幻立喰・ソ

第40回 「とそば」(とは読みません)。

 初対面の人に必ず聞かれますよね「なに乗ってるんですか?」って。
 かなり前ですが、CB750に乗っていた時は当然「CB750です」と答えました。すると10人中5人は「えっ!」と絶句の後、驚愕と羨望を込めた視線で尋ねるんです「K0ですか!」って。「いやいや、まさか」「じゃ、K1ですか?」「いえいえ」「K2ですか?」「ノンノン」「K4?」と、K4あたりから軽い失望感が漂います。K6でもないとなると明らかに疑惑の眼差し。「K-FOUR? FⅡ??」ここらでなぜか哀れむような目になってきます。

「DOHCのCB750ですよ、ほらあの……」
「あ〜、あ〜、あ〜、なんだ。最初から言ってくださいよ、人が悪いなあ。FZですか? FAですか?」と、ぱっと明るい顔に戻ります。「いえいえ」「FB? FBB? まさかF2BB!」「いや、だから……」「FC? でもないとすると……わかった、インテグラだ!」

「違います。ただのCB750です」
「えっ!」と絶句の27秒後「そんなのありました?」と大きな? を頭に付けてぽかんとしますが、この一言で決着します。
「CBX650の末裔といいますか、ナイトホーク750のなれの果てといいますか、教習車でよく使われてるえび茶色の……」
「あ〜、あ〜、あ〜、あれね。あれも一応CB750……………か……………ふ〜ん。じゃ、用事があるのでぼちぼち失礼します」
 不憫なCB750ですが、2004年にFC風カラーが出たあたりからじわじわ人気が出て、末期の在庫一掃スペシャルカラー祭、じゃなくて有終の美を飾るにふさわしい受注期間限定車が発売されると認知度も絶好調、十中七八くらいは一発で通じるようになりましたとさ。めでたしめでたし。

 当コラム史上初であろうバイク話から始まりました。何を訴えたいのかと申しますれば、同じような思いをしているであろうCB400FOUR(NC36)、CBR400R(NC23もNC47も)のオーナーさん、心中お察しいたします。さらに、稀少なGSX250FXのオーナーさんに至っては、GSXとFXという二大看板を背負わされ並大抵ではない苦労様です、ということです。


CB750

CB750

CB750

CB750

CB750

CB750

CB750

CB750

CB750
CB750FESTIVAL! 写真左上から初代(1992)、2代目(1995)、3代目(2001)、4代目(2004)、5代目(2005)、6代目(2006)、7代目(2007)と限定カラー2種(2007)。これだけ揃うと壮観です(でもない?)。

 立喰・ソ界にも同名さんはいます。例えば、関西方面を中心に店舗を展開するチェーン店の「都そば」(そばは「そふ」みたいな漢字表記)は関東にも数店があり、何故だか京成電鉄の駅にはオフィシャル立喰・ソのような顔で展開しています。京成っ子の私は、大人の階段を登る過程で恋だの愛だのは全く無縁でしたが、都そばが関西に多数あると知って多大なびっくりぎょうてんをしました。ストでよく止まり、その度学校が休みになったありがたい京成電車と、腹ペコ学生のストマックを満たしてくれる都そばは私の〜青春そのもの〜でした。かつてはもっとあったと記憶しますが、現在は八千代台、京成津田沼、京成高砂の3駅のみ(じゃなくて、勝田台にもありました←後日訂正)で寂しい限りです。

 うどん圏の関西基盤なのに都うどんではなく都そば。しかも関西風ではなく、バリバリ関東風の黒いしょうゆダシ。本場関西の店舗は恥ずかしながら未訪問で状況は解りませんが、私の通った関東の都そばは、間違いなく正統派関東立喰・ソです。
 この都そばに、先のCB750与太話のような展開になりかねない同名店が存在するのです(ツッこまれる前に白状しておきます。チェーン店は漢字表記で、他店はひらがな表記ですから違いは一目瞭然ですが、長いCB話の手前、気づかないふりをして「え〜! マジですか、そんなことあるんですか!!」と驚いていただくのが優しい大人の対応ではないかと切に訴えます)。脳内メモリの少ない私でも、否チェーン店の都そばを3店知ってます(一軒はすでに幻立喰・ソ。そうでなければここでやる意義がないっしょ)。


秋葉原末広町

新津田沼
チェーン店の都そば。秋葉原(末広町 2004年5月撮影)の春菊天そばと新京成電鉄新津田沼駅(2005年10月撮影)のかき揚げそば。見るからに関東風です。残念ながら共に幻立喰・ソで、跡地はラーメン屋さんとパン屋さん(クリックすると現役時代の店舗写真が見られます。もやっとしたダメ写真ですが)です。関東には帝国劇場地下にあるみたいですが行ったことありません。

 都そばは商標登録されているでしょうが、登録以前から営業していれば継続的使用権や先使用権が商標法で認められます。現役2店は貫禄タップリの老舗で創業はおそらくチェーン店よりも先なのでしょう。ただ、先に使っていればいいという単純なものではなく、周知性(広く知られていること)やらなんやらが求められています。周知性は県内であったり、特定地域であったりと判例はまちまちで、法曹界でどんな基準が当てはまるか知りませんが立喰・ソは地域密着型ですから町内の人が知っていればいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか裁判長。


三菱サイダー
三菱鉛筆
立喰・ソとまるで関係ないのですが、大企業と同じマークが付いたその名も三菱サイダーをご存知ですか? 三菱鉛筆(1903年商標登録)と同様、三菱グループとは縁もゆかりもありませんが、1919年に三菱サイダーとして商標登録。さすがの大財閥の三菱(1914年商標登録)もサイダー製造まで頭になかったということでしょうか。このステキなサイダーは製造元の公式サイトから通販で購入出来ます。思わず1ケース買ってしまいました。右は今もH(事務用鉛筆9800)を愛用している三菱鉛筆といえば、40年以上も昔ユニ坊主ほしさに鉛筆を削りまくり、買ったばかりの1ダースをおが屑化し、どえらく怒られたことを思い出しました。

 裁判沙汰ではないから余計なお世話でした。
 キナ臭い話といえば、四国の某市名+製麺の名称を付けた某うどんチェーン(仮にAとします)が、本場四国の老舗うどん店で修行した人が海外で出店したうどん屋さんに、その某市名+屋号の店名(仮にBとします)を付けたところ、「Aには商標権があるから紛らわし名前を付けるな」とクレームを付けました。これを知った多くのさぬきうどんファンから「地名なんだからとやかく言うな」「Aは四国に全く関係ないくせに」「某市に一店舗もないくせに」と大失笑を食らって大炎上したのは記憶に新しいところです。
 心情的にはそのとうりなのですが、Aに商標権が認められている以上、法律上後発のBの立場は不利になるようです。地名でも商標登録できちゃうんですね。なんだかなあ…と、寂しくなる例でしたが、次の例が本来の商標権の意義でしょう。
 どうしようもない某国の野心家のおっさんが、こともあろうか我が国名+我が国の二輪メーカーの名前を中国語表記(あっ、国名ばらしちゃった)を登記し、日本のお役所が受理してしまい(実際の経緯はもっと複雑でややこしいですが)、堂々とパチモンバイクを日本を頭に付けたブランド名で売るという事件がありました。幸い賢明なる我が国の二輪メーカーがすでに中国、じゃなくて某国でも商標登録をしていたため、最終的に品質の証である商標権は守られました。ああ、よかったよかった。どんなことに、表もあれば裏もあるという、イソップ童話的なお話でした(違うか? 違うな)。

 話は品川に飛びます。昔は下水処理場とスリの学校しかなかったらしい品川駅港南口。今や新幹線が止まり、でっかいビルがぼんぼんと林立する、だれが押すのか知りませんが押しも押されぬ大ビジネス街です。
 第2話でちょろっと紹介済みですが、港南口にも都そばがありました。さらにふじそばも。(営業中の立喰・ソはイニシャル表示が原則でというルールなのですが、さんざん都そばと書きまくっているので、今回は例外ということで=ご都合主義)。都そばが西の盟主なら東の巨人は名代富士そば(世界最大の駅そばコンストラクター、NREを忘れていないか! というツッコミは今回はスルーさせていただきます=ご都合主義)。東西2大巨頭と同名です(正確に記すと、チェーン店は名代富士そばで、品川のふじそばとはあきらかに違いますが、これまた話の流れ上、同名ということで=ご都合主義)。
 それよりも、立喰・ソ需要が高いと思われる品川港南口にあるチェーン店は梅もとだけ(先に登場した某市の名前のセルフうどん屋さんは、駅からちょっと外れたところにあり、昼時は善男サラリーマン善女OLで賑わいまくっています)。都そばはともかく、富士そばがないのは不思議です。なのに、ああ、それなのに同名他店があるとは。ん? ひょっとしてアンタッチャブルな何かがあったりして。これ都市伝説じゃないですか!? 信じるか信じないかは貴方次第です的な(都市伝説ではなく、せいぜいなぞなぞクラスですか……)。


都そばうどん

都そばうどん
今の今まで都そばだと思っていたのに、写真をよく見るまでもなく「そばうどん都」が正解でびっくり。今更どうしようもないので気が付かなかったことにして話を進めます(ご都合主義)。特に特徴もないふつうの立喰・ソですが、食べてビックリのハイレベル&ボリュームでびっくりしたのはよく憶えています。この味と内容でも撤退しなければならないとは、奥が深い、深すぎるぞ立喰・ソ。(2005年5月撮影)

 と、盛り上がった(つもり)ところで、最後のクェッション。都そばがあるなら、都うどんもあるだろう。確かにありました。
 立喰・ソの宝庫、城東地区で黄色い看板を掲げ24時間戦っていました。夜はタクシーの運ちゃん、昼は地元のおっちゃんがたむろする地元密着型で、いつも怒っているように見える(怒っているわけではない)オヤジさん(おばちゃんもいたようですが、お目にかかったことがありません。残念無念)が、いつも不機嫌そうな顔(不機嫌ではない)で、口数少なく(お客と話をしているところを見たことがない)切り盛りしていました。
 びっくりそば同様、メニューが耳なし芳一(芳市?)状態で貼ってあり、定食やアルコール類も扱う、立喰・ソというよりも(名前もソではなくウですが)昼間から地元のオヤジが天ぷらと小鉢がセットになった定食をあてに一杯やっている絶滅危惧種の、一見さんにはちょっと敷居の高いなんでも食堂の雰囲気でした。

 それが裏にある小学校の拡張工事でやむなく立ち退きが決まり、聞くところによれば跡地は校門になるとか。幻立喰・ソはあまたあれど、小学校の校門に変身というのは前代未聞でしょう(たぶん)。
 彼の地で善戦した都うどんの偉業を子供達に伝えるためにも「都うどんに曰す。24時間善く戦ひたり深謝す」のような一文を、ぜひ校門に刻んでいただけたらと(うどんを食べながら勉強する二宮金次郎的な銅像でも可)。


都うどん

都うどん
立喰・ソで「黄色い看板」といえば蔵前橋通りのIや、岩本町のIが有名ですが、都うどんもご覧のように黄色い看板が目印。おつゆは基本関西系ですが、関東系も選べるようでした。とろろこんぶが入るのが関西風な雰囲気でした。(2011年9月撮影)

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●立喰・ソNEWS

 最近ことあるごとに私に牙を剥く、じゃなくて情報を提供してくれる全ソ連唯一の会員AB君。NEWSとは名ばかりのAB君通信と成り果てたこのコーナーの今やレギュラーです。
 呑み会のシメに立喰・ソが食べたくなったそうです。たまたま呑み会が立喰・ソがひしめく立喰・ソ天国の日暮里だったのが喜劇、いや神話の始まりでした。まずは六Mの日暮里2号店でなす天を食べたのですが「1号店は六Mで唯一生そばを提供している」ことを思い出し1号店でかけを。しかし呑んだ後ゆえ、パンチ力あるソが食べたくなり前々回のNEWSで紹介させていただいたIYへ。平常時でも覚悟のいるジャンボゲソを酔った勢いで完食したそうです。バカ、いや勇者です。もっと驚いたのは連れ合いも三杯完食。バカカップル、いや、現代に蘇った立喰・ソ界のヒデとロザンナ。立喰・ソ愛はあふれていましたが、聞いただけで胃液もあふれる、胃がもたれる寓話、いや美談でした。よい大人はまねしないように。

AB君

バソ
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在600店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べただけではたいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。


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