決勝当日

決勝当日
決勝当日は早朝6時から準備を始めた。10時50分いよいよスタートグリッドへとマシンを送り出す。学生たちの夏が始まる。

 ほんの間をおいてルマン式スタートのマシンを支え持っていた三宅くんが戻ってきた。氷水に漬けてあった清涼飲料水に口をつける。ふきだす顔面の汗を袖で拭う仕草は10代の特権のようなハツラツ。大会メインスポンサーが謳う、スカっと爽やかだった。

「ギアを入れてた?」
「入れてました」

 五月女教頭とやりとりも口調なめらか。

「蹴られなかったか?」
「蹴られませんでした。児玉さん足が速いから蹴られたら痛いでしょうね」

 いま見送ったばかりのライダーとマシンの後ろ姿に感慨もひとしおの様子。

「オレらと一緒に戦ってくれる。素敵だなあ、かっこいいなあ。ああ、この方たちのマシンをオレらがお世話してるんだ、頑張らなきゃ。すごくすごく鼓舞されました」


スタート

児玉選手
11時30分、28番グリッドから第2ライダーの児玉選がスタート。1周目37位でスタンド前を通過、じわりじわりと順位を上げながら周回をこなしていく。

 1周目、37位あたりでホームストレートに姿を現す。スタート直後の雑踏に揉まれた模様だが、無事2周目からは体勢を戻して挽回のムードに。

 計測係とマネージャーの白上先生とが周回ごとのタイムをノートパソコンに打ち込んでいく。2周目、3周目、4周目、5周目と順調にホームストレートを駆け抜ける。2分16秒台だったマシンは、15秒台、時には14秒台を刻み、スタート直後から序盤戦にかけての走りが安定した様子を感じる。

 児玉選手の予選タイムが前述の2分12秒516。古澤選手は2分13秒270で自己ベストだったという。ここにプラス4秒から5秒ぐらいが周回を重ねるうえでの「巡航」という速度でいえば、耐久レースでの的確な走りのリズムのように感じ取れる。実質、児玉選手は35位付近だった順位をその安定ぶりを裏づけるように次第に前方をとらえていく。上昇してきた気温と比例するように29位、28、27。予選のスタート順位を上回り、ちょっぴりさらに上を!の気運たちこめる雰囲気。

 予定では、ライダーの1パートは走行を1時間で25~26周が交代の目安、ピットに入る回数は7回と聞いていた。

 ちょうど18周を回った時、ピットに来客があった。カッターシャツにスラックスの一団に先生方は一礼。ホンダの伊東孝紳社長だった。滝澤理事とにこやかに握手を交わし旧交を温めている。
 伊東社長はレースを伝えるモニターに集中するあまりついつい背後の椅子に腰掛けて観戦。その椅子はライダー用で、そこに交代を待つ古澤選手がやってきて目を丸くしている。あっと気がついた伊東社長は「ごめんなさーい!」と飛び上がる一幕も。

 ホンダ7代目は、場をなごませるユーモアに長けた二輪レース好きであることが窺い知れた。

 



伊東社長
スタートからほぼ1時間、1回目のピット前にホンダの伊東社長が激励に。そのままピットインを見学。学生たちにまたとない思い出となった.

「残り5ラップ!!!」

「残り2ラップ!!!」

 最初のピットインが近づいた頃から、三宅くんは大きく声を張り上げた。予定をやや繰り上げて23周で最初のピットインとしたのは燃費状態を把握するためと後で聞いた。

 出番が近づくにつれて学生メカニックたちの緊張が高まっていく様がよく解る。耐火スーツを着込みフルフエイスを被った燃料給油係は段取りとあうんの呼吸を確認する。タイヤ交換のグループは工具とスタンドを手元にモニターを見つめる。タイヤはぎりぎりの時間までウォーマーが巻かれた状態にある。めいめいがさんざん練習してきた作業。初の実戦を目前に大きな息をつきながら待ち構える様子だった。

 ピットレーンの向こう側、ピットウォールにいる計測グループとピット(ガレージ側)はサインボードとハンドサインのやりとりが頻繁になる。いよいよか。

 23周目、26位まで挽回していた児玉選手のチームマシンがピットレーンに入る。ここですココ。手を振るメンバー。ストップボードにフロントをコンと当てて停車。持ち上げられるフロントとリア。

「落ち着いていこう、丁寧にいこう、確実にいこう!」

 先生なのか三宅くんなのか。声が出ている。車体からタイヤが外され、用意されていた新しいタイヤが入れられる。この時、勢い余ってかリアホイールのカラーが落ちてしまう。しかし落ち着いていた。てきぱきとセットし直してロスタイムは大勢に影響のないレベル。これまでの訓練が活きているように見える。

 
 さらに、古澤・児玉選手のギアチェンジシフトスタイルの違いから、交代ごとにチェンジペダルを入れ換えるという作業がある。タイヤ交換、ペダル交換が終わると、クイックチャージャーを持ち上げた給油係の出番だ。

 このクイックチャージャー、二人がかりでもかなりの目方と高さがあるため重心の取り方が難しい。給油口と空気を抜く穴、タンク上の2つの穴に素早く確実に差し入れられる。かなり練習を積んだのだろう。吹きこぼれることなく予定量をチャージ。

“よかった!” 見る側は、学生たちの一挙手一投足を噛み締めるようにこころのなかで祈りに近い声を挙げるのみ。

 変わって古澤選手がまたがりセルが回り再び咆哮する。スムーズにコトは運んだようだ。コースへと走り去った直後、伊東社長以下全員から拍手が起こった。「いいものを見せてもらった!」伊東社長の一団はピットをあとにした。

 一方ガレージ奥では下車直後の児玉選手。フルフェイスを脱ぎ、グローブをゆっくりとひき抜き、ツナギの袖から腕を抜くのを手伝うヘルパー係たち。首の後ろにアイシングを受けながら土色の顔の瞳はうつろ、髪はおびただしい発汗で濡れしおれ、大きく肩で息をしながら椅子に座る。

 1時間弱を全開で走り続けた皮ツナギの鎧を纏う騎士さながら。白上マネージャーと2つ3つ情報を交わすとヘルパーたちの預る時間に入る。介抱と癒し。再び走りのエネジーを呼び起こさせるのは、次の交代まで微に入り細にわたる「思いやり」なのだろう。扇風機の前に吊るされたグローブやインナー類が揺れてる。

 7月終わりの昼の日中、約1時間の受け持ちパートをほぼ全開で走りきるライダーとマシン。それを支えるメカニックやヘルパーたち。少し休んだらまた次の走行が待っている。これを何度も繰り返す。スプリントペースの重奏。消耗戦。信じがたいピッチの継続。そして求められるのは、無事是れ名馬。

”鈴鹿8耐だけは世界でも特別なレース”そう言われるゆえんを目の当たりにする想い。


ピットイン

ピットイン

ピットイン

ピットイン
12時20分過ぎに1回目のピットイン。学生と言えどハンデはもらえない。世界選手権という大きな緊張とプレッシャーの中で懸命に作業を進める。

 交代した古澤選手は、快調にホームストレートを通過。交代後の1周目を終えて2周目から2分17秒、その後18秒台を固定したようにキープ。このあたりに安定した耐久レースでの巡航ペースを見据えたようで順調にラップを重ねていく。その度に先生と計測係とのやりとり、パソコンへの記録の打ち込みがテンポよくなっていく。

 開始から1時間30分を経過し、13時をまわったピットの奥では交代でお弁当に手をつける学生もいる。その横顔は、青年とまでは到底いかなくて、まだ少年からの端境期。もぐもぐと俯いて食べている子もいる。おそらく、今回の鈴鹿8耐でいちばん歳下のメカニックたちだろう。安定走行の確定=完走にむけて。見る側の脳裏に、ふとそんなイメージが浮かんだ時だった。

「ゼッケン28番、2コーナーでコースアウト!!!」

 ええっ? 場内アナウンスに耳を疑った。まさか、そんな。みなが大きな息を呑んだ瞬間の音が聴こえた気がした。全員が食い入るようにモニターを凝視。まさか、そんな、まさか。そんな。花びらみくじのように巡るまさかとそんな。

 ガレージにそれまでゆるく吹いていた風が止まった。時計を見ると13時18分。周回は47周目と後で確認した。

 古澤選手は無事か? ピットからはよく解らない。案ずるなかマシンは軽傷だったようだ。逸早くマシンを起こした古澤選手の帰還の姿に一同は胸をなでおろす。転倒は他車の転倒に巻き込まれるカタチだったらしい。左側のテール付近にヒットされ右側にスライドするように倒れたという。

 運と不運が紙一重のレースでは致し方ないことかもしれないが、噴飯やるせかたなき形相の古澤選手。学生たちの父親世代にもあたる彼の責任感はとうてい計り知れないものだろう。

 皮ツナギに擦過傷、ブーツの側面は口を開けていた。それでも、怪我を負わなかったことは不幸中の幸い。ただ古澤選手の心情おもわんばかり、ヘルパー係の1年生たちはとりつく島のない様子。白上先生が近づき軽く言葉をかけたことでその場はほんの少しゆるんだ。



二輪整備同好会


二輪整備同好会
第一ライダーの古澤選手。児玉選手からバトンを受け順調に周回を重ねていたのだが。

「やるぞ、直すぞ!」

 一方マシンはただちにピットへ入庫されていた。張りつめていた空間が阪田先生の号令一下、まるで”戦場”のようになった。カウルに黒い擦過傷、アンダーカウルも損傷していた。それだけではない。アンダーカウルを取り外すと、その内側にも損傷がある。

「今年からレギュレーションに加わったクランクケースの2次カバーが割れてました」

 後に大川先生から説明を受けたのだが、その割れた2次カバーがなんとしたことか、なかなか外れないのだという。ボルト止めの部分に割れたパーツが居残って除去に難儀する。はやく交換しなければ!

「カッターどこ? はやく持ってきて!!!」

 三宅くんたち2年生は相応の状況を判断し、いま、自分が、なにを、どうすれば、誰のために、共同作業のために、といった落ち着きを保っていた。しかし1年生は右往左往。なにをすべきか、どう動くべきか。これは仕方ないことだが、いきなり大量の客が訪れた飲食店厨房の新人のよう。言われるがままの追い回し。怒号とパニックの同時進行。手こずりながらも学生たち、先生たちの指導とアシストのもとで、一丸となっての修復作業が進む。

 時間の経過をこれほど憎たらしく思うことはない。5分、10分、15分、20分、刻一刻と時計が進む。薄暗いピットから見えるホームストレートを抜ける他チームのマシンの音が無情に響く。白日夢、真昼に浅い眠りの悪夢を見ているように感じる。この間、場内アナウンスが響いてモニターには先頭グループを走っている著名チームの転倒シーンが映しだされるものの、誰ひとりとして我れ関せず。それどころではない、一刻も早いチームのコースへの復帰を。

 ピットオフィシャルの見守るなか、残存のパーツが外れて新しい2次カバーに付け替えられる。アンダーカウルには転倒時に入り込んだとおぼしき泥と砂。これもエアを吹き取り除いて装着。上側には黒いガムテープで補強がされた。タイヤは前後とも交換されて大急ぎでピットレーンに出して給油。古澤選手に代わって急遽スタンバイしていた児玉選手がライディング。セル始動、かかった、ノジマの4in1が吠え飛び出していった児玉選手とチームマシン。その後ろ姿を見やりながら一同みな一瞬だが安堵の表情。これまで体験したことのない事に出くわし、それは想定内の作業ではあったけれど、なんとか成し得た達成感の顔だった。

 学生たちと先生たちが走り出していったマシンの一点を見つめる姿に胸が熱くなる。しかし、ピットインから25分以上も「停車」していたのも事実。

「児玉選手はすぐに戻るかもしれない……」

 送り出したが楽観していられない懸念が先生と三宅くんたちの動きから見てとれる。直したマシンの現状に変化することがないか。鵜の目鷹の目に耳を研ぎすませての状況観察の周回。と同時に、走りのベクトルが、これまでよりひとつ厚みを増したような気がした。

『完走』へのさらなるこだわり。

 そこを重視すればこれからの走り方の質実が濃くなったということなのだろうか。復帰したマシンへの不安はつきまとうものの、このまま大過なく走り続けてくれれば目指す『完走チェッカー』は目論見のなか。規定によればトップ周回の75パーセントが完走の条件。昨年2012年の例をとれば219周に対して164周。予定外のロスタイムを計算しても、まだまだ「イケる」「大丈夫」な範囲だ。

 児玉選手に替わったマシンは、そんな気持ちの切り替わったピット内の想いを強くするように再び先行するマシンに追いすがる。2分17秒から18秒台をコンスタントに刻んでいく。補修のピットインから10周以上を過ぎてからも、巡航ペースを取り戻しているように見えた。ピットも平静をもどしたか。奥ではようやく弁当に手を着ける学生も見えた。


ピット

ピット

ピット

ピット
考えたくなかったルーティン以外での作業。だがこれも耐久レース。必死の修復作業により約20分で戦列復帰を果たす

 時刻は14時をまわり気温はさらに上昇。午前中、比較的過ごしやすかった鈴鹿は恒例の夏、鈴鹿の夏の様相へ。60周を過ぎて、古澤選手がふたたび交代のためにピットに戻り椅子に座ってモニターを眺めている。そろそろ2回目のルーティンが近づいてきたタイミングだった。

 モニターを見つめていた計測係、サインボードを出すピットウォールの学生の様子がおかしい。

「児玉選手がまだ通過していない!!!」

 ふたたびピットのなかの風が止まった。しばらくすると児玉選手がヘアピンコーナー先で止まっているという情報が入る。そして一瞬だけモニター映像にその様子が映った。コース脇に止まっているマシンとオフィシャルと話してる児玉選手の姿を。時刻は14時20分頃。しかし以降、詳しい情報は途絶えてしまう。

 どういう状況か? 原因は? 時間だけがいまいましいほど早く過ぎてゆく。ひとつ頼りの情報は、児玉選手がチームマシンを押してピットに向かっているとの一報。諦めていない。もっとも気温の上がる時間に、重くてトップブリッジが低くて押し辛いレースマシンを押し歩いている。起伏のあるサーキットのコースの脇を押している。鈴鹿8耐の風物詩のように言われることが、いま自分のチームで起きている。やるせかたなく狼狽する学生たち。出来る限りの受け入れ体勢がとられ、あとは祈るしかない現状。そこを肌で感じながら、さっきの児玉選手の言葉がよぎった。


ピット

ピット
モニターには止まったマシンが……詳しい状況が解らないまま不安な時間だけが無情に過ぎていく。

「後輩たちに、かっこ悪いところは見せられない」

 日陰のピットからでは想像もできないコース上。心のなかでしか送れないエール、祈り。暑く、長い沈黙の時だった。1時間近くたって、ピットレーンまで児玉選手が近づいているとの一報。学生たちが迎えに駆け出していく。児玉選手とチームマシンは帰還した。児玉選手は先の自身の言葉を精神力で実証していた。


ピット

ピット
児玉選手が止まったマシンを必死に押してピットに戻ってきてくれた。すぐにピットに入れて作業にかかるが。

 ヘルパー係に迎えられる児玉選手と同時にピットに入れられるマシン。すかさず原因の探査にとりかかる。学生たち、先生たち一丸の修復作業がふたたび開始された。

 しかし、しかし、だった。すみやかな修復が不可能なレベル。レース復帰できる状態ではなかったようだ。児玉選手から止まった時の状況も聞いていた阪田先生は大きく息をしてから言った。

「あきらめよう」

”えっ?” 阪田先生の言葉に、ピットのなかは無音になった。唖然、呆然の子がいる、顔をしかめる、おもわず天井を見つめる、目に手をあてる、しゃがみこむ、なにをいま耳にしたのかキョトンとしてる学生もいた。みんな反応さまざまだが、レースの、あまりにあっけない幕切れ。向き合った現実に表情のさまざま。先生たちも床を見つめたり、学生たちをおもんばかって視線をむけたり。

 マシンにシートがかけられる。この時になって、ためていた涙のこぼれる学生もいた。こういうシーンはテレビや劇画などで知ってはいた。しかしいざ眼の前にしてしまうと、慄然となりただ放心するばかり。無情と無常。前編で三宅くんは「8耐は日常では味わえない世界」と言った。これも言葉そのままに無常ということか。ピットの軒先のホームストレートを、健在しているマシンたちが何事もないように疾駆していく。苦しい光景だ。

 白上先生はみんなに集まるよう声をかけた。輪になったところで、無念を押し殺すように、つとめて冷静に状況とこれからを話した。

「みんな暑いところを今日は朝からお疲れさまでした。いま正式にオフィシャルにリタイヤ届けを出しました。レースなんでいろんな要素がある。今日はこれを結果として受け止めてください」

 8耐挑戦は学園の課外授業、クラブ活動の一環。その幕引きも顧問の先生の姿勢を崩さなかった。

「学校としては、レース活動の過程を通じて生きた教材になったと思います。でも今日の学生たちを見ていると、可哀想でこっちもホンマに口惜しくてですね。2年生は卒業してしまいますが、学園を巣立ってもまたどこかでやって欲しいと思います」長年顧問を続けてきた田崎勝三先生は、放心したような生徒の背中を思いやり、しみじみと語った。


ピット

ピット
苦渋の決断。マシンにシートがかけられた。その光景はリングにタオルが投げ入れられる瞬間を思わせた。 その後、白上先生からの状況説明と今後の予定が発表された。まだまだレースは中盤、しかし学生たちにはレースの喧噪は聞こえなかった。

ピット

ピット

ピット

ピット

ピット

ピット

ピット
Pos.55
No.28
Team.Team Honda Technical College
Type.H-CBR1000RR
1stRider.M.FURUSAWA
2ndRider.Y.KODAMA
Laps.67
TotalTime.3;03’40.118

公式リザルトにはこう刻まれた。
彼らの夏は、ここで時間が止まった。

 Teamホンダ学園 予選28位 決勝15時30分過ぎ 67周でマシントラブルのためリタイヤ。

 後片付けをしている三宅くんに近づく。にっこり笑ってお辞儀をする若いメカニック。笑っているけど口を開くと即座に目元がゆるんできた。
「みんないろんな想いがあると思いますが、素直に口惜しいです。今日はトップチームが転倒して終わったでしょ。ああなりたくないなあ、なって欲しくないと祈っていたのですが、ぼくらのバイクにもカバーがかけられた。ああ、ぼくらのレース、終わったんやなあと。どうしようもなく寂しくなりましてね。なにか、恥ずかしいけど口惜しくて涙が出てきまして」

 涙と笑い。泣き笑い。苦しいけど笑う。頬をつたう涙をぬぐう事なく三宅くん。言葉と涙が一緒に出る口惜しい。でも口惜しいを口惜しいままにしておいては、こころに澱を溜める。そこからの成長なのだろうか。

「今日のことは1年生全員にも見て欲しかった。この体験を無駄にしたくないです。ぼくらの8耐は終わりましたけど、次ぎにつなげなくてはと。なにか、ひとつでも自分とみんなのために活かしたい」

 少し間をおいて、白上先生に学生メカニックたちの成長とこれからについて尋ねた。


三宅君

三宅君
リーダー三宅君。最後の8耐は涙で終わった。しかし、その後はあの笑顔で未来を語ってくれた。

「我々が動けば、ついてきてくれる学生がいる。今年はとても元気があったと思います。三宅くんは狙ったところのリーダーでした。そしてレースというがんばっても”結果には結びつくことが難しい世界”があることをじゅうぶん理解してくれた学生たちだったと思います。では正直に、きちんとがんばって結果のだせるモノとはなにか。そこを学ぶ活動が彼らのこれからの仕事に結びついていってくれると信じています」

 2013年の二輪車整備同好会。学生メカニックたちの世界挑戦は行程半ばで終わった。学園CBRは19時30分まで唸ることはなかったけれど、ひとつ達成したことがある。

「ライダーさんたちに怪我がなくて本当によかった。これも目標にしてました」涙をふいて微笑んだ三宅くん。これこそ整備士としてメカニックとして腕を磨く根源の礎でなかろうか。学園創設者の本田宗一郎さんの言葉が浮かんだ。
『優れた技術者は人間的にも優れていなければならない』

 この志しを継ぐものたちの挑戦は、また新しき人に担われて来年の鈴鹿の空につながっている。そう思った。


*      *      *      *      *

●「8耐を振り返って」
8耐に参戦しての感想、感じたこと、反省点などを帰校後に書いていただきました。参戦前に書いた前編と、ぜひ読み比べててみてください。

「いい経験ができた」
自動車整備科2年 皆見祐介

  
完走出来ず残念だったが、とてもいい経験ができた。頭を使わず動いていたので、もう少し頭を使えるようにしたかった。


「コミュニケーションの大切さを学んだ」
自動車整備科2年 所 誠弥

  
決勝のゴールまでとてもしんどかったです。でもチェッカーが振られた時、世界耐久の8耐に参戦したことを強く実感出来、この同好会に参加して本当に良かったと感じました。作業に関しては、やはり動いているものを整備しているので、思いやりを持ってマシンに接することが大切だと感じました。8耐を通じてコミュニケーション能力の大切さを学びました。レースは一人でやるものじゃなく、チームで戦っているので、作業中の仲間への思いやり、声かけなど大切なことを学びました。ピットに来られた関係者の方々に大きな声であいさつが出来たので、今後も意識して続けて行きたいと思います。


「もっと変わらないと」
 自動車整備科2年 加角 亮

  
8耐が終わった後「ホンマに自分がメカ担当でよかったのか」と感じました。結果的には1回しかなかったルーティンでは自分がミスをしてしまい順位を下げてしまうことになり、悔しいし申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分が作業をしていても、集中出来ていなかった所や、人への接し方や言葉遣いも改善しようと試みましたが、結果としみれば全然出来ていませんでした。もっと変わらないとダメだと思います。これからは話し方や接し方、工具の持ち方、使い方、部品の置き方など責任感を持って集中して、授業でも確実に考えて作業します。


「多くの人の応援に感動」
 自動車整備科2年 梅林隆志

  
8耐ウィークに参加してすごくしんどかったです。決勝当日は短い時間でしたが、とてもよい体験が出来ました。リタイヤした後、「応援してましたよ。今回は残念だったね」等々声をかけてもらいました。自分が思っているより多くの人達に応援されていることにすごく感動しました。これに恥じないよう、考えて行動していきたいと思います。


「考えが甘かった」 
 一級自動車整備研究科3年 長谷圭祐

  
今の心境はくやしい気持ちでいっぱいです。「8耐ウイークになってからがんばればいいや」と思っていましたがすごく甘かったです。もっと前から頑張ればよかった、もっと前にあの作業をすればもっと上手にやれたと後悔しています。こんな思いはもうしたくないので、今後全力で取り組みたいと思います。
僕の担当はガスでした。自分のタイミングで打ち込んでもうまく入りませんでしたが、二人で話し合って声を出して息を合わせるとうまく入りました。周りと息を合わせ協力することがすごく大切な事だと思いました。来年こそ完走して、笑って終われる8耐にしたいです。


「来年のために何が出来るか」
 一級自動車整備研究科3年 宮下勇作

  
レース中は常に何かをしていたので楽しく充実していましたが、耐久レースは突然終わってしまうということが、本当に悔しくやるせない気持ちでいっぱいです。自分が成長できたと思う所は、自分は今何をしなければいけないかを考える力が付いてきた事です。それでもまだ何をしたらいいのか解らないことが多いことが反省点です。ガス担当で最初はできなかったことも多かったのですが、長谷君と工夫することでキレイに打ち込むことが出来るようになりました。
「来年の8耐のために何ができるか」を考え、1年生と話し合いをして、いろいろ決めることができました。それを実施して来年は完走できるようがんばりたいです。


「何をしたらいいか予測できるようになった」
 自動車整備科1年 前田 翼

  
ピットクルーになるとレースが見られると思っていましたが、状況が全然つかめずそれどころではありませんでした。リタイアして残念でしたが、タイム記録係としてはパソコンとモニターの行き来がなくなり、正直少しだけ気が楽になりました。ピットでは先輩の作業を奪ってやるという考えもでるようになりました。作業を見て次に何をしたらいいのか、何が必要なのかを予測することが出来るようになったのですが、外したタイヤをどうすればいいのか分からなかったことが反省点です。この経験を活かし、ますは8耐完走で、周りの人に胸を張って、「自分たちが整備した」と言いたいです。


「初めての鈴鹿8耐」 
 自動車整備科1年 三田村朋紀

  
8耐に参加したことはもちろん、実際に見に行くのも初めてでした。テレビでは見たことがありましたが行ってみると迫力が全然違うし、観客の多さにも驚きました。こんなにたくさんの人達が応援してくれているんだと思うと凄く緊張しましたが、それ以上に頑張ろうと思いました。僕はサインを担当しました。テストではたくさん失敗しましたが、決勝ではしっかり出来たと思います。レースウイーク中に、あいさつのことで注意されましたが、結果全員が大きな声で挨拶できるようになりました。この経験を学園生活にも活かしていきたいと思います。リタイアは残念でしたが、いい経験が出来てよかったです。


「見ている方が楽しいのですが」
 自動車整備科1年 伊豫田将也

  
初めて8耐に参戦して感じたのは、率直に言って観客として見ている方が楽しいなということです。見ているだけならば、どんな結果でもくやしい思いをすることもなく、何も考えなかったでしょう。楽しい思いで終われなかった8耐は初めてでした。でも嫌な思いは全くありません。来年はさらなる上にいけるよう仲間たちと頑張ります。自分はヘルパー担当で、今までやったことのない作業で、人見知りするので難しいと思いました。実際にライダーさんから注意されたり、迷惑をかけてしまったりしました。その度、自分で対策を考えましたが、それが正しかったのか解りません。でも、8耐に参加して周りを見て行動できるようになったと思うし、ライダーさんともコミュニケーションを取れるようになったので、そこは成長できた点かなと思います。これからは周りの人達から同好会の活動を応援して頂けるように取り組んでいきたいと思います。


「来年のために今から練習を」
 自動車整備科1年 高橋伸明

  
今年の8耐は約4時間でリタイヤでした。その前の転倒した時、2年生の整備修復のスピードが早くとても感動したが、私達1年生は何をやっていいのか解らず、行動できなくてとても悔しかった。なので、先輩たちの良い所を受け継ぎ、技術面では何度も同じ部品の付け外しの練習を今から始めて来年転倒してもとまどいなく自信を持って整備が出来るように、たくさんのことを学んでいきたい。挨拶などみんなの見本になれるように頑張りたい。


「段取りが悪かった」
 自動車整備科2年 新 隆弘

  
完走出来なかったことがとても残念です。自分で考えて動くことが出来ず、時間を見て動いたつもりでしたが、それも出来ていませんでした。全体的に段取りが悪かったと思います。


『思いやりの大切さを実感しました』 
 自動車整備科2年 三宅束穂

 まずはじめに、応援してくれた人、先生、スポンサーのみなさん、ありがとうございました。僕としては学べたことがとても多くて、人としてメカニックとしてちょっとでも成長できたんじゃないかなあと思ってます。レースの結果としてはとても残念な終わり方になってしまいましたが結果は結果で変わらないのでそれを受け止めて、次にどう活かすかを考えていきたいです。

 本当の願いで言えば8時間を走りきって、みんなで喜び合いたかったです。決勝開始4時間でリタイアになった時、動かないマシンを見た時、急に涙が出てきて、けれどリーダーとしての仕事は残っていたのでトラックの近くで泣いてすぐに涙をぬぐってみんなの所に戻り、指示を出したり、やらないといけないことをしたりしました。
 そして先生からちょっと休憩しようと言われて休憩になった時、すぐに涙が出てきて泣いてしまいました。それだけ自分はこの8耐の活動に真剣に取り組み本気で活動していたんだなあって初めて実感しました。その時、この同好会をやっていてよかったなあって思いました。

 リーダーとして力不足だったんじゃないかなあって思います。もっとみんなと向き合えたんじゃないか? もっとみんなの元気を引き出せたのではないかって考えます。けど僕としてはみんなの前で絶対に気を抜かずに、元気よく、大きな声を出して行動できていたと思います。
 僕も本音を言えば、暑くてしんどかったし、メンタル面だってよくはありませんでした。けど会長としてリーダーとして「みんなを引っぱっていかないと」っていう気持ちのほうが大きかったので最後までがんばれたんだと思います。
 テンションが低い時に気持ちを高める方法、仲間のテンションややる気を上げる方法、自分の考えをうまく伝える方法、いろんなことを学びました。小さい頃からのことはみんな知っていると思いますが、実感や痛感するタイミングは人それぞれ違うと思います。
 僕はこの8耐で「思いやりの大切さ」を実感しました。そして思いやりを持って人にマシンに接すれば答えてくれるということも解りました。この活動を通じて感じたことは成長できたことはきっと将来にもなんらかの糧となってまた自分を成長させてくれると信じています。

 今後の学園生活で8耐で学んだことをどんどん活用して、自分が他の人を変えるつもりで元気で明るく思いやりをもって日々の学園生活を過ごしていきたいと思っています。そして同好会活動では、1年生たちに僕たちの学んで解ったこと、改善しないといけないことを伝えてひとつでも多くのことをチームとして個人として活かせされたらいいなと思います。
 そして先生たちの負担を少しでも軽くできるように僕たち2年生が1年生にしっかりと色んなことを引き継いでいきます。僕は気を抜かず、リーダーとしてみんなをまとめられるように毎日の同好会活動をしていきます。


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