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西村 章

スポーツ誌や一般誌、二輪誌はもちろん、マンガ誌や通信社、はては欧州のバイク誌等にも幅広くMotoGP関連記事を寄稿するジャーナリスト。訳書に『バレンティーノ・ロッシ自叙伝』『MotoGPパフォーマンスライディングテクニック』等。第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞と、2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞した『最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡』は小学館から絶賛発売中(1680円)。
twitterアカウントは@akyranishimura

MotoGP summer break噂の真相は? 古澤政生氏に聞いてみた

 8月10日にバレンティーノ・ロッシの2013年契約が発表されるまでのこの数ヶ月、彼の去就に関する情報が様々に行き交った。なかでも、古澤政生氏が7月下旬にイタリアへ渡航した一件は、「ドゥカティが助力を要請した」との憶測も飛び出して欧州で大きな注目を集めた。古澤氏といえば、ロッシ最強時代のYZR-M1を作り出した人物だ。氏の行動は、ロッシの決断とも関わり合っていた可能性は充分に考えられる。ロッシのヤマハ復帰が正式発表される直前に、渡航の真の目的やその背景事情について古澤氏に訊ねた。

(取材日:8月7日 於:京都・古澤邸)

−まず最初に、イタリア渡航はどれくらいの日数だったのですか?

 約一週間。帰国したのは(7月)25日ですね。19日に(イタリアに)着いたら、ヤマハモーターレーシングから「イタリアの新聞にあなたの記事が出てるんだけど、何しに来てるの?」という連絡がメールで入っていたので、「明日一日ゆっくり観光してから、フィリポ(・プレツィオージ:ドゥカティの設計開発責任者)に会うつもりだ」と説明しました。そうすると今度はバレンティーノから電話があって、話をしたい、というので、タブリアの彼の家にも行って来ました。フィリポとは合計2回、バレンティーノと1回会ったということですね。

−確認ですが、それぞれ会った日付けはいつになりますか。

 19日朝に日本を出てその日の夜に現地に着いて、翌日ボローニャの観光をしているから、フィリポに会ったのは21日ですね。2回目は23日。それぞれ3〜4時間程度話をしました。24日にバレンティーノの家に行って、25日に帰国、という日程です。

−イタリアに行ったのは、プレツィオージからの要請ですか?

 まあ、そういうことですね。以前から彼とはメールを交換することはあったのですが、アウディ・フォルクスワーゲンが経営に参画し、一方でバレンティーノはもうドゥカティにいたくない等々の事情があったようで、「とにかく一度話を聞いてほしい」ということで、彼が日本に来る気になったんですよ。とはいえ、彼がレースの合間に日本に来るのは大変だろうから、それなら自分が行こうか、という話になったわけです。

−話を聞いてほしいという彼からの要請は、いつ頃からあったのですか。

 去年の中頃くらいからですかね。半ば冗談みたいに、ちょっと助けて欲しいんだけど、というやりとりはあったんですが、今回は向こうも初めて本気になったというか、できればドゥカティを手伝ってほしい、ということでした

−プレツィオージと話をした場所は、ドゥカティのオフィス?

 ただでさえ噂になっているので、フィリポの家で会いました。そもそもバイクとはどうあるべきか、という「べき論」を話したのですが、それが面白いということで、二日後に、もう一度フィリポの家で、今度はシャシーエンジニアも一名連れてきて、彼ら二人と話をしました。

フィリポ・プレツィオージ
「サムライ」プレツィオージは後半戦に一矢報いることができるか?

−到着していきなりミーティングをしているようですが、今回の渡航でそういう話をするというコンセンサスはあらかじめできていたのですか。

 私が京都にいる理由は、あくまで隠居生活です。ただ、仕事に誘ってくれる方々もいるので、2年後くらいにコンサルティング業を始めようと漠然と考えていました。顧客対象はおそらく量産の自動車やバイク、飛行機などですが、フィリポから連絡があった際に、その顧客第一号になり得るかもしれないね、とジョークまじりの返答をしたところ、彼が来日する気になったので、だったら、旅費を持ってくれればこちらが代わりに行くよ、と。ただで観光もできるので、即座に飛んでいきました(笑)。

−ドゥカティの今後のマシン開発、軌道修正に関して、古澤さんはすでに関わり合っていると考えていいのですか?

 いや。ヤマハの情報は持ち出せませんし、細かいことについては話をしていません。ただ、基本的な考えとして、自分が2004年から使ったそれまでと違う方法について、説明をしたんですよ。たとえば重心三角形、と呼んでますけれども、前輪後輪の接地する点と全体の重心の点でできる三角形がこうなっちゃいけないよとかこうなっちゃいけないよ(と、頂点が片側に極端に寄る様子を手振りで示す)という話とか、前後サスペンションを彼らは硬さで表現するけれども、周波数で発想して、できるだけ同じ周波数にしなさい、ということとか。いわゆる一般論ですね。ただ、それを私は少し科学的なアプローチでうまくいったから、その方法を話した、ということです。
 で、どうして自分を呼んだのだ、ということを訊ねたんですよ、フィリポに。私を呼んで結果が出たら、あなたの立場がなくなるだろう。逆に失敗した場合も、私を呼んだ責任が発生する。「いずれにしてもあなたの責任問題になるのに、どうして俺を呼ぶの?」と。彼が言うには「自分はどうなってもいい。立場が悪くなってもいいから、とにかくドゥカティをよくしたいんだ」と言うわけです。あなたもサムライだね、と思いましたよ。

2010年第12戦サンマリノGP
2010年最終戦バレンシアGP
2010年サンマリノGPにて。現役時代の古澤氏(写真上)。2010年最終戦バレンシアGP(写真下)。

−それにしても、去年までマシン開発の中心にいた人物がライバル陣営に手を貸すのは、日本企業では珍しいと思います。

 私の場合は退職しており、独立した人間だから、基本的には助けてやれないことはない。ただ、日本的慣習として競争相手に手を貸すことには反論もあるだろうし、企業として受け入れ難いという事情も充分に理解しています。
 ただ、友人としてフィリポ・プレツィオージという優れたエンジニアを助けてあげたい気持ちもあるし、バレンティーノも来年はヤマハに戻れそうなので、ならば半年間手伝ってあげようか、という気持ちもないではない。
 フィリポからはいろいろな提案をもらいましたが、次のステップをどうするかということについて、一週間以内に返答するから、と返事をして帰国し、ヤマハの本社へ行ってトップに、こういう話があるけどどうだろうか、と訊ねてみました。

−ヤマハ経営陣の反応は?

「止めることはできないけれども、できればやめて欲しい」という、日本人独特の言い方ですよね。ヤマハとの軋轢を作ってまでやるほどのことではないですから、「では、なしにしましょう」と。

−じゃあ、後半戦に何らかの力を貸すことは?

 ないですね。結論としては、ドゥカティには一切手を貸しません。

−ところで、ロッシとはどういう話をしたのですか。

 私がイタリアに行ったとき、彼の気持ちはすでに99%決まっているのに、ヨーロッパの雑誌では私がドゥカティに行くという噂になっている。それでは入れ違いになってしまうので困るなあ、という話をしていました。

−ということは、ロッシも古澤さんの真意を確認したかった、と?

 そういうことでしょうね。イタリアにいる間、毎日彼から電話がかかってくるので、では一回フェイストゥフェイスで話をしたほうがいいだろう、ということで23日にタブリアの家に招かれて行ってきました。「日本に帰ってヤマハと話をしたうえで、どうするか決めるから」と話し、帰国して会社へ行った次の日に、ドゥカティを助けることはできない、とバレにメールで報告しておきました。

−今回のイタリア渡航は、バレンティーノをヤマハに引き戻すメッセンジャー的な目的や意図はあったのですか?

 それは特になかったですね。

2012年ドイツGP。この当時、すでに移籍の肚を固めていた!?

−では、彼がヤマハに戻ってきたとして上記のコンサルティング業の一環として援助する可能性は?

 まず、ないと思います。というのは、今のバイクであと2年くらいは勝てると思いますから。ただ、そのあとは少し気になるので、ひょっとしたらその段階でコンサルティングをする可能性はあるけれども、いずれにせよその頃、おそらく2015年にはバレンティーノはすでにMotoGPから離れているでしょう。
 このコンサルティング会社は、振動騒音、ヴィークルダイナミクス(運動力学)を中心にしたものになると思うし、老後の趣味と実益を兼ねたようなものですからね、できればレースには関わり合いたくない(笑)。そもそも、京都に引っ越してきたのは隠居生活のためなので、今後も私がMotoGPのパドックに戻ることはおそらくないでしょう。

−ロッシが来年ヤマハに復帰したら、どれくらいの位置を走れると思いますか?

 そうですねえ……。人によっていろいろ判断が違うようですが、私は、彼はまだトップクラスだと思う。ただ、ホルヘがさらに安定して速くなっているので、ホルヘに次ぐくらいかなあ。いい勝負をするんじゃないでしょうか。

−2008年から2010年まで、ヤマハのピットは両選手の激しいライバル関係で強烈な緊張関係が張り詰めていたと聞いています。今回の復帰で、かつての緊張感はどうなると思いますか。

 戻るんじゃないですか、あの頃の緊張関係に。私が思うに、バレはレースに賭ける思いが非常に強い男ですから、やるからには徹底的にやりたいと考えるはずです。できればホルヘを倒して引退したい、くらいのことは考えるでしょう。そのぶん、中にいる人たちは大変でしょうけれども。だけど、バイクの方向性はバレが戻ることでさらに安定するかもしれない。今のバイクはかなり完成度が高く、ほとんどいじるところがないと思いますが、長い年月をかけてバレと一緒に作り上げてきたものだから、彼が戻ってくることで今後の方向はさらにハッキリしてくるかもしれませんね。


2009年最終戦レンシアGP
2009年最終戦バレンシアGPにて。
※第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞と、2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞した西村 章さんの著書「最後の王者 MotoGPライダー 青山博一の軌跡」(小学館 1680円)は好評発売中。西村さんの発刊記念インタビューも引き続き掲載中です。どうぞご覧ください。

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