MBHCC A-6

かつてミスター・バイクの誌上を彩った数々のグラビアたち。

あるときは驚きを、またあるときは笑いを、そしてまたあるときは怒りさえも呼び込んだ、それらの舞台裏ではなにがあったのか?

1980年代中盤から1990年代、メインカメラマンとして奮闘した謎の写真技師こと、エトさんこと、衛藤達也氏が明かす、撮影にまつわる、今だから話せる(んじゃないかと思うけど、ホントはまずいのかも)あんな話、こんな話。どんな話?

第34回 昭和カメラマンなら知っている100%アナログ合成<br />
写真の作り方

 
 まずは前回のお話のおまけから。

 
「原稿終わって、今編集部にファックスしたところだ。おう、エトー、酒飲み行こうぜ。この間は撮影終わった後ヘトヘトで、一杯やれなかったからな」
 信哉さん、いつものようにギリギリで原稿をアップしたようです。はずんだ声で電話をいただきました。カメラマンは撮影して、上りチェックをすれば、一応仕事は終わりです。だからライターさんや編集さんが忙しくなる頃でも、他の仕事が入っていなければ結構暇でした。そんな私を見て「いいよなカメラマンは。写真撮れば終わりだから。ライターはそのあと原稿書かなくちゃいけないし、編集は最初から最後までやらなきゃならないけどな」などと言う輩がおりました。文章を書いたり、締切りに追われたくない一心で、私がどれだけ苦労して、どれだけのお金をつぎ込んでカメラマンになったのか、延々説教してやろうかと思いましたが、興奮すると「ななななっ」になりますし(第27話参照)、そもそも「私はカメラマンになりたくてなったんだ。文句あるならお前もなればいい」といつも心で言ってスルーしていました。こういうことを言うやつに限って使えない奴が多いですし。みなさんの周りにも、こういうやつ、いませんか。

 
 ライターも原稿をアップすれば身体が空きます。断る理由もないし、お酒大好きで暇なカメラマンは、脱稿したライターさんの元へいそいそ出かけました。
 信哉さんの仕事場におじゃますると「エトー、これ見ろよ、すげーだろ。これがあったら百人力だぞ」目の前にポンと2つの滑車を置きました。
「何ですかこれ?」
「おめー、滑車の原理知らねーのか? 学校で習っただろ。2個の滑車を組み合わせて使うと、引き上げる力を軽減できる訳だ。ほんとにわかんネーのか?」
 ポカーンとしているうちに、はたと気づきました。
「信哉さん、またどこかでバイクを引き上げようと企んで……」
「おう、これで楽に上げられるぞ」
「もうやめましょうよ……やるんなら大人数で行くときにしましょうよ。そんな話より早く飲みに行きましょう」と言って、滑車に目も向けずさっさと表に出ました。原稿を書き終わってハイになっているのか、普通の人ならあんだけ苦労したらもう二度とやらないと思うのですが、信哉さんは違います。さすがです。前向きです。でも私は後ろを向きます。滑車で苦労が軽減されたとしても、とんでもない労力が必要なのです。私はそっち方面に話がいかないよう、飲みながらビクビクしていました。

 

*   *   *   *   *

 
 さて、本題です。

 
 あまり派手な特集ではないので、憶えていらっしゃる方は少ないと思いますが、カスタムカタナの撮影裏話です。いつものような激しい内容ではありませんが、昭和のカメラマンはこんなこともしていたんだと、知っていただければ幸いです。

 
 いつものように編集部でゴロゴロしていると(←無駄にゴロゴロしているだけでなく、次号の内容を決める編集会議が終わったであろうあたりから、何か仕事いただけませんかの無言のアピール)、近藤編集長からお呼びがかかりました。いつものようにいつもの食堂に行くと、特に前振りもなく言いました。
「エトーよー、Teチャンとこがよー、Z2のよー、第2弾としてよー、新作のよー、カスタムをよー、作るんだってよー」
 見事なラップ調になっていますが、近藤編集長は普通に話すとこんな感じです。だぼだぼズボンとか、斜め野球帽とか似合いそうですし、前世はラッパーかもしれません。
「で、私は何をすれば?」
「特撮だからよー、エトーよー、カッコいい写真をよー、撮ってくれよー、Teチャンもよー、喜ぶようなよー、前に撮ったZ2に負けないようなやつをよー。なっ、なっ、頼むよ、エトー」いい調子にラップを刻んでいたのですが、最後はいつもの泣き落としです。
「カッコいい写真ですか……場所はどこですか」
「今Teチャンとこの工場で最後の仕上げしてるからさー、工場の近場だろ。よくわからないけど。なっ、頼むよエトー、なっ、なっ」  
 Z2の撮影(第4話参照)といえば、初めてTeチャンことSa田さんに会ったのがその撮影でした。その時マヌケにもレフ版を忘れてしまいました。代用できるものはないかと探していたら、「これじゃダメか?」と、Sa田さんがどこからか白いドアを外して持って来てくれました。たしか記事中にその時の写真が載ったような記憶があります。
「んじゃよー、後は任せるからよー、頼むぞエトー。細かいことは担当のNabeと打ち合わせてな」
 編集室に戻りNabeさんに言いました。
「近藤編集長にかくかくしかじかと言われたのですが、どうします?」
「ん? エトー君の好きなように撮影すればいいんじゃない」
 即決で一任されました。丸投げ……いえいえ違います。私が累々と築いてきた信頼と実績の賜に違いありません。

 
 家に帰って考えました。しかし現物を見ていませんし、撮影場所も不明ではピンときません。カタナだから侍? 忍者? と和をイメージをしたのですが、どんな感じの絵にしたらいいのかまるで浮かばないのです。困った困ったと困っていたら、都合よく思い出しました。当時、実写リメイク版の映画月光仮面が公開されており、そのポスターはカタナに乗った月光仮面でした。100パーセント安直に「月にカタナ、いいんじゃない」と即決しました。

 
 賢明なみなさんはすでにお気づきかと思いますが、この原稿を書くにあたって事実関係を確認したところ、映画に出てきたのはカタナではなくCB750Fの改造車……ついでに思い出しましたが、とあるプロモーションビデオの撮影でバイクに乗るバイトをやりました。あれはたしかカタナだったような……これも間違いかもしれません。西部警察のオープニングと混同しているのかも。いつものことながら、記憶が曖昧でごめんなさい。

 安直に絵は決まりました。ただ普通に撮ったのではバイクと月の大きさが、逆の月とすっぽん状態でカッコいい絵になりそうもないので、合成することにしました。当時は銀塩時代。マックといえばハンバーガー、フ○トショ○プのフといえば、その名のとおりカメラ屋さん。合成写真といえば、100パーセントアナログ合成です。

 
 バイクを黒いバックで撮影します。使用するカメラは4×5の大判カメラ。35mmでは合成はやりづらく、画像も荒れてしまうのです。月は35mmのカメラで撮影して、2つを合成するのです。と書くと、単純で簡単なようですが、それはのちほど。

 
 本番です。黒バックで撮影したいのですが、大きな黒布(暗幕という重い布。スタジオ撮影の必需品)なんて持っていません。レフ版の時のように、Sa田さんがどこかの黒壁を引っ剥がして持ってきてくれるやもしれませんが、期待してはいけません。夜暗くなってからできるだけ黒くなるところで撮影するしかありません。
 当時16号バイパスの連続立体交差完成前で、東名横浜インター(現在の横浜町田)の出口渋滞はとんでもないものでした。巻き込まれるとストレスがたまるので早めに相模原の工場に向かいました。のちにZ2御殿と呼ばれる工場には、当時まだ珍しかったNCをはじめ旋盤、フライス盤などが整然と並んでいて、工作機械マニアの私には宝の山でした。撮影なんてどうでもよくなって「おー、おー」と感動しながらうろつき始めると、いつも温厚なNabeさんが「エトさん! そんなことしてないでさっさとロケハンしましょう」と、アラブの王様のような顔でキッと睨みました。Nabeさんはかの有名な原宿モヒカンズ(あん時の真実第1話参照)の構成員で、あの写真ではめちゃくちゃ怖そうに見えますが、怒ったところは一度も見たことがありません。睨んだように感じたのはたぶん気のせいでしょう。Nabeさんは4月4日のオカマの日(勝手に自分で決めています)生まれなので、ちょっと乙女チックなところはありますが(あくまで個人的感想です)決してゲイではないと思います(これも個人的感想です)。多分。

 
 隣は運送会社の駐車場で、荷下ろし用に一段高くなった所がよさそうでしたが、他社の敷地です。ゲリラ撮影をやらかして、なにかあったらお隣のSa田さんに迷惑をかけてしまいます。それに大型ストロボ使うので電源を確保する必要があり、工場裏の駐車場を使うことに決めました。

 
 後日写真が出来たとき、近藤編集長は「エトーよー、地面の亀裂がよー、かっこいいじゃねか。おまえ狙ったな」と感心されました。その時は「雰囲気がよかったので」とさりげなく自慢しましたが、指摘されるまでまったく気づいていませんでした。近藤編集長、いまさらですがごめんなさい。



1988年4月号表紙
1988年4月号。公道300km/hプロジェクトやストアタなど信哉さんにおんぶにだっこ。


ポジ
奇跡的にポジが発見され……と思って中を見たら、テストショットのみ。どういう写真管理をしてるんでしょう……


1988年4月号
今回のお話のトビラページです。凝ってます。

 
 撮影準備をしているとSa田さんがやってきました。
「ふ~。エト〜ぉ、適当にいい写真撮ってくれよ。ふ~、は~ぁ」と空気漏れしているような力の抜けた一言だけでどこかに行ってしまいました。出るところに出れば業界の大御所なのですが、編集部に来るときはいつも大量のコロッケを差し入れてくれる、力の抜けた優しいおじさんのイメージでした。試乗会の夜の懇親会では、酔っぱらって悪友たちに羽交い絞めにされ、パンツを下され恥ずかしい写真を撮られていました。その姿に笑いが止まらず、おなかが痛くてたまらなかったことは今でも忘れません。  

 
 話は戻ります。最初は、部分カットとトビラ用のイメージを撮影。トレペ(=トレーシングペーパー。擦りガラスみたいな紙。スタジオ撮影の必需品)を二本のスタンドに渡したポールにたらし、ライトを仕込みます。スタジオならたくさんライトを使ってライティングするのですが、オープンの場合は風が吹いたりしてセットが倒れると、バイクを傷つけてしまう恐れがあるので一灯だけです。当日は穏やかな夜でしたが、わずかに風が吹いただけでかなりトレペがバタつき、ヒヤッとした記憶があります。
 ライトを組んだら4×5の大型カメラにレンズを付け、段取りよく部分カットとトビラカットを撮り、続いてメインカットです。アングルを決めてバイクを置きます。4×5は画面全体が暗いのでこのような暗い現場ではめんどくさいカメラです(個人的見解です)。そのため顔を動かし視点を変えて四隅を確認するのですが、その姿はまるでひとりチューチュートレイン状態。まぬけです。月を合成するスペースを取りたいのですが、真っ暗でどこが端っこなのかよくわかりません。Nabeさんにレンズ前で手を振っもらいなんとかフレーミングを確認しました。
 あおりを使いピントを合わせ、ポラを切って画像を確認し、テスト現像分を入れて3枚本番を切りました。そのまま五反田の東○現像所に直行し、夜間ポストにフィルムを入れ、家に戻った時は1時を過ぎていました(専門用語が多くてすみません。撮影して現像に出して家に帰ったら1時ということです)。
   

 
 朝9時半頃東○現像所に行くとテスト現像が上がっています。テストを見て本番の増感具合をオーダーすれば、お昼頃に本番が上がります。上がったポジを持って、麻布にある師匠のスタジオに向かいます。先輩カメラマンにどうしたら合成できるか相談していたので、合成用セットを準備して待っていてくれました。

 
 アナログ合成の段取りは以下の通り。
1.4×5カメラを2台用意する(1台でもできないことはないが2台あったほうが手間が少ない)。
2.ビューワー(ポジを確認する道具、ライトボックスとも言う)にバイクのポジを貼り付ける。
3.それを1台目のカメラで複写する。
4.アクリル板にプロジェクターで月の写真を投影する。
5.先ほどの複写したカメラからポジホルダーを外し、もう1台のカメラにセットする。
6.そのカメラで月を複写する。

 
 解りますか? 1枚のポジに複数の画像を映しこむ多重露光というテクニックです。簡単そうに見えますが、かなりの手間です。
 バイクポジの複写は、余計な光が回り込まないように複写するポジの周りを黒ケン(=黒いケント紙。スタジオ撮影の必需品)で覆い、さらにカメラが写りこまないように、カメラの光る部分に黒テープ(=黒い紙テープ。スタジオ撮影の必需品)を貼ります。
 アクリル板にプロジェクターで投影した月を複写するときは、暗い4×5のファインダーを覗いて合成するスペースにフレーミングをして、アクリル板の月以外のところをブラウー(=ブラックウールペーパー。光を吸収する厚手の黒い紙。スタジオ撮影の必需品)で覆い、余計な部分を写さないようにします。



1988年4月号
これが掲載された合成写真です。いかがでしょう?

 
 掲載された以外にも合成した写真があります。がんばって作ったのにあんまり評判が良くなかったのでボツになりました。それを今回は特別にお見せします。



ボツカット

こちらが本邦初公開のボツカット。そんなにダメですか??

 
 オチといいますか、実はこの写真に間違いがあるらしく、誰かは忘れてしまいましたが、指摘されてしました。なんでも、このような三日月は存在しないそうです。

 
 最後になりましたが、Sa田さんのご冥福をお祈りいたします。

 

*   *   *   *   *

 
 励ましのメールをいただきました。

 
「初めまして。 いつもWeb Mr.Bikeを楽しく拝見させて頂いています。 GMBは当時、ミスターバイクの読者であった頃の裏話が読めて、とても楽しいです。 雑誌自体は処分してしまったので手元にはありませんが、読んだ記憶のある表紙、記事が出ていて懐かしいです。 これからも楽しい記事の定期更新、よろしくお願いします」

 
 どうもありがとうございます。これからもがんばって思い出して書いていきたいと思います。

 
※お名前の記入もありましたが、割愛させていただきました。掲載記念のステッカーをお送りさせていただきたいので、よろしければ送付先をご連絡さい。編集部


衛藤達也
衛藤達也
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。16年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。


●衛藤写真事務所
「ぐるフォト」のサイトを立ち上げました。グーグルマップのストリートヴューをもっと美しく撮影したものがぐるフォトです。これは見た目、普通のパノラマですが前後左右上下をまるでその場に立って いる様に周りをぐるっと見れるバーチャルリアリティ写真です。ぜひ一度ご覧下さい!

http://tailoretoh.web.fc2.com/ 

  

●webサイト http://www1.bbiq.jp/tailoretoh/site/Welcome.html
●メール tatsuyaetoh@gmail.com

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