8時間の耐熱作業も爽やか、熟練のダブルワーカー!!! ホンダ熊本製作所・熊本レーシング鈴鹿8耐寄り添いの記。

●取材・文─阿部正人
●撮影─楠堂亜希・編集部
●取材協力─Honda http://www.honda.co.jp/motor/・Honda熊本レーシング

7月26日に決勝を終えた2015年鈴鹿8時間耐久ロードレース。今年で参戦3年目となるホンダ熊本レーシング33号車の戦績は2013年9位、昨年11位。もちろん目指すはより上位での入賞だった。気運は高まり準備は進められたのだが、本番は予選26番手で、決勝は23位。結果としてはあまり目立たない存在だったかもしれない。ホンダには9つもの従業員チームがあるが、このチームの母体はホンダの日本唯一の二輪製作所だ。レーサーを含めて製作所及び研究所従業員と関連会社の社員で構成された22名のメンバーズには、ホンダ製品のお客さんと直接触れ合う機会である。舞台裏に寄り添っていると、数字では解らない濃密な時間と空間を体感した。

製作所でふたつの仕事のレーシング

 本戦に先がけての合同テストの日、監督の土屋徳之さんは熊本製作所チームの特徴についてこう話した。氏は「私はなんちゃって監督です」と、自虐とも、へりくだりともとれる前置きで笑いをとりながら……。

「発足が決定した2012年の8耐の後、ライダーを除きレースの経験者が4人。ここを中心に各部署にお願いして、レース活動に適した人材、意欲のある人を募ったのです。スタッフは日頃、開発や溶接、塗装など、専門の職についている。つまり社内でふたつの仕事を持つことになりますね。製作所の仕事をこなしながら個人の時間を使ってレースのための整備や練習にあてる。お互いを気遣いあう雰囲気があります。従業員チームはみなそういう毎日だと思いますが」

 土屋監督は1964年、静岡県浜松市の生まれ。地元の高校を卒業して本田技研工業浜松製作所に就職。入社した1983年といえば、空前の二輪ブームに湧いた頃だ。

「VT250FやCBR400Fが登場したりと、イケイケでなにかと賑やかでしたね。オヤジがバイクが大好きで、私も影響で高校時代から乗っていました。機械加工に配属された傍らで、製作所内チームの浜松エスカルゴに入りました。憧れだったレースに触れられたわけです」

 つまり、監督の新人時代の体験値が、いまのチームづくりにも活かされていることになる。バイクが好きだ。レースにも魅力がある。好きだからこそ、ふたつの仕事を屁とも思わない。やりたいことをやる。若さの特権に年齢は関係ない? 熊本での単身生活を今年で10年。途中、海外での勤務もあったが、戻ってきて2013年から監督を引き受けての3年目。職場の仲間と立ち向かう、もうひとつの職場へ。

「仲間ゆえの、安心や信頼はあります。しかし、そこに安堵しての慣れやゆるみにつながってはいけないといつも心がけてます。8耐のような耐久レースでは一度ガタガタすると組み立て直すことが難しい。親しいのはとてもいいこと。でも皆んなが一丸となって目指すのは仕事の確実性です」


土屋監督

土屋監督
スタッフ22名の大所帯をまとめる監督の土屋徳之さん。ピットレーン、ピット、ピット裏のテント、その後ろにあるチームトラックに至るまで、レース活動の首尾一貫に視線と意識を向けている。

 若い頃はレーサーも体験した。ちょうど、その時の先輩が、現在のチーフメカニックの三輪成正さん。3つ歳上になる三輪さんに対して自分が「なんちゃって監督」と自己紹介するのは、大先輩への気遣い、いや年功序列を重んじる氏の人柄か。

「三輪さん世代には、大変鍛えられましたし、いまもカラダにムチ打ってお世話になってます。当時の部内は体育会系。上は絶対的な存在、気合い! ですかね。いまの若い子たちには解ってもらえないかもしれませんけれど(笑)」


三輪成正

三輪成正督
コース走行中のちょっと和やかなひととき。三輪成正チーフメカニック(写真左)と渡邊聡美メカニック(写真右中央)。三輪さんはこの笑顔と時折みせる本気顔の緩急をつけて、ピットの志気を高めているよう。

 世代間の価値観の差異、そして肝心の実作業をどのように伝えていくか。これはレース監督、チーム運営のみならず、いまの社会のもっとも重要な生きる上での礎である。思えば、50歳代の土屋監督や三輪チーフメカニックに対して、チーム最年少の第2ライダー小島一浩さんは21歳。第1ライダー吉田光弘さん25歳。年齢的には父と子の関係にあたる。おそらくほかのメカニック、マネージャーにも、そういう年齢の人たちが多いと見受けられる。

「かといって、どんどん進化する電子化や、ハイテク化だけでバイク造りやレースが成立するわけでもない。その、世代間の、うまい接合点を見つけることにもいつも留意しています。大切なのは、なにかをする上での確実性と、なにかが起きても動揺せず応えるこころ。そこを共有できるかだと思います」

 土屋監督の動きを眺めていると(パドック内だけでも)、監督とは多様な職務と観察意識に向き合っていることが解る。走行シーンのチェック、整備作業の手伝い、ライダーの状態の確認、訪れた関係者との応対、果ては届けられた弁当を受け取ったりもしている。名店とよばれるお店のコンシェルジュの趣きこそがそう。終始、五感をさりげなく周囲に張り巡らせる。

「レース体験の有無、年齢の違い、会社の期待するところ。こうして身を置いてみると、日々学ぶことばかりです。もっと人数の多い、例えばプロ野球やJリーグの監督は、たいへんだろうなあと思ったりします。レースが近づくとあれこれ思案をめぐらせてなかなか寝つけない時も……ありますね」

 現在、熊本レーシングのスタッフは22名。二輪のレースチームとしては大所帯の部類に入るだろう。次代に伝えるのは整備や修理の手技、あわせて気合い。ともに学ぶかもしれないハイテク? その土屋監督とチームを後ろから見守る人物が、鈴鹿8耐の本番前にこう話した。安武幸祐さん。HRCから熊本製作所に転属して、チーム発足の出発を担った。熊本レーシングの責任者で、総監督と呼ばれる。

「環境づくりはすべて土屋にまかせ、私は予算の策定や渉外活動などの折衝に専心してます」

 そもそもこのチームを発起したのは当時の本田技研工業、伊東孝紳社長(現取締役相談役)だった。命を受けて、熊本レーシングの素地づくりと設計図を引いた。熊本製作所での勤務にも、言葉の節々に人一倍の愛着が感じ取れる。希望者の多い製作所見学や地域活性のための催しの数々、過日などは韓国のゴールドウィングのクラブ員が大挙して関釜フェリーで製作所見学に渡来。その表敬来場は、驚きと同時にとても嬉しかったそう。

「ホンダのバイクは、熊本製作所が世界の本山です。チーム発足の大元の理由は、本山だからこそ、ここからなにかを発信できないか。ウチで作っているCBR1000RRを、作っているメンバーで走らせて得るもの。お客さんにアピールできること。多くのバイクファンの皆さんに、開かれた製作所であることを知っていただきたいのです」


監督

7月7日合同テスト
名だたる大チームならともかく、ほとんどのチームの監督は何でも屋でもある。レース現場の表の仕事よりも、前後の裏方仕事の比重が高いかもしれない。 HRCから熊本製作所に転属して熊本レーシングの総監督をつとめる安武幸祐さん。監督とチームをサポートする傍らで、ホンダ国内唯一の二輪製作所である熊本製作所の発展に注力。

7月7日合同テスト

7月7日合同テスト

7月7日合同テスト

7月7日合同テスト

7月7日合同テスト
7月7日、合同テストの風景。七夕ながらあいにくの雨。ウエット状態であったが、ダンロップのレインタイヤの相性はよく、またライダー3人はみな雨を苦手としない技量の持ち主であり、雨=ウエルカムの心持ちを、監督、チーム、ライダーが抱いていた。2度の合同テストまでは天候が読めない空という、温暖化の影響でますます高温多雨な日本の7月を象徴する日が続いていた。

兄と弟、姉と妹。先輩と後輩の畏敬の絆

 ワシワシと唸るクマゼミの木立の向こうに集合管ノートが響き渡る。今年は久方ぶりに暑い暑い鈴鹿8耐が帰ってきた。気温32.7度(主催者側発表)。ピットに同体しているダンロップの方に測定していただいた路面温度(ピットロード)は、お昼時点で54度! ストレートには白い陽炎がゆらめく。

「どちらかと言えば雨を期待していますが、いまのところゲリラ豪雨の予定もないようですね。上位は強い人たちばかりだから、がっぷり四つとなると苦戦が目に見えている。過酷な環境に出来る限りの柔軟性が求められる展開になると思います」

 土屋監督が苦笑いで応えるのは、ここに至るまでの経緯。合同テスト最終日、そして予選、土曜日のフリー走行を通じて計3度の転倒があった。第1ライダー吉田光弘さんは背中を打った影響かちょっと顔色がさえない。メカニックはその都度、修復を重ねて当日にこぎつけていた。「吉田は骨折などがなくて本当によかったですが」と続けて、ライダー交代を変則させる作戦を組んだ。アドバイザリースタッフの徳留和樹さんを第3ライダーとして投入しての3人体制だ。

「転倒以来、吉田がまだロングランを走ってないので、様子を見ながらレースを進めていこうと思っています。なにがあるかまったく解らないのが8耐。今回はたまたま学園さんと同じパドックになりましたが、これもなにかの縁ですね。よろしくお願いします」

 仲良く? でもないが全員1回ずつ転倒してしまったということで、本番出走前までの負の事案の説明を受けた。しかし、パドックのなかの雰囲気は明るい。格段に若いホンダ学園チーム(本誌ではおなじみの ホンダ テクニカルカレッジ関西。#28号車と学生たちの闘いのダイジェストは後日掲載の予定)とのルームシェアにはこちらも驚いたが、もし鈴鹿に”8耐の神様”がいるのなら不思議な縁の差し示す意義とは、学生たちに製作所チームとしての”範”を示す機会にも感じてとれる。みなてきぱきと、自らの職務を全うしながらコミュニケーションをたやさない熊本レーシングのスタッフたち。その中心となるチーフメカニック三輪さんの行動と言葉がパドック内の雰囲気を締めたり、緩めたり。

「昨日(土曜日)の転倒ではマフラーがいきましたが、ダメージは軽微なものでしたし、みんなでキッチリ直しました。今日もどんなことが起きても、みんなでしっかり直してライダーを送り出す気持ちでいますよ」

 そう話す三輪さんと、傍らに添う仁平秀夫さん。整備から計測、燃料計算などレース計画と進行の中枢を担ういわば監督とチーフメカニック双方の補佐する作戦参謀的な存在だろうか。三輪さんとは対照的に言葉は少ない。体格がよく、ちょっと近づきがたい雰囲気だが(失礼)、それがいかにも職人気質な風貌であり圧倒的な存在感を示す。このふたりを中心に、メカの渡邊さん、タイヤの三苫さん、給油の小西さん、大西さんら、聞き入るメカニックたちの瞳は真剣だ。

 20代、30代、40代、50代。レース体験の熟練と、これからを背負うメンバーたち。人員22名ともなると、製作所及び研究所従業員と関連会社の多岐にわたる人間で構築された多様のオムニバスが推察される。その骨幹として感じられるのは、先輩からの上意下達という杓子定規な教条主義ではなく、次代へつなげたい、後輩として受けて学びたい、年代相互間の阿吽の呼吸や、和の精神のようなもの。それは、レース活動に絶対に不可欠のマネージャーの存在にも際立つ。

「火曜日から来ていますが、やることがまだよく解ってません。住吉さんを見よう見まねで見習っていますが、すべてがいちからの勉強と思い知らされてます。会社を1週間ほど抜けるので前もって出来るだけやって出てきましたが、こちらはこちらで大変ですね」

 齋藤舞子さんの本職は外装関係。主にHONDAというあの誰もが目にするデカールを貼っているそうだ。鈴鹿8耐は初めての体験。バイクが大好きで製作所の門をくぐり、遂にレースの世界に踏み込んだ。頼みとする住吉さんは同じ熊本出身の住吉久美子さん。

「私こそ、見よう見まねで始めて7年です。同好会の緑陽会レーシングから始めて吉田選手がこっちに移る時に呼んでもらいました。バイクが好きで、レースが好きで、好きなことを仕事にさせていただいて。熊本製作所はよかところですよ。ツーリングのロケーションに恵まれていますので、ぜひとも一度お越し下さい」

 ホーネット900が愛車という住吉さんは、地元の宣伝も忘れない。マネージャー兼ヘルパーの仕事はライダーの心身の介助が主軸、ほかにパドック後方のテーブル回り、飲み物、氷、食事、洗濯、おさんどんの一切合切、やることだらけだが、無駄の無い動き、そつのない立ち振る舞いと心遣い。パキっと利発な火の国・熊本女性の典雅を彷彿させる。追従する齋藤さんに「舞子ちゃん、あれとってきて!」と今回は新人教育も担った8耐のようだ。

 また、仕上げられた熊本レーシング謹製イナズマデザインのトリコロールカラー。CBR1000RRに乗る3人のライダーにも、心地よい年功の視線とそれを享受するムードがあった。急遽、指南役から実戦登板となった徳留和樹さんは、鈴鹿8耐の優勝経験者(2009年度)。吉田選手の塩梅を気遣いながら、ふたりの後輩ライダーについてこう話す。

「吉田選手は、階段をひとつひとつ登るように努力してスキルを身につけてきました。これからのさらなる伸びしろが楽しみな人。小島選手は若さゆえのスピードとがむしゃらさが武器。これらをなんとかつなげて、レースをうまく運んでいきたいです」

 徳留さん、フリー走行の時もそうだったが、準備されたマシンのリアカウルの側面、また自身のグローブにほんの少量の液体をふりかけた。齊藤さんによれば故郷・鹿児島の焼酎。つまり安全を祈願するお神酒ということらしい。九州らしい風土性に触れ合う。

 ホンダの日本唯一の二輪製作所の従業員チームによる鈴鹿8耐。今回そのピットに寄り添うことは極めて希有な機会だと想う。土屋監督を先述の名店のコンシェルジュ(よろず承り役)に見立てた続きとして、例えば安武総監督を支配人とするならば、三輪チーフメカニックは料理長、仁平さんは事務長になるだろうか。メカニック諸兄、レーサー諸兄は厨房の各種の担い手として、仲居頭がいて、仲居頭の見習いがいて……熱と爆音に酔い、愚かな想像しかできない不甲斐なさを自嘲しつつも感じることがある、このパドックは爽やか。居心地がとてもいいお店だ。



吉田光宏さん
第1ライダーの吉田光弘さんは2回目の予選で転倒。大けがこそなかったものの、背中と肩を強打して首の回らない状態だった。それでも決勝はスタートライダーとして飛び出し、前方を追った。

小島一浩さん
本戦前のピットウォークタイム。熊本レーシングを現す鮮烈なイナズマ? ファイアーなトリコロールにまたがる第2ライダーの小島一浩さん。早くからSRS(鈴鹿レーシングスクール)の門下となり、国際A級昇格、技術とスピードを磨いてきた21歳。となりでは革ジャン、メット姿のくまもんが大笑いでふんぞりかえる。

ピット
熊本レーシングの18番パドックは、奇しくも当WEBに毎年登場のホンダ学園チームとのルームシェア。ひと箱に2チームが同居するので、とても賑やか。10代の学生メカニックと50代のベテランメカニックという”父と子”の年齢関係!?

ピット
ルーティンワークの確認。なお、白赤のユニフォームがテストと予選日用。赤黒が本戦日の勝負服。

仁平秀夫さん
チーフメカニックの補佐の立場でレースの主導を把握する仁平秀夫さん。迫力ある風貌だがピットウォークではお客さんの坊やをまたがらせて、ハイ、パチリ!

齊藤舞子さん
熊本も暑いが、鈴鹿も暑い。今年からチームにマネージャーとして仲間入りした齋藤舞子さん。日々が勉強ですと話していた。

齊藤舞子さん
マネージャーは、レーシングチームのバックステージの立役者。住吉久美子さんは新人・齋藤さんとの息をあわせてレーサー・スタッフたちの活動を強力にサポート。

徳留和樹さん
アドバイザリースタッフから第3ライダーで登板となった徳留和樹さん。鈴鹿8耐の優勝経験者であり若いふたりのライダーに範を示す。鹿児島県出身。静かなる闘志を燃やす薩摩隼人の顔つきか。

フリー走行で転倒

決勝にはTカー
土曜日のフリー走行で転倒したマシンをパドック裏テント脇まで持っていく。軽い転倒とは聞いたが、集合管はべっこり、メカニックの三苫幹雄さんが外したアンダーカウルにはグラベルの小砂利が随分と入っていた。 決勝当日、マシンはTカー含めて2台ともが完全に直されていた。選ばれたのはTカー。残された33のリアカウルに残る転倒の跡。スタート直前三輪さんの胸中に去来するものは。

ミーティング

ミーティング
決勝前。土屋監督を中央に、三輪さん、仁平さん、チーム幹部による作戦会議。土屋監督によれば「雨のないがっぷり四つの予想が的中してしまいました(笑)。ピット回数を7回、できるだけ減らして行けるところまで行こうという考えです」 3人のライダーと最終打ち合わせ。周囲の爆音でよく聞き取れはしなかったが、ライダーたちにも意見を求めての入念な摺り合わせに見えた。デジタル時代になろうと、最終的には人間同士のしっかりとした意思疎通が必要不可欠なのだ。

 かくして11時30分。恒例カウントダウンの唱和と高揚。フルフェイスの吉田選手の表情は見るべくもないが、青白かった顔色はきっと紅潮していたに違いない。ダッシュ一発、CBR1000RRの33号車はシグナルグリーンとともにゆるい傾斜のホームストレートへ飛び出していった。


スタート

スタート

スタート
昨年はゲリラ豪雨でスタートが遅れたが、今年は11時30分無事にスタート。26グリッドから吉田選手がキレイにスタート。長いようで短い8時間が始まる。

白熱、息をのんだ長旅途上の軌道修正!!!

 今年の鈴鹿8耐は、わずかな雨さえない暑さ。名物の炎熱が戻った。そのせいもあってか、転倒、コースアウト、マシントラブルが相次いだ。全レース行程を通じて計6回ものセーフティカーが割って入ったことに、その苛烈さが窺える。

 熊本レーシング33号車は1スティントを終えてピットへ。ルーティンワーク。前と後ろのタイヤ交換、給油、ライダー交代。土屋監督によれば、「ルーティンの目標は12秒から13秒ですが、確実性をとって15秒あたりが適正にいけるタイムでないでしょうか」

 そのルーティン作業の一挙手一投足は見事なものだった。マシンをとりまくメカニックたちの無駄のない動き。打球に即座に反応する内野手のフットワークを見る思い。難なくさばいて事を終えるあたり、鍛えられている。ホイ、ホイ、ホイっとタイヤを変えて、クイックチャージ。気をつけて、いってらっしゃーい! 見た目の印象では、時間にしてわずかな停車でライダーを送り出し、次のスティントを迎える。作業を見つめていた学園の生徒からは「早っ!」と思わず声も出た。

 ほどなく周回タイムは2分14秒台に落ち着き、この日の8耐を走り抜く上での安定した”巡行”のリズム”を刻んでいたように見えた。先述のように、大きな転倒が次々と起る。復活登場で今回の目玉的な存在となったC・ストーナー選手のクラッシュはあまりの衝撃だった。セーフティーカーが飛び出して前を走ると、後片づけを終えるまでのブレイクタイム。各車すべて縦一線の”ツーリング”の様態となる。ここまで追い上げていた、これで助けられた。コース上の運不運はみんな了解の致し方ないこと。待ちに待ったセーフティカーが離れた瞬間からの再開シーンも、耐久レースの見所のひとつと言える。ただ、見ているこちらの集中とは、ひたすら33号車が(28号車も。そしてもちろん全車)無事で走り続けてくれること!

 3度目のピットを終えた時、三輪さんはメカニックたちに声をかけた。
「いまのはドタバタしてしまったぞ。もっと緊張してやらねばダメだな。引き締めていこう」みんなが表情をグッと堅くしたところ、しばらく間を置いてニカっと微笑む三輪さん。一度締めて、開けるあたり、こころのスパナで上手に緩急をつけた雰囲気づくり。数々の修羅場をくぐり抜けてきたベテランチーフメカニックの手腕とも感じとれた。やはり組織を作るのは人間である。


吉田選手

1回目のピット
1スティント目を終えて1回目のピット。ライダーは吉田選手から小島選手へ。マシンが停まった直後から、すみやかにメカニックが近寄り、迅速にしてスムーズなタイヤ交換、そしてガスチャージへ。伝言を受けた小島さんが2スティント目へ旅立っていく。

「おっ、ついに1ページ目まで来たぞ」

 ストップウオッチを手にしながらモニター画面をチェックしていた安武総監督。1ページ目とは、順位によって画面に並ぶチーム名の一巡目のページ。予選26位から17位まで順位を上げていた。苛烈な環境とはいえ、ほかのチームもみなイコールのコンディション。サーキットのオフィシャルTVに33号車が映る場面も増えて期待が高まる。

 さあ、ここから本領発揮!! と思っていた矢先のことだった。


小島選手

徳留選手
二番手小島選手、三番手徳留選手と順調にバトンを渡し、波乱の展開の中、順位もじわじわと上がり、好調の波に乗ったように見えたのだが……。

 徳留選手から交代し、2回目の走行を終え4回目のピットインをした小島選手の表情が険しい。なにが起きた? ハンドサインを絡めてなにか話しているがよく聞き取れない。パドック内が緊張した。スタッフたちもみるみる表情が険しくなっていく。小さからぬトラブルが発生したようだ。

 交換したリアタイヤについているスプロケット。その歯の片側がより多く削れていた。偏摩耗しているようだ。シロウト目にも嫌な減り方に見える。これでは、エンジンのパワーが確実にリアタイアに伝達しない。新品のスプロケットを装着したタイヤに換えられたが問題は解決しないようだった。やがてチェーンラインになにかしらの歪みが生じていると教えられた。

 本来、チェーンラインとは、前後のスプロケットが車体と正確な平行を保っているべきもの。歪みがあると、当然、後ろスプロケットに偏向したままの駆動力が伝わり伝達効率がさがる。さらに駆動の噛み込みが悪くなりチェーンが外れる、切れるなどの危険な事態も想定できる。それがいま、なぜ起きてきたのか? モニターを見つめている安武総監督に伺ったが、顔はくぐもりがち。一概に原因究明といかないのが鈴鹿8耐の”らしい”ところなのか。


4回目のピット

4回目のピット
ライダーは①吉田→②小島→③徳留→④小島→⑤吉田→⑥徳留→⑦小島→⑧吉田の各選手の順番で交代した。4回目のピットを終えて、2度目のライディングを終えた小島選手から、発生してきたマシンの異変を聞き取る。ピットに緊張が走る。 中央はタイヤ担当の三苫幹雄さん。迅速、正確なフットワークを披露する。「とにかく、がんばります!」のスポルト系青年だ。

 やがて次第にタイムにもバラつきが見えはじめ、我慢の走りを継続。交代した吉田選手は、痛いおなかをさすりながら走るランナーのような状況なのだろうか。やはり具合がよくないようで吉田選手は18周でピットイン。再び調整の後、徳留選手が飛び出していった。ピットではいよいよ決断かという雰囲気となり、土屋監督は、データの書き込まれたボードの前にメカニック全員を集めた。緊急動議。作戦変更か。内容はよく聞きとれなかったが、これからの施術が告げれらたようだった。


5回目のピット

5回目のピット
ホイールから取り外したリアスプロケットを検証し、全メカニックが集まり、作戦会議。ルーティンワークの段階で時間を延長してでも全面的な補正・修正をする内容を話し合ったのか。

 歪んだチェーンラインを補正する。ルーティンワークのなかで。それは、スイングアームなのか、リアタイヤの車軸なのか、前スプロケットからなのか。シロウトにはなにをどうすれば直るのか解らないが、そもそも果たしてレースの本番中にそれはできることなのだろうか。徳留選手はすぐに戻ってきてのイレギュラーな6回目のピットイン。補正の過程の”試運転”が、鈴鹿8耐の本番で展開されるという事実。パドック側からとマシンの停められている位置の関係上、さらに作業のメインが反対側なこともありディティールはよく見えない。最も見えたとしてもシロウトにはなにをどうしているのかはわからないが……メカニックらがしゃがみこんで、なりふりかわまず、しゃにむに手を動かす姿。いつもより停車時間は長かった。ライダー交代はなく再び徳留選手が出撃した。


6回目のピット

6回目のピット
「あと1分30秒!」仁平さんが叫ぶ! やはりリアの具合はかんばしくないようで緊急ピットインが告げられる。ほんの1分の待ち時間が数十分に感じてしまう。 忙中閑あり。手が空くと一休みするかと思えば、みなオフィシャルTVとモニターを凝視して、ライダーを見守る。取材者のようなシロウトがパドックから認識できる走行状態は周回ごとのラップタイムしかない。

6回目のピット

6回目のピット
吉田選手から5回目のピットインでバトンを受けた徳留選手が10周ほどで帰ってきた。補正・修正を受け交代することなくそのまま飛び出していく。当初の予定では全行程7回ピットを予定したが、このイレギュラーがプラスして計8回のピットとなった。

 人とバイクの、限界性能を試し合う。

 数あるレースのなかで、鈴鹿8耐の究極さは万人の想うところ。全速全開の1スティントを、なんべんもなんべんも繰り返す。真夏の真昼に。真夏の午後に。なにかしらの狂いが生じても窮余の策を講じてでも全速全開の世界へ送り返す。真夏の夕凪に……正気の沙汰とは思えない。その尋常でない、つまり非日常のなかで、真理と真相の処方を引き当てようという技術者たちの姿。

「さきほどの修正で直っていると思いますが、たいへんお見苦しいところをお見せいたしました」

 マシンをコースに送り出して、三輪チーフメカニックは、バツが悪そうに苦笑いした。「とんでもないです!」と思った。なにが起きるか解らない鈴鹿8耐。暑さで身体も頭がヘンになるようなピットロードでの2度に渡る迅速な施術。シロウトには、ほんのちょっと長く停まっていたぐらいにしか感じなかったからだ。熊本製作所チーム、今年の8耐の峠道、それはある意味HONDA伝統のお家芸「走る実験室」の真骨頂でなかったろうか。
 順位はこの時26位まで下がってしまったが、それよりなにより徳留選手の手になる33号車の周回タイムは、安定した状態に戻っていたのだ。


徳留選手

小島選手
コースに復帰した徳留選手は確かめるように数周した後、順調に周回を続け、小島選手にスイッチ。長かった鈴鹿の夏もそろそろ夕暮れの気配の中を快走。

 困難を乗り越えて完走、ゴールからのはじまり。

 徳留選手から小島選手へとバトンをつないだ19時手前、8回目のピットインで最後のライダー交代。最終ライダーは吉田選手だった。予選での転倒のダメージを残しながらスタートライダーをつとめて、ここまできていた。途中、かなり苦しそうな場面もあったが、身支度を手伝う住吉さんがひとこと。
「最後なんだから、がんばりなさい」
 弟を送り出す姉の姿のようであり、改めて、製作所チームの世代をつないでいる絆のあたたかみを感じた。


8回目のピット

吉田選手
黄昏が来るころ最終ライダーとして出番を待つ吉田選手。ギリギリまで首筋を冷やし続ける住吉さん。マネージャーは表舞台に出ることはないが、人とチームの重要な助監督であるとも言い切れる。 すでに日は沈みつつあるコースはじきに闇に包まれる。19時30分のゴールへ向けて吉田選手が最後の疾走。

「さあ、メカニックの仕事はこれで終わりました。あとはライダーの方にすべてお願いいたしましょう」

 日の落ちた鈴鹿のコースに吉田選手が飛び出したあと、みんながモニターを凝視するなか、三輪さんはそう言いながら突如、奇異な行動に出た。ライダーにお願いと言ったものの、それまで立てかけてあった控えのカウルをおろしてきて磨き始めたのだ。
「このあと、またどんなことがあってもすぐに直しますよ」と、どっと一同の笑いをとる。
 少し疲れで淀んでいたパドックのなかに、活性のカンフル。みな、また、いきいきと動き始めた。


8回目のピット後

8回目のピット後
傾く西日の鈴鹿。最後のピット、吉田さんを送り出し、大きく息を吐く土屋監督。合同テスト、予選、フリー走行を通じての転倒、修復、ひとしずくも落ちなかった雨、本番でも抱えたトラブル。連日、よく眠れなかったのでは? パドックでは、最終ピットで交換した使用後タイヤのチェックを行う。問題を露呈したリアスプロケットに、メカニックたちの視線が集まる。

 おとずれた19時30分、ホンダ熊本レーシング33号車、チェーンラインの修正後は順位を3つあげていた。23位でゴール。雪崩を打ったような喧噪のなかで、メンバーからひと言をもらった。

「ウイークを通じて転倒続きでしたが、チームメンバーが支えてくれました。今日のトラブルも社内チームならではのコミュニケーションのよさで最悪のリタイヤを乗り切れたと思ってます」(第2ライダー・小島一浩さん)

「なかなか計画どおりには行かなかったですね、煮詰めが甘かったのでしょうか。今日のことを教訓にして、また次回へつなげていかないとですね」(メカニック・渡邊聡美さん)

「とにかく、完走だけはできてよかったです。最後はすこし順位をあげられましたが、今日の自分は口惜しさしか残ってません。(予選で)転んだ直後からトレーナーやスタッフが休ませてくれて……スタート一発目はきつかったけど、おかげさまであとはなんとか走れました」(第1ライダー・吉田光弘さん)

「マシントラブルがあり、10周で戻ってきたりしてあたふたしましたが、転倒もなく無事帰ってきてくれてよかったです。数字はちょっと残念な結果ですが、齋藤さんがよく働いてくれて助けられました。本日は暑い中を本当にありがとうございました」(マネージャー・住吉久美子さん)

「初めてのことで、戸惑うことばかり。本番は転倒がなく無事に終えることができました。ホっとしています」(マネージャー補佐・齋藤舞子さん)

「転倒が続いてしまい、そこに本番は厳しい暑さで悪い条件が重なってしまいました。でもリタイヤすることなく走り終えたことはよかったと思います」(徳留和樹さん・ライディングアドバイザー兼第3ライダー)

 三輪さんのひと言は、最後の最後までこちらへのサービス精神を忘れない。チェアに座る安武総監督に、冷却用のファンすべてをむけて、涼んでくつろいでいただくと前置きして。
「お疲れさまでした。メカニックのトラブルでライダーに迷惑をかけました。これをもって引責辞任いたします。来年もし安武総監督に”おいっ、三輪、やれ!”と言われたらまた頑張ります(笑)。とにかく厳しかったです。ありがとうございました」安武さんはほほえんでいる。(チーフメカニック・三輪成正さん)

「我々にとっては、非常に厳しいレースでした。転倒の後遺症もあり、この暑さで人とクルマの影響があぶり出されたようですね。甘くはなかった。これを今後へどう活かしていくかです」(土屋徳之さん・監督)

 しおしおとした表情の土屋監督だったが、ふたたび「とんでもないです!」と思った。炎熱のさなかに起きたトラブル、それを克服し、転倒もなく、8時間を無事に走りきった。監督が先述した“過酷な環境に出来る限りの柔軟性”を見ることができた。ぼやっと立っていただけの取材者に、起こってしまった困難を乗り切る工人と乗り手のシーンの一瞬一景は忘れられない夏に。


ゴール

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 ホンダ熊本製作所・熊本レーシングは全日本選手権JSB1000にも参戦している。普段は、製作所でバイクを作り、毎戦ごとに各地のサーキットへ出かけていく。熟練のダブルワーカーたちのレーシング。寄り添った8時間があっという間に思えたのは、じつに濃密な時間を過ごしたからだろうか。走る実験室の本意とは、無機質なモノの実相を試したり計るのではなく、使う人間の気持ちを優先させて進めていくもの。ここから生まれるモノづくりの原点に触れた気がした。


集合写真
#33 Honda熊本レーシング Honda CBR1000RR(2012) Class:EWC Tire:DL
StartingGrid 26 2`11.512 決勝23位 193Lap BEST LAP 2`13.941

●第1ライダー:吉田光弘 第2ライダー:小島一浩 第3ライダー:徳留和樹(ライディングアドバイザー)
●ENGメカサポート:北岡知准●車体メカサポート:三苫幹雄・針本典之・小西健太郎●部品管理:大西広司●マネージャー:齊藤舞子・住吉久美●電装メカニック:関根 翼●ENGメカニック:吉田光司●車体メカニック:渡邊聡美・倉橋正樹・林 敬済●チーフメカニック:三輪成正●テクニカルアドバイザー:吉井恭一●バックアップ管理職:仁平秀夫・中山昌宣・細川冬樹
●Honda熊本レーシング責任者:安武幸祐
●チーム監督:土屋徳之
(敬称略)

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