、バレンティーノはできることをすべてやってタイトルを取りにいかなきゃならない。マルケスと抜きつ抜かれつしてるうちに、ロレンソが離れていってしまった。今までのように、状況をうまくマネージできてはいなかったね。

(裁定は充分だと思う?)じゃないかもね。バレンティーノは16ポイントを獲得した。だからあまり処分は大きいとはいえないかもしれないけど、あまり自分が口を挟むべきことではないとも思う。おそらく、ベストな方法は、レース中にペナルティを科すことだろうね。それが難しいのもわかってはいるけど、レースディレクションの判断は重要だよ。裁定がレース後になると、競争相手にとってもペナルティの意味が変わってくるよね」
 競技の安全性やレースディレクションによる今回の判断の妥当性については、HRC副社長の中本修平の意見をひいておく。
「MotoGPは、安全性を高める努力を皆で取り組み続けていても、それでもなお危険が伴うスポーツな訳です。選手たちはお互いをリスペクトしているから高速バトルが成立し、それを見るファンの人たちに喜んだり興奮したりしていただける。お互いをリスペクトする気持ちを失うと、このスポーツ自体が成立しなくなるわけです。
 ロッシ選手が、マルクがまとわりついてくるのでいらいらしてしまった気持ちはわかるけれども、何度も世界チャンピオンを獲った36歳の偉大な人物が、まるでストリートファイターのようなことをすると、そのスポーツを否定してしまうことにもなりかねない。自分の立場をもう少し認識してほしかった、とは思いますね。
 ペナルティについては、レースディレクションの決めることなので、その裁定を尊重はします。けれども、たとえばルマンでシッチがダニとぶつかってダニが転んだときは(2011年)、即座にブラックフラッグが出てライドスルーペナルティを科されました。あのときだって、シッチはけっしてわざとやったわけではない。なのに、なぜ今回のロッシ選手には同じ裁定が出ないのか。これは大きな疑問で、レースディレクターの結論に対してはリスペクトするけれども、一貫性がないのは残念ですね。バレンティーノ・ロッシは何をやっても許されて他のライダーは許されない、と外からは見えてしまうのは、いかがなものだろうか、とは思います」
 最後に、マルケスとロッシのそれぞれの主張を紹介して、今回は締めくくりとしたい。

*   *   *   *   *

[マルク・マルケス]
「バレンティーノがあの出来事をどう見ているかは、僕にはわからない。オーストラリアは激しいレースで、僕が勝った。今回も序盤から攻めて、2番手に浮上した。彼が最初に僕を抜いたとき、半周後ろについて走り、自分の方が速く走れるとわかったから、自分のレースをしようとしてオーバーテイクし、差を広げようと思ったんだ。彼がオーバーテイクしてきたとき僕はすでに旋回中で、彼はややはらんでからライン上に復帰して、それで14コーナーにさしかかったんだ」
−レースディレクターのマイク・ウェブの説明では、きみは明らかにバレンティーノのライディングに悪影響を与えようとしたけれども、ルールブック上では違反を犯しているわけではないのでペナルティを科さなかった、ということだが……。
「もちろん、バレンティーノは僕をふさごうとしたし、僕もバレンティーノをふさごうとした。ベストのペースで走れなかったから、バレンティーノが前にいるときだってけっして速いわけじゃなかった。あの出来事の後、彼のラップタイムは1秒後半から2秒前半だった。僕ならもっと速く走れただろうね」
−あの出来事の最中、バレンティーノはきみを二回見ているけど……
「TVで確認すればわかるけど、旋回中に向こうが入ってきたのが音でわかって、バイクを引き起こしたんだ。向こうのバイクは立った状態で、僕を二回見た。その後は自分のやるべきことをやって、起こるべくして(14コーナーの出来事が)起こった。僕も粘りたかったけど、彼が脚を出して僕のハンドルバーとブレーキを押すなんて思ってもいなかった。フロントがロックして、彼は後ろを二回見て、そこで僕のレースは終わったんだ」
−バレンティーノはいつもうまく自分を抑える人物だけれども、今日の彼は自分で自分を御しきれなかったように見える。
「僕にしてみればバレンティーノがどんな人物かは問題ではなくて、この状況で自らを抑えられなくなったことが問題なんだよね。ライダーなら足を出して他のライダーを倒すなんて、考えられないよ」
−ホルヘは、ペナルティが軽すぎるといっていたけど、きみの意見は?
「彼らの戦いには巻き込まれたくない……、といいながら、そのど真ん中にいたんだけど、要は僕がいなくなっても彼はまだ走っていた、ということ。僕はゼロポイントで彼は16。僕に言えるのは、ペナルティが科されて、それがレースディレクションの判断だった、ということ」
−木曜の一件や昨日(FP3やFP4での牽制)の後、こういうことになると思っていた?
「木曜のことは皆が驚いたけど、それは忘れて自分のレースウィークに集中したんだ。昨日はああいうことになったけど、シーズン中にも何度かああいうことはあった。木曜以来、皆の注目が僕とバレンティーノに集まるようになったけど、僕は自分のレースに集中した。2周目は00秒8で3周目は失敗したものの、ホルヘに追いつこうと全力で走って、それからバトルが始まった。
 オーバーテイクされたときはリズムを見てみようと思ったけど、その後、ホルヘがペースを上げてついていけなくなった。ホルヘはダニに追いつくためにペースを上げた。そのふたりとの差が大きく開いてからは、彼を追い抜いて全力で走ろうと思ったけど、何度もオーバーテイクになって、そしてあそこ(14コーナー)に至るんだ。
 このバトルはもうこれ以上ひどくはならないよね。片方が転んだわけだから。バレンシアではセットアップをよくして、また違ったレースをしたい。ヤマハのほうが速い部分もあればホンダが強いところもある。ブレーキングではホンダで旋回速度はヤマハ。でも、それが何かに影響を与えると思わない」
−将来は、バレンティーノとの関係は変わると思う?
「将来は、変わるかもね。でも今は考えない」
−木曜の一件のあとでも、バレンティーノを尊敬すると終始言っていたけど、その気持ちは変わった?
「変わったね。多くの人たちの気持ちも変わったと思うよ」

*   *   *   *   *

[バレンティーノ・ロッシ]
−出来事の一部始終について
「マルケスをクラッシュさせたいと思ってはいなかった。僕は蹴っていない。映像を見てよ。僕はレースディレクションで一コマずつ確認した。ヘリコプターの映像だと、さらに鮮明にわかる。横から見れば蹴ったようにも見えるけれども、上空からの映像をスローで見るとすごくハッキリわかるよ。僕がワイドにはらんだんだ。あそこは普通のコーナーじゃないからね。僕は彼のラインをふさいで、タイムを落とさせようと思った。それが自分にできる最大限のことだった。
 ブレーキングで彼はこちらの前に出てコーナーで速度を落とし、ストレートでもスロットルを開かなかった。僕があそこでスローダウンしていったのは、彼のラインをカットするためで、その結果接触してしまった。向こうのハンドルバーがこちらの左脚にあたり、それが原因で彼が転倒したんだ。ハンドルバーが脚に当たって転倒したんだ。スローで一コマずつ見ればわかるけど、僕の足がステップから離れたときには、マルケスはすでに転倒していたよ。
 それに、蹴るつもりなら20〜30メートル手前でやれているよ。その段階ですでに接近していたけどね。さらにいえば、MotoGPのバイクを蹴ったって転びはしない。重たいし、グリップも大きいからね。ハンドルバーが脚に接触して転倒してしまった。3ポイントのペナルティを受けたのは本当に残念だ。彼の勝ちだよ。チャンピオン争いを決定づけてしまったわけだからね。ぼくをチャンピオン争いから蹴落として、とてもハッピーだろうね」
−じゃあ、すでにチャンピオン争いに負けたと思ってるの?
「わからないよ。でもすごく難しいだろうね。最後尾なんだからすごく厳しいよ」
−木曜のプレスカンファレンスの発言は後悔している?
「これは本当にね、後悔はしてないんだ。実際には、マルケスを怒らせてナーバスにさせたけど、最悪の反応をさせてしまったね」
−じゃあ、どんな反応をすればよかったんだろう?
「真実を言えば、もっと考えてセパンの戦いから引くと思った。でも実際には反対だった」
−なぜ他の場所で、マルケスに仕掛けなかったのか?
「フェアリングに強く接触すれば転倒してしまうだろ。僕は彼を転倒させたくなかった。ただ、『くそったれめ』といって向こうのタイムを落とさせたかっただけさ。
−なぜマルケスが君に向かってつっかかってきたんだと思う?
「まさかそんなことをするとは思ってなかったけど、アルゼンチンで僕が意図的に転倒させたと思って怒っていたんだろう。アッセンの出来事に対してもね。僕以外ではマルケスが唯一の強烈なブレーキングをする選手だけど、その自分が押し出されたものだから、向こうとしてはそりゃ怒るでしょ。と僕は理解している。これを説明するのはちょっと難しいけどね」
−自分に対するペナルティは妥当だと思う? 重すぎると思う?
「重すぎると思う。すでにミザノでペナルティを1ポイント受けている。予選のタイムアタックでミスをして、ホルヘがポールポジションを獲得したときだ。よくわからないのは、2〜3年くらい前にも同様のことがあったときには、僕はペナルティを科されなかったんだ。コース上では自分はとてもフェアだからね。だから、今回の過失によるペナルティポイントはとても厳しいよ。この3ポイント加算で、僕はバレンシアで最後尾からのスタートになる。(上位に浮上するのは)不可能に近いのだから、チャンピオンシップは決定したも同然かもね。と同時に、マルケスを転倒させようと思っていたわけではないという意味でも、これは厳しい裁定だと思う」
−ホルヘは君に対する敬意をなくしたといってるけれども。
「ホルヘがなんでそういうことをいうのかよくわからないけど、敬意をなくしたのならそれはそれでいいよ」
−なぜ表彰台会見の場に来なかった?
「一時間ほどレースディレクションで映像を見ていて、汗もかなりかいていたし、本当のところ、すでにプレスカンファレンスは終わったと思っていたんだ」
−転倒が発生したときに二回、左側を振り返ってマルケスを見ているけれども……。
「序盤の周回でも5〜6回、マルケスを見ているよ。『なんだよこのクソ野郎』というつもりで見ていたのさ。なんで今、つっかかってくるんだよ、ってね。公道で車に乗っていてガンを飛ばしあうようなものさ」
−マルケスへの敬意は、今日で多少なくなってしまった?
「どう思う(笑)?」
 そしてロッシは椅子から立ち上がり、「Ciao, ragazzi(じゃあね、みんな)」と言い残して去って行った。


#46

#93

 

*   *   *   *   *


■2015年 第17戦 マレーシアGP セパンサーキット

10月25日 


順位 No. ライダー チーム名 車両

1 #26 Dani Pedrosa Repsol Honda Team Honda


2 #99 Jorge Lorenzo Movistar Yamaha MotoGP Yamaha


3 #46 Valentino Rossi Movistar Yamaha MotoGP Yamaha


4 #38 Bradley Smith Monster Yamaha Tech 3 Yamaha


5 #35 Cal Crutchlow LCR Honda Honda


6 #9 Danilo Petrucci Octo Pramac Racing Ducati


7 #41 Aleix Espargaro Team SUZUKI ECSTAR Suzuki


8 #25 Maverick Viñales Team SUZUKI ECSTAR Suzuki


9 #44 Pol Espargaro Monster Yamaha Tech3 Yamaha


10 #6 Stefan Bradl Aprilia Racing Team Gresini Aprilia


11 #45 Scott Redding EG 0,0 Marc VDS Honda


12 #68 Yonny Hernandez Octo Pramac Racing Ducati


13 #8 Hector Barbera Avintia Racing Ducati


14 #24 Toni ELIAS Forward Racing Yamaha Forward


15 #19 Alvaro Bautista Aprilia Racing Team Gresini Aprilia


16 #69 Nicky Hayden Aspar MotoGP Team Honda


17 #43 Jack Miller LCR Honda Honda


18 #63 Mike Di Meglio Avintia Racing Ducati


19 #50 Eugene Laverty Aspar MotoGP Team Honda


20 #13 Anthony WEST AB Motoracing Honda


RT #04 Andrea Dovizioso Ducati Team Ducati


RT #93 Marc Marquez Repsol Honda Team Honda


RT #76 Loris Baz Forward Racing Yamaha Forward


RT #29 Andrea Iannone Ducati Team Ducati


RT #55 Damian Cudlin E-Motion IodaRacing Team ART


※第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞と、2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞した西村 章さんの著書「最後の王者 MotoGPライダー 青山博一の軌跡」(小学館 1680円)は好評発売中。西村さんの発刊記念インタビューも引き続き掲載中です。どうぞご覧ください。

※話題の書籍「IL CAPOLAVORO」の日本語版「バレンティーノ・ロッシ 使命〜最速最強のストーリー〜」(ウィック・ビジュアル・ビューロウ 1995円)は西村さんが翻訳を担当。ヤマハ移籍、常勝、そしてドゥカティへの電撃移籍の舞台裏などバレンティーノ・ロッシファンならずとも必見。好評発売中です。

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