幻立喰・ソ

第59回 「山田は山田でも、その山田でもこの山田でもなく、先日幻になってしまったあの山田の話です(やっと後編)」

 
 前編は大チェーンでバリバリ営業中の山田うどん、中編が昨年惜しまれつつ幻立喰・ソ入りをした練馬の山田うどん、そして今回は誠に不謹慎ながらタイムリーにも2015年6月28日を最終営業日として幻立喰・ソとなってしまったばかりの山田さんのご登場です。3回目になると前振りの与太話もガス欠気味ですから(世間一般ではめんどくさくなったとも言います)、さっさと本題に入ります。

  
 文京区の江戸川橋とは逆方向にある、橋を渡れば夢と魔法の国も近い東京都江戸川区。昭和テイストあふれるステキな立喰・ソがいくつかあります。中でも自家製麺、早朝営業、天ぷら豊富、しかも土日も営業、もちろん飽きる事なく毎日食べたくなるとても優しい味で人気の立喰・ソが、山田製麺所でした。


山田

山田
こんなにステキな立喰・ソなのに……ああそれなのに。(2015年5月撮影)

 早朝営業店は常連率が高く、一見さんにとって敷居が高く感じるものです。しかし山田製麺所では心配ご無用、おばちゃんがとてもにこやかでフレンドリーに対応してくれました。 
 さらなる魅力が葦簀(よしず)で覆われた2つのテーブル席。海の家やテラスと表現されるブロガーの方もいらっしゃいます。東京都23区内で、こんなシチュエーションは希少でした。さわやかな江戸川区の風に吹かれていただくソは、暑くもなく寒くもない春先が幸せでした。しかし来年の春はこの空間でいただくことはもう叶わないのです。「諸行無常、ああ無情、禁断症状、さらに二乗♩」とラップのひとつもつい口ずさんでしまう寂寥感にさいなまれます。

 
 後生の研究家のみなさまに残すため(大袈裟)、標準的な注文方法を記しておきます。天ぷらケースのあるカウンター前で麵の種類を宣言した後、茹であがるころトッピングを申告、代金を支払ってどんぶりをいただき、テーブルで食べるのが基本でした。ほとんど常連さんなので、ささっと注文、ささっと支払うので、多少の行列が出来ても待たされることはありませんでした。テーブルが満席の場合はどんぶりをかかえ、アンジェリカとは関係ない道端に座り込んですするのもまたオツでした。 


見取り図

 
 室内型カウンターもありました。カウンターに立てば、天ぷらケース前に並ばずとも注文ができましたが、おばちゃんが順番をしっかりと管制していたので、横入り状態になることはありませんでした。しかし小心者でたいした常連でもない私は、カウンターに立てないままでした(位置関係は上のつたない見取り図参照)。

 
 最後に訪問した6月のとある土曜日、いつものように天ぷらカウンター前で注文すると、青白テーブルではギャルというには経年劣化気味の女子が、どんぶりを持ってヒザをちょこっと曲げ体も曲げて、指を眼のところでちぇ〜っすみたいなポーズをして、あんちゃんにスマホで撮らせていました。その横のテーブルでは、小ライスを持ったままおっちゃんがぽかんと眺めていました。
 おねーちゃんもおっちゃんもソ伸びちゃうよと、ダイヤモンドではない愉快な心地ながらも、何かしら不愉快な気持ちで眺めつつ視線を左に移せば、おや、あこがれのカウンターががらがらではないですか。どんぶりを受け取ると素早く移動しました。どんぶりを洗っていたおばちゃんは「あらあら、こっちで食べるならこっちで注文してくれればよかったのに」といつものようなにこやかな出迎えで、念願のカウンターデビューを果たすことができました。

 いつもてんてこまいの忙しさで、そばorうどん? トッピングはいかに? くらいしか会話できませんが、今がチャンスだ、その時だと意を決して「どうして閉めちゃうんですか?」と何度も聞かれたであろう稚拙な愚問をぶつけてみました。
「製麺業は朝が早い仕事ですし、結構な体力もいるんですよ。だんなさん昔は夜遊びしてそのまま仕事していたんですけど、もう80を越えていらっしゃるから無理が利かなくなっているんですよ」と答えてくれました。
 そうでしたか、高齢化問題ですか……やるせないです。「全身全霊で打ち込みますから(製麺だけに)、ぜひ私に継がせていただけませんか」と、思わずのど元までは出かかるほどの覚悟も体力も根性ももちろんありません。が、せめて20年若かったならば……しかし20年前ならばご主人もまだまだ働き盛りですよね。と、いらぬ妄想をしながら、ずるずるとソをすすりました。心なしかいつもよりしょっぱく感じたのは、間違いなく気のせいでしょう。決して頬を伝った心の汗がどんぶりにはらはらと舞い降りたのではありません。


テーブル

カウンター
葦簀の内側。いい雰囲気でしょ。ミスター江戸川区風常連さんがしっくりずっぽりでとてもいい風情を醸します。(2015年5月撮影) 普通といえば普通のカウンターです。七味だけではなくライス用にゴマ塩も常備されていました。(2015年6月撮影)

 
 食べ終わっても二度と立つことはないであろうカウンターから立ち去りがたく、カウンターでも注文してみたいという欲望がむらむらむくむく膨らみました。すでにお腹も膨らみましたが、メニューにはないけれど、見たことはあるメニューを思い切って注文してみました。
「すいません、カレーうどんありますか。肉も入れてもらえますか」
「ごめんなさい、カレーも肉も終わっちゃったの」
 えっ!
「じゃあ春菊で(これもレギュラーメニューには表記なし)」
「ごめんね春菊も」
 えーえっ!!
「じゃあ、きざみあげは(同上)」
「ごめんなさいね……」 
 えええええっ!!! まだ朝の9時前ですよ。さすがは人気店の人気トッピング。これが繁盛系早朝型立喰・ソなのです。

 おばちゃん、ぽつりと言いました。

「この味、心にを焼き付けていってくださいね」

 ……はい。

 最終営業日の6月28日におわかれソに馳せ参じたABくんによれば、感謝の気持ちを込めたお花持参する方も少なからずおられたそうです。多くのみなさんに愛された名店がまたひとつ静かに消えていきました。


メニュー

なす
ここに書いてないトッピングもいろいろありましたが、早々に売り切れのものが多かったです。全部食べたかったなあ。(2015年5月撮影) 最後に訪れたのは6月25日。なすとちくわ。これがおわかれの一杯になりました。大変僭越ではございますが、感謝の言葉に代え一句読ませていただきます。「カウンター 葦簀 道端 汁の跡」(2015年6月撮影)

最終日

最終日
最終営業日の様子です。当日は天気に恵まれ名残を惜しむ近隣の家族連れがひっきりなしに訪れて列を作ったそうです。みなさん、優しい味を心に焼き付けましたか。(2015年6月28日、ABくん撮影)

●立喰・ソNEWS 2015

そばと檸檬

パリ在住新進気鋭の女性デザイナーが書くコラムか、書店に檸檬爆弾をしかけた(というとテロリストかと思われそうな)梶井基次郎先生の小説を思い浮かべるようなタイトルですが、そんなわけはあるはずもないです。私の愛して止まない日暮里のI由の新作メニュー「冷やしレモンそば」のことです。聞き慣れないメニューですが、おそらくあなたが想像したとおりの、冷たいソに輪切りのレモンをトッピングしたものです。なんとなくゲテモノ扱いされそうなメニューです。私もそう思っていました。それが坂崎師匠から「ぜひ一度食べてみてください」とお奨めされましたので、勇気を振り絞って(レモンだけに)注文……できませんでした。あれから幾星霜、ついに思い切って「冷やしレモンそば」と小さな声で注文したところ「冷やしそば?」と聞き返されたので思わず「は、はい……いや、あの、レモンで」としどろもどろで注文しました。手慣れた手つきでどんぶりを氷水で冷やし、そばを茹でて冷やしておつゆを入れると、冷蔵庫からレモンを出して「おまちどうさま」。あっという間に出来上がり。後ろに並んでいたガテンにいさんの好奇の視線を浴びつつ、ねぎはどうしようと迷いながらもすこしだけ入れました(ネギは入れ放題です)。

どうやって食べるのか? ますはそのままひとくち。かすかに酸味がありますが、普通の冷やしそばです。思い切ってレモンをぶちゅーとつぶして、わさびを溶いてずるずるとすすってみたら……なんということでしょう!(例の番組調で) レモンの酸味と醤油とわさびのハーモニー、さわやかであり奥深い味わい今まで立喰・ソでは味わったことのない口当たりです。う、う、う〜うま〜いっっっ!


なす

食欲のない時でもずるずるいけそうです(残念ながら夏バテもしない私には解らない状態ではありますが)。これはやみつきになりそうです。十人十色ですから、そう思わない方ももちろんいらっしゃるとは思いますが、怖がらずにぜひ一度お試しを。


バソ
バ☆ソ
日本全国立ち喰いそば全店制覇を目論む立ち喰いそば人。現在600店以上のデータを収集したものの、ただ行って食べるだけで、たいして役に立たない。立ち喰いそば屋経営を目論むも、先立つものも腕も知識も人望もなく断念。で、立ち喰いそば屋を経営ではなく、立ち喰いそば屋そのものになろうとしたが「妖怪・立ち喰いそば屋人間」になってしまうので泣く泣く断念。世間的には3本くらいネジがたりない人と評価されている。一番の心配事はそばアレルギーになったらどうしよう……。


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