MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

川海苔事件 後編

 そして翌日、朝早く編集部に集合するとホヤ坊は気を利かせて私の為にアルティシアをヤマハさんから借りてくれていました。が、400ccのオフ車は私には少し面倒なくらい大きすぎるのです。大きなバイクだと車重もあり、しかも車高も高いので、ちょくちょく止まっては撮影する林道取材では取り回しが面倒なのです。
 250ccクラスならまだ何とかなるのですが「400ccは大きくて嫌だなー」とぶつぶつ言っていると、ひかるはのんきに「エトーさん、大丈夫っすよー。なんかあったら、オレのバイクと交換してあげますから。へへへへへへっ」といつものように、軽口をたたくもんですから一層不安がよぎります。

 編集部を出発してから「多摩川沿いに走って行くらしいのでそんなにへんな道は走らないだろう。大丈夫だ。安心しろ」と自分に何度も何度も言い聞かせて走ります。さすが天下のヤマハ製、少し走ると大きな車体にも慣れてきます。段々慣れてくると、ちょっと調子に乗ってきて車体を左右に振ったりします。そうです、そういうときに事件は起きるのです。

 突然、信哉さんは小さな川を渡りました。イヤーな予感がするのですが渡らなければ前に進めません。どうも信哉さんは、いつも来ていつも渡っていて慣れているようで、何気なくさっさと渡りきったのです。見た目は深そうではなく、前を行くホヤ坊も問題なく渡りましたので続けて入ると、いきなりズルッとハンドルを取られるじゃないですか。しかもどう見ても深い。どうやらみんなとは違うラインを通ってしまったようです。
 ここで転んでしまうとカメラが水没して仕事ができなくなってしまいます。今日は写るんですも持って来ていないし(当たり前です。前号でお話した写るんです事件はこの約半年後です)。目玉が飛び出しそうになりながら必死にバレリーナのマドンナのごとく力一杯足をピーンと伸ばせるだけ伸ばし、なんとか岩の上に届きました。




1994年5月号
FRCにはありがちなワンカットです。ですが、携帯もそれほどメジャーではなかった当時(あったとしても、当時こんな山の中じゃ確実に圏外です)、どうやって連絡をとりあってこういうカットを撮ったのか。あの頃は撮られる側と撮る側のあうんの呼吸があったんです。それが当たり前でした。

 「誰かーーー、助けてー、ヤバいよーー!!! 転ぶとカメラがダメになって撮影できなくなりますーーよぉ〜」と必死に叫びました。
 必死の形相で助けを求めているのに、前方では信哉さんとホヤ坊が大笑いしています。後ろからはひかるのバカ笑いが聞こえます。私が芸人なら百点満点の演技ですが、ご存知のように私はカメラマンです。笑われてムッとすることはあっても、喜ぶことはありません。ステレオ音声でひとしきり大笑いされた後、屈辱的ながら大笑いしているひかるに助けてもらってなんとか川から脱出できまし。しかし、二度も三度も大笑いされるのは嫌なので、さっさとひかるにバイクを交換してもらいました。
 バイクを替えたおかげか、この後は楽になって調子良く走り、無事現地に到着しました。と、思っていましたが、改めて記事を読み返すと、このあと2回も転がったみたいです。でもまったく覚えていません。一回目の印象があまりに強烈すぎると、その後のことは忘れてしまうみたいです。

 現地に到着してさっそく撮影の準備にとりかかります。
「この川のどの辺りに川海苔が生えているんですか?」と尋ねると、信哉さんは目を波目にして凄く嬉しそうにおもむろに上着のポッケからチラッと江戸むらさきの瓶を見せました。江戸むらさき?? するとこんどはドスの利いた低い声で私の耳元にささやくように言いました。
「いいかエトー、ぜってー笑うなよ。ネタがバレたらつまんねーからな」
 ああ、なるほど、そういうことなんですか。ホヤ坊は絵に描いたような純真無垢だから、絶対に信じちゃうだろうなーぁと思うと、どうしようもなく笑いがこみ上げてきます。我慢をしたらよけいにおもしろくなってしまい、しまいにはお腹が痛くなってきました。

 撮影ポイントをロケハンするということにして、信哉さんと2人で川海苔があるはずの場所を探します。よーし、ここがいいだろうと、いかにもそれらしい所にまずは山形屋の焼き海苔を水に浸して溶かして貼り付けます。さらに別の場所には江戸むらさき。

「おーい! ここにあるぞーー! みつけたぞー!!!」

 かなり無理な姿勢になって、思いっきり伸ばした指を岩の割れ目に入れて、黒い物体を見つけて指に付けたホヤ坊は「あっ、川海苔だ。本当にあるんだー」そう言うと疑うどころか、本当に嬉しそうに指に付けてペロッ。

「おーっっ! ホンモノだっ! 本当に海苔の味がする! すっげーっっっっっっっっっっっっっっっ!!」と、これ以上はないというキラキラした満面の笑顔でカメラを見ます。ファインダー越しだと、さらにおもしろくて、こちらがおかしくなりそうです。必死に笑いをこらえて耐えたのですが、おかしくておかしくて肩が上下するのでシャッターが押せません。
「こっちにもっと、うめーのがあるぞ!」信哉さんが叫びます。
「うめー! うめー! すっげーっ!! 信哉さん、こんなのがあるんだー。江戸むらさきみたいじゃん!」
 ホヤ坊、それ本物の江戸むらさきだよー……と思いながら必死で笑いをこらえて撮影していると、すぐ調子に乗るひかるも「ほんとーだー。おいしーなー。田舎で、むかし食べたのとおんなじ味だー」と口裏を合わせるので、どうしようもなく笑いがこみ上げながらも、なんとか撮影しました。


1994年5月号
一見するとやらせカットに見えるほどホヤ坊が感動しています。でもこれはやらせではありません。人間信じ切ると、こういう素敵な笑顔がおのずと出てしまうのです。

 もうそろそろだまされた事に気づいて「信哉さんだましたでしょー」と言い出すのかと思いきや、星 飛雄馬のごとく感動し続けちゃって、まだまだ「スッゲー、スッゲー」を連発しているではないですか。しかも自主的に獲物を追うオオカミの様に、あちこちの岩場を探し回っているんです。
 ホヤ坊、どこ探してももうないもうんだよ、それはすべて信哉さんが塗った江戸むらさきなんだよ。
 “おもしろてやがて悲しき鵜飼いかな……”
 純真無垢無垢過ぎるホヤ坊を見ていると、小心者の私は、このままだまし続けていいのか、罰があたるんじゃないかと心に痛みを感じつつも黙っていました。


1994年5月号
一心不乱に新たな川海苔を探すホヤ坊と、それを見て笑う大人たち。本当に楽しめたのはどっちだったのか。今でも答えを出せない未熟な私です。

 翌日編集部に写真の上がりをチェックしに行くと、ホヤ坊は未だ興奮冷めやまず確変状態、フラグ立ちっぱなしの継続中でした。近所の食堂のおじさんや他の編集部員にも自慢げに川海苔は江戸むらさきの味がすると吹聴しまくっていたそうです。
 さすがに、このままじゃまずいと思ったのですが、信哉さんの原稿をチェックすればタネあかしと黙っていたのです。しかし話を聞くと、なんとまあ本が出るまで信哉さんの原稿を読む事ができないと言うではないですか。さすが信哉さん、やることが徹底している……はしゃぎ続ける純情なボクちゃんをこれ以上だまし続けることは、どうしても出来なくなってしまい、ホヤ坊の後ろで信哉さんが江戸むらさきの瓶を持っているベタ焼きのコマをダーマで指して、この写真をよく見てみなさい的に拡大ルーペと共に差し出しました。

 タネ明かしの写真を見ても、ホヤ坊は「だから?」という感じで、まったく驚かないのです。私は心底恐くなってしまいました(なにせ正真正銘の小心者ですから)。これはマズイ。信じきっている。洗脳された世界から呼び戻さなければ。かくかく山形屋と江戸むらさきがしかじかと、ついにネタばらしをしてしまいました。

 
 ぽかんとしていた純情なホヤ坊ですが、川海苔の正体を理解すると、みるみるうちにそれは見事に真っ赤な顔になって、激しく怒鳴りました。
「たくよー、ひでーじゃねっすかー!、だましやがったなー、このくそオヤジどもがーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた、後にそう証言する某編集部員もいたとか、いないとか。
 ネタばらしをしてしまったので、記事の文末に「……くそ、エトーのおしゃべりめ!」と信哉さんに書かれてしまいました。それはしょうがないのですが、この一件で純情なホヤ坊が「大人はきたねえ、社会は汚れている、いつだってそうさ」とやさぐれホヤ暴になってしまうのが一番の心配でした。
 ところがそれは杞憂にすぎなかったのです。大きな海に浄化作用があるように、川海苔事件のことなどすっかり忘れて完全浄化された純情ホヤ坊は、1年後再び「赤ホタル事件」でダマされ、大人達の汚いワナに翻弄トイトイされるのです。が、このとき私は同行していないので、共犯者ではありませんでした。


1994年5月号
どんな記事だったのかもう一度読んでみたい人はは古本屋へGOだ。でもたぶんかなり探さないと見つからないと思う。

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衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

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●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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