MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代に、メインカメラとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。聞きたくないですか。

第27回「いや〜〜〜困ったなぁ〜〜まいったな〜ぁ」は無敵のライセンス。

 「伊勢ひかるで〜〜〜す。よろしくで〜〜す」

 
 かるーくてチャラい挨拶と共にI事務所に若者が入ってきました。まだ私がカメラマンになって数ヶ月くらいのことでした。
 今回の主人公は伊勢ひかる(たぶん問題ないので実名です)。ミスター・バイクを編集していた東京エディターズの社カメ(フリーカメラマンの対極になる社員カメラマンの略。サラリーマンなのでどんだけ写真を撮らされても給料は変わらないが、反面仕事が少ないときも収入は安定している)候補生で、私の所属していたI事務所へ修行に出されたようです(I事務所のI社長は、元東京エディターズ社員。両事務所は兄弟のようなものでした)。

  
 ひかるは東北のりんご農家の長男坊。温和な性格でいつもニコニコ、怒った顔は見たことがありません。たいして困っても参ってもいない顔で「いや〜〜〜困ったなぁ〜〜まいったな〜ぁ」は彼の代名詞でした。
 例えば友達が買ったばかりのバイクを「ちょこっと試乗させて」と走り出したとたんコカしたり、渋谷のスクランブル交差点の真ん中で広報車を転がしたりと、四六時中小さな転倒はしていましたが、不思議と大きな怪我をするような転倒や事故はありませんでした。
 それはともかく、転んでも、ミスしても本人は全く悪気がない=不可抗力だからしょうがないと考えているようで「いや〜〜〜困ったなぁ〜〜まいったな〜ぁ」と、何かしでかすと毎度毎度ニコニコ顔でした。その顔を見ていると誰も怒る気がしなくなるので、無茶苦茶怖かった東京エディターズ創業者のボス(第15話参照)でさえ、「あいつはよぅ、しょうがねぇよな」(苦笑)とさじを投げた治外法権状態でした。これはある種、人徳というか、特技と言っても過言ではないでしょう。



1985年8月号表紙
どこかの林道取材中、突然足が痙ったエトさんの、まさに足を引っ張る伊勢ひかる。この嬉しそうな顔。ザキヤマがカンニング竹山に絡むかのごとく、エトさんに絡むときはニコニコのマシマシでした。

  
 が、明らかに悪意を剥き出し、おちょくったり挑発したりして私を怒らせることが度々ありました。「何故、君はそんなことをするのか?」と酒の席で問い正すと「だって〜〜〜、エトさん怒らせると、ものすごく興奮して『なななななっ!』ってなるでしょ。あれ面白いんですよ〜〜。イイ男だから顔見てると余計に。あははは」と、ニコニコ顔をキラキラさせて言うじゃないですか……その時、私は「なななななななななななっっっ!」と「じぇ」どころではない絶句と共に、ある広告が脳裡にフィードバックしました。

 

『ど○り、対人恐怖症直せます』

 
 以来、まあるい緑の山手線の窓ガラスに貼ってあったあの広告を見るたび胸が痛み、マジで通おうかと思い悩んだものです。よい子のみなさん、何気ない言動(ひかるの場合は100%故意ですが)が、他人を深く傷つけてしまうこともあるのです。気をつけましょうね。

 
 こんなこともありました。捨てようとしたボロボロの靴を「まだ、ぜんぜん履けるじゃないですか!!」と持って行き、しばらくしたある日、珍しく真顔で言いました。
「エトさん! 水虫がうつったじゃないですか。どうしてくれるんですか」と。ほとんど当たり屋です。しかも私は水虫じゃないし……

  
 多々問題はありますが、最大の問題はデビュー当時のRC211Vを彷彿とさせる向かうところ敵なし状態の歯止めがない酒好きということです。昼間会社では呑まない(呑めない)のですが、夕方が近づくとパックの日本酒を紙袋に隠しストローでちゅーちゅーすすっていました。気づかれていないつもりか、問い詰められると「今日はまだぜんぜん呑んでないですよ〜〜〜」とニコニコ顔で言いますが、酒臭いのでバレバレ。さらに問い詰めると「ほんとに呑んでないですって〜〜まだ半分くらいしか」と……おまえは子供か! いや、子供なら、お酒を呑みません(呑めません)ね。



1985年8月号表紙
今回のお話は1985年8月号から。巻頭特集では忠さんがメシ喰いまくって、素っ裸で風呂に入って、テレビにも出演しています。何の特集だか解る人は激読者ちゃんです。

 
 何かの試乗会で常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアン)に泊まったときのこと、お調子者のひかるはべろべろに酔って「パンツ脱がせゲーム」を始めました(どんなゲームかは想像におまかせします)。あまりにうっとおしいので、終いにはみんなにパンツ(ブリーフ・グンゼ製・白)を脱がされ、冷蔵庫に隠されてしまいました。
「いや〜〜〜困ったなぁ〜〜まいったな〜ぁ。パンツどこいったんだろ」と、うろうろしていたのですが、そのうち疲れ果てて寝てしまいました。やっと静かになったと思ったら、今度はいびきがうるさくて寝られません。しょうがないので部屋から布団ごと廊下にかつぎだして放りだしておきました。
 翌朝、上半身Tシャツ、下半身すっぽんぽんのセクシー姿で寝ている脇を通る一般客の笑い声で目覚めたようです。それでも怒ることなく「いや〜〜〜びっくりした〜〜。気がついたら廊下で寝てたんですよ。いつ出て行ったのかな〜。パンツどこ行ったんだろ?」とニコニコ戻ってきました。パンツは冷蔵庫だと教えたのですが、すでに冷蔵庫は清算のために自動ロックされていました。これから試乗会が始まるのに、そのあと東京まで帰るのに、一向に困ったふうでもなく「いや〜〜〜困ったなぁ〜〜まいったな〜ぁ。まっ、いいか」とやっぱりニコニコしていました。フロントに連絡すれば、開けてもらえただろうに……ちなみにひかるは、どこへ行くにも毛玉だらけのスエット上下。ノーパンだと……妙にもっこりくっきりで……あとはご想像にお任せします。



1985年8月号


1985年8月号
同号に掲載された、転倒した後バイクが自立して走り去る決定的瞬間もエトさん撮影。「でもさー、たまたま撮れただけだから、このコラムのネタにはならないなあ」とのことでした。残念!

 
 まだまだエピソードは尽きませんが(第22回の注4参照)、前置きが長くなりすぎました。これからが本題です。

 
「エトー、今月のお仕事なんだけどさー」いつものようにI井さんからお電話がありました。
「バイクと自動車の事故写真撮りたいわけ。いいアイデアない?」
「どういうことですか?」
「事故になるまでの連続分解写真【※注1】をな、撮りたいわけ」
「実際にぶつけるんですか?」
「んなわけねえだろ。そんなことしたらバイクと車何台あっても足りないわけ。だから、コマごとに止めて撮影するしかないわけ」(これは「やらせ」とは異なります。もっとも当時第25話で書いたように、やらせって何? のおおらかな時代でしたが)
「ぶつかった時に人がどうなるかも再現するんですか?」
「そーゆーわけ。誰かスタントマン知らない?」
「ひかるでいいんじゃないんですか。確か、バイトでスタントマンしてるって言ってましたよ」
「あ〜そう。じゃ車とバイク手配しとくわけ」



※注1)この1年後にHONDAからダートトラッカーFTR250が発表されました。I井さんは後輪を滑らしながらコーナーを駆け抜けていくパラパラ漫画的な写真が欲しいと言い出しました。そこでCanonさんを泣き落としてお借りしたNewF-1ハイスピードモータードライブカメラ (1984年130万円で限定発売された超高級機。Canonカメラミュージアムで探してみてください。なんじゃこりゃ! と驚くはずです)を持って 浦安のデ○ズニーランド裏の空き地で行われた試乗会で撮影しました。最速秒間14コマ撮影出来るので、36枚撮りフィルムが3秒弱で終わってしまうほど超高速機でした(M10と比べるとどっちが速いんだろう? 現在の1DXと同じ性能が当時の技術であったことがすばらしいと思いませんか)。デモンストレーションは数周しかしないので撮ったらすぐフィルム交換をして次に備えるという慌てまくって口から泡を吹きそうな状態(Oさんみたいに)でしたが、おかげで要求どおりの写真が撮れました。が、手持ち撮影だったし(あのバケモノみたいなカメラをですよ)、走行ラインが毎回異なったので、後でコマを合わせるのが大変だったとI井さんにぼやかれた記憶があります。


 
 とんトン屯豚と話が決まり撮影当日。朝から少し曇り空。午後から雨が降りそうでした。
「おはようございま〜〜〜す。いや〜〜〜困ったなぁ〜〜まいったな〜ぁ。雨降りそうですね。今日は、何するんですか〜?」スタントマンもどきをやる(やらされる)というのに、聞いてないしニコニコ顔で登場です。かくかくしかじかなわけ、とI井さんがおおざっぱに説明した後も「いや〜〜〜楽しそうだな〜〜」と、前にも増してニコニコです。

 
 さすがにみなさんも感じたのではないかと思います。ひょっとして伊勢ひかるくんは、バカではないのか? と。
 そうかもしれません。そうだとしても並のバカではないことは確かです(並のバカでもケタはずれのバカでもない、優秀な人間だと後日証明されてしまいました。話としては全く面白くないので書きませんけど)。

 
 どんな段取りで撮影したのかはっきり覚えていないのですが、「2 タクシーのいきなりの幅寄せでシュワッチ!」あたりから始めたと思います。一発目なので加減がわからず、バイクをちょこっと植え込みに倒すくらいでした。でも、これでは当時の流行言葉で言えば「絵にならない」(ケンオウの嫌いな言葉です)のです。
「伊勢ーっ! もっと派手にやってくれないと困るわけ。これじゃ読者になーんも伝わらないわけ」I井さんが怒鳴りました。
「ほんとに走って飛び込んじゃってもいいんですか〜〜〜? やりますよ〜〜」と、ニコニコで飛びまくった結果がこれです。

 
「1 出会いがしらでボヨン」


 見事に飛んでいます。もちろん実際にぶつけている訳ではなく、車とバイクをセッティングした後、ひかるが5メーターほど後ろから走ってきてジャンプします。反対側にマットなんて置いていませんが、うまく着地しています。気合いはいりまくりです。ちなみにこの初期型CITYは借り物です【※2】。



※注2)習志野ナンバーのCITYは、まさかこんなことに使われているとは知らない近藤編集長の愛車。屋根、フロントガラス、ドア、ボンネットなど至るところに結構擦り傷が出来たはずです。校正紙(印刷前の最後のチェックをする)を見たとたん愛車CITYよりも真っ赤な顔をして「頼むよIしいー! 大事な愛車なんだからさー。やるんなら最初に言ってくれよ……美千代(愛妻・第23回の注4参照)が見たら怒るだろうなぁ、参ったな……」とひかるの「まいった」とは真逆の顔で言ったとか言わなかったとか。ちなみにもう一台の品川ナンバーのCITYは社用車で、タクシーに化けたルーチェかコスモはちえこさん(第13話写真のキャプション参照)の愛車だったかな?




1985年8月号


1985年8月号

 
「4 急ブレーキでチョンワー」

 着地点にある植え込みをクッションがわりにして派手に飛んでいます。各撮影とも一発勝負ではなく、何度も飛ばしたはずです。ものすごくがんばってくれました。ここまでくると立派なスタントマンです。素晴らしい。

 

「5 クルマのかげからクルマがガッツ〜ン」
「6 いきなりドア開けでパッタンチョ」
「7 右折車コワイ〜ッ!」


 この3つ、不思議な点が多いと思いませんか。
 5は道路の真ん中に堂々と止めて撮影してます。6も広い道路で堂々と転んでいます。後続車が来たら本当の事故になるかもしれないのに、まったく慌てている様子が感じられません。カメラも道路の真ん中近くまで出ているし。7の右直のシーンに至っては交差点のど真ん中に堂々と止めて撮影しています。



1985年8月号


1985年8月号

 
 実はここ環状8号線です。カンパチ? そりゃ無謀でしょ! と思われるでしょう。警察に道路封鎖してもらった? 西部警察じゃないんですから絶対に無理です。それにこの頃ミスター・バイクは警察から絶大に嫌われていましたし。
 もう時効でしょうからネタをばらします。当時、環八の羽田側はまだ全通しておらず、この先はお寺だかお墓だかが立ち退いておらず行き止まりでした。タクシーかトラックがたまに休憩しに来るくらいの撮影天国無法地帯【※注3】だったのです。右直事故は行き止まりのUターン場所を交差点に見立てたのですが、ここで無謀にもコーナーリング撮影をしてMVX250Fでド派手に転けてスピンした人もいます。その人は知らん顔をして今でもWEBミスター・バイクの編集をやっています。 
 本当に好き勝手できました(してました)。この11年後の1996年、編集部が6のCITYが止まっている真横に出来たうすっぺらいビル(「ビルは薄いが本の内容は濃い」とその時社長に就任した近藤元編集長がよく言っていました)に引っ越してくるとは、なんの因果でしょう(今はカンパチを突き抜けもっと海側に引っ越しました)。



※注3)秘密の撮影場所は他にもいくつもあり、代表格が埋め立て地。『お台場でいいんじゃない!』が口癖でした。工事さえしていなかった荒野のような13号地(現在のお台場近辺)。ダイバーシティーなんて影も形もなく、ゴミの埋め立て地として有名だった夢の島のゴミ処理場に渡る陸橋下コーナーは近場のテストコースでしたが、引きがなくて撮影には苦労しました。多摩川の土手も常連で、毎月置き撮りをしていました。


 
 最後にタイトルについて。普通、タイトルを考えるのは編集者の重要な仕事なのですが、撮影が終わって上がりをチェックしに行くとI井さんが言いました。
「エトーさぁ、タイトルなんだけどさ。考えて欲しいわけ」と。突然だったので「ガ○ダムかなんかで、『なんとか行きます!』って台詞あったじゃないですか。『一番、ひかる飛びます』はどうですか」と適当なことを言ったら、ひかるが伊勢に変わっただけで採用されてしまいましたとさ。
ではまた。



1985年8月号
なんとこの号では名物コラム「男のジャーナル」まで書いていました。基本は2スト賛歌なのですが、これじゃ伊勢のことを笑えないよという、エトさん大丈夫?! 的エピソードも……エトタツマニアには見逃せない一冊です。

衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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