MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

第23回「三途の川で漬け物石の刑」

 ファイヤーロードでは、結構いろんな所に行っているのですが、ほとんどが信哉さんと2人なので止まって撮影する時以外はコケないよう黙々とついて行くのが精一杯です。ゆっくり景色を見て和んだことなどほぼないのです(ないことはないのですが、あまりに数少ないので思い出せません)。

 
 毎回この原稿を書くために、編集部からファイヤーロードの記事を送ってもらうのですが、見ても読んでも全く思い出せないネタがほとんどです。やはりふたりの時よりも、ゲストが来たときのほうが色々とハプニングがあり何かしら覚えているものです。



94/10FRC
たくさんゲストがいた回の方がいろいろと思い出すかもと、ゲストの多い回のネタをエトーさんにお送りしたところ「これはぜんぜん憶えてないなあ……」と。世の中なかなかうまくいきません。

 
 今回のお話は、初めて近藤編集長が現場視察【注1】とファイヤーロード体験でゲスト参加したときのお話です。

 
 いつものように信哉さんから電話がありました。
「エトー、今度のファイヤーロードな、近藤健二【注2】も一緒に行くから」
「え? 近藤編集長も? で、どこ行くんですか?」
「おう、前々から言ってた水無川行くぞ」
「はあ、どこでしたっけ? 水が干上がったと言うか、川の下を川が流れているとかいないとか」
 人の話をテキトーに聞く悪い癖のある私ですから、前に言われたと言われてもさっぱり思い出せません。

 
「覚えてねーか? 東北道走ってる時、よく話しただろ。簡単に言えば水のない川を上流に上って行くだけだ。水が地下に潜り出すところを見に行くぞ。まっ、行けば解る」

 
 なーんだ、水のない川を上るだけなのか。簡単じゃん。曲がり角もないから転倒することもないだろうし。楽勝、楽勝と思いましたが、小心者で有名な私ですから、プロカメラマンとして不安になりました。そんなところを走ってはたして絵になるのか? ページを組めるのか? と。


※注1)
2人は真面目に仕事をしているのか、支払ったギャラは適正なのかという調査、なのかどうかは解りません。そもそもなんでこんな経緯になったのかも解りません。きっと近藤さんのことだから、信哉さんと酒を飲んでいるときに、いつものように気が大きくなり、勢いで「ファイヤーロードなんてたいしたことねーよ」的な暴言を放ち、カチンとスイッチの入った信哉さんに「んじゃ、近藤さん! 今度一緒に行こうよ!!!」と、こんなやり取りがあったかどうかは知りません。が、こんなところでしょう。

※注2)
信哉さんは近藤編集長を「コンドーさん」「近藤健二」と呼び分けます。自分が優位な立場にいる場合は「近藤健二」とフルネームで呼び捨て。それ以外は「コンドーさん」のようです。が、そうでない場合も多々あり、これも実はよく解りません。後生の歴史研究家の解明に委ねます。


 
「俺と近藤健二はTLMで、お前は自前のDT200でいいだろ?」
「はあ、まあ、いいッスよ」

 
 なぜいつものようにオフ車ではなく、トライアラーのTLMなのか? 私は全く考えませんでした。その結果、恐ろしい一日(いや、地獄と言ってもいいでしょう。そして、この川こそ三途の川に一番近い川であると悟りました)を迎えることになるのです。

 
「今回はバイクを下流まで積んで行って、帰りは上流でトランポに乗っける算段だ。機材あんまり持ってくんなよ。じゃあな、覚悟しておけよ。」と電話が切られました。

 
 覚悟しておけと言われましたが、事の重大さに気がついていませんでした。

 
 当日はハイエースでスタート地点の下流に到着。バイクを降ろし、機材の準備をします。辺りは一面砂。見た目は普通の細かい砂利道なので軽快に走れそうです。信哉さんは「覚悟しておけ」なんて言いましたが、楽しい取材になりそうな道が遠くまで続いているだけです。再びプロカメラマンの本能が「どうなんだろ、これって。絵的に大丈夫か?」と心配するだけでした。



1990年11月号表紙
今回のお話は1990年11月号から。巻頭特集は「革ジャン」で、これもちゃんとエトさんの撮影です。

 
 この先、川を上って行くとどのように地形が変化していくか、どんな恐ろしい地獄が待ち受けているかなど、微塵も予想していない大バカものだったのです。近藤さんも同じでしょう。たかが河原じゃないかと……

  
 近藤さんはいつものアヒルのヘルメット【注3】で登場です。ちょっと緊張している様子ですが、写真を撮られるからなのか、気を使ってか、いつもとはなにか違うおしゃれさんな服装です。

 
「さあ出発しますよ、近藤さん。信哉さんはもう行っちゃいましたよ」
「エトー、そんなに急かすなよ。ゆっくり、準備運動をして、それから行くもんだろ。美千代【注4】も心配してたし。なっ、なっ」言っていることは正しいのですが、イラッとしたのはなぜでしょう?


※注3)
下の記事のトビラページにちょこっと写っているヘルメットです。なんでバイクも持ってない人が、こんなかわいいヘルメットを持っているのでしょう。そろそろいらなくなったでしょうから私に頂けませんでしょうか? 欲しいなー。田舎だと凄く受けるんだけどなー。道行くカワイ子ちゃんに「きゃー、かわいい」なんて言われちゃって、でれでれしたいのでぜひともください。

※注4)
 美千代とは近藤さんの奥様。もの凄くさっぱりした女性です。お酒を飲むといつも「エトー」と呼び捨てにされました。が、別に恨んではいません。お二人が若い頃に(結婚前だったかどうかは知らない)伊豆白浜の先の人気のない海水浴場そばの旅館に泊まった話を聞かされました。内容は……え〜っと、あまりに……で、よく憶えていない(ことにしておきます)。また、これも酔っ払った近藤さんが言ってましたが、寝るときは仲良く手をつなぐそうです。今もきっとつないでいるのでしょう。とても仲の良い夫婦であります。


 
 やっぱり今回は楽勝だと、最初は軽快に進んでいました。それが不思議なことに、少しずつ、ほんとに少しずつなのですが進むにつれてハンドルが微妙に重くなっているように感じたのです。軽快に走ろうとするのですが、思い通りハンドルが扱えなくなっていくのです。近藤さんは早くも休憩したいとわめくので(ほとんどギブアップ状態)一服することにしました。

 
 そこでやっと気がつきました。河原の砂利が徐々に大きくなってきたことに。もうかわいい砂利サイズではなく、夏みかんサイズがゴロゴロころがっているのです。

 
「さっきより石が大きくなってないですか?」

 
 信哉さんに尋ねるとなにを今更という顔で言いました。「おめー、小学校の理科の教科書に書いてあったこと覚えてっか? 石は下流のほうが小さくて丸い。上流に行くと、石とは呼ばないのだ。岩だ!! 岩っ!! と呼ぶのだ」

 
 あっ! その言葉に近藤さんと私は力が抜けてしまいました。小学生でも知っている常識に気が回らなかったのです。楽勝なんて思った自分の浅はかさをなげいても後の祭り。

 
「と言うことは……この先もっと、もっと大きくなるんですね?」
「おう、しかも、角が少しずつついてくっからよ。スピード出したりすると怪我するぞ。慎重にいけよ。ぶつけたら痛てーぞ。骨折するかもな」

 
「シンヤよぉ、もうさ、このくらいにしてさ、ここら辺りでチョコちょこっと背景替えてさ、撮影しておわりにしねーか? なっ、なっ、なっ」

 
「近藤健二さん、まだ始まったばかりですよ。こんなところで帰すわけにはいかないよ。おう、武藤【注5】さんよ」



1990年11月号FRC


1990年11月号FRC

 
 武藤さん?? 信哉さん不思議なことを言ってるよ……いつから近藤さんは武藤さんになったんですか。何ともないふりをしているけれど、もしかして信哉さんも名前を間違えるくらい疲れているんじゃ? と、あらぬことを考えましたが、たかだか15分でそんなはずもありません。


※注5)
近藤さんのペンネームという事が後日解かりました。その昔、このペンネームで単行本を書いていたらしいです。Amazonで検索したら、未だに中古本が250円くらいで買えることがわかりました。が、もちろん買いませんでした。


 
「今でも十分凄いのに、この先スピードなんて出せるわけないですよ。それどころか、どこを走ればいいのかも解りません」
「おう、エトー。走り方はだな、近くを見ないでちょこっと先を見てだな、石の上を走ろうとせず、石と石の間を柳のように力を入れず流れにまかせてな。んで、すぐに足元を見る。この繰り返しだ。でもこの先は、もう岩だらけだけどな」なんて大笑いしています。近藤さんと私は、さらにずんっと暗くなってしまいました。

 
「こんなところを走るの解っててなんで、私だけDTなんですか? この先はもう無理でしょ……」
「しょうがねーだろ、TLM2台しかなかったんだから。大丈夫だよ、エトーは背がでかいし、足つくじゃん」
「えー! そんな理由なんすか!!」
 今更、文句を言ってもどうにもならないし、出発したばっかりで写真もろくに撮ってないから帰るわけにもいきません。とりあえずいつリタイヤになってもいいように、いつもより多めに多めに撮ることを心に決めました。

 
 先を見る限り一面グレーなので地面の起伏があるように見えないのですが、ほんの2〜3メートル先を見ると、ゴツゴツゴロゴロ状態で、一気に現実に戻され憂鬱になります。

 
 休憩を終えていやいや走り出す2人とは対照的に、信哉さんは何事もないようにスイスイと進んで行きます。ちょっと前は少しだけ大きい感じだったのに、10分走ると(実際はゆっくり石と石の間を舐める様にナメクジのごとく、タイヤが進む方向に逆らわず流されていたのですが)漬物石くらいの大きさになっていました。

 
 近藤さんの転倒シーンを撮って、それで見開きページをやろうと思ったのですが、下ばっかり見ていたので撮影ポイントを探すどころではありません。自分が転ばないだけで一杯一杯です。
 しかも近藤さんは「なあ、信哉ーぁ。もう限界だよーぅ。先に行ってくれ。後からついて行くから。なっ、なっ、なっ」とまるで戦場で負傷して動けない兵士状態。そんな近藤さんを「頑張りましょう。もう少しです」と励ましながら、本心は「あんたがここで止まってしまうと仕事にならないんだよ。さあ、とっとと走れ!」と悪カメラマンエトーが心の中でつぶやいていました。

 
 半分来たかどうかも解らないあたりで一回り大きいものが混じり始めました。明らかに石というより岩……ゴールはまだか、まだなのか、それを知っているのは信哉さんだけです。ゴールの見えない拷問ツーリング、まさに漬物石の刑じゃないかと余計な事を考えて気を抜いた瞬間、とうとうコケました。注意して頑張って来たのに、とうとうやってしまいました。
 コケると言うより、足が付かずにバイクを放り出すように尻餅をついたのです。もしこんな尖った石だらけの場所で普通にコケていたら、多分骨折していたんじゃないかと……誌面に掲載された信哉さん手描きの地図には「少し大げさにピノキオの様に転んだ」とコミカルに書いてありますが、これは信哉さんの優しさです。



1990年11月号FRC


1990年11月号FRC


1990年11月号FRC


1990年11月号FRC
これがその記事です。写真のネガは残念ながら発見できませんでした。この誌面からだけでもいかに過酷な現場だったかが伝わってきます。

 
 上流に近づくと漬物石どころではなく、なんと言えばいいのか例え様のない世界になってきました。強いて言えばお土産【注6】に持って帰ることが出来ないサイズの漬物石サイズです。家庭用ではなく、100キロ単位の漬け物を漬ける直径50cmくらいの業務用漬け物石(そんなものがあるのかどうかは知りませんが)がゴロゴロごろごろ五六五六。


※注6)
小学生の頃、少年エトーは河原へ遠足に行きました。そしてこころ優しいエトー少年は母へのお土産に石を持って帰ったのです。当然行きよりナップサックが重くて泣きそうになりましたが、途中で放棄することなく家まで持って帰りました。今でもどこかにあるんじゃないでしょうか。ちなみに大人になってからも、釜山旅行で懲りずに重い石鍋を2個お土産にしました。せっかく持って帰ったのに使い方を間違えて半分に割れてしまいました。それは庭で植木鉢になっています。そういえば、私が最初に入った事務所は石E事務所、このコーナーによく登場していただく担当編集も石Eさんです。私は石に縁があるようです。


 
 いつもファイヤーロードの取材はズックいやスニーカーです。オフロードブーツなど履いたことない、と言いますかそもそも持っていません。信哉さんは持っていると思いますが、取材に履いてきたことはありません。しかし、もうこの辺からはバイクで岩の間をすり抜ける時、足を岩の間に挟まないよう注意しないと、小指がつぶされてしまうかもしれません。それぐらいの大漬け物石だらけなのです。

 
 突然右手に高い塀のようなものが見えてきました。業界で長年メシを食っている近藤さんは来た事があるようで、ブリヂストンのテストコースだと言いました。ニュータイヤのテストやってるかも、俺見たことあるんだなどと自慢げに言うものですから「おう、じゃ、せっかくだからちょこっと見に行こうぜ。なんか面白いこと有るかも知れねーぞ」と信哉さんは壁に向かって走り出そうとしました。近藤さんが「そんなスパイ【注7】みたいなことをしたら、えらいことになるからやめてくれ〜」疲れきっている身体の底から絞り出し、死にそうな顔で叫びました。ニッと笑って振り返る信哉さん、無論、最初から行く気など無かったようです。


※注7)
スパイといえば「富士スピードウエイで某社のテストをやるようだからスクープ撮ってこい」と言われ、汚い布切れをかぶってスタンドの陰から撮影し、それだけじゃ物足りなくなってスパイ気分でパドックにまで入り込んで撮影したこともあったような……浜松の山の中の某コースは、高い塀の隙間から撮影できるらしいとの情報が入り、スクープしようとしたら監視カメラでしっかり見られていたようでコース職員に追いかけられたこともあったような……その時はたまたまカメラを持たず偵察に行っただけだったので、山菜獲りのふりをしてなんとか誤摩化したこともあるような……


 
 その先をどんどん進んでも川の終わりというか水のある場所にたどり着きません。地図を改めて見れば「エトーこのへんで続けてひっくり返った」とあるのですが、そんな記憶はまったくありません。たぶんコケまくったんだと思いますが、行けども行けども岩だらけ、そんなことしか憶えてないのです。

  
 先を行く信哉さんが、グリコのマークのように手を広げ左右に振り大きな声で叫びました。仮面ライダー1号の変身ポーズの最初の様に手を横にそろえて何かを指しています。

 
 何ですか? その指の先をよーく見ると、黒いものがチラッと見えました。早く見たいのですが岩の間をゆっくりエンジンの力を借りてバイクを押しているようなもので歩いているほうが間違いなく早いんです。でも、バイクをぶん投げて歩くわけにもいかず、そろそろと進み、15mくらいに近づいた時に黒いものの正体が分かりました。

 
 やっとゴールです。これで、三途の川から、漬け物石から開放されるのです。わーい、恩赦だ、恩赦だ。そう思ったのもつかの間、小心者カメラマンのエトーが叫びます。「ほとんど石か岩しか撮れてないんじゃないの? 編集部に帰ってから『エトー、岩の写真しかないじゃん! なんとかするのがプロだろ』とか言われちゃうよ……」

 
「近藤さん、川の中を軽快に走っている写真撮りましょう!」

 
 疲れ果てていやがる近藤さんをなだめ、なんとか撮りました。誌面ではさっそうと走っているように見えますが、本当はゆっくり走っているのをスローシャッターを切ってごまかしているのです。何回か撮影しているうち、そこそこ走れるようになり、調子に乗った近藤さんはコケそうになりました。おっ! と期待したのですが、ぐっと踏ん張ってコケませんでした。残念。

 
 なんとか撮影も終わり、ぼろぼろヘロヘロになって河原から脱出すると、お迎えの白いハイエースが待っていました。その姿は天から光が差し込んでいる天使のお迎えに見えました。もう少しで本当の天国に行くところでしたが。

 
 こんなに辛いツーリングなのに信哉さんはケロっとした顔で言いました。

 
「こんなところはよ、最初に言った様に、風に流される柳のように走れば、何ンてことないんだよ」

 
 もう私には関係のないことです。だって二度と来るものか、振り返るのも嫌だと全身で思ったのですから。
 しかし、この何年か後、信哉さんは再びホヤ坊と走ったのです。しかも往復で……やはり信哉さんはバケモノです。


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

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●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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